第50話 浄炎は断章を呑み込む
交換日記[筋肉神]
き、きっさまーっ!
命を救われたとて、娘はやらんぞ!
肉体を三倍にして出直すがいいわ!
最初に動いたのはグラノスさんでした。
自らを守る軽装鎧を剥いで投げ捨て、帯電する雷の剣の刀身を素手でつかんだのです。
「……ッぎ……」
魔王も女性も、わたしやアデリナでさえも、その行動には目を見開きました。
「グラノスさん!」
こんなの、ただの自殺行為――ですが、直後!
歯を食いしばったグラノスさんは、自らの全身と雷の剣をスパークさせながら、地を蹴りました。
わたしはほんの一瞬、グラノスさんの姿を見失いました。
それはまるで雷そのものであるかのように。
広くはない地下室を目にも止まらぬ速度でジグザグに駆け抜けて跳躍、石造りの天井を逆さに蹴って魔王へと雷のごとく剣を振り下ろします。
すごい……!
あんな速度、どうやって出しているのかわたしにはわかりません。人間に可能な反応速度を超えてしまっているように見えます。
けれど、それでも――。
「……」
ゆらり、上空から降り注ぐ刃に視線すら向けず、魔王は身体を揺らして避けたのです。
わたしとアデリナ、そして着物の女性が動いたのはその直後のことでした。
「行け、蓮華! 後ろはまかせろ!」
「行かせません!」
地を蹴って飛び込んでくる女性へとアデリナが両腕を振った直後、わたしは身を低くして魔王へと駆けます。
グラノスさんは目にも止まらぬ速度で壁や地面、天井を蹴って縦横無尽に飛び回り、直線軌道で剣を何度も振るいます。
「がああああぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!」
「……」
それでも、魔王は――。
まるで風に揺れる柳のように、ゆらり、ゆらり、躱して。グラノスさんの剣を自らの刀で受け止めることさえなく、躱して。
けれど、それでいいのです。グラノスさんは魔王の注意を自分に向けるためにやっているのだから。
わたしは魔王の視線よりも低く、地面を這うようにしてその足もとへと潜り込み、キラキラ☆モーニングスターを全力で振り上げました。
「こ――ッッッなくそーっ!」
死角からの一撃。けれども魔王は視線をグラノスさんに向けて、彼の攻撃を回避しながら、両手に持った日本刀の刃でキラキラ☆モーニングスターの柄を受けました。
金属同士がぶつかり合った瞬間、背後で何かが爆発します。
きっとアデリナの魔法。けれど、振り返る余裕なんて今のわたしには。
「――っ」
鍔迫り合いをするつもりはありません。そのまま刃をへし折って、キラキラ☆モーニングスターの一撃を脚部に叩き込んでやるつもりで振り切ります。
けれどその最中、わたしの目は信じられないものを見てしまいました。
細い日本刀の刃と、キラキラ☆モーニングスターの柄が火花を散らした瞬間、折れて砕けるはずだった魔王の刃が、キラキラ☆モーニングスターの柄に食い込んだのです。静かに、感触すらほとんどないままに。
「――!?」
直後、キラキラ☆モーニングスターの先っちょだけが壁に叩きつけられて埋まり、わたしの手にはただの重く短い棒きれだけが残ってしまいました。
斬られ――た!?
「そんな……っ」
重量三十キロの謎物質でできたわたしのステッキが、あんなに細いただの日本刀なんかに真っ二つにされてしまったのです。
その驚きが、その戸惑いが、わたしの動きを一瞬鈍らせました。
「じゃあなァ、嬢ちゃん」
刃がわたしの頸へと迫ります。とても、避けきれない速さ鋭さで。
けれどすんでのところで、グラノスさんが魔王の日本刀へと雷の剣を叩き下ろし――しかし金色の軌跡は空を斬りました。
「~~ッ!?」
魔王は身体を反時計回りに回転させ、わたしではなく、わたしを救うために地に降りてしまったグラノスさんの頸へと刃を照準します。
魔王がひどく歪んだ笑みを浮かべました。
ぞわりと、背筋に寒気が走ります。
「やめ……っ」
死んじゃう! わたしを庇ったせいで、グラノスさんが!
