赦さぬ悪夢、鎮魂の歌 7
「うぅ……そう言われても……」
心底不思議そうな表情で、アーリィから問われる。「えっと……」とユーリが返答に困って首を傾げると、痺れを切らしたらしいアーリィが一つ溜息を吐き、「話すことがないなら、これで会話は終わりだ」と、そう言って踵を返そうと動く。それを見てユーリは慌てながら「あー待って!」と叫んだ。
「……なんだ?」
下からの突き刺すような厳しい視線。『次はないぞ』と、アーリィの目はユーリにそう本気で訴えかけていた。ユーリに、無駄なプレッシャーがかかる。
下手に話題を作るのはよくないかも……ポリポリと頭を掻きつつ、ユーリは少しだけ言いにくそうに「あのさぁ」と切り出した。
「ちょっと変なこと聞くけど……いいかな?」
「だからなんだ」
「うん……アーリィちゃんは過去を忘れたいって思ったこと、ある?」
なんの脈絡無く出たユーリの言葉に、一瞬アーリィは「?」と首を傾げる。だが見つめるユーリの瞳がどこか真剣なものだと気付いて、アーリィは少し考えた。
「……なるほどな。それが、さっきからお前がおかしかった理由か?」
「え?」
こちらもまた予想外の返答に、ユーリは驚いたように声をあげる。
「おかしいって……俺が?」
「なんだ、自分で気付いていないのか?」
何気ない口調でそう答えるアーリィに、何故かユーリは少し照れたように笑った。
「んー……っていうか、意外だなぁ。アーリィちゃんの口からそんな台詞が出るとは」
普段はマヤ以外の人間に関して、まるで関心を示さないアーリィ。そんな彼から、まさか自分を考察したような意見が出るとは思わず、ユーリは「やー嬉しいなぁ!」と言ってにっこりとアーリィに微笑みかけた。するとアーリィは彼の言わんとしていることを察し、すぐに不機嫌そうな表情を浮かべて「別に、お前に興味なんてないが……」と付け足した。
「ははは、わかってますよ~」
「……なんかムカつく、その態度」
両手をひらひらと振りながらユーリが笑うと、アーリィはますます不愉快そうに顔を歪める。そしてニヤニヤとするユーリに、アーリィは小さく舌打ちした。
アーリィは不機嫌そうにムッとした表情のまま「そんなことより、それを俺に聞いてどうする?」と言い、ユーリを睨み付ける。するとユーリはなぜか苦い表情を浮かべた。
「いやぁ、なんとなくアーリィちゃんはそういうのなさそうに見えたから……」
長年一緒に旅をしてきたローズは、時折過去に囚われているようなそぶりを見せる。彼が自分と同じで、自らの過去になにかトラウマのようなものを抱いていることは明白だ。
そしてマヤは、まだ行動を共にして日は浅い。しかし彼女自身が持つ大きな謎について、こちらが問えば笑顔ではぐらかすその態度から、ユーリは彼女もまたなにか隠したい過去があるんじゃないかと推理していた。
だが、アーリィは違う。
「アーリィちゃんって、過去を忘れようとするんじゃなくって……なんていうか、もう過去というものを完全に切り離して考えてる気がして」
「……」
アーリィにだって、なにか謎がある。そしてアーリィもマヤと同様、その"謎"について問えば全く語ろうとはしない。だが彼の場合は、それを隠そうとするマヤとは違い、まるで「どうでもいい」といった態度で終わらせてしまうのだ。
彼にはきっと、本当に興味がないのだろう。自分の力についても、その異端の容姿にしても、過去も他人も自分自身も含めて、たった一つの例外を一切除いて興味が無い。
"マヤ"という、例外以外は。
「……そうだな。俺は自分の過去なんてどうでもいいな。そんなつまらないことに、いちいち思考などしない」
ユーリの言葉に、アーリィは薄く笑って答える。
「そしてお前のように悩んだりなどしない」
「なぜ……」
ユーリの口から、思わずそんな問い掛けが吐き出されていた。
アーリィはどこか妖艶なその笑みを深め、窺うような視線を彼へ向ける。
「なぜ? 俺からすればそんなことでわざわざ悩み、無駄な労力を使うお前のほうがよっぽど不思議だ」
アーリィの口から吐き出される言葉はあまりに真っ直ぐで、そして大きく歪んでいる。それは、普通の人間には到底理解出来ない考え方だった。
極端で歪曲した、それは異質な思考。それを当然の表情でアーリィは語り、答える。
