幸せの定義 6
「……実はあの反対の道にも、奥にこのようなクリスタルが存在しているのだ。だがあちら側のクリスタルは数も多いうえに、あの先がまだ枝別れしているのだ。いちいち封印するのも面倒なので、あちらは分かれ道の直ぐ先に私のしもべを番人として置いてあってな……」
「番人?」
クロウディアの告白に、マヤとユーリは物凄く嫌な予感を感じる。そして次の彼の台詞で、予感は確信へと変わった。
「あぁ。あちらには行った直ぐ先に"グール"がいるのだ。まぁ"グール"は強大だが動きも遅いであろうし、直ぐに逃げれば問題ないだろうが……それでも私のいるこちらの道を選んで正解だろうな」
二人は同時に青ざめて、そして絶叫した。
「それを早く言えこのボケ魔族っ!」
「ローズとアーリィちゃんが危ねぇっ!」
「む?」
取り乱す二人を、何処までも悠長な態度でクロウディアは見つめ、訳が分からずに首を傾げた。
◇◆◇◆◇◆
「………あ、あぁ……あ」
少年の鳴咽が聞こえる。やけにはっきりと、鮮明に。
何故クゥは泣いているんだ?
俺に怪我はないのに。
ローズはぼんやりとする頭でそんなことを考えた。
いや、何故だ?
どうして俺は、無事なんだ?
俺は今、グールに襲われたはずだ。なのに、なぜ……
そこでローズは、自分が何かを抱えている事に気がつく。
ぼんやりとした思考のまま、ローズはその何かへと視線を向けた。
――俺は一体、何を抱えているんだ?
どろりとした、やけに生暖かい液体。細い、華奢な肢体。そして自分と同じ、漆黒色の髪。
ゆらゆらと揺らめく松明の炎の中に照らし出されたのは、よく知った仲間の痛ましい姿だった。
「……アーリィ?」
橙色の明かりの中、アーリィは青白い顔で瞳を閉じてぐったりとしている。そんな彼を唖然とした表情で見つめ、ローズは名を囁いた。
ローズの腕の中で眠る彼は、右肩から左脇腹にかけて裂傷を受けてひどく痛ましい。今こうして彼を見ている間にも、白い彼の服は鮮血の色へ変わっている。
「………俺を庇って?」
一瞬の出来事だった。
グールの斧が自分に向かってくる気配を感じたローズは、しかし咄嗟に退避しようとしたが間に合わず覚悟を決めた。だが覚悟した瞬間は訪れず、代わりに飛び出して来た何かに後ろへ突き飛ばされたのだ。そして闇を引き裂くような斧の疾駆する音を耳にしたその直後、突き飛ばされた自分の方へと何かが倒れ込む。ローズはそれを受け止めながら、しかしこの一瞬で何が起きたのかを理解できずにいた。理解できたのは、瀕死となったアーリィの姿を確認した後だ。
『……ローズを、守りなさい』
思い出されるマヤの言葉。おそらく彼は彼女のあの言葉に従い、こんな無茶をしたのだろうとローズは思った。しかし直ぐに、違う…とローズは思い直す。それはただの言い訳でしかない。自分の不注意が、こんな結果を招いたのだ。それを自覚し、ローズは「クソッ」と小さく呻く。
自分が怪我をするならまだしも、よりにもよってアーリィが重傷を負ってしまった。本来ならばむしろ自分が、肉体的に弱いアーリィを守るべきだというのに。だが今は反省している暇はないと、ローズは顔をあげる。
『ア゛……ァア……』
「……クゥ、悪いがアーリィを頼む」
「え?」
静かなローズのその声に、クゥは顔を上げて震える言葉を返す。
ローズは恐怖にただ狼狽する少年に、血まみれのアーリィを託した。そして落ちた松明を拾って、それをクゥの手に無理矢理握らせる。
「止血のくらいは出来るか?」
「え、でも……」
クゥは両手で松明を握りながら、ガタガタと震える。怯えきった瞳を向けて戸惑う少年に、ローズは目を伏せて彼に語りかけた。
「頼む。大切な仲間なんだ、死なせる訳には絶対にいかない。お前の助けが必要なんだ」
「……」
真剣なローズの瞳が、恐怖に震える少年を射抜く。
クゥはその視線から逃れるように、無意識に視線を下へとそらした。
「ぁ……」
そうしてローズの視線から逃げた彼の目には、青白い顔で気を失っているアーリィの姿が映る。彼の胸元の傷からは、今もとめどなく命が流れ出ていた。
彼がこうなってしまったのは、元はといえば自分が松明を落としてしまったせいなのだ。それを自覚すると、ひどく胸が締め付けられる。恐怖が増し、今すぐこの場を逃げ出してしまいたくなった。だがそんなこを、許されるはずもない。そんなことをしてしまったら、自分はもう大好きな彼女に会いに行く資格がなくなったしまう気がした。
「お願いだ。俺はアイツを…殺さなくてはいけない。だから……」
「……わ、わかった……俺、頑張る」
今にも消え入りそうな声で、しかしクゥは意を決したように頷いた。そのしっかりとした少年の返事を聞き、ローズはわずかに微笑む。
