第59話 女剣士は動じない
交換日記[筋肉神]
おまえんとこの娘、恐怖心ないの?
わかっているのか? 筋肉ですら殴れんのだぞ?
寂れた廃墟を、アデリナは炎の灯りを頼りにすたすた進みます。
街を囲う壁はひび割れてはいますが、さすがと言うべきかほとんどが無事です。が、中の建物はひび割れ、屋根の残っているもののほうが珍しいようでした。
数歩先すら見えない闇を、寒風だけが吹き抜けていきます。
「へえ。人が住まないだけでこんなことになるのか。おもしろいな」
「おもしろくありませんよ!」
いつもでしたらわたしが前を行くのですが、今回ばかりは気が進みません。だって幽霊って殴れないんですよ。どれだけ筋肉があったって関係ないじゃないですか。
わたしはアデリナの背中にぴったりひっついて、胸鎧の背中を指先でつかみます。
ぞわぞわと、闇が身体にまとわりついてくるような感覚に鳥肌が止まりません。
ごくり……。
沈黙が耳に痛いです。
「ちっ、ほとんどの建物が風化して屋根も残ってない。それに、ほとんどが泥沼だ」
そう、わたしたちが歩いているところはアデリナが固めた細いあぜ道のようなもので、周囲は水というより泥に沈みかけているのです。
建物も、街の階段も、何もかもが深遠に呑み込まれるように。
気味悪いったら……。
「帰りましょう? アデリナの造ったシェルター、居心地良かったですよ?」
ばたばたばたばた、何かの羽音が闇夜へと消えてゆきます。
「ひぃ……」
もちろんナマニクさんのものではありません。小さな何かです。見えませんでしたが、蝙蝠か梟か……もしくは……。
「か、か、帰りま――」
「やはり王宮だな。王宮の造りであればそうそう崩れていることはないはずだ。一段高いところに造るはずだから泥もないだろう」
無視されました!
むりやり引きずって戻ろうにも、わたしたちはすでにシャラニスの街中を結構な距離歩いてきてしまっています。足も震えていますし、いくら怪力でもこの状態ではアデリナを抱えて戻りきる自信はありません。
恐れを知らないアデリナは、ずかずかと崩れた瓦礫を乗り越えて歩きます。わたしは全身を震わせながら、どうにか彼女について行っているだけです。なんだか、いつもとはまったく逆の立場になってしまいました。
ぱきっと足もとで何かが鳴りました。
アデリナが松明というか人魂を下げて覗き見て、事も無げに呟いて歩き出します。
「ん? ……なんだ、骨か」
え、ええええええぇぇぇぇぇっ!
立ち止まってしまったわたしを振り返って、アデリナが眉をひそめました。
「安心しろ。ただの古びた人骨だ」
えええええええぇぇぇぇぇぇっ!?
「……先に行くぞ」
「置いてかないでください!」
なんなの、この世界の人!
わたしは大あわてでアデリナに貼り付きます。アデリナは変わらぬ五歳児の歩調で、てくてく歩いています。
なんかもう涙出てきちゃいました。
「案外狭いな。もう王宮だ。鉱山都市ならこんなものか」
「え、え、でも、王宮には灰色の蜥蜴がいるって……」
「問題ない。ゆーれいは知らんが蜥蜴なら殴れるだろ? それに食えるかもしれん」
いーやーだー!
ぶるんぶるん顔を振ると、アデリナが手を差し出してきました。
「子供じゃあるまいし、しょうがないやつだ。握ってやる」
「う、う……」
わたしは左手でアデリナの手をギュッと握り――アデリナが身をよじります。
「いでっ!? ちょ、ちょ、れ蓮華、力を抜け! 骨がメリってった、あ、あ、ッあ――っ!」
「ひ……、ま、また骨です!?」
「ち、違、あた、あたしの骨ぇぇああああぁぁぁぁんぅぅぅ!」
数秒後、わたしは半ベソのアデリナに頭を下げていました。
危ないところです。もうちょっとでアデリナの手を握り潰してしまうところでした。
「まったく、おまえときたら……」
「うう、ごめんなさい……」
アデリナはため息をついてわたしの手を引き、ゆっくり歩き出します。
「な、なななんでアデリナは、シャラニスに、こ、こだわってるんですか……?」
腰が退けたまま、わたしはアデリナに引かれて歩きます。
「シャラニスの滅亡が黑竜被害だとしたら、黑竜について掘り出されていないなんらかの手がかりが残っているかもしれん。ここはドリイル地方最初の国だから、貴重な情報になるはずだ」
何も考えてなかったわけじゃないんだ……。
アデリナの手は、白く、細く、そして柔らかなぬくもりのある優しい手でした。
きっと、アデリナは今も黑竜との戦いのことを考えているのです。あれほどの戦力差、あれほどの絶望を乗り越えられる何かを、彼女なりに探ろうとしているのでしょう。
このレアルガルド大陸のために。
それはとても尊い気持ちなのだと、わたしは思います。
