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追放された付与術士は、拾った奴らを食わせるためだけに無双する ~消えない付与を重ねてたら、誰も越えられない七層も越えていた~  作者: 自ら


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第59話「夜鳴り」

足場の縁の脇の線を、ニナに写させてから下りることにした。

ニナは灯りを膝の上に置いて帳面に線の形を炭で写していく。縁から指一本ぶん離れた位置、炭筆の先ほどの幅、始まりと終わりが縁の腹へ沈んでいるところまで、見たとおりに写す。写し終えると八層の図の「新」の印の頁を開いて、同じ字を一つ書き足す。

「行きに通ったときは、なかったんですよね」

「なかった。縁は行きにも一度なぞっている」

縁の脇の線は、白を出していなかった。俺の打った縁も、画ひとつ痩せていない。並んでいるだけでどちらもどちらの邪魔をしていない。

塔の線が、俺の足場の脇に一本ある。八層では幹の脇に一本あった。どちらも、古い線を消さずに脇へ足す形をしている。手入れをする者が、通りすがりに人の仕事を見て、ここは持つかと検めていったのなら、こういう跡が残るだろう。

「俺の仕事を、向こうが検めていったんだろう」

ボルグは何も言わなかった。足場の真ん中に石突きを浮かせて立ったまま縁の脇の線を一度だけ見て、それから下りの段へ向き直る。

七層の出口から下は早かった。六層の桟道を過ぎ、五層の柱の間を抜け、四層の回廊の風を背に受けて下る。鳴りは行きより間が詰まっていて、すれ違う隊はもうなかった。三層の水は、右の道でまだ膝の下まで張っている。二層の骨の坂を下りきったところで、ボルグが一度だけ左の脛を撫でる。

塔の口へ出ると、日が傾いていた。数え鐘は鳴らない。鐘楼の下で荷を待っていた荷運びの何人かが、ボルグの脚とニナの背の籠を見る。籠の目から、照り苔の光が薄く漏れている。

買取所の台に籠を下ろして、ニナが優先の札を出す。七層から戻ったときに組合から渡されて、まだ一度も使っていなかった札だ。

係の男は籠の中を覗き込み、苔を一つまみ取って掌に載せる。光は消えない。男はそれを台に置いて、しばらく黙っていた。それから奥の棚へ行き、背の擦り切れた古い帳面を一冊抱えて戻ってくる。表紙の綴じ紐が、二度ほど結び直してある。

「開塔の頃の買取帳です。八層の行が、ここに」

男が指で押さえた行には、擦れた字で、八層、苔、籠一つ、とあった。その横に値が書いてある。男はその値を、今の帳面の新しい行へそのまま引き写した。写す手が、一度も止まらない。止まらないことが、かえって手の固さに見えた。

「この帳面の値を今の帳面に写すのは、私の台では初めてです」

男はそう言って、新しい行の頭に、竈、と書いた。

台の向こうに並んでいた探索者たちが、籠の光と男の手元を代わる代わる見ている。八層、という言葉が、列の後ろへ順に渡っていく。誰も声を大きくはしない。ただ、自分の番を待つあいだに、何人かが自分の剣の照りを確かめ直している。

籠の値で、麦の袋を六つと、灯りの油を二瓶、塩を一袋買えた。油は、照り苔を灯りに使えるかを確かめてから減らしていけばいい。麦の袋六つなら、椀十杯を朝晩で二十四日。ひと月近くになる。

