第36話「【sideゲイル】助けられる側」
縄が、あばらの下で締まった。締まって、緩む。担ぎの背が段差を膝で殺すたび、締まりと緩みがひと組で来る。三度目で、揺れの癖を覚えた。覚えてどうする、と思ってからも、体は覚えることをやめなかった。二十年、列の揺れで隊の良し悪しを量ってきた体だ。量りだけが、壊れずに残っている。
この列は、指示が要らない。先頭の杖が二度鳴れば止まり、一度で進む。灯りは常に手元と足元へ割れて配られ、殿は振り返らずに後ろを塞ぐ。俺の隊は、俺が声を出さなければ止まりもしなかった。声で動く列と、声の要らない列。どちらが上等かの判定は、隊列の教練で最初に教わる。教わった通りの答えが、いま俺を担いでいる。
担いでいる男の名は、触れに載っていない。組合の板の前で、竈、という隊名と、筆頭の娘の名を読んだ。三人目は番号だけだった。番号の男に俺は担がれている。名を取り返しに上がって、名の要らない男に拾われた。この並びも、教練なら一行で済む教材になる。俺はその一行を、あばらで習っている。
剣は、根から三寸を残して折れた。名を取り返す、と触れまで打って上がった山で、最初に折れたのが名の彫ってある得物だったのは、出来の悪い説教のような順番だ。三寸あれば柄は握れる。握って何をするのかは、石の下の刃ごと、もう無い。
麦の板の味が、まだ口に残っていた。俺が買い、俺が捨てた板だ。速さと引き換えに置いていった荷を、この男たちは拾って、担いで、崩れの前で差し出した。落とし物だ、返す、とあの男は言った。捨てた物だ、とは言わなかった。言葉を選んだのではないと思う。あの男の中では、最初から拾い物なのだ。選ばれてもいない言葉に庇われて、俺は板を噛んだ。噛む以外に、できる返答の持ち合わせがなかった。
目利きは、届けの朝に消えていた。宿の卓に、荷と一緒に居なくなっていた。俺は追わなかった。止める言葉の持ち合わせが、あの朝の俺の側に無かったからだ。空いた椅子と護衛の紙三枚を睨んで、二人で上がる、と俺は通告した。カリンは頷きもせず、支度だけをした。頷かない支度というものがあると、俺はあの朝に知って、知らない顔をした。
列が止まる。休みだ。担ぎが窪みへ下ろされ、カリンが傷へ手をかざす。張った端から食われていく治癒を、文句のひとつも挟まずに張り足し続ける。この治癒師の粘りを、俺は隊の帳面の上でしか知らなかった。その向こうで、あの男が膝をつくのが見えた。
娘の靴を膝へ載せ、踵へ灯りを寄せさせ、鏨を当てる。爺の、今、という声で手が走り、娘が唇で数を数え、終わると次へ回す。杖。縄。帯。順に膝の上を通って、順に列へ戻っていく。手は速いというより、迷いの間がない。当てる前に終わりの形が決まっている手つきだ。
見たことがある、と思った。六層に通っていたころ、休憩のたびに卓の端で屈んでいた背中がある。爪を黒くして、俺たちの得物を膝に載せていた背中だ。荷物番に毛の生えた男が道具の手入れの真似事をしている、と俺は判定して、判定した日から一度も見直さなかった。毎日、目の前にあった。目の前にあるものを、二十年量ってきた俺の量りは、一度も皿に載せなかった。載せなかった皿の上で、いま俺が運ばれている。
「楽になりましたか」と、カリンが布を替えながら訊いた。
頷く代わりに息を吐いた。あばらに障らない返事は、それくらいしかない。カリンは新しい布を当て、当てながら、手当てと同じ声の高さで言った。
「六層で、装備を保たせていたのは、あの人の刻みです。私は、灯りで、ずっと見ていました。休みのたびに、全員のぶん、切れる前に足していたのを」
手は、止まらなかった。布の端が折り込まれ、結びがひとつ増える。
「宿で言いかけて、やめました。通りでも、卓でも、言いかけるたびに、やめるほうを選びました。……やめた分も、いまのに足してあります」
声は、手当ての説明と同じ平らな高さのままで、俺の顔ではなく傷を見て言われた。責める声なら、聞き流す稽古を二十年積んである。平らな声の稽古は、していなかった。
反論の語彙を、探した。隊の判断だった。装備の質が落ちていた。付与は数刻で切れるものだ。並べかけた語彙は、どれも在庫の場所が思い出せなかった。装備の質なら、俺が選んだ装備だ。付与が数刻で切れるものなら、切れる音を六層で一度も聞いていない説明がつかない。切れる音を覚えたのは、あの男を出してからの半年だ。音の帳尻は、俺の記憶の側で合ってしまっている。切れなかった張りを、俺はこの目で二年見ていた。見ていた側の証人が、いま俺の傷を塞ぎながら、証言を済ませた。遮ろうにも、遮る声があばらの下で折れている。三度遮った声だ。三度目までは、遮れた。遮れる立場というものが俺にあった。立場ごと担がれて、四度目は、最後まで言われた。
縄を握っていた手を、開いた。握っていても、この列では何も変わらない。目を閉じると、揺れの癖だけが残った。締まって、緩む。上等な列の揺れだ。俺の隊は、こうは揺れなかった。それだけのことを認めるのに、七層の深さと、折れた剣と、三本のあばらが要った。安い買い物ではない。高いか安いかを量る皿も、もう俺のものではない気がしたが、量りだけは、壊れずに動き続けていた。
休みが明けて、列がまた進み始める。あの男は殿へ戻る前に、担ぎ縄の結びを指で一周なぞって、それから位置についた。俺の重さを吊る字を検めたのだ。追い出した男の字で、俺は吊られている。吊られながら、この字が今夜も切れないことを、俺はもう疑っていない。疑いをやめた瞬間がどこだったか、量りは教えてくれなかった。
列が、また止まった。休みの止まり方ではない。灯りが全部、前へ寄っていく。カリンの手が俺の肩を押さえ、担ぎがゆっくり下ろされた。首だけ起こすと、通路の突き当たりが見えた。
壁が、字でできていた。床から天井まで、彫りの上に彫りが重なって、灯りを縞で返している。あの男が進み出て、娘と爺がその半歩後ろで止まった。誰も進めと言っていない。言われずに進む男の背中を、俺は担ぎの上から見ている。二十年、進めと言う側にいた俺が、いちばん後ろの、いちばん低い場所から見ている。
男が、壁に手を置いた。
「……これなら、読める」
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