旅の始まり
「…」
「…」
エリオとイザベラは無言でひたすら歩き続けていた。
王都を出てから半日ほどで、町の雰囲気は随分変わった。綺羅びやかな装飾の貴族向けの店はもうあまりなく、代わりに素朴な雰囲気の平民向けの店が増える。あと少し進めば、店の数自体も減っていくだろう。
頭上を見上げれば、空は一面茜色に染まっていた。影絵のような山の縁を、沈んでいく斜陽が照らしている。いつの間にか、夕方になっていたようだ。
「今日はここまでにするぞ」
エリオは立ち止まり、自分の少し後ろを歩いていたイザベラに声をかけた。ここから先、宿はほぼ無い。初日だけでもベッドで休んでおきたかった。
(確認することもあるしな)
「はい」
イザベラはあの断罪のときと同じ、平坦な声で答えた。
町を少しの間うろうろしていると、宿らしき建物を見つけた。レンガ造りの三階建てで、表には小さな花を植えたプランターがいくつか置いてある。建物自体は新しくないが、きちんと手入れされている様子だ。
ドアを開けて二人が中に入ると「はい!」と受付の奥から声がして、それから数十秒後に店主であろう男がやって来た。
「一泊お願いしたいのだが」
「はい、分かりました。ええ~と、二人は恋人同士なのかな?部屋は一つでいいかい?」
「…いや、違う」
エリオは思わず否定していた。自分が想っている人はミアだけだ。よりにもよって、彼女を害そうとしたイザベラを恋人だと思われるのは不愉快だった。
「なら、部屋は別々で…?」
出来る事ならそうしたいが、今は金がない。節約するべきだろう。
「…いや、一緒だ。ベッドは二つあると有難い」
エリオの言っていることが矛盾だらけだと感じたのであろう、店主は不思議そうな顔をした。
部屋の鍵を受け取り、会計を済ませると二人は店主に案内され階段を上る。二階の端に位置するそこは、小さなベランダ付きの比較的広めな部屋だった。
部屋に入ると、今まで自ら口を開くことが一切なかったイザベラが初めて話しかけてきた。
「ごめんなさい」
鳥の羽音でかき消せてしまいそうな、か細い声だった。
「私のせいで、貴方に迷惑をかけてしまいました」
「…いや。私は王太子殿下に命令されたからこうして付き添っているだけだ。お前のためではないから、気にしなくて良い」
「…でも、私は、ミア様にも」
「彼女の名前を呼ぶな」
自分でも驚くほど冷たく低い声が出た。
「彼女を傷つけようとしたお前が、彼女のことを語るな」
「…っ…。…ごめんなさい」
イザベラは何かを言いかける素振りをしたが、躊躇ったように一度口を閉じてから静かに謝った。
「俺は今から明日の旅に向けて準備をしなければいけない。邪魔はしないでくれ」
「…はい」
エリオはイザベラに背を向けてベッドに座ると、王家からの支給品を確認した。僅かな金と地図。これが、渡されたものの全てだ。この少ない金では馬車を借りることもできないし、宿に泊まれるのも今日が最後になるかもしれない。
(いくら何でも、この扱いはおかしい)
そもそも、馬車を雇いさえすれば徒歩よりもずっと早く修道院に行けるのだ。それをしないのは、つまり…。
(処分に便利だからか)
王太子は、最初からイザベラとエリオを生かすつもりなどさらさらなかったのだろう。明日からは人目が無い山奥などを通る機会も増えるのだ。山の獣に襲われたなどと誤魔化せば、二人を殺すことなど造作もない。暗殺者を送り込んでくる可能性は十二分にある。
「…はあ」
深くため息をつき、エリオは立ち上がった。息抜きに店主が貸してくれるという風呂場へ向かう。これから先は、風呂もそう易々と入れるものではなくなるのだ。入れるうちに入っておいた方がいい。それに、暖かいお湯を浴びればこの疲弊した脳も少しは安らぐだろう。
「俺は風呂を借りる。寝ておいてくれ」
先に風呂に入っていたイザベラにそう声をかけると、エリオは部屋を出た。
ーーー
エリオが戻ると、もう部屋の明かりは消えていた。寝たのかと思い、イザベラのベッドを確認する。
(…!?いない…)
まさか逃げたのだろうかと焦り部屋を見渡すが、彼女はいない。
(ここからの逃げ道は…ドアと…ベランダ!)
エリオが窓を勢いよく開きベランダに足を踏み入れると、そこにはイザベラの姿があった。
「…!」
月明かりに照らされ、彼女の金髪が煌めいた。空色の双眸には深い諦めが滲んでいるように見えた。白い頬に沿って涙が一筋、見事な曲線を描く。
「何を、している」
エリオの視線は真っ直ぐに、彼女の細い首に当てられた短剣に注がれていた。驚きのあまり掠れた声が、静かな部屋に響いた。
前途多難。