ユーリは無意識のうちに半歩後ずさりしていた。この無意識の行動は、恐怖を感じてのものなのだろうか。
「じゃあ一体、アーリィちゃんは何を考えて何のために生きてるんだ?」
「マスター。それ以外に、俺にはなにもない」
真っ直ぐすぎる返答と瞳が、ユーリの中を大きく揺さぶる。
予想はしていたがこうもはっきりと目の前で答えられると、やはり彼は改めて"アーリィ"という存在の異常さに気付く。
ユーリは自分でもよくわからないまま、次々と自分の中で沸き上がる不明瞭な疑問を、そのままアーリィへと向けて問い掛けていた。
「どうして」
「それが俺の全てで、そして存在理由だから」
「なぜ」
「また『なぜ』か。好い加減くどいぞ、お前」
うんざりしたようにアーリィがそう吐き捨てると、ユーリはハッとしたように大きく目を見開いて「ごめん」と呟いた。
(俺……確かにちょっと変かもな……)
思考だけが無意識に暴走しかけ、ユーリは頭を掻きながら苦笑いを浮かべる。それも全て、あの"夢"のせいかもしれない。
「ホント、俺ちょっとおかしいな」
「頭は基本的に年中おかしいが、今日は特におかしいな」
「ハハ、厳しいなー」
冗談のようで本気なアーリィの台詞に苦笑を返しつつ、ユーリは「じゃあもうこの話はナシで!」と言った。
「なんかちょっと眠れなかったから散歩してたんだけど、アーリィちゃんと素敵にお話したら俺、眠くなってきちゃいました」
「……そう」
いつものようにふざけた口調でユーリがそう告げると、アーリィもまたいつも通りの冷めた反応を返す。
「ええと、ありがとな。今日は戯言に付き合ってくれて」
アーリィとまともに会話出来ることは珍しいので嬉しいのだが、これ以上話し込むとそのうち口に出したくないことまで喋ってしまいそうになる予感がし、ユーリは墓穴を掘る前に部屋へと戻ることにした。幸い誰かと会話したことで、気分もだいぶ落ち着いてきた。これなら熟睡とはいかなくても、朝まで眠ることは出来るだろう。
「じゃあ俺は部屋に戻るけど……アーリィちゃんは?」
「お前にはどうでもいいだろ」
どこまでも他人を拒否するアーリィの様子に、ユーリはただ苦笑するしかなかった。
「風邪引いちゃうといけないから、早く部屋に戻りなよ」
一応そうは言ってみたものの、案の定アーリィは無言で鼻を鳴らすだけだった。
そんな様子はやはりいつもの彼で、ユーリはなんとなくホッとする。
「じゃ」
最後にそう声をかけて背を向けた瞬間、「ユーリ」という静かな声に引き止められる。予想外のその声に、ユーリは驚きながら振り返った。
視界の先にいたのは、青白い月光に照らされた一人の"聖女"の姿。
「……お前がお前で有る限り、過去を捨て去ることは不可能だ。それはお前が"人間"だから」
無機質な紅の瞳をじっと見つめたまま、なぜかユーリは固まる。
アーリィの言葉に耳を傾け、彼は静かに息を呑んだ。
「人は過去を切り離せ無い。何故ならそれは、今まで築いてきた自分という存在を否定する行為になるから」
神託のように続く言葉が、ユーリの中のなにかを強く掴んで離さない。瞬きすることすら許さないそれは、強い力を持った"言葉"だった。
「人は成長する。人はゼロの状態から無限の可能性を秘めて生まれ、そして多くを学び自己を形成する。『過去』とはつまりその過程、自分を作るまでの創造の歴史であり己が歩んできた道でもある」
"聖女"という神秘的な存在の面影を宿した青年は、ただ淡々とした口調で言葉を紡ぐ。
だが、たったそれだけの行為にも関わらずユーリは、まるで金縛りにあったかのように動けないでいた。
そして、体温の感じられない紅の瞳が僅か細まる。
無音の風が吹き、アーリィの髪が黒い薔薇飾りと共に揺れた。
「だから、人は過去を切り離せ無い。お前がいくら過去を忘れようとあがいても、それはお前という存在の否定にしかならない。だから無駄だ。お前がお前であることを止めなくては、お前の歩んできた道を消すことなど出来ない」
「っ……」
息を呑む音。
ユーリは茫然と立ち尽くし、まるで人を超越したかのような言葉を告げるアーリィを見つめた。
動こうにも足は動かず、手も上げられない。声を出そうとしても、唇が固まってしまっている。
彼には呼吸と、そしてアーリィを見つめることしか出来ないでいた。
