第21話 旅立ちは突然に(第二章完)
交換日記[筋肉神]
ふん、賢王などと呼ばれていてもその程度の筋肉か。
上腕二頭筋三頭筋を三倍にしてから出直すがいいわ!
その質問の意図するところがわからないほど、わたしは鈍くはありません。ううん、むしろその質問は予想さえしていました。
だってわたしがクラナス王にしようと思っていた質問と、一言一句同じだったのだから。
服装。クラナス王の服装も、わたしの服装も、この世界のものではありません。それでも彼が着続けていたのは、同胞を捜すためだったのではないでしょうか。
「日本です」
「やはりそうか。珍しい格好をしていると思えば……」
アデリナがぽかんと口を開けて呆けています。
「父さん、日本を知っているのか?」
「行ったことはない。だが知っている」
わたしは尋ねます。
「クラナス王、あなたは?」
「大英帝国だ」
やはり。
見つけました。死神被害の地球人です。
「そうか。明治天皇の国から……」
「明治?」
ちょっと待ってください。
「わたしがいた時代は、平成天皇の時代です」
「……?」
クラナス王の顔色が変わります。
「明治の世は一〇〇年以上も前に終わりました」
「なんだって? では大英帝国のヴィクトリア女王は……」
「今の女王はエリザベス二世ですね」
クラナス王が力なく数歩後退し、執務机に腰を置きました。
「そう……か」
驚きました。グリム・リーパーの被害は時空の壁を超越しているようです。
これでは……。
「あの、クラナス王」
額を片手で押さえて、クラナス王が視線を上げた。
「なんだ?」
「あなたは帰りたいと、願いますか?」
「帰れるのか?」
わたしは首を左右に振ります。
「わかりません。ですがわたしは、その方法を模索しようと思っています」
「そ……うか……」
アデリナが眉をひそめます。
「意味がわからないな。ワイバーンにのって世界をめぐれば、海を越えることだってできる。船もある。日本だって大英帝国だって、どこにでもいけるんじゃないのか?」
わたしとクラナス王は視線を合わせて、首を左右に振りました。
「私たちにもわからんのだ、アデリナ。過去、私はレアルガルド大陸に限らず、この世界の地図を数百冊は集めてきた。だが、そんな国名などどこにも載ってはいなかった」
「アデリナ。わたしたちはこの世界ではない世界からやって来たのだと考えています」
アデリナが肩をすくめて、来客用のソファにどっかりと腰を下ろした。
「話が終わったら起こしてくれ」
そう言って長い脚を投げ出し、肘置きに頭を置いて瞳を閉じます。
タナリア丘陵を夜通し歩き続け、本当は限界を超えて疲れていたのでしょう。あっという間に寝息が聞こえてきました。
「クラナス王、あなたは帰りたいの?」
「……いや、私のいた時代に戻れるのであれば帰りたいとは思うが、おそらくそうはならないだろう。時代も、街も、何もかもがわからん土地に向かうには、少々年を取りすぎたように思うよ」
仕方のないことだと思います。
「それにな」
優しげな視線を、アデリナへと向けて。
「あれの母はもういない。病でな。私だけが大英帝国のあった世界に戻れたとしても、アデリナを一人にすることはできんよ」
そう。そうなのです。グリム・リーパーが時空を歪めてしまう存在であるならば、レアルガルドに生活の基盤を置いてしまった人だって多いはずです。
それに、もしもわたしだってわたし以外の転移者から、知らない時代の話を聞かされたりしたら、帰る理由などなくなってしまうでしょう。
必ずしも、帰ることがその人の幸せに繋がるとは思えません。
「……わかりました。帰りたくないと仰るのなら、もし帰る手段がわかったとしても、あなたには教えてあげません」
「帰るだけの理由のない人間には、希望など持たせぬほうがいい、か。教えてあげないというのはひどい物言いだが、キミはずいぶんと優しい女の子だ」
「う……。あ、あなたは意地悪ですね。英国紳士様?」
「ふふ、おもしろい少女だ」
そう言って表情を引き締めて。
「娘を頼む」
「当然です」
わたしたちは異邦人同士、固い握手を交わしました。
「クラナス王。他に異邦人の噂を知りませんか?」
「王はいらないよ。私は、本当はそんなに大した人間じゃない」
「わかりました。ミスター」
「それでいい。――異邦人の噂か。懐疑的なものならば、あるにはある」
「お願いします」
クラナス王がアデリナが眠っていることを確認するかのように視線を向けてから、声を落として呟きます。
「絶滅したはずの銀竜を駆る者。刃の絶技にて黑竜を討つ者」
――っ!?
