【紅き孤高の狼、レッドウルフ(Red Wolf)編】 第四部:『逆転のパースペクティブ(1時間前〜決行21時)』
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第四部:『逆転のパースペクティブ(1時間前〜決行21時)』
決行当日の夜――。 帝都ローマを包む初夏の空は深い群青色から漆黒へと移ろい、頭上には澄み渡った満月が冴え冴えとした青白い光を放ち始めていた。 ピンチョの丘に佇むボルゲーゼ美術館の外周は、武装した憲兵隊とローマ市警の重警備によって完全に包囲され、外部からの近づく者を一何者たりとも寄せ付けない重苦しい警戒感に包まれている。
六十四時間という気の遠くなるようなカウントダウンも、いよいよ「残り一時間」――夜の二十時を迎えていた。
二階の特別展示室『サファイアの間』。 部屋の四方に存在するアーチ状の窓や扉には分厚い鉄製シャッターが完全に降ろされ、鍵が掛けられている。
外部の光を完全に遮断したその密室の内部には、百名を超える警察官と機動隊が隙間なくひしめき合い、全員が手に汗を握りながら中央の展示台を見つめていた。
展示台を覆う厚さ十センチの防弾特殊ガラス。 その内部に鎮座する『真夜中のサファイア』――四十年前、ジャンニ老人の手によって作られた精巧な偽物のガラス玉に向けて、警察が持ち込んだ大型投光器が昼間のような眩しい光束線を集中照射している。
「全隊員、武器を構えろ! 残り一時間だ!」
ローマ市警の警部が、緊張のあまり血走った目で叫んだ。
「シャッターの施錠に異常なし! 通気管の網にも破られた形跡はありません! この部屋は完全に孤立した鉄壁の要塞です!」
部下の報告に、警部は汗を拭いながら満足げに頷いた。
「よし! この状況でガラスケースの中のサファイアに触れることなど、影すら不可能だ! 怪盗レッドウルフの不敗神話も、今夜ここで終わりを迎えるのだ!」
警察官たちの気負った歓声が、密閉された室内に重々しく響き渡る。
「ふにゃあ……」
だが、俺のコートの胸元で、純白のシャム猫『ウララちゃん』がその騒々しさを不快がるように耳をピクピクと動かし、サファイアブルーの瞳を微かに細めて見上げた。
「よしよし、ウララ。極限の緊張が、キャンバスの余白を完璧に埋め尽くしたな」
俺は白黒のモノクロームに固定された万能スキル【画家】の静謐な視界の中で、ウララちゃんの柔らかい首元をそっと指先で撫で回した。 ウララちゃんは満足そうに「ごろごろ……」と低い音を奏で、俺の手元へ頭をすり寄せてくる。
「先生、すごいです……!」
澄んだ結晶の身体を青白く発光させながら、声を潜めて隣に立ち寄ってきたのは、俺の直属の探偵助手である結晶族の少年ルカだ。 彼の体内の共鳴能力は、この密閉された部屋の中に満ちていく「異様な光の圧力」を誰よりも繊細に感じ取っていた。
「部屋の中の投光器の光、そして防犯用ミラーから跳ね返る反射光が……警察官たちの位置や武器の金属面によってさらに複雑に乱反射し、完全に『サファイアの展示ケース中央』へと一本の収束ラインを作っています……!」
「そうだな、ルカ。警察諸君が自らの手で築いた『鉄壁の防衛陣』こそが、レッドウルフの描いた幾何学的パースペクティブ(屈折装置)の最後のパーツなのだ」
俺が炭筆を指先で弄びながら不敵に笑うと、見習いから正規へと昇格した探偵助手、フランチェスカが見えない長剣の柄を強く握り締め、焦りの色を隠せずに尋ねてきた。
「でもレオナルド! 残り一時間よ! 部屋は完全に施錠されているのよ? レッドウルフがいくら光の道を作ったからって、外にある『本物のサファイア』を、どうやってこの施錠されたケースの中へ入れ込むというの!?」
「みゃあ!」
彼女の腕に抱かれたグレーのペルシャ猫『キララちゃん』も、高貴に首筋を伸びやかに立て、不可解そうに鳴いた。
「フランチェスカ、光というものは単なる照明ではない。特定の波長と屈折率を与えられた光は、物体を透過し、あるいは空間そのものを『ネガポジ反転』させる性質を持つ。そして……六十四時間前、レッドウルフがこのガラスケースの表面に貼り付けたあの『赤いインク』の正体こそが、この瞬間のための媒体なのだよ」
「赤いインクの正体……!?」
フランチェスカとルカが息を呑んだ。
俺が説明を続けようとしたその時――館内の大時計が、重々しく決行三十分前(二十時三十分)の鐘を鳴らした。
ゴーン……ゴーン……。
その鐘の音が響き渡ると同時に、密閉された展示室の天井の通気口の隙間から、まるで夜風に誘われたかのように……どこか甘く涼やかな「赤い薔薇の香り」が微かに漂い始めた。
「ん……? なんだこの匂いは……? 薔薇の匂い……?」
警部が鼻をひくつかせ、周囲を見回した。
「いけません! 息を吸わないでください!」 ルカが透き通る手を掲げて叫んだ。
「これは毒ではありません! ですが……部屋の中の空気の『屈折率』を急激に変質させる、超高濃度の感光性植物粉末です!」
ルカの警告と同時に、密室の中に充満していた投光器の眩しい白光が、空気中の粉末と反応して――
ジュワァァァッ! と怪しげな「琥珀色の光」へと変色し始めた!
