接触、追跡 6
「どうしたんだよ、アーリィちゃん! しっかり!」
「……ぜ、なぜその名を貴様らが……」
アーリィはユーリの声など聞こえていないかのように、彼の背の向こうに立つ青年を凝視しながら呻くように呟く。
そして、なにかに怯えていたアーリィの瞳はやがて、敵と対峙した時に彼が見せる険しいものへと変化した。
『……spEarF』
アーリィの唇が突如、失われた太古の言葉を紡ぎ始める。
アーリィによって膨脹させられたミスラの冷気を肌に感じ、ユーリはなぜか「それは駄目だっ!」と叫ぶ。そして咄嗟にアーリィの腕を掴んだ。
「っ……なにするっ!」
「とりあえず逃げようっ!」
アーリィの抗議の声を遮り、ユーリは有無を言わさぬ真剣な表情で叫ぶ。
なにか自分にもわからないことが多いが、しかし今はとりあえずこの男たちから離れたほうがいいと判断したユーリは、彼の腕を掴んだまま男たちに背を向けて駆け出した。
突然踵を返して駆けていく二人の姿に驚き、赤毛の青年が動揺したようにおろおろとしだす。
「あぁっ、レイチェル、なんか逃げちゃうよ! ど、どうしよう!? えぇと、追いかけなきゃ?」
「なんで疑問系なのさ! それよりも先に馬車を探さなきゃ!」
「へ、なんで?」
「僕たち馬車に武器置いて来たから、追い掛けても抵抗されたらどうしようもないよ?!」
落ち着いた少年の叱咤の声に、青年は「あ、そうか!」と言いながら自分のコートのポケットをまさぐった。しかし、やはりそこにはなにもない。
「うん、銃も置いて来たんだったな! あぁもう馬車はどこだよぉ!」
こうして叫んでいる間にも、先程の二人はどんどん遠ざかっていく。焦る青年に、一人冷静な声で少年が「落ち着いて、エル兄」と青年を諭した。
「とりあえず、エレ姉から言われたターゲットの一人がなぜかこの村にいたんだ。あっちはきっと徒歩で移動してるから、そうすぐは遠くへいかないと思う。だから先に馬車を見つけて、それで追いかけよう!」
「そ、そうだな」
自分よりも年下の少年に指示を受けてるってのもなんだが、こういう荒事に馴れていない青年は彼の提案に素直に頷く。そして二人は互いに頷きあい、馬車を捜すために彼らもまた駆け出した。
「あぁ……こんなに早く、しかも超偶然ターゲット見つけるなんて俺達って運がいいんだか悪いんだか」
駆け出し際に、疲れたように青年はポツリと呟く。彼のその言葉に、少年は少しだけ笑ってこう返した。
「もしも"アンゲリクス"のそばにあの人がいたら、多分運が悪い方だと思うよ」
「あー……それは言えてるかも」
微かに皮肉の混じった少年の回答に、青年もまた苦笑いを浮かべる。
「じゃあ運が悪い方に転ん場合、オレたちにどこまで出来るかな?」
風を切る音と共に聞こえた青年の問い掛けに、少年は木の枝を踏み付けながら「さぁね」と小さく笑った。
◆◇◆◇◆◇
粘ついた、冷たく嫌な汗が頬を伝う。
「はぁ……はぁ、はぁ……」
いつもは冷静に物事を考えられるはずなのに、今はひどく頭の中が混乱している。
ユーリはとにかくあの二人から逃げなくてはいけないという一心で、ただひたすらにアーリィを連れて木々の間を駆け抜けた。
(なんで……なぜあいつらが……)
わからないことだらけのまま、唐突に動き出した運命の歯車。おそらくこれはもう、止まることはないだろう。
人の体温とは思えない程に冷たいアーリィの腕を強く引きながら、ユーリは混乱する頭でこれからどうすべきかを思慮する。だがやはり上手く思考が纏まらず、頭の中はすぐに『なぜ』という無意味な詮索と後悔の言葉へと直結してしまう。
なにも情報がないうちに先程の男たちの正体を明かすことは不可能だし、ユーリにはあいつらが何者か少し心あたりはあれど、そうだという確証はない。だから今は『なぜ』や『どうして』などの言葉より、『どうする』を考えることが先決だとユーリにもわかっていた。
わかってはいたが……
(……なぜっ!?)
