モンダーヴィオ城 ローマ編 3部 血に飢えた霧、あるいは六度目の目覚め
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モンダーヴィオ城 ローマ編
3部 血に飢えた霧、あるいは六度目の目覚め
目を覚ますと、やはり俺は、あの古びた馬車の中にいた。
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すでに何回、この泥濘に車輪を取られる感覚を味わっただろうか。
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手元のスケッチ帳を開くと、そこには俺自身の筆跡で、すでに何層ものデッサンが重ねて描き込まれていた。
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そこには、ミイラ化したハインリヒ男爵の姿、天井に張り付いたまま種へと退行した植物族のクロエ、そして、それらのスケッチの隅に「これは失敗作だ」と自嘲気味に書かれた、俺自身の殴り書きがあった。
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「おじさん、またこの先の森の様子がおかしいよ。
木々の影が、太陽と反対の方向に伸びているんだ」
ルカが自身の指先から小さな青い結晶を灯そうとするが、その光は弱々しく明滅してすぐに消えてしまう。
「ウミャア……」
ルカの膝の上で、長旅にすっかり飽きた真っ白なシャム猫のウララが、抗議するように長く尾を揺らした。
ウララの鳴き声さえも、もはや完全に狂った時計のように正確な再現だった。
だが、記憶を保持しているのは、このスケッチ帳と、俺の脳内だけだ。
ルカも、御者のボリスも、この無限に続くループを「今が最初の一回目」だと信じ込んでいる。
「……ルカ、ウララ。
パレットの上の絵の具は、一度混ぜ合わせたら二度と元には戻らない。
だが、もし最初からキャンバスそのものが『多層構造』になっていたとしたら、どう思う?」
「え?
おじさん、さっきから何を言っているの?
なんだか、今日のおじさんはすごく怖い顔をしているよ」
「いや、なんでもないさ。
ただ、今回の『依頼主』は、俺たちに素晴らしいデッサンを求めている。
それも、血と嘘で塗られた、最高に醜悪な一枚をな」
馬車が不意に、激しい衝撃と共に急停車した。
「旦那!
ちょっと前を見てくれ!
こいつはただの霧じゃねえ!」
御者台の猪人、ボリスが鼻息を荒くして叫ぶ。
霧の奥から現れたのは、半ば崩壊した古い石造りの道標だった。
だが、今回はその道標の横に、昨日までは存在しなかった「不気味なもの」が佇んでいた。
それは、黒い喪服に身を包み、顔全体を喪章のベールで覆った、異様に背の高い女だった。
彼女の指先は鋭い針のようになっており、道標の石肌に、カチカチと音を立てて何かを刻みつけていた。
「……止まれ。
これより先は、戻れぬ迷宮。
描かれた糸は、すでに切れている」
女の声は、まるで墓石の下から響くように冷たかった。
彼女こそ、城の古びた調度品を修繕するために招かれたという、人形族の仕立て屋、マリアだった。
「マリア殿。
君はこんな街道の真ん中で、一体何を紡いでいる?」
俺が声をかけると、マリアはゆっくりと首を傾げた。
そのベールの奥から、ガラス玉のような無機質な義眼が、怪しく光を反射した。
「私は、破れた時間を縫い合わせているだけ。
けれど、私の針では、この『大きな歪み』は塞げない。
……探偵殿、あなたの指先から滴るインクは、誰の血で薄められているのかしら?」
マリアはそう囁くと、霧の中に溶けるように、音もなく姿を消した。
俺は【画家】を起動し、白黒の諧調で彼女がいた場所の「輪郭線」を観察した。
(……おかしい。
彼女の足元には、影が二つあった。
一つは彼女自身のもの。
そしてもう一つは、まるで『子供のような小さな影』が、彼女の影の裾を強く引っ張るようにして、地面にへばりついていた)
「おじさん、あの人の周りだけ、空気の温度が氷みたいに低いよ」
「ああ。
どうやら、あの仕立て屋は、ただの修繕屋ではなさそうだ。
彼女が紡いでいるのは、城のカーテンではなく、犠牲者たちの『末期の時間』そのものかもしれないな」
不気味な出迎えは、道標の時点から、すでに新たな「色」をパレットに加えていた。
2:不穏な晩餐、あるいは「重なる違和感」
ようやく辿り着いたモンダーヴィオ城の食堂には、領主であるドラキュラ公爵、執事アルベルト、警備隊長ガルム、薬術師セシリア、植物族のクロエ、そして吸血鬼の評議員ハインリヒ男爵が、いつものように並んでいた。
だが、今回は俺の行動を変える。
「ダ・ヴィンチ殿とやら。
君の噂はかねがね聞いているが、この城で起きている超常現象は……」
「ハインリヒ男爵。
その台詞は、もう耳にタコができるほど聞いた。
それより、あなたのその『左手』、少し拝見してもよろしいかな?」
俺はハインリヒの言葉を遮り、彼の前に置かれた銀のフォークを指差した。
ハインリヒは不快そうに眉をひそめ、フォークを置いた。
「何の話だ、無礼な。
私の左手がどうかしたかね?」
「【画家】、展開」
俺の視界は、瞬時に白黒の静寂に包まれた。
ハインリヒの左手の皮膚、その細胞レベルの「明暗」を解析する。
彼の指先は、確かに生きた吸血鬼のそれだった。
しかし、その爪の裏側に、ほんのわずかに『乾いた緑色の花粉』が固着していた。
これは、温室のクロエが育てる、特殊な魔界薔薇の雄蕊からしか採取できない極毒性の花粉だ。
「ハインリヒ男爵。
あなたは先ほど、温室には一歩も近づいていないとおっしゃった。
だが、その爪に付着している魔界薔薇の花粉は、触れてから一時間以内にしか放たない特殊な発光波形(魔力)を残している。
……あなたは、先ほど温室で、クロエと二人きりで何をしていた?」
「なっ……!
