接触、追跡 5
相手は天然とはいえ、ちょっとでも誰かに振り回されるのは自分の性に合わない。マヤは仕返しとばかりに「じゃ、ローズが元気なかったら今度はアタシが頭を撫でてあげるわ」と言って、意地悪くニッコリと微笑んだ。これにはさすがのローズも困ったような表情を浮かべる。
「それは……俺ももう二十三だしな」
「やだ、遠慮しないでよ。よっし、決めたわ! もういつでも頭なでなでしてあげるから、今度は気兼ね無く元気モリモリ抜けてね!」
「……マヤ、言ってることが無茶苦茶だぞ。そしてよくわからん」
「まあまあ。それよりもホラ、そろそろ約束の時間になっちゃうわよ。早く行かないと」
マヤがそう言って自分の懐中時計を取り出し、ローズの顔の前へと突き出す。
約束の三十分まであと五分もないのに気付き、ローズも「そうだな」と頷いて少しばかり歩くスピードを速めた。マヤもローズのペースに合わせるため、少し小走りで彼の後を追う
だが数歩も進んだ所で、突然マヤが「あっ」と声をあげて立ち止まった。
「どうした?」
マヤの声に反応して、ローズも立ち止まって振り返る。するとマヤはしゃがみ込んで、なにやら茶色の紐のようなリボンを拾いあげていた。
「あ、ごめんごめん。なんか今、いきなり腕に巻いてたリボンが解けて落ちちゃって……ちょっと待って。今、もいっかい結び直すから」
彼女はそう言って、いつも左腕に巻き付けている茶色のリボンを元の位置に巻き直そうとする。しかし自分で自分の腕に、蝶結びでリボンを結ぶというのは予想以上に難しく、マヤは何度も「あれぇ?」と言いながら苦戦していた。
「むー……いつもはアーリィに結んでもらってるからなぁ……あ、また解けた! あぁん、もう!」
上手くいかないことにマヤは苛々したように口を尖らせる。すると見兼ねたローズが近づき「蝶結びでいいのか? なら、俺が結んでやる」と言って、マヤの手からリボンを受け取った。
「……ローズ、蝶結び出来んの?」
「ん? まぁな」
マヤが半分疑わしげな表情で見ていると、ローズは意外にも慣れた手つきであっという間に腕にリボンを巻き付ける。そして最後に、マヤの注文透りに可愛いらしく蝶結びでリボンを固定した。
「これでいいか?」
「あ、うん。ありがと」
ローズの意外な手先の器用さに、マヤはびっくりしながら礼を述べる。
「なんか意外ー。そういや料理とかもするし、ローズって器用なのね」
「あぁ、昔ユーリにもそんなことを言われたな。『俺にはそんな器用なことできねー』とか言って、アイツも驚いていたよ」
「あはは、ユーリが器用だったら逆に怖いわよ」
マヤが笑うとローズもつられたように笑い、「確かにそうかもな」と頷いた。
「っと、それじゃあ行くか。もういい加減時間が無くなってきたしな」
「あ、そね。行きましょ」
ローズの言葉にマヤはハッとした様子で頷く。そして再び二人はティレニア側の門目指して歩き出した。
だが、門に向かいながらもマヤは何故か不意に不安げな表情を浮かべる。彼女は無言でローズの後を追いながら、右手で先程結んだ左腕のリボン飾りに触れた。
(朝、しっかりとアーリィに結んでもらったはずなのに……。なんでいきなり解けたんだろう)
なにか、急にマヤの心の中に言いようのない不安が押し寄せる。前を歩くローズの背を険しい表情で見つめながら、マヤは静かに呟いた。
「なんか、嫌な予感がする……」
「ん、なんか言ったか?」
動かす足は止めず、顔だけをこちらへと向けて振り返るローズ。
「あ、なんでもないよ」
そんな彼に、マヤはいつも通りの笑みを返した。
◇◆◇◆◇◆
漆黒色の長外套、十字架と茨、銀のナイフ、そして……。
なにもかもを失った自分が初めて彼らから与えられたものは、研ぎ澄まされた銀色の短剣だった。
『それで全てを殺せ。お前と、そして私たちに仇なす者全てをそのナイフで葬り去れ。それがお前に残された、唯一の生きる道だ』
幼い自分に手渡されたその短剣の重さは、今でもはっきりと覚えている。
そして、あれから人を殺すようになってから、その度に短剣の重さが増していく気がして怖かった。
けど、いつからだろう。