「な、何だ!? 光の色が変わっていくぞ! 投光器の故障か!?」
「警部! ミラーの反射光が目眩を起こすほど強く眩んでいきます!」
警察官たちがパニックに陥り、ざわめきが広がっていく。
「落ち着け! 動くな! 陣形を崩すな!」
警部が必死に叫ぶが、一度狂い始めた光の不協和音は止まらない。
部屋の中に満ちた琥珀色の光は、警察官たちの着ている黒い制服や金属の甲冑に反射し、幾重もの光の波となって中央の展示ケースへ向かって収束していく。
「見ろ……! トリックの歯車が噛み合い始めたぞ」
俺は【画家】のモノクローム視界を極限まで研ぎ澄ませ、展示ケースの周囲に渦巻く『光と影の干渉波』を走査した。
六十四時間前、レッドウルフがケースのガラス表面に残した赤いインク。 それはただの予告状のインクではなく、特定の光と薔薇の粉末に反応して、ガラス分子の屈折率を一時的に『液体と同等の透過状態』へと変化させる特殊な感光試薬(触媒)だったのだ!
「ガラス分子の透過状態……!?」
フランチェスカが驚愕して叫んだ。
「そうだ。厚さ十センチの防弾ガラスも、この光の干渉波と触媒の前では……まるで『透明な水面』と同じ状態に変質する。そして、外部のアーチ窓の屈折レンズから放たれる収束光と連動させることで、ケース内部の空間と、外部の空間を……光学的に『位置交換(すり替え)』させるのだよ!」
「そんな……! 物理的に鍵を破るのではなく、光の波長で空間の透過率を変えて……中身だけを入れ替えるだなんて……! まさに奇跡の光学マジックじゃない!!」
ルカが自身の結晶体を激しくピキピキと共鳴させながら、感嘆と恐怖の声を上げた。
決行十分前――二十時五十分。
部屋の中の緊張は、もはや呼吸すら困難なほどの極限状態に達していた。 車椅子の老宝石商ジャンニ老人は、溢れる涙を流しながら、自分が四十年前につくった偽物のサファイアを見つめている。
「おお……神よ……。私の犯した罪が……四十年の時を経て、今まさに正されようとしているのですね……」
そして、運命の二十時五十九分。
館内の大時計が、最後の一分のカウントダウンを刻み始めた。
カチ……カチ……カチ……。
「警部! 残り一分です! 手を緩めるな!」
警察官たちが銃を強く握り締め、全員が息を止めて中央のガラスケースを注視する。
二十時五十九分五十五秒……五十六秒……五十七秒……。
「来るぞ……! 光と影のパースペクティブの頂点だ!」
俺が叫ぶと同時に、壁の古時計が、決行時刻である『二十一時(九時)』の第一報の音を鳴らし響かせた!
ゴーーーン……!!
その瞬間――!
コロッセオの事件でも目撃したような、常識を超えた「光学バグ」が展示室全体を襲った!
天井のシャットアウトされたはずのわずかな隙間から、満月の青白い月光が、警察の設置した大型ミラーと投光器の光線と完璧な角度で交差!
ドドォォォォンッ!!
部屋全体が、まるで爆発したかのような『眩痛を伴う純白の閃光』によって覆い尽くされた!
「ギャアアアアッ!? 目が、目が前が見えん!!」
「眩しい! 光が……部屋全体が真っ白だあぁぁっ!!」
百名を超える警察官たちが一斉に目を押さえ、悲鳴を上げてその場にしゃがみ込んだ。 過剰な光の増幅によって、人間の視覚が一時的に完全に破壊(ネガポジ反転)されたのだ!
だが、万能スキル【画家】を持つ俺の白黒の視界と、ウララちゃん、キララちゃんの輝く瞳だけは、その純白の閃光の中で起きている『真実の瞬間』を克明に捉えていた。
閃光の中心――展示ケースの表面。 厚さ十センチの防弾ガラスが、琥珀色の光と触媒によってまるで波立つ『青い水面』のように透明にゆらぎ始めた。
そして……外部の満月の光のラインに乗って、どこからともなく一筋の「深い紺色の光の矢」が水面を滑らかに透過し、ケース内部へと進入!