私は、ただ温室の薔薇の様子を眺めていただけだ!」
ハインリヒが声を荒らげる。
その横で、植物族のクロエが、顔を青ざめさせて激しく身震いした。
「ち、違うんです……。
男爵様は、私の薔薇を……『種』に戻すための薬を、私に渡そうと……」
「クロエ!
余計なことを言うな!」
ハインリヒが立ち上がろうとしたその瞬間、食堂の重厚な扉が開き、もう一人の客が姿を現した。
それは、城の古文書室を管理する、知識族の司書、バルトロだった。
バルトロは小さな身体に不釣り合いな巨大な魔導書を抱え、床を引きずるようにして歩み寄ってきた。
「……閣下。
古文書室の最下層に保管されていた『時を刻む粘土板』が、何者かによって持ち去られました。
その粘土板には、この城が建てられる以前にこの地に存在した、太古の『時間制御魔法』の術式が刻まれていたはずです」
バルトロの言葉に、執事のアルベルトの眉が、ピクリと不自然に跳ね上がった。
「バルトロ。
それは、誰が持ち去ったというのだ?」
公爵が静かに、しかし威圧感に満ちた声で尋ねる。
「わかりません。
しかし、室内に残されていたのは、生臭い『獣の毛』と……そして、エルフの薬草の香りでした」
バルトロの視線が、警備隊長のガルムと、薬術師のセシリアへと注がれる。
「おい、ちびインプ!
俺を疑う気か!
俺は古文書室の近くなど、一度も通っていない!」
ガルムが牙を剥いて威嚇する。
「私も、薬草の採取で忙しく、最下層の保管庫などには立ち入っておりませんわ」
セシリアはいつものように冷静に答えるが、その手元に携えた薬草の革袋から、かすかに『粘土の粉末』がこぼれ落ちているのを、俺の眼は見逃さなかった。
(……セシリアの粘土粉、ガルムの毛、ハインリヒの薔薇の花粉、そして、マリアの不自然な影。
全員が、少しずつ嘘を重ねている。
犯人は一人ではない。
複数の思惑が、この城の『時間の崩壊』を、それぞれの目的のために利用し合っているのだ)
俺の脳内のキャンバスに、極めて複雑な陰影が、ゆっくりと描き込まれていく。
3:第三の怪異・深夜の「凍りついた喉」
深夜、城の回廊を、不気味な「鐘の音」が揺らした。
だが、その音は時計塔から響いているのではない。
それは、誰かの『喉』の奥から響く、不気味な金属音だった。
「……おじさん、あっちの客室から、変な鐘の音が聞こえるよ」
ルカが俺の袖を引っ張る。
「ウニャオ」
ウララが、今度は警戒というよりも、何か「哀れなもの」を見るような目で、廊下の奥を見つめていた。
俺たちが辿り着いたのは、先ほど古文書の盗難を報告した、司書バルトロの部屋だった。
部屋の扉は内側から固く閉ざされていたが、【画家】の視界で透かすと、扉の隙間から「極薄の魔力糸」が何本も廊下へ向かって伸びているのが見えた。
「ボリス、扉を壊せ」
「がってんだ!」
ボリスの体当たりで扉が吹き飛ぶ。
部屋の中に踏み込むと、そこには、自身の机の上で、目を見開いたまま完全に硬直したバルトロの姿があった。
バルトロの皮膚は、まるで冷たい「氷の結晶」に覆われたようになっており、その開いた口の奥から、カチ、コチ、と、あの時計の秒針の音が、かすかに響いていた。
「バルトロ!