「ありがとう、頼んだぞ」
まだ僅かに震えるクゥの肩へと一度手を置いて、ローズは剣を構え直して駆け出した。
そのまま真っ直ぐにローズは、うめき声を上げて斧を振り上げるグールへと向かって行く。そんな彼の後ろ姿を頼りなく見つめ、そしてクゥは改めてアーリィを見た。
「……」
頼まれたはいいが、どうすればいいのだろう。
クゥはとりあえず血を止めようと、自分の上着を脱いでアーリィの傷口へとあてた。
「……だめだ」
幸いそんなに深い傷ではないようだが、しかし大きい。みるみるクゥの上着は、アーリィの血液で真っ赤に染まっていく。その様子にクゥは慌てた。
「ど、どうしよう……」
松明が邪魔だったが、先程のように手放す訳にはいかない。その時クゥははっとしたように、腰のポーチへと手を伸ばした。
たしかポーチの中に、怪我をしてしまった時用にいくつか薬草を入れておいたのだ。
こんな大怪我を想定はしていなかったので、たいした薬草は持ってきていないが、それでも何もしないよりは大分ましなはずだ。クゥは無我夢中でポーチから有りったけの薬草を取り出し、松明を片手にアーリィの傷の手当をし始めた。
「……ぅぁあああっ!」
グールによって振り下ろされる斧を、ローズの大剣が閃き弾き返す。
そのまま怯んだグールへ、自分の間合いの範囲まで飛び込んで近付いた。そして再度グールの腹部へと、彼は巨大な刃を突き立てた。
再び感じる、まるで粘土のような不愉快な感触。だが今度は、彼は突き立てた刃を引き抜きはしなかった。
「く……」
ローズは渾身の力を込めて、グールの内部深くまで突き入れた刃を横へスライドさせていく。グールを構成する肉体組織の引き千切れる嫌な音がした。
『ア゛アァァ!』
「……っ……もう、眠れ!」
苦しみに叫ぶグール。ローズは吐き捨てながら、グールの腹部中央に差し込んだ刃を横なぎに振るい、胴の半分を残酷に切り裂いた。
『ヴァ゛ァ゛ァ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッ!』
呪いの雄叫びが響き渡る。傷口から吹き出るグールの体液を頭から被りながらも、ローズは怯むことは無い。残ったグールの、繋がっている胴の部分へとまたも大剣を疾駆させた。
「死者は大人しく眠れ……そしてもう二度と目覚めるなよ」
ドシャッ…と重々しい音と共に、グールの体液が跳ね飛ぶ。赤茶色した自分の体液の海へ、身体を上下で真っ二つに斬られたグールは無言で沈んでいった。
◆◇◆◇◆◇
「ローズッ! アーリィッ!」
「!?」
見知った少女の叫び声を耳にし、ローズは振り返る。
アーリィを手当していたクゥも、思わず手を止めて顔を上げた。
二人の視線の先には、血相を変えてこちらへと走ってくるマヤとユーリの姿。そして彼らのその後ろには、見知らぬ長身の男の姿があった。
「アーリィッ!」
「アーリィちゃんっ!」
マヤとユーリは蒼白な顔で倒れているアーリィを見て、それぞれに声を上げて彼へと慌てて駆け寄る。
ローズも体中グールの体液で汚れた状態のまま、彼の元へと近づいた。
「アーリィ! どうして……っ?」
クゥの腕の中で気を失うアーリィと同じくらい、マヤは青ざめながら座り込む。ユーリも茫然自失とした表情でマヤの隣に膝をついた。
「……すまないマヤ、俺の不注意だ」
「待ってて! 今、回復してあげるからっ……」
謝罪を口にするローズ。だが取り乱した様子のマヤにはその言葉は届かず、彼女は左手を掲げて治癒魔術を施そうとした。だが、彼女は呪文を唱えようとして苦しげに息を吐く。
「っ……」
「おいマヤ、お前もう魔力使い切ってるんだろ。無理すんなよ」
魔力を消耗した体で治癒魔法を行使しようとたが、しかしやはり無理な行為だったようで、マヤは悔しげに疲労の息を吐き出す。そんな彼女を気遣うようにユーリが声をかけると、彼女は血まみれのアーリィを見つめて譫言のように呟いた。
「ダメ、アーリィは……アーリィがいなきゃ、アタシ……」
「……退け。私が傷を癒そう」
「え……?」
虚ろになった瞳でマヤが振り返る。すると彼女の後ろで様子を伺っていたクロウディアが、マヤの肩を掴んで下がらせた。
「あんたは…?」
「自己紹介は後だ。この人族、早く血を止めぬと危険だぞ」
ローズの問い掛けにクロウディアは厳しい表情で返す。そして彼はアーリィの傷口へと右手を寄せて、小さく呪文を口ずさんだ。
『……RECUCOVRERE.』
マヤ達が唱えるような古代呪語ではない、魔族特有の呪文・レイスタング。
謳うように紡がれた不思議な発音の呪文と共に、クロウディアの掌から淡い緑色の光が溢れ出した。そうして驚きにただ目を丸くするクゥの目の前で、魔族の男は無表情に治癒を施す。




