第58話 女剣士は適応する
交換日記[筋肉神]
ナマニクが自らの身を崖に叩きつけたとな?
やつめ、高タンパクな上に肉質まで自ら柔らかく変質させるとは……主への見上げた献身である!
シーレファイスを出立しておよそ一ヶ月。
そろそろ日数のカウントがあやふやになってきました。
太陽はすでに傾き、右手に見えるセラリア内海は黒くうねっています。
依然として海岸沿いを北西に進んでいたわたしの目に、人工物らしき建物が見えてきました。
「アデリナ、街が見えますよ。今夜は久しぶりにまともなものを食べられそうです」
半分白目を剥きながらも、ふらふらとついてきていたアデリナが視線を上げます。
立派に魔法使いをしているわたしが先行し、自称剣士に過ぎないアデリナがリビングデッドのような足取りでついてくるというこの不思議なフォーメーションは、今や定着しつつありました。
「ああ。あれはだめだ」
ちなみにナマニクさんはお出かけ中のようです。
空を飛べるようになってからというもの、時々こうして姿を消しますが、大体朝方には戻ってきて近くで丸くなって眠っています。
どこかで飛ぶ練習でもしているのかと思いきや、時折、空で狩ったらしき鳥や獣をわたしたちの横に並べてくれていることもあります。
差し入れのようです。なんて親思いなのでしょう。
ただね、血塗れの死体を眠っているうちにそっと横に置くのは朝方の心臓に悪いので、もう少し離して置いてくださると嬉しいです。
血塗れの大蜥蜴が鋭い牙のある口をぱっかり開けたまま濁った目でわたしを睨んでいたときは、思わず起きると同時に防衛本能が起動して頭部を爆砕してしまいましたよ。
いずれにせよ、まだわたしとアデリナをのせて空を飛ぶには身体の大きさがまるで足りていません。今の体長でようやくアデリナを超えたくらいですし、少なくともこの三倍、ううん、四倍くらいは大きくなってもらわないとです。
「……だめ? 住人がよそ者を追い払うとか、鎖国中とか?」
「いや、すでに滅んでる。シャラニスという鉱山国家の廃墟だ」
「シャラニス……」
「栄華を極めた古の国家だったが、建国一千年の宴の最中に天災で滅んだそうだ。ゆうに二〇〇年以上前の話だ」
少し躊躇った後、アデリナが呟きます。
「あたしはこれを黑竜被害じゃないかと疑っている」
「え……」
「記録ではシャラニスが滅亡する半日前に、当時の大神官だったネイ・カーという人物が目撃した光景だ。月からいくつもの灰色の影が湖に落ちて、湖からは浅黒い霧が立ち上ったらしい。そして住民は恐慌状態に陥り、シャラニスから走り去った」
あ……。
「瘴気?」
「そう考えれば辻褄が合う」
空を飛ぶ黑竜から、もしくは黑竜の放った毒竜の瘴気が、国を包み込んだ。だから住民は避難した。
「けれど、宴の最中だった王侯貴族はそれに気づかなかった。のちにシャラニスを訪れた者が見た光景は、灰色の蜥蜴のような忌まわしい姿をした生物が、王宮の宴会広間で宴をしていたそうだ」
ぞわっと鳥肌が立ちました。
え、え、それって、瘴気を浴びたら蜥蜴になってしまうってこと?
