第36話 変人と森のオーガさん
交換日記[筋肉神]
わかる、わかるぞ。
ランドルフ氏には心の筋肉がある。
追跡開始、とはいえど――。
「ぜひぃ……はひぃ……ふしゅぅぅ……」
交易拠点フラニスを出てウクラン川沿いを南西に、わたしたちはひたすら進みます。馬で逃げたとなれば、盗賊の目的地はフラニス内ではないとの判断です。
しかし――。
川岸は当然道の整備などされておらず、河原の石はごつごつとしていて、しょっちゅう足を取られてしまいます。
「アデリナ、急いで」
「ふぅ……はぁ……っ」
回り道をして旅の街道を行けば少しは歩きやすいのですが、同じ道を通っていては馬で逃げたと思われる盗賊に追いつくことは至難の業でしょう。少しでも近道を選んで行かないと。
けれど――。
アデリナは白目を剥きながら、ふらふらと歩きます。顔色は悪く、頼りなさげな足取りもあって、まるでゾンビかリビングデッドです。
せめてあの無駄重量のドラゴンスレイヤーだけでもポイしてくれると良いのですが、こればっかりは言うだけ無駄でしょう。
ランドルフさんはぺたぺたと足踏みをしながら、わたしたちを待ってくれています。わたしが言うのも烏滸がましいですが、あの方、無限体力なのかしら。
「アデリナ」
「む? なんだ?」
大あわてできりっとした表情に切り替え、アデリナがわたしに視線を向けました。
さて、どう言おう?
彼女には剣士としてのプライドがあります。下手な言い方をして意固地になられては、かえって進行を遅らせてしまいかねません。
さて、さて……。思いつきません……。
せめてウクラン川の流れが下流へと向かうものであったならば、まだイカダでも造って流れを下ることもできるのですが……。
流れに逆らって川を上るには帆と風が必要です。風はアデリナに吹かせてもらうことができるにしても、野宿用の毛布をも荷物ごと盗まれてしまった現状では帆の代わりにできるものはありません。それに、上流に向かえば川幅だっていずれ狭くなるでしょう。
「疲れたのか?」
「まったく疲れていません」
わあ、あからさまに残念そうな顔をしています。
しかし今はのんきに休んでいる場合ではありません。早くナマニクさんを救わなければ。
立ち止まったわたしを、アデリナがふらふらと追い抜いていきます。
「そうか。なら急げ。ナマニクが待っているぞ」
「え、ええ」
もしわたしが背負って走ると言えば、アデリナは怒るでしょうか。彼女を傷つけてしまうでしょうか。
けれど、悔いは残したくありません。
「あの、アデリナ? その……もしよかったらわたしが背負い――」
「――避けろ蓮華ッ!」
瞬間でした。ぞわり、と全身の肌が粟立つと同時、わたしは殺気を感じて宙へと身を翻します。
直後、雷轟のような響きが空間を伝い、河原が爆破されたかのように抉れました。
――何っ!?
飛び散る無数の石を着地と同時に両拳で弾き、わたしはアデリナを背中で庇います。
わたしたちの目の前には、肩高だけで三メートルはあろうかという茶褐色の怪物がうなり声を上げていました。
「……羆?」
いいえ、頭には鋭く尖った角が生えています。
「オーガだ。おいおい、冗談きついな。こんなサイズは初めてみる。鎧竜の成体と同じくらいあるじゃないか」
ええ、ええ。とても大きいです。羆のサイズではありません。
オーガがわたしたちを威嚇するように両足で立ち上がり、鋭い爪を持つ前足を持ち上げました。それだけで空が茶褐色に覆われ、わたしたちは影に呑まれます。
ぼたぼたと、鋭い牙の隙間からよだれを垂らして――。
立ち上がると、肩高の比ではありません。体長およそ七メートル。シーレファイスを襲ったサイクロプスと同じくらいのサイズです――が、わたしはびりびりと肌で感じていました。
筋肉――。
茶褐色の体毛の奥に潜む、嵐のごとく凶暴なる筋肉の息吹を。
そこから繰り出される一撃は、きっと岩石の棍棒をも含めたサイクロプスの一撃どころではありません。おそらくあの前足での攻撃をたったの一度でももらえば、わたしだって無事ではいられないでしょう。
原型を留めることさえできないかもしれません。
「ついていないな。街道を少し逸れただけでこれだ」
アデリナが悪態をついて、背中のドラゴンスレイヤーではなく、胸鎧の内側から細いナイフを取り出しました。
その瞬間。
――ガアアアアアァァァァァァーーーーーーーーーーーーーーッ!!