ふと、日本にいる仲間たちのことを思い出して。
「探すのは一夜明けてからだな。不思議と無限に燃やせるこの貴重な松明があっても、この暗さでは見つかるものも見つからん」
五歳児の歩みで、かつて階段だった瓦礫を乗り越えながら、アデリナは続けます。
「しかし黑竜被害とは少し違うように思える。もしもあたしたちの知る黑竜がシャラニスを滅ぼしたのだとしたら、この地は魔素が枯渇しているはず。……いや、数百年の月日が大地を癒した……のか……?」
ぶつぶつと呟きながら。
王宮に門はありません。ただただ、闇を映す窓がぽっかりと口を開けた、古びた洋館のようなものが建っているだけです。
不気味でした。まるで洋館に食べられに向かっているかのようで。
それでもアデリナは進むのです。わたしの手を引いて。
絨毯はありません。ひび割れ崩れた壁と、炎に揺れる天井、廊下であるにもかかわらず、地面には湿った土が溜まっていました。
足音と、呼吸の音。それだけが響きます。
「……一帯から魔素は感じられないな。蓮華、気配はどうだ?」
「な、何も……」
「ふむ。魔物はいないか。それは……おかしいな」
「おかしい? いないにこしたことはないじゃないですか」
へっぴり腰でアデリナの胸鎧の背にしがみつき、わたしは尋ねます。
「雨風を防ぐ屋根や壁がある。それだけで、なんらかの生物の住処になっていないと不自然だとは思わないか?」
「そ、それって……もしかして……魔素も気配も発しない何かがすでにいるってこ……と……?」
アデリナは呟きます。
「や、そこまでは言ってない。だがこれだけの好条件に生物が棲み着かないのは不自然だ」
幽霊ですよ! 幽霊が生者を寄せ付けないからですよ、きっと!
彼女は口もとに手をあてて、何かを思案して。
「まあいいか。とりあえず寝床を造る」
「造るんだっ!? それでも造っちゃうんだっ!?」
「そりゃ造るだろ。湿った地面で寝たいのか?」
「や、そういうあれじゃなくてですね……」
アデリナが「ふーん」と興味なさげに呟きながら、松明をポイっと投げ捨てて地面に手をあてました。
火がなくて造れるのか……と思いましたが、問題ありませんでした。松明の炎は人魂のように浮いていますので。ちなみに地面に転がった木枝には焦げ目すらありませんでした。
なんのための枝だったの……。ほんっと、息を吐くように魔法を使ってますね……。
一瞬の後には、土を固めたベッドが二人分出来上がります。
湿った土だったはずなのに、ベッドは渇いていました。
「硬いが我慢しろ」
「そ、それは慣れましたが……」
アデリナはナップザックから毛布を引き出すと、慣れた手つきでベッドにかぶせます。わたしも自分のリュックサックから毛布を引き出して、少し考えて。
「あの、アデリナ」
「なんだ? 飯なら携帯食一つで我慢だぞ」
「そ、そんなに食いしん坊じゃありませんっ。……そうではなくてですね……」
冷たく静まりかえった夜気が闇となり、変わりなくわたしにまとわりついて。
躊躇われます。口に出すのは、とても。
アデリナがドラスレを外して胸鎧を脱ぎ、ベッドにのります。
「えっと……そ、その……」
「ああ」
寝転んだアデリナが身体をずらしてベッドの端に寄りました。
「しょうがないやつだ」
わたしは羞恥の余り照れ笑いを浮かべながら、いそいそと彼女の隣に寝そべります。
「えへへ、すみませんね」
「別にいい。あたしの毛布にのれ。おまえの毛布を掛ける。少し肌寒かったからちょうどいい」
女二人、並んで寝転んで。
少し照れ笑いを浮かべると、アデリナは微笑んでくれます。
だらしない格好のまま携帯食の硬いパンを一つずつ食べて、いっぱい話します。いっぱい笑って。まるで修学旅行の夜のように。
やっと、恐怖と夜気による寒気が少し収まった気がしました。
温かな腕と腕が触れ合って。
「じゃあ、寝るぞ。おやすみ、蓮華」
「はい。おやすみなさい、アデリナ」
人魂っぽい魔法の火が、ふっと消失します。
さすがに眠りながら常時発動させておくことはできないようです。というか以前試してみて、ぼや騒ぎになったのだとか。
「……お腹空きましたねぇ」
「うん。起きたらまた一つだけ食べよう。もう残りも少ない。しばらくは国や街もないから…………獲物を獲って……保存しないとだな……」
すぅと、寝息が聞こえてきました。
先ほどまでの恐怖はもうありません。わたしは彼女に少し近づいて瞳を閉じます。そうしていつの間にか、眠りに落ちていきました。
ですが、長い夜は始まったばかりだったのです……。
交換日記[魔法神]
あれは性格によるものですぞ。
たぶん魔法もあたりませんからな。




