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燈幻郷奇譚  作者: 月宮永遠
2章:桜降る蓬莱山

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13

 宙を舞う瞬間、時が止まったように感じた。

 蒼い空。たなびく白い雲。驚いた顔をしている凛夜達。桜の花びら一枚一枚までもが、くっきりと目に映った。

 地面が迫ってくる――衝撃に備えて腕で頭を庇い、背中から落ちた。ごろごろと緑の上を転がり、背中に重たい衝撃を受けて回転は止まった。

「うぐッ」

 肺が潰れたと思った。重い衝撃のあとに、鋭い痛みが身体中に走った。手も脚も背中も、全身が悲鳴をあげている。

「姫様ッ!!」

 大地を揺るがす振動が、地面に横たわる亜沙子の身体に伝わってきた。

 一瞬、彼等が勢いのまま飛びかかってくるのではないかと怯えたが、体格差を思い出したように、彼等は慌てて速度を落とした。

「姫様! 大丈夫!?」

「動くな! 天狼の姿で近づいちゃ駄目だ」

「誰か! 早く緋桜邸に」

 切羽詰まった声が、四方から聞こえる。声をかけたいけれど、肺が苦しくて、咳こむことしかできない。口の中も切ったようで、咳に血が混じっていた。

「俺、緋桜邸にいってくる! 宗主様に知らせてくる!」

 切羽詰まった凛夜の声。

「判った。僕は姫様を見てるから、早く!」

 顔に陰が射して、瞼を開けると、人の姿をした和葉がいた。心配そうに亜沙子の顔を覗きこんでいる。

「姫様、大丈夫?」

 大丈夫、答えたつもりだが、声にならなかった。子供達は泣きそうな顔をしている。

「うぅ……ッ」

 全身が酷く痛む。久しぶりに痛みで涙が流れた。

 ささめ泣く亜沙子の手を、和葉はそっと握りしめた。

 慌ただしい怒号、飛車の鈴の音。子供の泣き声……傍に一世と灯里の気配を感じたところで、意識は沈んだ。


 再び意識が清明になった時、寝台の上にいた。

 部屋には仄かな照明が灯されていて、窓の外は暗い。

 唇に、澄花酒の余韻が残っている。

 仰向けに横臥(おうが)したまま、ぼんやり唇を舐めていると、部屋に灯里が入ってきた。亜沙子が目を醒ましていることに気づかず、細々とした片づけをしている。

「……灯里さん」

 背中に声をかけると、灯里は弾かれたように振り向いた。

「姫様!」

 寝台の縁に駆け寄り、亜沙子の顔を覗きこんで、ほっとしたように表情を緩めた。

「姫様、お身体は? 苦しくありませんか?」

「平気です。どこも痛くない……?」

 起き上がろうとすると、灯里が背を支えてくれた。

「どうかこのまま。すぐに、我が主に知らせて参ります」

「凛夜達は?」

「姫様をとても心配していましたよ。紫蓮様がいい聞かせて、一度家に帰しました」

「そうですか……」

「明日には会えますよ。きっと早暁(そうぎょう)から邸の周辺をうろついているでしょうから」

 暫しお待ちくださいまし、そういって灯里は部屋を出ていくと、すぐに一世を連れて戻ってきた。

「亜沙子!」

「一世さん、ご心配をおかけしました」

 亜沙子の顔を見て、一世は肩から力を抜いた。傍へやってくると、浅く寝台に腰かけ、労わるように亜沙子の黒髪を撫でた。

「……無事でよかった」

 その声には、紛れもない安堵が滲んでいた。頬を大きな手で撫でられ、亜沙子は頬ずりしながら瞳を閉じた。

「どこも痛くない?」

「大丈夫です。あの、凛夜達はどんな様子でしたか?」

「泣きべそをかいていたよ」

「怖い思いをしたでしょうね」