「~~ッ!?」
「――っ」
咆吼。音という認識を超える咆吼でした。音の刃は空間を震わせ、とっさに両手で耳を覆ったわたしたちの鼓膜へと直接突き刺さります。ううん。鼓膜どころか内臓さえも震わせ、脳がノイズを起こして視界を歪ませるほどに。
オーガの丸太のような前足が、川岸の地面を抉りながら横薙ぎに払われました。わたしはいち早くアデリナの腰に手を回し、彼女を抱えながら跳躍します。
「この――ッ」
轟と大風が巻き起こり、大量に跳ね飛ばされた石や砂が、少し離れたところに立っていたランドルフさんに向かって飛来します。
「フォ? ――ッ」
ランドルフさんの肉体が、まるでショットガンにでも撃たれたかのように弾け、大きく吹っ飛ばされ、ウクラン川に落ちて派手に水しぶきを立てました。
「ランド――ッ」
「ランドルフなら問題ない! それよりよそ見をするな蓮華!」
「は、はいっ」
わたしは着地と同時にアデリナを放し、振り下ろされた鋭い爪を両手を交叉して受け止めます。
「ふぬぎっ!」
わたしの周囲で河原が爆発し、わたしの肉体が地面に大きく沈み込みました。背骨が上下から圧迫されて軋みます。
あ~~っ、身長が縮んじゃう~~っ!
アデリナが右手を拳に、巨大オーガへと向けます。
「水乙女の槍――!」
とたんにウクラン川の水が空中に収束し、一本の槍となってオーガのこめかみへと突き刺さ――らず、インパクトと同時に四散しました。
「……ッ、ずいぶん硬い頭だな」
アデリナの呟きを上書きするように、オーガが悲鳴を上げます。
――グガアアアアァァァァァァーーーーーーーーーーーーーーッ!?
討ち取れなかったものの、効果は抜群だったようです。わたしを前足で圧し潰そうとしていたオーガが、大きく左に揺れてよろめきました。
今――ッ!
肉体にかかる圧が消えた瞬間、わたしは大地を両手でつかんで固定しながら低空の蹴りを繰り出します。
「ふんがぁ~っ!」
臑で巨大オーガの踝を掬い上げるように蹴り上げると、七メートル級のオーガの下半身がくるりと空に上がり、後頭部から大地に落ちました。
大地が割れて震動します。
わたしたちはなおも暴れる巨大オーガへと、拳や魔法を繰り出していきます。脇腹へと拳を叩き込み、頭部へと岩石をぶつけ、水の槍で貫き、炎の槌で灼き払い。
やがてオーガが自らの前足で頭を抱え込み、徐々に無抵抗になってきた頃――。
とどめを刺すべく、わたしたちが攻撃に移ろうとした瞬間でした。
「うわっ!?」
「フォ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ゥ!」
大量の水とともにウクラン川から飛び出しランドルフさんが、怒ったように目を吊り上げてオーガの背中に跳び乗ったのです。
そうしてオーガの後頭部に座り、小さな拳骨を振り上げてその頭をぽこぽこと叩き始めました。
「フォ! フォ!」
何度も何度も、ぽこぽこぽこぽこ。
「フォ! フォ! フォ!」
威力のほどはわかりかねますが、もはやオーガに抵抗する様子はありません。わたしとアデリナが散々痛めつけましたから。
――ゴゥグガゥ……。
「フォ! フォ!」
ぽこ、ぽこ。
――ガゥグゥ……。
「フォ! フォ!」
なんだか。なんだか力が抜けてしまいました。
どうやらそれはアデリナも同じようで、大きな胸の前で腕を組んで、なんとも言えない味のある表情でランドルフさんと巨大オーガに視線を向けていました。
交換日記[七宝蓮華]
……ちょっと何を言っているのかわからないです。