なぜ突然こんなことになったのだろう。
なぜあいつらは、アーリィを追っていたのだろう。
なぜあいつらは……――
「……はぁ……おいっ、ユーリ……っ!」
「っ!?」
答えの出ない堂々巡りの思考を繰り返していたユーリは、強く自分の名を呼ぶアーリィの声に現実へと引き戻された。ユーリは立ち止まり、その時初めて自分がティレニア側の門の前まで駆けてきたことを知る。彼は軽く周囲を見渡し、やがて「あっ」と声をあげて掴んでいたアーリィの腕を開放した。
「あ、ご、ごめんアーリィちゃん」
ユーリは振り返り、息を切らしてこちらを睨みつけるアーリィに頭を下げて謝罪する。
ほぼ全力疾走した自分のスピードに付き合わせてしまったのだ。それに対する不満でアーリィに怖い顔で睨まれているのだと思い、ユーリは「ちょっと急ぎすぎちゃったかな?」と言って苦笑いを浮かべる。
アーリィは強くユーリを睨んだまま乱れた呼吸を整え、やがて彼は何故かひどく怒った様子で口を開いた。
「お前、なぜあの時止めた! 何故あいつらから逃げた!」
「え……」
アーリィの口から放たれた怒声は、ユーリの予想に反したものだった。
未だ乱れる息を無理矢理に抑え、そうまでしてアーリィはユーリに怒りをぶつける。
「な、なにそんなに怒ってるの? アーリィちゃん……」
「……あいつらは、なんかすごく嫌な感じがする。奴らはあの場で即刻始末すべきだった……」
暗い瞳が鋭くユーリを見つめる。
「答えろ、ユーリッ! なぜ止めたっ!」
いつものアーリィらしくない興奮した様子に戸惑いつつ、詰問されたユーリは困ったように「それは……」と呟いた。
「だってなんかあいつら変だったじゃん?」
「……へん?」
「なんかアーリィちゃんのこと『見つけた』だかなんだかって言ってたし、それでやばそうだったからつい逃げたほうがいいかな~って……ほら、それにあいつら何者か分からないじゃん? なんか危険な武器とか隠してたら、それもまた危ないし。で、逃げたほうがいいかなぁと……」
ユーリの言葉にアーリィは不機嫌そうに小さく舌打ちする。そうしてユーリが困り果てていると、アーリィは不意に「お前、あいつらが何者か本当に知らないのか?」と、ユーリを睨んだまま問い掛けた。
不意打ちのように投げ掛けられたその問いに、ユーリは一瞬固まる。
「……い、いや。知らないよ」
やがてユーリは笑みを浮かべ、搾り出すような声でそう答える。
その答えは、嘘ではなかった。
だが、ユーリには"心あたり"はあった。
あの男たち黒いの外套と、そして十字架と茨の紋様――それらが意味するものを、もしかしたら自分は知っているかも知れない。だがそれに確証はないし、なにより不確定な情報でアーリィを混乱させるのもよくないと思ったユーリは、内心を悟られぬように自然に振る舞った。
だが、しかし。
「嘘」
「!」
短い否定の言葉がアーリィの唇から放たれる。思わずユーリは驚きの表情を浮かべた。
自分の内心を見透かすようなアーリィの瞳が、真っ直ぐに自分を見つめる。
息が詰まった。
「貴様はあいつらの正体を知っているんじゃないか?」
「なっ……」
無機質な紅の瞳が大きく見開かれる。はっきりとした意思の宿らないその瞳はひどく暗い。
だがその瞳には、見つめた相手の心の中を探るような、そんな不気味ななにかが感じられた。
「俺は……知らない……」
「……本当に?」
「し、知らないって……ホントに」
問い詰めるその瞳から目を逸らすことが出来ない。
燃えたぎる地獄の業火のようなその紅から逃れられない。
無意識のうちにユーリは一歩後ずさっていた。
瞬間、アーリィの瞳の中の瞳孔が細まる。
ユーリがごまかすような笑みを浮かべようとした時、突如アーリィの細い腕が伸びて彼の胸倉を強く掴んだ。
「お前、本当のことを言えっ!」
「っ……!」
凛とした怒声が辺りに響いた。
周りにいた村民や旅人が驚きの表情を浮かべながら、何事かとユーリたちに好奇の視線を向ける。だがアーリィは構わず、ユーリの胸倉を掴んだ手に力を込めた。
「あいつらは何者だ……なぜ奴らは知っている……」
「アーリィちゃん、落ち着いて……」
アーリィの細い腕から想像出来ないような力が、掴まれた胸倉から感じられる。
自分の知らない取り乱したアーリィの様子に、ひどく困惑するユーリ。一体何故こんなにも彼があの男たちを警戒するのか、今のユーリには知るよしもなかった。
だだ一つだけ確実なのは、あの男たちはアーリィを追っていたということ。それに対して、彼はこんなにも取り乱しているのだろうか?