茫然と固まるユーリを見据えたまま、アーリィは息を一旦吐き出して深呼吸をする。
そして乾いた唇を小さく舐め、彼はもう一度口を開く。
「……でも、人は過去を乗り越えることが出来る」
「え……」
ユーリの口からひどく掠れた呟きが漏れた。
「過去を切り離す力はなくとも、人はそれを乗り越え糧にする力がある。それが、人の力。……そう、昔マスターが言っていた」
「マヤ……が……?」
先程よりは声らしい声で、ユーリは小さく問い掛ける。
その問いにアーリィはゆっくりと頷き、一度瞼を閉じた。そして、ゆっくりと瞼を開く。
次の瞬間ユーリが見たのは、なぜかひどく優しげな眼差しだった。
「……あなたには、それが出来る?」
「!?」
優しげな口調、柔和な眼差し、柔らかく弧を描く唇――それらは全て、アーリィであってアーリィで無いものだった。ユーリはまるで、落雷に打たれたかのように大きく目を見開いた。
「……お前は、だ、れ……」
震える声で呟くように問うと、アーリィの血色の唇がさらに深く笑みを作る。慈愛に満ちた、その微笑み。それはどこかで見たことのある、よく見知った笑みのようにも思えた。
「……ア、リ……」
ユーリが無意識に"その名"を口にしかけた瞬間、アーリィはスッ……と笑みを消していつもの無表情に戻った。
「……? おい、どうした」
「え?」
得体の知れない、恐怖に似た感覚に捕われていたユーリ。彼が青白い顔色で立ち尽くしているのを見て、アーリィが不思議そうに首を傾げた。
「あ、あれ……アーリィちゃん? え? え?」
「?」
「えっと、アーリィちゃん……だよね?」
「……お前は今まで誰と会話してると思ってたんだ?」
いつも通りの冷めた眼差しと口調でアーリィはそう返す。ユーリはわけがわからず目を白黒させて、普段通りのアーリィに「あれぇ?」と間抜けな声をあげた。
「あれ、アーリィちゃんさっき……アーリィちゃんだった?」
「なにわけのわからんことを言ってるんだ? それよりも少し長く話をし過ぎたな」
まったく状況が理解できずに呆然とするユーリを冷たく遇い、アーリィは何気なく月を見上げて呟く。つられたように、ユーリも困惑した表情のまま視線を上へと動かした。
銀色の月は日の光とは違い、冷たく体温の無い光を煌々と地上へ注いでいた。
「……」
何となく見上げた月にそのまま視線を奪われ、ユーリは数秒ほど無心で月を眺める。
「……おい、帰るんじゃなかったのか?」
「え? あ、あぁ」
静寂を破るアーリィの声にハッとする。色々と腑に落ちないままだが、アーリィに促されるようにユーリはもう一度背を向けた。
最後に彼は振り返り、アーリィへ笑顔で手を振る。
「じゃ、おやすみアーリィちゃん」
「……さっさと寝ろ」
ユーリは苦笑いしながら今度こそアーリィに背を向け、そして一歩を踏み出す。
ルルゥの家はどこだったかと辺りを簡単に見渡すと、ユーリの口から自然と欠伸が漏れた。
(なんだ……本当に眠いんじゃん、俺)
大きく伸びをしながら、これなら朝まで眠ることが出来るんじゃないかとユーリは小さく笑う。
けれども彼にはどうしても気になることが一つあった。
それは、先程のアーリィの言葉。
『……あなたには、それが出来る?』
(あれは一体……)
アーリィの姿をした、あれは別の誰かの言葉。あの時の彼の笑みは、あまりにも"あの人"に似ていた。
だがそうは思っても、今のユーリに真相を知る術はない。
憶測ばかりで物事を考えてしまうのは自分の悪い癖だ。ユーリは思考を振り払うかのように大きく深呼吸をし、そして月を見上げてぽつりと呟いた。
「人は過去を乗り越えることが出来る……か」
目を閉じれば今でも時々垣間見る、自分を呪う過去の呪縛と怨嗟。
殺意に染まる瞳と声が、今だ自分を苦しめて許さない。
「……俺に出来るのか?」
赤に染まり過ぎた両手をかかげ、煌々とした月光の下で照らし眺める。
ユーリが足を止めると同時に、背後でまた静かな歌声が流れ始めた。
For the chid whom I pray and pray for the world, and is dear
指の隙間から覗く銀色の月を、ユーリは淋しげな眼差しで見つめた。
【赦さぬ悪夢、鎮魂の歌・了】