息をしていないわ!」
セシリアが駆け寄り、彼の首筋に手を当てる。
「駄目よ、彼の全身の体液が、完全に『時間の凍結』によって凝固している。
これでは、どんな良薬も効かない……」
「……いや、これはただの凍結ではないな」
俺はバルトロの口の奥を覗き込んだ。
【画家】の白黒の世界の中で、彼の喉の奥に、不自然な「円形の光」が残留していた。
それは、彼が死の直前に、何か『丸いもの』を無理やり飲み込まされたことを示していた。
「ルカ、その結晶の光を、彼の喉の奥へ滑り込ませてみろ。
何が詰まっているのか、影を壁に投影するんだ」
「うん、やってみる!」
ルカが指先を細く尖らせ、冷たい結晶の光をバルトロの口元へと近づけた。
すると、対面の壁に、不気味なシルエットが浮かび上がった。
それは、無数の歯車が組み合わさった、小さな『懐中時計の機構』そのものだった。
「……喉の奥に、本物の時計が埋め込まれている?
人間や亜人の身体に、そんな機械を魔術的に埋め込むなど、通常の魔法では不可能だ」
ハインリヒ男爵が、背後から冷ややかに呟いた。
「探偵殿、これはやはり、君たち人間が持ち込んだ『未知の呪術』ではないのか?」
「いや、違うな。
これほどの精密な金属加工、そして魔力と機械の融合技術。
この世界でこれを行える者は、極めて限られている。
……それこそ、古い道具の修繕を得意とする、あの『仕立て屋マリア』のような者でなければな」
俺がそう言った瞬間、部屋の隅の暗闇から、カサリ、と絹の擦れる音が響いた。
喪服のマリアが、いつの間にか部屋の壁際に佇んでいた。
「……私は、壊れたものを直すだけ。
バルトロ様は、あまりに多くの『古い知識』をその喉に詰め込みすぎて、歴史の歯車に噛み合わなくなってしまったの。
だから、私が少しだけ、彼の時間の進みを『調整』して差し上げたのよ」
マリアの指先から、極細の「ミスリルの糸」が伸び、バルトロの死体に繋がっていた。
「マリア!
貴様、司書を暗殺した容疑で拘束する!」
ガルム隊長が、爪を鋭く研ぎ澄まして跳躍した。
だが、マリアはその鋭い爪の一撃を、自身の喪服のベールを翻すだけで、煙のように受け流した。
「人狼の戦士よ、私を切り裂いても、あなたの『呪われた血』は浄化されないわ。
……それより、ご自身の足元をよくご覧になったら?」
ガルムがハッとして床を見下ろした。
彼の足元から伸びる影が、じわじわと『黒い犬の輪郭』を失い、ドロドロとした「黒い液体」となって、バルトロの死体の下へと流れ込んでいく。
「な、なんだ!
俺の影が……!」
「この城の時間は、一人の犯人によって狂わされているのではない。
この城そのものが、犠牲者の『存在(陰影)』を喰らいながら、自らを維持している巨大な祭壇なのだ」
マリアはそう囁くと、バルトロの死体と共に、床下へと吸い込まれるようにして消え去った。
「おじさん!
また足元が揺れている!
この感覚、前と同じだ!」
「ウニャーッ!」
床がひび割れ、そこから大量の「逆流する水」が噴き出してきた。
時間が、再び濁流となって俺たちを呑み込もうとしている。
「アルベルト、公爵、そしてセシリア、ガルム……お前たちが何を隠そうとも、この『パレットの色の混ざり具合』は、俺のスケッチ帳にすべて記録されているぞ!」
俺は迫り来る漆黒の闇の中、ルカとウララを強く抱き寄せ、次の『ループ』への跳躍に身を委ねた。
世界が再び、真っ白なカンバスへと還っていく。
次は七度目の朝。
俺は必ず、あの仕立て屋が縫い合わせた『時間の継ぎ目』を、この【画家】のナイフで切り裂いてみせる。
みなさま、どんな風に感じてもらったのでしょうか?
少しでも面白いかもと思って頂けましたら幸いです。
励みになりますので、☆☆☆☆☆をチェックしてもらえると嬉しく存じます。
これからもお付き合いのほどよろしくお願いいたします。
パラレルワールドで魔法と多種族の住む異世界でスキル無しで探偵します。
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モンダーヴィオ城 ローマ編
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