第59話 味方と役割
叫んだ声が、吸い込まれるように消えていった。
その音で、完全に狙いを定めた大蛇が突進してくる。
喉が貫通しても、腕を失っても、それでも尚、襲い続ける。
もう、そこまで行くと生命の意地なのか、これまでの傷が些細なものだったのかはわからない。
だが、どちらにせよ大蛇は抗ってくる。
どこかの誰かとは違って、諦めるような気配は見せない。
力の有る無しなど関係なく、俺たちを殺すという目的だけがそこからは見えた。
「おい、お前! そこの剣取ってくれ!」
その言葉が、俺に向けられているものだと、最初は分からなかった……。
「早くしろ! 死にたいのかよ!! 叫ぶだけ叫んでおいてっ!!」
そして、再び呼ばれた時、ようやくその言葉が俺に向けられていたことに気づく。
事態は一刻をも争い、状況は依然として絶望的。
それは、男がついに敵であったはずの俺にまで手を借り始めたことからも明らかだった。
ーー他の誰でもなく、俺が呼ばれている。
俺が、動かないといけないのか。
俺が動く時点で、これからの状況もまた希望なんてない。
なにせ、自らが動いて大きく戦況が変わったことが一度でもあっただろうか?
だが、目の前に移り、少しずつ大きく見えている大蛇ーーその姿を見て、わずかに残っていた生の執着が、体を動かした。
近く落ちている多くの人骨ーーその側に落ちているものから、中には握られたものまである剣の1つを拾い上げ、男へ向かって投げた。
投げた後に、刃物を投げてもキャッチできないのでは? と、思い至ったが、そこは流石プロの冒険者。
しっかりと空中で柄の部分を掴み、錆び切った剣を魔法で浮かせる。
そのまま、細い剣先亞大きく開かれた大蛇の舌に突き刺さったが、それで終わりだ。
大蛇の勢いが落ちることはなく、寸前まで迫ってきている。
やっぱり、無駄だ。
今更何をしようとも。
全て、レイナの思惑通りに……
「おりゃあぁぁぁぁ!!!」
思考の中に、もう明るい考えなんて浮かばない。
とっくに希望は薄れ、残った絶望を受け入れていくだけの作業。
その暗い考えが、男の叫びで瓦解していった。
錆び切って、何の役にも立てないような古びた剣。
その言葉の通り、刺さっても大したダメージにはならなかった。
だが、その刺さった剣を利用し、大蛇の突進する方向をわずかに逸らした。
仕組みはわからない。
磁石のような魔法でもあったのか、それとも透明なワイヤーのようなものをつなげていたのか、そのどちらにせよ、正面に向かっていた大蛇の口が、左にズレた。
そして、俺たちのすぐ横を突進し、通り過ぎる。
すぐ隣に電車が通ったかのように、洞窟内に風が巻き起こり、砂や小石を巻き上げていく。
そして、空間が揺らぐほどの振動の後、轟音が響き渡った。
その方向を向くと、壁に穴が開いていた。
そこにスッポリと納まるように、大蛇の頭部が埋まっている。
これなら、さすがに頭部がつぶれただろう……
ーーそうやって、安堵の息を吐いた瞬間、視界の端で、動くものがあった。
反射的にそっちに目を向けると、まだ、大蛇の体が動いていた。
致命傷のはずなのに、普通なら生きていないはずなのにーー
その化け物には、まだ息があった。
細長い体をくねらせ、片方しかない腕で頭部を穴から抜こうとする。
どうして……
おかしい。
こんなの、生物の範疇を超えている。
昆虫だとでも言うのか?
生きる屍とでも言うのか?
これが……こんなのが、異世界なのか?
こんな事がまかり通ってしまうぐらい、この世界は馬鹿げた場所なのか?
「ふ、ははっ……」
面白くない。
そんな所ひとつたりともない。
けど、笑いが込み上げてきた。
馬鹿げてる。
これだから、異世界なんてーー
「少年! ゲイルを起こせ! やらないと殺す!」
ーーえ?
「聞こえなかったか!? 証明しろ!! 敵なのか、味方なのか!!」
そう言いながら、大蛇へ剣を振り下ろしている女の姿があった。
……何言ってんだ?