「ただの言い伝えだ。本当かどうかは知らん。……それでもまぁ、雨風くらいは凌げるだろう」
「え? 行くんですかっ!? 雨風を凌ぐだけならいつもみたくシェルターでもいいんじゃないでしょうかっ!? どうせ廃墟ですし、おいしいものだってないでしょっ!?」
アデリナがのろのろと振り返ります。
「……怖いのか?」
「怖くなんてあります!」
「どっちだ……」
「怖いです! めっちゃびびってます! 幽霊とか出そうです!」
アデリナが視線を斜めに上げて、何かを考えるように呟きました。
「灰色の蜥蜴ならどうせ毒竜だろ。もし生き残っているなら倒すべき相手だ」
「で、でも、宴会をしていたんでしょう?」
アデリナは背中を向けて歩き出しながら、右手をひらひらと振ります。
「酒か人肉でも残ってたんだろ」
「怖い怖い怖いですって! 幽霊かもしれないんですよ!? わかってますっ!?」
わたしは仕方なくアデリナの背中を追いかけます。だって、アデリナがいなければシェルターさえ造れないのですから。
「この前も聞いた気がするが、ゆーれいってなんだ?」
「死んだ人間の思念体ですよ! この世に未練があるから、うらめしいうらめしいって呪ったりするんです! 生きてる人間を!」
「そんなもん、ぶん殴ったらいいじゃないか。おまえはいつもそうしてるだろ?」
あぁぁ~~~もう! これだから異世界人は!
わたしは長い黒髪を掻き毟ります。
「殴れないんですよ! わたし、殴れる相手なら恐れたりしません!」
黑竜や魔王くらい桁外れならばともかく、ですが。
「呪いって具体的にどんなことをしてくるんだ?」
「ね、寝てる間に首を絞めてきたり、お風呂に入っていたら水面から顔が浮いてきたり、髪を洗っているときに後ろから手を伸ばしてわしゃわしゃしてきたり……!」
数秒考える素振りをしたアデリナが、眉根を寄せて唇を尖らせます。
「ゆーれいというのは、やることが小物だな。首を絞められるなら、ぶん殴れるんじゃないのか? 相手は触れるのにこっちからは触れないなんてあり得ないだろ」
「あ……。ええ~……」
ぐうの音も出ない……。
「それに洗髪を手伝ってくれるのは便利だ。風呂に住ませたくなる」
「だ、男性かもしれませんよ!」
わたしは何を口走っているのでしょうか。
「ふむ。それは困るな」
困ってない。顔がまったく困ってない。
これだから異世界人は! これだからお姫様は!
そうこうしている間に、わたしたちは廃墟シャラニスに到着してしまいました。
あたりはもう真っ暗で、月明かりだけが頼りです。正直、ほっとんど何も見えません。数歩先までしか視界がないのです。
国と外を隔てる壁を乗り越えて先に着地したアデリナが、突如驚愕の声を上げました。
「きゃ……っ」
「な、な、なんですかっ!? 殴れますか!? 殴れませんか!?」
沈黙。あまりに暗くて、ほとんど様子が見えません。
「あ、あの、アデリナ……?」
も、もうやられちゃったの……?
「……水だ。泥沼になっている」
「仕方がありません、帰りましょう」
「固めるからちょっと待ってろ。すぐ終わる」
なんて無駄に万能なの!
闇の中で水音が響きます。おそらくですが、足もとの泥沼から水属性魔法で水を吸い上げ、どこかに流しているのだと思います。
この水乙女ばか!
しばらくすると、アデリナの声が聞こえてきました。
「もういいぞ」
「足もとが見えません。帰りましょう?」
「松明でもつけるか」
持ってないでしょ、あなた!
と思ったら、ふいに炎が灯りました。
いつの間にかアデリナの右手には木の枝が握られています。布を巻いているわけでもなく、燃料を染み込ませているわけでもない、ただの木の枝ですが、なぜか炎は風が吹いてさえ揺れることはありませんし、木の枝が燃え尽きることもなさそうです。むしろ木の枝がなくても炎は問題なさそうに思えますが、そこは言わぬが花。
そんなことよりも、まるで炎は人魂のようでした……。
わたしは泣く泣くアデリナの隣に降り立ちます。泥沼だったはずの足場は、完全に乾いた砂へと変質していました。
水、どこにやったんだろう……。
沈黙が耳に痛く、闇の中、炎に揺れるアデリナの端正な顔ですら邪悪なものに見えてきます。
ああ、ついに霊界に足を踏み入れてしまいました。
交換日記[魔法神]
腹が減りましたな。
一杯いきますぞ、筋肉神。