荷運びに麦を担がせて、日暮れの通りを工房へ戻った。

工房の前に、外套の男が立っていた。

頭巾をかぶったまま戸から半歩離れた敷居の外に立っている。三度目だ。前の二度と同じく、こちらが近づくまで動かない。俺が荷を下ろすのを待ってから、男は口を開いた。

「上がったと聞いた」

「上がった。八層の口から、回廊を一巡り」

「幹は」

前に男が置いていった問いの続きだ。男は外套の内から薄い帳面を出して筆を構える。書いてある順に読む男が、今日は書く側に回っている。

「書き直されてはいなかった。消し跡もない。ただ、脇に一本、足してあった。新しい線だ。幹の腹から出て、幹の腹へ戻っている」

男の筆が動いた。俺の言ったことを、言った順に、足さず削らず書いているらしい。

「それと、七層の芯の間に、俺が打った足場がある。その縁の脇にも、一本足してあった。行きにはなかった」

筆が、書く途中で止まった。

紙の上で筆の先が一つの字の半ばに置かれたまま動かない。頭巾の奥で男の息が一度だけ深くなる。男は筆を浮かせもせず、そのまま言った。

「……並んでいたか」

「並んでいた。向こうのほうが、ずっとうまい」

本当のことだ。塔の線は細く、迷いがなく、俺の縁の邪魔を一つもしていなかった。俺の打った縁のほうが、並べてみれば太くて不格好だ。

男は止まっていた字を書き終え、帳面を閉じた。閉じた帳面を外套の内へ戻す手が、前の二度より少し遅い。いつもなら去り際に問いを一つ置いていく男だ。今日は問いを置かなかった。

「また来る」

それだけ言って、男は敷居の外の半歩を後ろへ延ばすように下がり、通りの暗がりへ消えていった。来ると言って去ったのは、これが初めてだった。

夕餉の前に、オルガが麦の袋を飯場の壁際へ積み直す。袋を一つずつ叩いて重さを確かめ、積み終えてから、二十四日、と言う。俺が買取所の前で割った数と同じだ。オルガは数を言っただけで、袋の口を一つも開けずに鍋へ戻っていく。スヴェンが油の瓶を棚に上げ、トビが塩の袋を小屋の梁に吊る。レイフは札の束を卓に置いて、照り苔の籠を遠目に見ていた。

夕餉のあとで、ボルグが炉の火を灰に埋めた。

工房の灯りを消すと窓板の隙間から入る塔の口の明かりだけになる。ニナは小部屋の戸の内に、トビは炉の脇に、レイフは卓の隅に横になる。ボルグは炉端の寝台で、左の脚を伸ばしている。俺は作業台の脇に腰を下ろして、八層の図の写しを頭の中でなぞっていた。

夜更けに、塔が鳴った。

足の裏から来た。床板を通って尻の下から腹へ、腹から胸へ、低い重さが上がってくる。町じゅうが話で持ちきりになった前の鳴りより、ずっと強い。棚の椀が触れ合って小さく鳴り、炉に掛けた鍋の蓋が一度だけ跳ねた。表の通りで、犬が吠え始める。炉の脇でトビの寝息が止まり、隣の飯場の板壁の向こうで、誰かが麻袋の上で身を起こす音がする。

床の線が、照った。

工房を借りた最初の夜に、床板に入れた線だ。残り火の照り返しだろうと、あのときは思った。今夜の炉は灰に埋めてあって、火の色は一つも漏れていない。それでも床の線だけが、板の目に沿って細く白く浮かんでいる。梁は暗い。扉も、窓板も暗い。戸の框に足した新しい刻みも、作業台の脚に入れた線も、一つも照っていない。床の線だけが照っている。

卓の隅でレイフが体を起こす。灯りのない中で目だけが床へ落ちている。小部屋の戸が指の幅ほど開いて、ニナの顔が覗く。ボルグは寝台の上で目を開けたまま、動かない。

確かめる手立てを、頭の中で並べてみた。火ではない。灯りでもない。照っているのは俺の入れた線で、俺の入れた線は、ほかの場所では照っていない。床板の線にだけあって、梁や扉の線にないものが何なのか、見当がつかなかった。見当のつかないものは、分からない棚に上げておくしかない。棚には、外套の男の帳面の年と、幹の脇の一本が、もう載っている。

鳴りが、もう一度来た。

床の線が、塔の鳴りと同じ間合いで、照った。


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