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神化論  作者: ユズリ
境界線の向こう側
55/528

赦さぬ悪夢、鎮魂の歌 5

 ◇◇◇



 どこまでも、どこまでも続く、無機質な灰白色の廊下。

 自然の炎が照らすオレンジの色が、いつも不似合いだと感じていた。


 廊下はいくつも並ぶ赤や白の扉と繋がっている。

 俺はいつも通り廊下を歩き、そしてそのうちの一つ――暗い鉄色の扉の前で立ち止まった。


「……」


 また今日も俺は、ここで立ち尽くす。もうこれ以上、前へと進みたくなかった。

 だって扉を開ければ、そこは地獄でしかないから。


「……どうしたの? 早く、入りなさい」


「……」


 俺の一歩後ろで、女がそっと背中を押す。

 俺はそれでも、頑なに前進することを拒んだ。


「……はぁ」


 女の疲れたような溜息。いつものことだ。

 光沢のある暗い扉の表面に、背後に立つ女の顔が反射し映っていた。


「ちょっと……早く入りなさいってば。――が出来ないわ」


 間接的に見えた女の顔は、俺を忌ま忌ましげに見下ろしている。

 それでも動こうとしない俺に、女は遠慮することなく舌打ちをした。


「ったく、これだからガキは嫌いよ。いっそ全員――ばいいのに」


 それでも、俺は動かなかった。




 ◇◇◇




 色が混じりあい、光が闇となり、音が濁る。

 そして唐突に、歪んだ視界が明確となった。


 場面が切り替わり、俺は青々とした芝生の上で寝転びながら空を見上げていた。


「なあ、――」


「おい……、――ってば!」


 名前を呼ばれたらしい。

 俺は緩慢な動作で、首を真横へ向ける。

 誰かが丘を駆けて、こちらへと向かってくるところだった。


「お前、いつまでそうやって寝てるんだ? 楽しいか?」


 青い丘を駆けて来た人物は、息を切らしながら俺へと問う。

 だが空や草ははっきりと見えるのに、その人物は不思議と靄がかかったようにはっきりと視認出来ない。ゆらゆらと、それは陽炎のように揺らめいた。


 ぼんやりと輪郭がはっきりしないその人物へ、俺はなにか言葉を返す。

 するとその人物は控えめな笑い声を出し、やがて俺と同じように芝生の上へと寝転がった。


「なぁ、――。俺達……」



 


 再び、世界が闇へと落ちる。

 いや、堕ちているのは俺?


 反転した世界は、次の瞬間黒から赤へと色を変えていた。



「……――?」


 赤い混沌。

 鮮血の海の中央で、俺は立っていた。

 右手に赤く染まった銀のナイフを持って。


「……いう……だ……?」


 音が掠れる。まるでノイズのように、不鮮明な音の周波数。


「……が……ったのか?」


 俺の目は一点を見つめていた。時が止まったように、真紅の世界を見下ろし立ち尽くす。

 世界の中央では俺の他にもう一人、誰かが赤い海で溺れていた。


「お前が――を、……たのか?」


 俺の唇が勝手に動き、なにか意味の無い音を吐き出す。

 俺の目はまだ、混沌に溺れる――を見つめていた。



 これは夢だ。悪夢だ。


 視界が急激に狭まる。再び漆黒が俺を、優しく残酷に包み込む。


 三度目の世界崩壊。

 全てを無に帰す色が、俺をも消そうと迫る。



 ――あぁ……消してくれ。もう、ここにはいたくない。

 俺はもう、いやなんだ。もう、いきたくない。



 俺という存在がこの世界から消失する寸前、俺は抜け殻のような心ではっきりと"声"を聞いていた。



「殺してやる、ユーリっ!」




 ◇◇◇



「っ!?」



 輝く月に似た灰色の瞳が、薄闇の中大きく見開かれた。


「ハァ……ハァ……」


 早鐘のような鼓動、そして呼吸。

 ユーリは蒼白な顔色で茫然と、闇にうっすら浮かぶ白い天井を見つめていた。


「……ぁ……」


 時が止まったかのように、目を見開いたままユーリは荒い呼吸を繰り返す。

 乱れる鼓動を抑えようと、ユーリは震える両腕をゆっくりと動かして胸に手をあてた。


「夢……」


 だいぶ呼吸が戻り、先程よりかは落ち着きを取り戻す。

 ユーリはゆっくりとベッドから起き上がり、隣で寝ているはずのローズへと恐る恐る視線を向けた。


「……」


 月明かりに僅か照らされて、青みがかって光るローズの後ろ髪が見える。彼は身じろぎ一つせず、そこからは規則正しい呼吸音だけが聞こえた。

 どうやらローズはまだ寝ているとわかり、ユーリはホッとしたように大きく息を吐き出した。

 そして彼は額に浮かんだ冷や汗を拭い、今だ震える右腕を左手でそっと包む。

 ユーリはゆっくりと目を閉じ、そしてその震えを止めるかのように体全体で右腕を抱え込んだ。

 立てた膝に顔を深く埋める。

 いつもの飄々とした彼らしくないひどく掠れた声で、ユーリは疲れたように弱々しい呟きを漏らした。


「……まだ、お前は俺に悪夢を見せるのか?」


『殺してやる!』


 その呪言は、何度も頭の中でリフレインされる。


「まだ俺を許してくれねぇのか……?」


 不意にユーリは顔を上げ、ゆっくりと音をたてずにベッドから立ち上がった。

 焦燥に満ちた彼の瞳は、どこか遠い過去を見つめる。

 そのまま覚束ない足どりで、彼は部屋のドアへと向かって歩いた。


 ドアノブに手をかけながら、呪われた過去を見つめるユーリの唇が無意識に動く。


「なぁ、ユトナ……」


 同時に部屋のドアが静かな音をたてて閉まり、再び部屋には静寂が訪れた。


「……」


 月光を反射し、青い光を宿した瞳が、闇の中にゆっくりと浮かぶ。

 ユーリが去ったことを確認し、ローズはそっとベッドから身を起こした。

 彼は無表情に、たった今閉ざされた部屋のドアをじっと見つめる。

 ひどく疲れたような、あるいは怯えたような先程の彼の呟きを思いだし、ローズはスッと目を細める。


「ユーリ……」



 その名はただ、静寂の闇へ溶けて消えた。




 ◆◇◆◇◆◇




 For the chid whom I pray and pray for the world, and is dear


 For the world of a passerby of extinction


 外の風にあたろうと、庭へと足をのばしたユーリ。

 半月の月が煌々と闇の世界へ一筋の光を照らす中、彼は昼間よりもいくぶんか冷えた空気を肌に感じつつ庭先を歩く。


 I give the position of a soul other place without a dirt, and declare it, and declare it clean life whether you are vociferous,


「……? うた……か?」


 冷たい空気を震わす、ゆったりと静かな音の波動。

 それは彼の知らない言語で歌われているようで、言葉はまるで理解出来ない。けれどもその歌は美しく、どこか彼の心を強く揺さぶるものだった。


「……」


 しばらく立ち止まってその歌を聞いていたユーリだったが、やがて彼はその歌声に導かれるように、その旋律を辿って歩みを再開させた。




「……And lerd it

 The world of ruin to paradise


 So that the body dies

 So that the soul disappears」


 ルルゥの家の庭から少し離れた草地。そこで月を見上げ、アーリィは一人静かに歌を奏でていた。

 いつも通りの無表情で、普段使う共通語ではない別の言語で言葉を紡ぐ。まるで、なにかの儀式のようにも見えた。


「Pray, and de……」

 

 唐突に、歌声が止まる。

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