ゲイルならいるじゃないか。
だって、ここにーー
そう思いながら、大蛇の方向から彼がいた方向へ向き直る。
さっき、大蛇を動かしたときから、俺の正面にいるはずだ。
「急げ!!」
ひたすらに、急かしてくる声が聞こえてくる。
確かに、今は一大事だ。
1秒ですら無駄にできない。
今の大蛇は、生きているとはいえ、ほとんど動けない状況だ。
確かに、急ぐことに損はない。
だが、何か、それ以上に重大なことがあるように思えるぐらい、焦っていた。
いつもどこか余裕で、ここまで激しく感情の起伏を起こしてこなかったこの女がここまで急かし、怒鳴ってくる……というのはーー
そんな疑念を、頭の向きを変える一瞬のうちにしていた。
目の前に彼はいる……はずだった。
それは、いつの間にかただの予測になってしまっていた。
正確には、目の前に彼がいたーーだった。
数秒前のことだからと、何も変わりないと思い込んでいるだけだったのだ。
目の前に、彼はいなかった。
そして、この謎を解くのに、時間はいらなかった。
なぜなら、大蛇とは反対の方向ーーその地面に、力なく彼が倒れていたからだ。
きっと、大蛇の方向を無理やり変えた反作用で、反対側に吹き飛ばされていたのだ。
その音が大蛇の衝突の音にかき消され、俺の視線もそっちへ移り……
結局、彼を最後まで見ていたのは、彼女だけだった。
俺は、見ていなかったことをただの推測で補っているだけだった。
この世界じゃ、推測なんてものはあてにならないのに……
これで、証明された。
彼は、自らの身を犠牲にしてまでも守ったのだ。
大蛇を倒す彼女と、そして、巻き込まれただけの俺を。
賭けたのだ。
仲間が、役割を全うしてくれることに。
だから彼も、彼の役割をしっかりとこなした。
「ーー」
女が、さらに口を開く。
そろそろ、怒りが限界に達したのだろうか。
だが、その言葉が発せられる前に、俺は彼の元に走り出していた。
考える前に、体が動いていた。
そのまま、彼の元に駆け寄り、うつぶせに倒れた彼を起こす。
体に触れただけで、手が赤く染まったが、そんなこと今は関係ない。
上半身を持ち上げると、腕をだらしなく垂らし、首はガクッと下を向いた。
仲間でも味方でもないのに、その姿を見て涙が浮かんできた。
視界がかすんできて、視界が悪くなっていく。
だが、彼を支えるこの手を放してまで拭うなど、考えられなかった。
「ぐっ……うぅ、しく、じった……。 かべに、寄りかからせて、くれ……」
苦しそうな彼の言葉が、耳に入ったり
意識はある。
まだ、死んでいない。
それがわかっただけでも、ざわめいていた心が少し落ち着いた。
だが、安心はできない。
本当は担いだりして彼を運びたかったが、俺より大きい体格の男だとさすがに無理があった。
なので、男の両脇に手を入れ、足を地面に引きずらせながら壁まで運んでいく。
引きずったところには、血痕が残った。
そして、壁の傍まで辿り着くと、それまで力が無かった彼が、自らの腕を地面に立て、どうにか起き上がろうとしていた。
「まだ、動いちゃ……」
「うる、せぇ。あれは、ユカ1人で、勝てるような相手じゃーー」
声は小さく、弱弱しい。だが、それでも戦うという強い意志が感じられた。
彼は、諦めていない。
傷ついても、瀕死になっても、それでも守ろうとしている。
自力で壁に寄りかかろうとしている彼に手を貸し、そして座らせる。
「治癒……でもきつい、な。これはーー。時間稼いでくれてるうちに、やらねぇとーー」
そうやって、まだ戦おうと、自分の役割を探そうとしている彼に掛けらる言葉は見つからなかった。
「お前は、離れてろ。死ぬぞ」
最初会った時からは考えられないその言葉に、思わず固まってしまう。
だが、その言葉もまた幻聴ではなく、彼の意思によるものだ。
ーーそうだ。
彼らは決して、悪人なんかじゃなかった。
ただ、分かり合えないことが会っただけで、彼らも必死だったのだ。
……悪人は、最初から、レイナだけだった。
彼女だけが、自分のために生き、そして殺した。
彼女を、殺さないと、またーー繰り返される。
事実、俺は捨てられ、大蛇も誘導された。
俺がこうなったのも、彼らがこうなったのも、全てレイナのせいだ。
きっと、ここで逃げられたら、同じことになるに決まってる。
彼らは、やることをやった。そして、やっている。
なら、俺がやることはーー
その結論は、言葉にしなかった。
もう、わかっていたからだ。
味方が誰なのか。
悪人は誰だったのか。
すぐそばに落ちていた腕しかない人間のミイラ。
それに、気持ち悪さも覚えずに、硬直しきった腕の中に握られた短剣を無理やり抜き取る。
そして、大蛇がいる方向とはまた違った方向へ走る。
先程この広い空間の奥に見えたーー上へと登れる急な坂へと。
その先に、レイナはいる。
殺すべき相手は、そこにいる。
ーー殺してやる




