第38話 猫の国
交換日記[アデリナ・リオカルト]
……ふぁっ!? ね、ね、寝てた! 気づいたら寝てたっ!
オーガに食われる夢を見て起きた……。
街道近くに来てから、わたしたちは巨大オーガを乗り捨てます。
逃がしてしまっては人間を襲うかもしれないという可能性もありますが、わたしやアデリナが散々痛めつけてしまったためか、どうやら小さなランドルフさんにさえ脅えているようです。
この分なら、当分の間は人間には近づかないでしょう。
――グゥルル……。
「フォ!」
ランドルフさんが巨大オーガの後ろ足を蹴って、アルタイルとは逆方向の、わたしたちが突っ切ってきたウクラン川沿いの森を指さします。
――ガグゥァ……。
やがて巨大オーガはランドルフさんに追いやられるように、森へと向かって歩き出しました。
一部始終を見ていたわたしは、アデリナに囁きます。
「ランドルフさん語は通じてるんでしょうか」
「さてな。あれはもうあたしの知識の及ぶところじゃあない」
アデリナが肩をすくめました。
未練がましそうに振り返った巨大オーガを追い立てるように、ランドルフさんが片足で地面をだんだんと叩きます。
「フォゥ!」
オーガが肩を落として、とぼとぼと森へと帰っていきました。
なんかちょっと可哀想な気もしますが……。
巨大オーガの背中が見えなくなってから、ランドルフさんはぺたぺたと川沿いを歩き出します。
わたしたちもそれに倣って。
少しの間だけ歩いて森を抜けると、そこはもう砂を固めて造られた街道でした。まだまだ距離はありますが、遠くのほうには小さくアルタイルと思しき都市が見えています。
ランドルフさんの足取りが軽くなってきました。鼻先をすんすんと動かして。
「フォ。猫のニヨイ、してる」
「におい、だろ」
「そうか?」
「そうだ」
「そうかあ」
他愛のない話をしながら、わたしたちもランドルフさんの足取りに合わせて歩きます。
だいぶ近づいてきました。
川で囲まれた周囲には牧草地があり、その中央、尖った屋根の建物が沢山建っているところがアルタイルの街なのでしょう。
レアルガルド大陸の国は、とても個性豊かです。
旅人がちらほら街道を行きます。そのほとんどが、馬車を引いた商人さんのようです。
優しい風の吹く街道を進み、川にかけられた跳ね橋を渡り、羊や牛、わたしが見たこともない草食動物が草を食む広大な牧草地を抜けて。
わたしたちはようやくアルタイルへと辿り着きました。
「おお……!」
アデリナが頬を染めて両手で口を塞ぎます。
「こ、これは、なんという光景だ……!」
玉石敷きの通りには尖った屋根の建物が沢山あって、建物と建物の隙間には野良と思しき猫たちがいっぱい足を折って座っていました。
白猫黒猫三毛猫八割れ眉毛、もうありとあらゆる種類の猫が山ほど!
「フォォ!」
ランドルフさんが早速走り出しました。猫たちが座っている一角に滑り込むと、もさもさの全身を揺らして踊り出します。
すると、猫たちはランドルフさんの長い毛に惹かれるように近づいて、前足で彼をぱしぱしと叩き始めました。一匹、二匹、……七匹。どんどん増えます。
全身猫じゃらしみたいなものですからね、あの人は。
「フォフォフォフォフォ~~~~~~~~~ゥ!」
こてっと倒れたランドルフさんの上に、猫たちが次々と群がっていきます。臭いをつけるように身体を擦りつけ、前足で叩いてじゃれています。
「あああぁぁぁぁぁ……なんて羨ましい……」
アデリナが珍しく蕩けた表情となり、ふらふらとそっちに行きかけたので、わたしは胸鎧の背中をつかみました。
「だめ、アデリナ。今はナマニクさんが先です」
「む。おお、そうだった……」
ふぅと息を吐き、アデリナがいつもの表情に戻ります。
「ランドルフ」
「フォ?」
猫山から、ランドルフさんが顔を出してこちらを向きます。
「あたしたちは盗まれた荷物と馬を探す。あんたはどうする?」
「ランドルフ、猫選ぶ。イルクヴァル、一緒に行く猫」
「そうか。じゃあここまでだな」
ランドルフさんがぱちくり目を瞬かせました。
「ここまでか?」
「ああ、ここまでだ。世話になった」
「世話したか?」
アデリナが肩をすくめます。
「どうだったかな」
「フォフォ!」
ランドルフさんが全身を揺らして笑うと、もさもさの揺れる毛へと猫たちがさらにじゃれ始めます。
天性の猫たらしですね、あの人。
「ランドルフさん」
「?」
猫に負けず劣らずつぶらな瞳で、ランドルフさんがわたしに視線を向けました。
「楽しかったです。ありがとうございます」
「フォッフォ!」
こくこくとうなずいて、にっこり笑って。だからわたしも笑って手を振って。
「行こう、アデリナ」
「そうだな」
わたしたちが歩き出したとき、ランドルフさんが再び声をかけてきました。
「世界、優しい。世界、敵じゃない。インガノカ、異邦人のこたえ、いくつかある」
わたしとアデリナが同時に勢いよく振り返りました。
なぜ、わたしが異邦人であることを知っているのでしょうか。アデリナに視線を向けると、アデリナは首を左右に振りました。
インガノカというのは、わたしたちがアルタイルの次に通る予定をしていた大きな国です。立ち寄る予定ではなく、通る予定としていたのは、ここがかなり特殊な国だからだそうです。
アデリナが言うには、インガノカはインガノカ人以外の立ち入りを決してゆるさない、完全に封鎖された国なのだとか。だからレアルガルドの民であっても、インガノカは謎の多い国なのだそうです。
ランドルフさんは笑顔を浮かべたまま、辿々しく言葉を紡ぎます。
「インガノカ。わかる? インガはインガ、カはウズ。わかる?」
「どういうことだ? おまえの言うことはさっぱりわからん」
アデリナが眉をひそめます。
けれど、わたしにはわかりました。わかってしまいました。だってそれは、わたしが産まれた国の言葉だったから。
「因果の渦……? それが謎の国インガノカということですか?」
つまり、因果の渦、ということです。
「そう、それ。異邦人のこたえ、いくつかある。因果の中。……ランドルフ、夢の中にいる。だからランドルフ、因果に干渉できない。わかる?」
正直わかりません。けれど、二つだけ思い浮かびました。
ランドルフさんは異邦人ではない異邦人なのかもしれません。つまり地球か、もしくは他の星で眠っている誰か。その誰かは夢を見ているのです。この星の、レアルガルド大陸の夢を。真偽は定かではありませんが、少なくともランドルフさんはそう思い込んでいるようです。
もう一つは、わたしたちは是が非でもインガノカに立ち寄らねばならないということ。そこにはランドルフさん自身が触れることの叶わなかった情報があり、それはわたしたち異邦人にとって大きな意味をもたらすことなのかもしれません。
わたしは大きくうなずきます。
「ありがとうございます! 絶対に立ち寄ります!」
頭に猫をのせたランドルフさんが、くしゃりと顔を歪めてにっこり微笑みました。
そして、枯れ枝のような手を持ち上げて、わたしたちにぱたぱたと振ります。わたしたちはランドルフさんに会釈をして、背を向けて歩き出しました。
交換日記[七宝蓮華]
まったくもう。
格好付けてやせ我慢ばかりしていると、いい加減身体を壊しますよ。