それは、まるで冷や水を全身から浴びせかけられたかのような恐怖でした。自分が死んでしまうよりもずっとずっと怖いと感じました。
「――双方、そこまでじゃッ!!」
雷轟のように響いた声に、魔王の刃がグラノスさんの頸部寸前で止まります。
同じく、アデリナの顔に突き刺さろうとしていた女性の拳も止まっていました。
わたしとアデリナが、同時に腰砕けとなってへたり込みます。呼吸は乱れ、信じられない量の汗が全身から流れ落ちていました。
押し広げられる血管が痛むくらいに、心臓が激しく脈を打っていました。
全員の視線が魔王の背後、地下室入口に立つ老人へと向けられます。
「ラトル様……」
グラノスさんが声を絞り出しました。
「うむ。この愚か者めが。儂を置いて先に行くやつなどあるか、馬鹿者」
「……申し訳……ありません……」
ラトル様は痛む腰を押さえながら、石の階段をゆっくりと下りてきます。
堂々と魔王の横を抜けて、わたしとグラノスさんの横を抜け、地下室の中央に立って、視線を回して。
そうして無惨に部屋の隅に吹き飛ばされていた古書の中から、タイトルの塗りつぶされた一冊の写本を拾い上げます。
黒の石盤遺跡の写本です。
先ほどの戦いで、どうやらあの女性の手からこぼれ落ちてしまっていたようです。
「ラトル様!」
ラトル様は長いため息をついて、真っ黒な本を魔王へと投げました。
魔王は黙ったまま片手でそれを受け止めて、ラトル様に視線を向けます。
「もうよい……もう疲れた……。……三つに分かたれた断章とはいえ、人が管理するには過ぎたる重荷よ……。――のう、魔王よ」
「ンだなァ。よぉ~くわかるぜ、おまえさんの気持ちはな。大神官ラトル」
「……儂らは少しばかり似ておるようじゃな。……石盤遺跡はヒトでは管理できぬ。ゆえにヒトであることを捨てた者同士よ」
人間との交渉には応じないと言ったはずの魔王は、ラトル様の言葉に、静かに刃を下ろしました。
「……そうだねェ」
ラトル様はゆっくりと魔王に歩み寄ると、自らの頭を指さします。
「魔王よ。写本の写しは、もはや頭にしか存在せん。さあ、儂の頸を刎ねるがいい。それでこの者らに用はなくなるであろうよ」
頭が追いつきませんでした。ラトル様が何を仰っているのか、わたしにはわからなくて。けれども、グラノスさんは目を剥いて叫んでいました。
「ラトル様!」
「黙って見ておれ、グラノス。これは大神官としての最期の命令じゃ」
グラノスさんの表情が大きく変化しました。
殺されそうになってなお、それでも仏頂面だったのに、まるで泣き出す寸前の子供のように。そうして必死の形相になって叫びます。
「嫌だッ! やめてくれッ、爺ちゃんッ! 俺がなんとかするからッ!」
「黙れ。もうよい」
「黙らないッ! 俺を置いて逝かないでッ!!」
「グラノスや。――これは人類が犯した最も醜く浅ましき罪の記録。三冊の写本は決して一つにまとまるべきではないのだ。そのうちの一冊が、儂の頭には残っておる」
魔王は――。
ラトル様とグラノスさんの先、わたしとアデリナの奥に立つ女性に視線を向けて、黒色の写本を投げました。
「リリィ」
「はい」
リリィと呼ばれた着物の女性は、それを片手で受け止めるなり、自らの腕に小さな炎を宿らせ、写本を燃やしていきます。
「あ……」
わたしは声さえ出せなくて。
その様子をただ見守ることしかできませんでした……。
白煙を上げ、橙色の火の粉を散らしながら、黒の石盤遺跡の写本はゆっくりと灰に変化していきました。
こうして黒の石盤遺跡の写本断章は、この世から消滅したのです。わたしが魔術師となれる可能性を秘めた、手がかりとともに。
交換日記[魔法神]
たとえ命を救われようとも、おまえのような馬の骨に我が愛娘はやれませんぞ。
口からレーザービームを吐けるようになってから出直しなさい。




