プロローグ
綺麗な人だ、と思った。
白い肌に、艶やかな黒髪が良く映える。伏せた長いまつ毛の下からは、不思議な煌めきの黒い瞳がのぞいていた。その瞳がエリオをとらえた瞬間に、体中の血が沸き立つような感覚に襲われた。動悸が激しい。くらくらする。こんな事は初めてだった。
「大丈夫ですか?何か、具合でもお悪いの?」
彼女の可憐な声を聴いて、それが自分に向けられたのだと分かったとき、エリオはもう死んでもいいかもしれないなどと馬鹿なことを考えた。
「いッ、いえ!その…貴女が、あまりにも綺麗だったから。見惚れてしまいました」
上ずった声のまま、普段ならば絶対に言わない賛辞を口にしていた。それくらいに、彼女は綺麗だった。
「まあ。…ふふ、照れるわね。ありがとう」
彼女の白く丸みのある頬に薄く赤みが差した。何故かエリオはその少しの変化に目が離せなかった。
「…ッあの!もしよろしければ、俺と一曲踊ってくださいませんか」
「ええ。喜んで」
差し出したエリオの手に、彼女の手が重ねられる。どきりと胸が跳ねた。
音楽団が美しい音色を奏で始め、彼女と二人、ホールで踊る。黒髪によく似合うアイボリーのドレスが、シャンデリアの灯りを受けて輝いていた。
(…いや。輝いているのは、彼女自身だろうか)
エリオが目の前の美しい人をじっと見つめていると、不意に目が合った。彼女がはにかむように笑う。重なった手が、指先から熱くなる。
(見過ぎた)
途端に気恥ずかしくなり、それ以降はろくに彼女を見れないままダンスが終わった。
「ありがとうございました」
「こちらこそ」
名残惜しい気もちを抑え込み、別れの挨拶をしようとエリオが口を開いたとき、自分と彼女の間に誰かが割って入って来た。
「ミア。俺と踊ろう」
「アルベルト様。…あの…」
彼女が気遣わし気にエリオを見ているのに気づくと、割り込んできた男…アルベルト王太子はようやく振り返った。
「ああ。すまないな」
「…いえ」
全く申し訳ないと思っていなさそうな王太子に礼をすると、エリオは二人からなるべく遠く離れた所まで歩いた。壁にそっと背を預け給仕係から貰ったワインのグラスを傾ける。
(ミア…と、いうのか)
離れていても、やはり目で追ってしまうのは先ほどの彼女だった。彼女は、アルベルト王太子と楽しそうに踊っている。二人はかなり仲が良いようだ。
胸の奥深くがずきっと痛んだ。上手く息が出来ていない気がする。
(俺は、どうなってしまったんだ)
そういえば彼女と会ってから自分は色々とおかしい。体調でも崩したのだろうか。
初めての経験に対処の仕方がまるで分からず、騒ぐ胸を抑えてエリオはただそっと息を吐いた。
ーーー
目の前には、あの舞踏会の日から変わらない美しい人が立っていた。彼女を守るように抱きしめているのはアルベルト王太子だ。
「イザベラ・ベネデッティ公爵令嬢!貴様は、聖女であり、俺の婚約者となったミアを殺害しようとした!よって、国外追放するッ!」
「…かしこまりました」
アルベルト王太子からの断罪に、エリオの横に立つイザベラ公爵令嬢は静かに答えた。
「そして、イザベラを隣国の修道院まで送り届けるのは、近衛騎士エリオの役目とする!」
「……はい」
近衛騎士から悪女の見張り役にとは、実質の左遷宣言だ。エリオは手のひらをぐっと握りしめ、なるべく平静を装い答えた。アルベルト王太子はしてやったりという風に笑った。
断罪の後、エリオは荷物の回収を終え王城の長い廊下を歩いていた。すると後ろから「エリオ!」と呼び止められる。間違える筈がない、愛しい人の声だった。
「ミア、様」
「エリオ!本当に行ってしまうの…?」
彼女にエリオと呼ばれるようになったのは、いつからだろうか。
エリオが近衛騎士に昇格しアルベルト王太子に仕えるようになってから、彼女と関わる機会は増えた。気づいたときにはもう引き返せない程に、彼女に惹かれていた。彼女がエリオに送る視線にも、熱がこもるようになっていた。
アルベルト王太子もそれに気づいていて、あの突然の左遷を実行したのかもしれない。
「…王太子殿下のご命令ですから」
彼女の美しい顔には、はっきりと不安が滲んでいた。黒曜石のような瞳が揺らいでいる。
「そんな…。貴方が居なくなるなんて、寂しいわ」
はらはらと涙を零し始めたミアに、胸が痛む。
(もう、ミア様と会うのはこれが最後だから)
そう自分に言い訳して、エリオは今まで決して触れることはしなかった彼女の頬に手を伸ばした。彼女は一瞬驚いたように体を震わせたが、その手を受け入れる。
「…愛しています」
彼女の涙を優しく拭いながら、エリオは静かに告げた。
「…!エリオ、」
「言わないで下さい」
ミアは言いかけていた何かをぐっと飲みこみ、紅い唇を閉じた。
「貴女は次期王太子妃です。それ以上は、言ってはいけません」
「そんな、ずるいわ」
「…すみません。こんなずるい男、お忘れになって下さい」
「…っ!忘れる訳ないじゃない、馬鹿」
彼女はエリオをぎゅっと抱きしめる。背中に染み込む彼女の指先の熱が、声に出せない想いを必死に伝えていた。エリオは彼女の細い腰に腕を回す。ほんの数秒間だけだった。まるで恋人同士のように、二人は抱き合っていた。
「さようなら」
ゆっくりと腕を解き、エリオは言った。ミアの瞳から涙が零れるが、もうそれを拭うことはできなかった。自分にそんな資格は無いと思った。
彼女に背を向け、ゆっくりと歩みを進める。決して振り返らずに。
(さようなら、ミア様。…愛していました)
その数日後、エリオは「悪女」イザベラと共に、王都から遠く離れた修道院へ向かう旅を始めた。
休日に更新をする予定です!気に入って下さったら、ぜひまた見に来てください!