「それは亜沙子の方だろう。自分より大きな天狼が飛びかかってきて、さぞ怖かったろう?」

「少し……でも、私もいけなかったんです。興奮している凛夜達の傍に、迂闊に近寄ってしまったから」

「凛夜達は遊んでいるつもりでも、亜沙子にとっては脅威だということを理解していないんだ」

「あの、凛夜達を怒らないでくださいね。私が気をつければ済むことですし」

「もう紫蓮がたっぷり叱ったよ。明朝、様子を見にくるけれど、会いたい?」

「はい。お願いします」

 案じるような眼差しを見つめて、亜沙子は頷いた。瞼を覆うように、掌が乗せられた。

「今度のことは凛夜達に非がある。だが、亜沙子も十分に気をつけるように。目を離す度に怪我をするようでは、本当に外へ出せなくなる」

「……はい。ごめんなさい」

 衣擦れの音がして、暖かな身体が優しく亜沙子の上に覆い被さった。視界を掌で覆われたまま、頬に柔らかなものが触れる。

「澄花酒を与えたから、傷は癒えているよ。でも、今夜はたっぷり眠った方がいい」

 耳元で囁かれて、亜沙子は頬を染めながら頷いた。一世は微笑すると、そっと身体を起こした。どんな魔法を使ったのか、思考は曖昧模糊にぼやけていく。吸いこまれるように、眠りに落ちていった。


 翌朝、子供達は不安そうな顔で緋桜邸にやってきた。

 笑顔で出迎える亜沙子を見て、わっと駆け寄ってくる。傍で様子を見ている一世が、警戒するように亜沙子の腰を抱き寄せた。真っ先に駆け寄った凛夜は、勢いを緩め、姿勢を正した。

「姫様、ごめんなさい! 俺のせいで、怪我をさせて」

「ううん、この通り元気だから心配しないで。邸に運んでくれて、ありがとうね」

 泣きそうな顔をしている凛夜の頭を撫でながら、亜沙子はほほえんだ。

「そんな顔をしないで。私の方こそごめんね、狩りの邪魔をしちゃって。今度は気をつけるから、また遊んでくれる?」

「もちろんじゃ!」

 声を上げたあと、凛夜は少し不安そうに一世を見た。子供達を見回して、一世は静かに唇を開く。

「亜沙子は、我等よりもずっと弱くて脆いんだ。お前達はじゃれているつもりでも、亜沙子には命を脅かす危険になりかねない。判るな?」

「はい……」

「二度と亜沙子を傷つけるな」

 凛夜は力強く頷いた。

「俺はもう、絶対に姫様を傷つけない。天狼の姿で駆け寄ったりしないし、爪や牙も隠す。絶対に乱暴なことはしない」

 凛夜はきりっと顔をあげて、一世と亜沙子を見ながら宣言した。

「よろしい。忘れるなよ」

「はい!」

 凛夜が元気よく返事をすると、一世は目を和ませた。それを合図のように、子供達は表情を緩めて亜沙子に群がった。

「ごめんね、姫様」

 子供達は、しょげた顔で謝罪を口にした。

「ううん、平気だよ。懲りずにまた遊んでね」

「それは俺の台詞じゃ。ありがとう、姫様」

 月色の瞳が、優しい三日月のように細くなって、きらきらとした光が零れた。

 図らずも見つめ合っていると、他の子供達も、甘えるように亜沙子の肩に頭を乗せたり、腕に触れてきた。力加減を気をつけていると判る、硝子細工にでも触れるかのような、繊細な触れ方だ。

「皆、ありがとうね」

 順番に子供達の髪を撫でてやると、子供達は嬉しそうに尾を左右に振った。一人が亜沙子の頬を舐めようとして、一世にむんずと襟首を掴まれた。

「――そのように触れるな。全く、百年早いわ」

 不機嫌の滲んだものいいがおかしくて、亜沙子は声をあげて笑った。





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