同時に、ケース内部に鎮座していたジャンニ老人の作った『偽物のガラスサファイア』が、光の反作用によってケースの外へと押し出され、風の中に溶けるようにして消え去った!
ケース内部の台座へ、吸い込まれるように収まった一粒の宝石。
それは……本物だけが放つことの許される、銀河の深淵をそのまま切り取ったかのような、神々しくも圧倒的な『真夜中の青い光輝』であった!
「ふにゃああああん!」 ウララちゃんが高らかに歓喜の声を上げて鳴いた!
「みゃあああおん!」 キララちゃんも気高く応え、お腹の白い毛並みを光の中で誇らしげに揺らした!
光の飽和が収まり、徐々に部屋の中に視界が戻ってきたのは、決行時刻から数十秒が経過した後のことだった。
「う、うぐぐ……。目が……目が眩んだ……。一体何が起きたんだ!?」
警部が涙を流しながら目を擦り、慌てて中央の展示ケースへ駆け寄った。
「警察諸君! ケースだ! サファイアはどうなった! 盗まれたのか!?」
警察官たちが銃を構え、恐る恐るガラスケースの内部を覗き込んだ。
ガラスケースは傷一つなく、密閉された鍵も、周囲の赤外線レーザーも一切破られていなかった。 そして……その台座の上には、依然として一粒の『サファイア』が鎮座していた。
「な……なんだ……。サファイアはあるじゃないか!」
警部が胸を撫で下ろし、大声で笑い出した。
「ハハハハ! 見ろ! サファイアは無事だ! レッドウルフの予告など、ただの大風呂敷だったのだ! 我々の鉄壁の警備が勝ったのだあぁぁっ!!」
警察官たちから、一斉に安堵と勝利の歓声が上がった。
だが――。
「違います……! 警部さん、違います!!」
車椅子のジャンニ老人が、震える声で叫びながら展示ケースへと指をさした。
「ケースの中にあるのは……私が作った偽物ではありません! あれは……あれこそが、四十年前、この館から奪われた……本物の『真夜中のサファイア』です!!」
「な……何だと……!?」
警部の笑い声が凍りついた。
俺は静かに歩み寄り、展示ケースの中に鎮座する本物のサファイアの横に……光の波長に乗って一緒にケース内部へ送られていた「一編の羊皮紙」を炭筆で指し示した。
そこには、流麗な漆黒の文字で、こう記されていた。
【ボルゲーゼ美術館、ならびに帝都の民へ】
四十年の時を経て、偽りの光彩は去り、正しき真夜中の輝きがこの館へ還った。
盗まれたのは私の手ではない。 私がしたのは、奪われていた真実を、正しき場所へ戻しただけだ。
月夜に誓う。美しき芸術は、永遠に人々の光であり続けると。
―― 紅き孤高の狼、レッドウルフ(Red Wolf)
「本物のサファイア……!? そして……レッドウルフからの感謝状状だとぉぉぉっ!?」
警部が悲鳴を上げ、その場に膝から崩れ落ちた。
怪盗レッドウルフは、警察が六十四時間かけて築き上げた『鉄壁の警備』そのものをレンズとして利用し、指一本触れることなく、密閉されたガラスケースの中へ**『本物のサファイアを返還(すり替え)』してみせた**のだ!
「キャアアアアッ! 見て、屋上よ! 屋上に誰かいるわ!」
展示室の窓(シャッターの隙間)から外を見上げたフランチェスカが、驚愕の悲鳴を上げた。
満月の青白い光が照らし出す、ボルゲーゼ美術館の最高峰の屋上テラス。
そこには、夜風に血のように赤いマントを棚引かせ、銀の狼の仮面を被った一人の男――怪盗レッドウルフが、静かに佇んでいた。
「レッドウルフ……! 本物を戻して……逃げる気ね!?」
フランチェスカが見えない長剣を引き抜き、屋上を見上げた。
「ハハハ! 追え! 屋上へ急げぇぇっ! 奴を逮捕するんだ!」
警察官たちが狂ったように階段へと雪崩れ込んでいく。
「行くぞ、フランチェスカ、ルカ。赤き孤高の狼の描いた美しきキャンバスの……本当の大団円を見届けにな!」
俺は胸元のウララちゃんを優しく抱き直し、不敵な笑みを浮かべると、月光の降り注ぐ屋上テラスへと向かって駆け上がっていくのだった。
みなさま、どんな風に感じてもらったのでしょうか?
少しでも面白いかもと思って頂けましたら幸いです。
励みになりますので、☆をチェックしてもらえると嬉しく存じます。
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これからもお付き合いのほどよろしくお願いいたします。
パラレルワールドで魔法と多種族の住む異世界でスキル無しで探偵します。
ローマ編も追加しています。17時投稿です!
よろしくお願いします。




