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燈幻郷奇譚  作者: 月宮永遠
2章:桜降る蓬莱山
14/42

12

 ひる下がり。

 菩提樹にされた春の日射しが、燦々と降り注ぐ中庭の一角で、亜沙子は庭を眺めていた。

 穏やかな日和ひよりが心地よい。微睡みかけていると、不意に梢が不自然に揺れた。

「姫様、姫様」

 ささめくような小声で呼ばれ、辺りを見渡せば、楠の枝に凛夜という少年がいた。梢の影にいても、風に靡く白銀の髪と金眼が眩しく見える。

 燈幻郷の天狼は大体が成獣だが、ちらほら子供もいて、凛夜もその一人だ。

 彼は、亜沙子が燈幻郷へくるきっかっけとなった、彩国へ届けるはずの澄花酒を夜那川に落としてしまった張本人でもある。

「また忍びこんだの? 玄関から入っていらっしゃいよ」

 亜沙子は呆れたように笑うと、手でこまねく凛夜の傍に寄った。

「ここの侍女はおっかなくて敵わん」

「そう? 皆美人で優しいよ」

 首を傾げる亜沙子を、凛夜は胡乱げな目で見つめた。

「姫様は判っとらん……それより、これから狩りにいくんじゃ。姫様もいこう!」

「狩り?」

「うん。和葉達も一緒にいくぞ」

「せっかくだけど、狩りは無理よ」

 亜沙子は苦笑いを浮かべた。

 ここへきた当初、一世は子供達と亜沙子を引き合わせようとしなかった。未熟な子供は力の加減を知らず、ちょっとしたじゃれ合いでも、亜沙子の脅威になるやもと懸念していたらしい。

