赦さぬ悪夢、鎮魂の歌 5
◇◇◇
どこまでも、どこまでも続く、無機質な灰白色の廊下。
自然の炎が照らすオレンジの色が、いつも不似合いだと感じていた。
廊下はいくつも並ぶ赤や白の扉と繋がっている。
俺はいつも通り廊下を歩き、そしてそのうちの一つ――暗い鉄色の扉の前で立ち止まった。
「……」
また今日も俺は、ここで立ち尽くす。もうこれ以上、前へと進みたくなかった。
だって扉を開ければ、そこは地獄でしかないから。
「……どうしたの? 早く、入りなさい」
「……」
俺の一歩後ろで、女がそっと背中を押す。
俺はそれでも、頑なに前進することを拒んだ。
「……はぁ」
女の疲れたような溜息。いつものことだ。
光沢のある暗い扉の表面に、背後に立つ女の顔が反射し映っていた。
「ちょっと……早く入りなさいってば。――が出来ないわ」
間接的に見えた女の顔は、俺を忌ま忌ましげに見下ろしている。
それでも動こうとしない俺に、女は遠慮することなく舌打ちをした。
「ったく、これだからガキは嫌いよ。いっそ全員――ばいいのに」
それでも、俺は動かなかった。
◇◇◇
色が混じりあい、光が闇となり、音が濁る。
そして唐突に、歪んだ視界が明確となった。
場面が切り替わり、俺は青々とした芝生の上で寝転びながら空を見上げていた。
「なあ、――」
「おい……、――ってば!」
名前を呼ばれたらしい。
俺は緩慢な動作で、首を真横へ向ける。
誰かが丘を駆けて、こちらへと向かってくるところだった。
「お前、いつまでそうやって寝てるんだ? 楽しいか?」
青い丘を駆けて来た人物は、息を切らしながら俺へと問う。
だが空や草ははっきりと見えるのに、その人物は不思議と靄がかかったようにはっきりと視認出来ない。ゆらゆらと、それは陽炎のように揺らめいた。
ぼんやりと輪郭がはっきりしないその人物へ、俺はなにか言葉を返す。
するとその人物は控えめな笑い声を出し、やがて俺と同じように芝生の上へと寝転がった。
「なぁ、――。俺達……」
再び、世界が闇へと落ちる。
いや、堕ちているのは俺?
反転した世界は、次の瞬間黒から赤へと色を変えていた。
「……――?」
赤い混沌。
鮮血の海の中央で、俺は立っていた。
右手に赤く染まった銀のナイフを持って。
「……いう……だ……?」
音が掠れる。まるでノイズのように、不鮮明な音の周波数。
「……が……ったのか?」
俺の目は一点を見つめていた。時が止まったように、真紅の世界を見下ろし立ち尽くす。
世界の中央では俺の他にもう一人、誰かが赤い海で溺れていた。
「お前が――を、……たのか?」
俺の唇が勝手に動き、なにか意味の無い音を吐き出す。
俺の目はまだ、混沌に溺れる――を見つめていた。
これは夢だ。悪夢だ。
視界が急激に狭まる。再び漆黒が俺を、優しく残酷に包み込む。
三度目の世界崩壊。
全てを無に帰す色が、俺をも消そうと迫る。
――あぁ……消してくれ。もう、ここにはいたくない。
俺はもう、いやなんだ。もう、いきたくない。
俺という存在がこの世界から消失する寸前、俺は抜け殻のような心ではっきりと"声"を聞いていた。
「殺してやる、ユーリっ!」
◇◇◇
「っ!?」
輝く月に似た灰色の瞳が、薄闇の中大きく見開かれた。
「ハァ……ハァ……」
早鐘のような鼓動、そして呼吸。
ユーリは蒼白な顔色で茫然と、闇にうっすら浮かぶ白い天井を見つめていた。
「……ぁ……」
時が止まったかのように、目を見開いたままユーリは荒い呼吸を繰り返す。
乱れる鼓動を抑えようと、ユーリは震える両腕をゆっくりと動かして胸に手をあてた。
「夢……」
だいぶ呼吸が戻り、先程よりかは落ち着きを取り戻す。
ユーリはゆっくりとベッドから起き上がり、隣で寝ているはずのローズへと恐る恐る視線を向けた。
「……」
月明かりに僅か照らされて、青みがかって光るローズの後ろ髪が見える。彼は身じろぎ一つせず、そこからは規則正しい呼吸音だけが聞こえた。
どうやらローズはまだ寝ているとわかり、ユーリはホッとしたように大きく息を吐き出した。
そして彼は額に浮かんだ冷や汗を拭い、今だ震える右腕を左手でそっと包む。
ユーリはゆっくりと目を閉じ、そしてその震えを止めるかのように体全体で右腕を抱え込んだ。
立てた膝に顔を深く埋める。
いつもの飄々とした彼らしくないひどく掠れた声で、ユーリは疲れたように弱々しい呟きを漏らした。
「……まだ、お前は俺に悪夢を見せるのか?」
『殺してやる!』
その呪言は、何度も頭の中でリフレインされる。
「まだ俺を許してくれねぇのか……?」
不意にユーリは顔を上げ、ゆっくりと音をたてずにベッドから立ち上がった。
焦燥に満ちた彼の瞳は、どこか遠い過去を見つめる。
そのまま覚束ない足どりで、彼は部屋のドアへと向かって歩いた。
ドアノブに手をかけながら、呪われた過去を見つめるユーリの唇が無意識に動く。
「なぁ、ユトナ……」
同時に部屋のドアが静かな音をたてて閉まり、再び部屋には静寂が訪れた。
「……」
月光を反射し、青い光を宿した瞳が、闇の中にゆっくりと浮かぶ。
ユーリが去ったことを確認し、ローズはそっとベッドから身を起こした。
彼は無表情に、たった今閉ざされた部屋のドアをじっと見つめる。
ひどく疲れたような、あるいは怯えたような先程の彼の呟きを思いだし、ローズはスッと目を細める。
「ユーリ……」
その名はただ、静寂の闇へ溶けて消えた。
◆◇◆◇◆◇
For the chid whom I pray and pray for the world, and is dear
For the world of a passerby of extinction
外の風にあたろうと、庭へと足をのばしたユーリ。
半月の月が煌々と闇の世界へ一筋の光を照らす中、彼は昼間よりもいくぶんか冷えた空気を肌に感じつつ庭先を歩く。
I give the position of a soul other place without a dirt, and declare it, and declare it clean life whether you are vociferous,
「……? うた……か?」
冷たい空気を震わす、ゆったりと静かな音の波動。
それは彼の知らない言語で歌われているようで、言葉はまるで理解出来ない。けれどもその歌は美しく、どこか彼の心を強く揺さぶるものだった。
「……」
しばらく立ち止まってその歌を聞いていたユーリだったが、やがて彼はその歌声に導かれるように、その旋律を辿って歩みを再開させた。
「……And lerd it
The world of ruin to paradise
So that the body dies
So that the soul disappears」
ルルゥの家の庭から少し離れた草地。そこで月を見上げ、アーリィは一人静かに歌を奏でていた。
いつも通りの無表情で、普段使う共通語ではない別の言語で言葉を紡ぐ。まるで、なにかの儀式のようにも見えた。
「Pray, and de……」
唐突に、歌声が止まる。