それも感じなくなってしまったのは……。
あぁ、それは……
「お兄さん、今なんか言った?」
「――っ!?」
赤い髪の青年の問い掛ける声で、ユーリはハッと現実に引き戻される。目の前の青年は、突然顔色の変わったユーリを不思議そうに目を丸くして見つめていた。そんな男の反応に、すぐにユーリは内心の動揺を悟られぬよう口元に笑みを浮かべる。
「あ、いや……なんでもねぇよ」
「?」
眉をひそめる青年と首を傾げてくる少年に、「気にしないでくれ」とユーリは笑った。なんとなくふに落ちなさそうな青年の顔からユーリは目を逸らし、彼は少し混乱した頭を落ち着けようとして小さく深呼吸をする。
(なぜ……いや、でもまさか……)
ちらりと視線を男のコートの胸元へと向ける。そこにはやはり、十字架と茨が抽象的な形で表現された模様が白く刻まれていた。よく見ると、少年も同様のコートを着ている。
言い知れぬ不安から無意識に肌が粟立ち、冷や汗が静かにユーリの背を伝った。
『もしかして……』と、やがて不安は予感となり、そんな考えがユーリの脳内を支配し始める。
「……」
「なぁお兄さん、どうなのさ。馬車見たの? 見てないの?」
再び深刻な表情で黙りこくってしまったユーリに、青年は至近距離で「おーい」と呼び掛ける。少年も表情はわからないが、じっとユーリを見上げて彼の様子を窺っていた。
すると、不意にユーリの背後から草を踏み付ける足音が聞こえ始める。
「……おい、ユーリ。お前一体なにを長々と話し込んで……」
「!?」
背後から聞こえたのは、ゆっくりと後を追って来たアーリィの冷めた声。
なかなか戻らないユーリの様子を見に、彼も渋々ながらここまで来たようだ。アーリィはひどく不機嫌そうな表情でユーリを睨み付けていた。するとアーリィの声に反応してか、今まで自分の世界で思考を繰り返していたユーリは、はっととした表情で顔を上げる。そして慌ててアーリィへと振り返り、彼は思わずこんな言葉を口走っていた。
「アーリィちゃん、来ちゃ駄目だっ!」
「は?」
その忠告は、ほとんど反射的なものだった。
もしもこの男たちが自分の知るものたちであったなら、アーリィとこいつらを接触させてはいけない。
もしも、『あいつら』だったら……――
「?」
不思議そうに眉をひそめるアーリィに、ユーリは蒼白な顔を向けた。
ユーリの普段とは違う様子に、さすがのアーリィもなにかただ事ではない雰囲気を察する。
そしてアーリィは、ユーリの後ろに見知らぬ青年と少年が立っているのに気付いて口を開いた。
「なに……」
だがアーリィの疑問の声は途中で途切れる。
アーリィの紅い瞳と、青年の青い瞳とが直線で交わり、その瞬間青年は大きく目を見開いた。
青年は茫然とした表情でアーリィを見つめ、そして小さく唇を動かす。
震える声で、青年は呟いた。
「……見つけた、"アンゲリクス"」
「!?」
「え……?」
青年の謎に満ちた小さな呟き。その一言に、今度はアーリィが強い衝撃を受けたかのように大きく目を見開く。
青年の呟きの意味を知らないユーリは、一人不思議そうな表情で青年へと視線を向けた。すると青年は、今度は何故かひどく興奮した様子で、隣の少年へと問い掛ける。
「な、なぁレイチェル! あれ、あの顔ってそうだよなっ?! 間違いなくアリアとうりふたつ!」
青年の興奮した声に、顔の表情を見せない少年もまた、フードから覗く唇をゆっくりと動かして「う、うん……」と呟く。その声音もやはり、驚きに満ちたもので。
「な、なんだよ一体……」
二人の様子にますます混乱してきたユーリが、困惑した面持ちで呟く。だが二人の様子から、事態は自分が予想していた以上に悪い方向へ向かっているような気がする。そう思い、不安が増したユーリは再びアーリィへと視線を戻した。
するとそこにあったのは、なぜか真っ青な顔色で瞬きすらせずに二人を見つめるアーリィの姿だった。
「あ、アーリィちゃん!?」
彼は口元を両手で押さえ、なにかに怯えるかのように小刻みに震える。その尋常ではないアーリィの様子に、ユーリは急いでアーリィへと駆け寄った。