「魔王!?」
「そうだ。昨年の黑竜戦の折、参戦していたセレスティの竜騎兵に聞いたことがある。魔王はあまりにこの世界の理からはかけ離れた剣技を使う、だが間違いなく脆弱な、魔法魔術すら使えぬただの人間であった、とな」
魔王が人間!? 人間を憎んでいるはずなのに? どういうことでしょう?
「それともう一つ。こちらはまだ風の噂に過ぎんが、北北東の小さな港湾都市に光を放つ勇者が現れたという。魔王同様、この世界の理からは外れた存在だそうだ。光の勇者は人に害なす存在を、魔物や人間はもちろんのこと、常闇の眷属、竜族であっても、魔法魔術を使うことなく徒手空拳にて叩きのめしながら魔王を追って進み続けているそうだ。二人の従者だけを連れてな」
「そちらは眉唾に思えます」
光を放つって。人間が光るなんて聞いたこともありません。一体人間のどの部分が光るというのですか。
それに、徒手空拳。正直なところ、わたしのような馬鹿力を持つ人間が他にいるとは思えません。魔王や黑竜のような人類の脅威が現れた世には、いつだって民衆は勇者的な存在を求めてしまうものです。
けれど、虚像が実体を持つことなどあり得ません。望みがあたかも形を得たかのように、噂だけが一人歩きしている可能性は非常に高いです。
「言っただろう。風の噂だと。目立つ話はそれくらいのものだ」
やはり魔王ですね。
万に一つ、もしも勇者が本当に実在するのだとすれば、彼も必ず魔王のもとへと現れるでしょう。魔王を追うことは、わたしにとっては一石二鳥です。
「だが、調査は後回しで頼むよ、お嬢さん」
「そうですね。今はレアルガルドの危機を乗り越えることから始めます。ありがとう、ミスター。とても有益な情報でした」
クラナス王が瞳を細めました。
「お礼を言うにはまだ早い。このレアルガルドが広大な土地でできているのは知っているね?」
「アデリナから伺いました」
「ならば足が必要だ。馬を進呈しよう。だが、馬では早晩限界が来る。だから――」
そう言って、クラナス王はわたしが抱えたままだった鎧竜の卵の殻を、ひとつまみ取り払います。そうして、なぜかわたしに背中を向けて。
「あ……」
――ぴゅぅ!
ぴょこんと顔を出す、幼い鎧竜。こんなに小さいのに一丁前に、すでに頭部には兜のような形状をした鱗を形成しています。
鎧竜の子は、きょろきょろと視線を回しました。
そうして、目が合って。わたしはハッと気づきました。
「あ!」
――ぴゅいぃ!
刷り込み!
しまった、と思った瞬間にはもう遅くって。卵の殻から顔を覗かせた鎧竜の子は、首を伸ばしてわたしの頬に擦り寄っていました。
「あ~……」
可愛い……。なんか幸せ……。
そうなってから、ようやくクラナス王がわたしのほうへと向き直ります。
「ごめんなさい、ミスター。この子……」
「いいのだ。今後、このシーレファイスには結界を張る。商人の通行に支障が出るから、これまでは解放したまま鎧竜の守護を得ていたが、黑竜が空を飛び回るというのであれば結界の必要性も出て来るだろう」
「結界……壁ですか?」
「魔法壁だ。あまり好きではないのだがね。ゆえに、シーレファイスに鎧竜はもう必要ない。キミたちの旅に連れていくといい。竜族は成長が早く、そして長寿だ。三日間はミルクでも飲ませておくといい。以降は放し飼いにしておけば、自力で虫や鳥を食べて成長する。三月もすれば魔物を喰らい始め、騎竜として使えるようになっているだろう」
え……。騎竜!
「空を、飛べるの? わたしやアデリナをのせて?」
「もちろんだ。レアルガルドを移動するには、それくらいの足はあったほうがいい。ワイバーンでは戦闘力に少々心もとないが、鎧竜であれば皮膚の強固さで古竜種にもひけは取らない。飛行速度は少しばかり劣るし、その血脈に特殊能力はないけどね」
鎧竜の子は、まだわたしの頬に擦り寄っています。
「わあ、ありがとうございます! ミスター! 名前、つけなきゃ!」
「さて、私はこれからリリフレイアとアリアーナへの書状を三通ずつしたためる。キミは不肖の娘をたたき起こして早速動いてくれたまえ。七宝蓮華くん」
「はいっ」
鎧竜の子は殻を囓りながら食べています。
わたしはアデリナを揺すって起こすと、その足で二人して冒険者ギルドへと向かいました。
そして、翌日――。
わたしたちは鎧竜の子を連れて馬を駆り、シーレファイスを後にするのでした。
交換日記[魔法神]
いやいや、彼は素晴らしい頭脳をお持ちのようですぞ!
さすがは我が愛娘の父御、我々側の人間ですなあ!




