表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
燈幻郷奇譚  作者: 月宮永遠
2章:桜降る蓬莱山
16/42

14

 最近、一世の顔を見ていない。

 晩酌を好む一世は、どんなに帰りが遅くなろうとも、星月夜を肴に盃を傾ける癖があった。間に合えば亜沙子も同席するのだが、ここのところ、一世は蓬莱山の哨戒しょうかいで忙しいらしく、顔を合わせない日が続いている。

 今夜は、どんなに遅くても出迎えよう。亜沙子は夜更かしをして待っていた。

 月が真上に昇る頃――

 就寝時刻をとうに過ぎた夜更けに、一世はようやく戻ってきた。

 機嫌が悪いらしく、使用人達は三角の耳を横に伏せて、主の様子をうかがっている。

(……どうしたんだろう?)

 亜沙子も近寄り難くて、廊下の陰から様子をうかがっていた。一世は眉間に皺を寄せて、紫蓮と何やら深刻そうに会話をしながら歩いてくる。

「――全く、神聖な注連縄しめなわを断つとは信じられん」

 普段の一世からは想像もつかぬ、冷たい声で吐き捨てた。

「彼等は、短命で儚い生き物ですから、気が急くのかもしれませんね」

「解せぬな。怨霊を恐れるくせに、神罰は怖くないのか?」

「さァ。それだけ追い詰められているのではありませんか?」

 紫蓮が淡々と相槌を打つと、一世は疲れたため息をついた。

「手負いの獣は、何を仕出かすか判らぬな」

「ええ……」

「主上はなぜ人間を気にかけるのだろう? 不思議でならぬ」

「慈しみで、夜那川に橋を架けたいのでしょう」

「主上の気が知れぬ。人と狼を区別したのは、天であらせられるのに」

「これではっきりしたのではありませんか? 畢竟ひっきょう、共存など考えるだけ無駄ということを」

「無論。澄花酒は渡さぬ」

 二人が目の前を通り過ぎても、亜沙子は動けずにいた。

 詳しい事情は知らないが、彼等の人間を疎ましく思っている口ぶりに、少なからずショックを受けていた。

 郷の天狼は亜沙子に親切にしてくれるが、人間に対して嫌悪があるのなら、本当のところはどうなのだろう?

(今夜は部屋で大人しくしていよう……)

 気落ちして踵を返すと、お待ちください、と使用人達に声をかけられた。

「え?」

「我が主は、ご気分が優れぬご様子。ここは一つ、姫様のお力で憂いを晴らしてくださいまし」

「えぇ?」

「ささっ、これをお持ちになって」

 陶製の酒瓶を手渡された。

「ちょ、ちょっとぉ」

「ささっ、お通りくださいませ!」

 ぐいぐいと背中を押されて、長い廊下へ追いやられた。

 使用人達は廊下の左右でぬかづき、亜沙子の渡りをじっと待っている。

「う……一人でいたいのかもしれませんよ?」

 弱り切った声で亜沙子がいうと、侍女の一人が顔を上げた。

「我が主の無聊ぶりょうをお慰めできるのは、姫様だけでございます」

「追い払われるかもしれませんよ……」

 不安そうに独りごちたが、誰も何も答えない。無言の圧に気おされ、亜沙子は渋々、渡り廊下に足を向けた。

「……いってきます」

「いってらっしゃいまし~」

 背中に、どこか呑気で無責任な声が幾つもかけられた。

 気は進まないが、誰にも止められることなく、離れの書院に入り、一世の部屋の前についた。

 控えの間に入ると、宿直とのいが応じるよりも先に、誰だ? と中から誰何すいかの声がした。

「あの、亜沙子です」

 一拍して、すぐに扉は開いた。一世は亜沙子を見下ろすと、表情を綻ばせた。嬉しそうに尾を緩く揺らしている。

 歓迎されていることに勇気づけられ、亜沙子は背中に隠していた酒瓶を持ち上げてみせた。

「今晩は。あの、良ければ一緒に飲みませんか?」

 一世は瞳を輝かせた。

「嬉しいね。晩酌につき合ってくれるの?」

 いまさっきの不機嫌が嘘のように、一世は優しくほほえんだ。

「私で良ければ」

「亜沙子がいいよ」

 さぁさぁと部屋に招かれ、縁側に並んで座ると、月を肴に二人は手酌で酒を盃に注いだ。

「お疲れさまです」

 亜沙子が盃を近づけると、一世も嬉しそう近づけて、軽く器を鳴らした。

「酷い気分だったけれど、亜沙子のおかげで良くなったよ。感謝しなくては」

「お山で何かあったんですか?」

「桜の樹に巻きつけた注連縄が、幾つか傷つけられていたんだ。誰かが、幻燈郷の結界を壊そうとしたのだろう」

「それは、澄花酒の為に?」

「だろうね……全く、どうして人は歴史に学べないのか」

「……」

 沈んだ表情の亜沙子に気がついて、一世は慰めるように肩を抱き寄せた。

 いつもなら、新緑の中に漂う伽羅きゃらのような、清涼で上品な香りに安堵するのに、今宵は仄かに火薬と硝煙しょうえんの匂いを纏っていて、亜沙子を不安にさせた。

「案ずるな。結界が壊れることはない。幻燈郷には何人たりとも入れぬよ」

「……はい」

 心配事はそれだけではない。天狼が怪我をしないか、亜沙子は不安だった。

 何事もなければいい――暖かな腕の中で、燈幻郷の平穏を思い、瞳を閉じた。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=691078197&s
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