第51話 魔法少女は痛感する
交換日記[筋肉神]
人斬り侍、人間やめたってよ。
わたしはただ呆然と、写本が燃えてゆくのを眺めていました。
阻止することなど、到底できませんでした。魔王にもリリィさんにも、わたしたちは敵わないのです。
「さあ、これでアルタイルに残る写本は儂の頭の中だけだ。この首、如何様にもするがよい」
魔王に自らの頸部を差し出したままのラトル様に視線をやってから、魔王がリリィさんに尋ねます。
「リリィ、おまえさんならどう考える?」
着物のリリィさんは、空色の瞳でラトル様とグラノスさんを一瞥して。
「個人的見解でよければ」
「聞かせてくれ」
魔王が日本刀を肩にのせ、静かに呟きました。
「では恐れながら。この者の命を奪うことは、あなたの傷になります。これ以上の重責は背負わないでくださいませ」
「おれのこたぁ別にいい」
銀色の髪を傾けて、少し考える素振りを見せた後、リリィさんはほんの少しだけ表情を崩して告げました。
「問題はないかと」
「ンだなァ。老い先も長かねえだろう」
ゆっくりと長い息を吐いた後、魔王が刀を背中に隠していたらしい鞘へと収めます。
その段に至って、グラノスさんがラトル様にしがみつきました。
「爺ちゃん!」
「……儂を……写本の知識を……生かすというのか……魔王よ……。……まだ儂に苦しめと……そう言うのか……」
魔王が事も無げに呟きます。
「勘違いするなよ、大神官ラトル。おまえさんがもし他の誰かに――たとえばそこの坊主にでも話してみろ。次はおまえとその坊主に関係するすべての人間を、おれは斬りに戻ってくる」
ぞくり、と背筋に悪寒が走りました。
魔王から再び、身を切るような鋭い殺気が溢れ出します。
「必ずだ。いいか? 何十、何百といようが関係ねえ。何千、何万、たとえアルタイルをすべて滅ぼしてでも、全員を斬り捨てるだけの話だ」
この人、たぶん本気で言ってる……。こんなの、誰も阻止なんてできない……。
「帰るぞ、リリィ」
「はいっ」
リリィさんが嬉しそうに走り出します。
腰を抜かしたままのアデリナやわたしを一瞥さえすることなく、背中を向けて歩き出した魔王の腕に、自らの腕を絡めて。
わたしたちはしばらく呆然と、そこにたたずんでいました。
わたし……本当に無力だ……。どうしようもないくらい……無力なんだ……。
黑竜からも、魔王からも、誰も守れません。こんなに、こんなにも自分が弱かったなんて――。
先っちょを斬り飛ばされたキラキラ☆モーニングスターが掌から消滅しました。こんな棒きれをこれまで握りしめていたことにさえ、気づいていませんでした。
「蓮華」
心臓の音がうるさく響きます。
「おい、蓮華!」
「……え、あ、はい」
肩を揺すられて、わたしは意識を引き戻しました。
アデリナです。
「蓮華、追うぞ」
「え……」
言葉の意味がわかりませんでした。
「魔王を追うんだよ! ぼうっとしている場合か! 訊きたいことが山ほどある! あたしは先に行くぞ!」
そう言って、アデリナは走り出してしまいました。といっても、大きなドラスレを背負っていては、上り階段を走る速度はゆっくりすぎて。
もう、仕方ないなあ……。
わたしは彼女に引きずられるように、アデリナを追って走り出します。
「……っと」
遅いアデリナの背中を押して走って、本棚の迷路を抜けて、開かれたままの図書館の扉をくぐって。
そうして、わたしは目を見張りました。
眩いばかりの光の粒子。わたしの変身時とは比較にならないくらい、まるで大神殿を太陽のように照らし出して、リリィさんの姿が大きな、とても大きな、神々しく輝く美しい竜へと変化したのです。
全長十メートルはあろうかという銀色の竜に。
「う、嘘……っ」
「やはり。あいつが魔王の騎竜、銀竜シルバースノウリリィだったか」
アデリナが呟きます。
銀竜シルバースノウリリィ。
たしか、それは完全体の黑竜を墜とす鍵となった古竜の名。黑竜や毒竜の猛攻を空で躱し、一介の人間に過ぎない魔王を黑竜の頸まで運んだ、最速の騎竜。
わたしは視線を奪われます。
だって、あんなにも! あんなにも美しい生物が他にいるでしょうか! 力強く、優しく、神々しく、気高く!
きっとエルドラ大神殿を揺らした最初の震動は、彼女の飛来だったのだと思います。
魔王はわたしたちに視線を向けることもなく、自らの騎竜へと跳び乗ります。
「待って……」
声は届きません。
魔王をのせた銀竜シルバースノウリリィは、その四枚の大きな翼で空をつかんで。
「待って!」
気づけばわたしは金切り声で叫んでいました。
「お願い、待ってッ! 待って、魔王ッ!」
魔王がこちらを振り返ると同時、四枚の大きな翼が、まるで空を大地へと叩きつけるかのように振り下ろされます。
轟と風が鳴って、わたしたちは巻き起こされた砂煙を両手で防ぎます。
「く……っ」
「待て……っ」
銀竜は魔王をのせたまま、低空に留まっていました。
空色の瞳と黒色の瞳が、わたしたちを睥睨します。
わたしは夢中で叫びました。
「魔王! 石盤遺跡には、いったい何が書かれていたのっ!? どうしてあなたはそれほどまでに、遺跡を危険視しているのっ!?」
魔王は一度瞳を閉じて、少し迷ったように目を伏せ、それから口を開けます。
「……詮索はするな。そいつを識るときは、おまえさんがくたばるときだ」
「それは――っきゃあ」
アデリナだけではありません。
わたしですら立っていられないくらいの風を叩きつけられ、二人して背中から転がった瞬間には、魔王とその騎竜シルバースノウリリィはもう空の彼方へと飛び去っていました。
「待って! まだ訊きたいことが――あなた……いったい……誰なの……」
なんてスピード……。あれが古竜という存在……。あれが魔王と呼ばれた人間……。
わたしたちは自らの無力を嫌というほどに教えられ、ラトル様とグラノスさんがここへやってくるまで、図書館の壁にもたれてただ呆然とたたずんでいました。
黑竜も、魔王も、あまりにも大きな存在で。
わたしなんかがこの世界のために、何ができるのだろうって。そんなことばかり考えながら――。
交換日記[魔法神]
あなたも十分に神をやめてますぞ?
交換日記[アデリナ・リオカルト]
おまえもだ。