 だが好奇心旺盛な子供達は、評判の亜沙子を一目見ようと、しょっちゅう緋桜邸に忍びこんでいた。

 最初の頃は、家の者が見つける度に叱りつけていたが、子供らも亜沙子の非力さを理解し、一世も黙認していることから、近頃はあまり煩くいわない。

「狩りをしないと、立派な天狼になれんぞ」

「そりゃそうよ、私は天狼じゃないんだから」

「澄花酒を飲んでいるんだろう? いまに耳が生えて、しっぽが生えるはずじゃ」

「それね、紫蓮さんに訊いたら、そんな副作用はないってよ。私の魂魄の邪気が祓われて、元気になるだけですって」

「何ィッ!? そうなのか?」

「そうみたい。だから、私が天狼に化けるのは無理なの」

「練習すれば、姫様もきっと狩りをできるようになるはずじゃ!」

「できなくても、困らないけどなァ……」

 苦笑いを浮かべる亜沙子を見て、凛夜はつまらそうな顔をした。

「じゃあ、今日はいかん?」

 三角の耳を横に倒して、凛夜は悄然と肩を落とした。そんな風にしょんぼりされると、今すぐ抱き寄せて、頬ずりをしたくなる。

「……お邪魔でなければ、ついていこうかな?」

「決まりじゃ!」

 凛夜は満面の笑みを閃かせた。

「外で待っていて。すぐいくから」

「あい判った」

 忍のごとし身のこなしで、凛夜は遥かな垣根の向こうへ消えた。

 亜沙子は部屋に戻ると、急いで矢羽根小柄の単衣ひとえと紫紺の袴に着替えた。肩から斜め掛けの包みを下げて水筒を持つと、小走りで玄関に向かう。

「姫様、どちらへ?」

 炊事場の方からやってきた灯里を見て、亜沙子はほほえんだ。

「凛夜達と遊んできます。編み上げの履物をくださいな」

「はい、ただいま」

 灯里は靴箱から編み上げ靴を取り出すと、上りかまちで待つ亜沙子の前に、並べて置いた。

「ありがとう、灯里さん」

 トントン、踵を鳴らしながら、亜沙子は灯里に笑いかけた。

「どうぞお気をつけていってらっしゃいまし」

「はーい。遅くならないうちに戻りますから」

 家人に見送られて、亜沙子は意気揚々と家を出た。

 万世橋を越えて、森へ踏み入ると、木々の合間から天狼達が姿を現した。

「お待たせ」

 亜沙子を見て、わっ、と子供達が天狼の姿で駆けてくる。子供とはいえ、背は亜沙子の背丈を軽く超える。

 外見は凛々しい神獣だが、尾をちぎれんばかりに振って、頬や手を舐める仕草はとても愛らしい。

 彼等は道場の朋輩(ほうばい)で、序列があり、凛夜は門弟を束ねる親分格だ。

 亜沙子が手を伸ばすと、凛夜は大人しく頭を下げた。喉を撫でると、ぐるぐると気持ちよさそうに唸る。

「こんにちは、姫様」

 礼儀正しく挨拶をした少年は、和葉だ。

 道場では凛夜に次ぐ立場で、思慮深く温厚な性質をしている。凛夜と仲が良く、二人は大体いつも一緒にいる。

「よし、狩りにいこう。姫様、俺の背に乗ってくれ」

 わふわふと息を弾ませて凛夜がいうと、他の子供達も、瞳を輝かせた。嬉しそうに尾を左右に振っている。

「でも、狩りの邪魔にならない?」

「ならん!」

 凛夜がきっぱりいうと、他の天狼も、仲間を遊びに誘うようにその場で飛び跳ねた。亜沙子は思わず笑顔になる。

「ありがとう。でも、私を乗せていては思うように走れないと思うし、自分で歩いていくよ」

「遠慮するな、俺の背に乗るとええ」

「でも、早く走ったら、落っこちちゃうから」

「ゆっくり走る」

「それじゃ、狩りにならいでしょ」

「交代ですればええ。姫様も近くで見て覚えないと、一人前になれんぞ」

 凛夜の言葉に、亜沙子は少し笑った。この純粋で尊い獣は、いまだに亜沙子を天狼の子供だと思っていて、そのうち四つ足に化けると信じて疑わないのだ。

「凛夜、姫様は狩りをしなくてもいいんだよ。か弱くていらっしゃるんだから」

 和葉が諭すようにいうと、凛夜は首を傾げた。

「……乗らんのか?」

 遊ぼうよ、と金瞳が囁いている。この眼差しに、亜沙子は滅法弱いのだ。

「……お邪魔でなければ」

 控えめに亜沙子がいうと、わふっ、と凛夜は嬉しそうに吠えた。和葉も、他の子も尾を揺らしている。凛夜に顔を舐められそうになり、亜沙子は慌てて手で拒んだ。

「お化粧をしているから、顔を舐めてはだめよ」

 そういうと、掌をぺろぺろと舐める。気高く美しい天狼の姿をしているが、犬のように親しみやすく、懐っこい。

「俺の背に乗って」

 臥せる凛夜の背に、亜沙子はおずおずと跨った。

「ゆっくり歩いてね」

「任せろ」

 凛夜は亜沙子を背に乗せると、満足そうに顔を上げた。

 そうして、景色を楽しみながら和やかに山道を進んだ。天狼達は、亜沙子の周りに近寄っては離れ、茂みに飛びこんで消えたと思ったら、ひょっこり現れて亜沙子を驚かす、といったことを喜んで繰り返した。

「そういや、姫様も千年天満ちとせてんまの例大祭にいくのか?」

 凛夜の言葉に、亜沙子は首を傾げた。

「なあに、それ?」

「なんじゃ、知らんのか?」

「知らない」

「千年天満の里で、毎年夏になると催される祭祀じゃ。涅槃ねはんの神仙も降りてくるぞ」

「そうなの? 凛夜達もいくの?」

「おう。楽しいぞ。仕事放っても夏の例大祭にはいけ、っていう俗諺ぞくげんがあるくらいじゃ」

「へぇ~」

「姫様も、宗主様にいえば、連れていってもらえるんじゃないか?」

「訊いてみようかな」

 ふもとにある千年天満のことは、以前から話に聞いていたので、一度いってみたいと思っていた。

「ところで、何を狩るの?」

「鹿かきじがいいな」

 細い獣道を抜けて、見晴らしの良い山道に出ると、桜色に彩られた山腹を見渡すことができた。薄靄の隙間から、流線を描く夜那川と、岸辺に咲く黄色い菜の花が見える。

 変わることのない春爛漫に、亜沙子は表情を綻ばせた。天気も風も心地よく、気持ちがいい。

「桜が満開ねぇ」

「いつもと同じじゃ」

「綺麗よ」

「姫様は感激屋じゃぁ」

 凛夜は笑う。亜沙子も笑っていたが、ふと凛夜は周囲を警戒するように耳をピンと立てた。

 しばらく藪を進むと、凛夜達は三角の耳をそばだてて、顔を上げた。

「どうしたの?」

「シィ。猪がいる」

 凛夜は亜沙子を背から下ろすと、大樹のうろにうまく隠した。姿勢を低くして、獲物ににじりよっていく。

 物音を立てぬよう気をつけながら、亜沙子は洞からそっと顔を覗かせ、その様子を息をつめて見守った。

 藪の隙間から猪が見える。離れたところからでも判る、大きな巨体だ。

(あれはいくらなんでも、大きすぎるんじゃない!?)

 亜沙子は蒼白になったが、凛夜達は狩るつもりだ。

 少しずつ、着実に距離を詰めていく。空気はぴんと張り詰めた糸のように緊張感を孕んだ。

 はらり、木の葉が地に落ちる――猪が顔を上げて、茂みの奥を見つめた。

 そのあとは、一瞬だった。

 天狼達は一斉に襲いかかり、巨体の猪をあっという間に地面に伸した。

 狩りを成功させた若い天狼達は、滔天とうてんの勢いで駆け回った。

 離れたところで見守っていた亜沙子の元までやってきて、はちきれんばかりに尾を振りながら、頭を亜沙子の身体にこすりつけてくる。

 普段は大人しい天狼までもが、興奮した様子で、亜沙子の傍をぐるぐると走った。

「よくやったね! お疲れさま」

 全身で、褒めて! と主張してくる天狼達を見て、亜沙子も満面の笑みを浮かべた。なめらかな身体を撫で、狩りの成功を労う。

 天狼達の興奮はなかなか収まらなかった。亜沙子の周囲を飛び跳ね、小突くように身体をこすりつけてくる。勢いがありすぎて、身体が浮き上がるくらいだ。

「判った、判ったから! ちょっと落ち着いて」

 じゃれついてくる天狼を宥めながら、亜沙子は身の危険を感じ始めた。

 少し距離を置いた方がいいかもしれない。

 くるっと背を向けて駆け出すと、天狼達は火がいたように、猛然と追い駆けてきた。

「ちょっと待って! 落ち着いて……わぁッ!!」

 凛夜に背中を思いきり小突かれ、亜沙子の身体は宙を舞った。

「姫様ッ」

 子供達の悲鳴が聞こえた。刹那、背中に重い衝撃が走った。





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