第60話 役割と憎悪
燃えたぎる感情が、体を動かしていた。
考えていると、まるで電流が流れるように体が痺れ、怒りが込み上げてくる。
それが、感情の渦を作り、より強いものへと昇華していく。
殺す
絶対に殺す
ーー殺してやる
今、頭の中にあるのはそれだけだ。
レイナは、殺さないといけない。
あいつは、生きてはいけない。
あいつがいる限り、俺は生きれない。
殺さないと。
もう、自分を騙すように言いかける必要は無くなった。
理由も、言い訳も、もういらない。
既に、彼女を生かすという選択肢なんてないんだ。
ーーどうせ、また殺されるんだろ?
ここで殺せなかったら、また俺たちを殺すつもりだろ?
そんなに邪魔だったか?
言ってくれれば良かったのに。
殺すから、殺さないといけない。
殺されるから、殺さないといけない。
殺さないと、終わらない。
殺して、殺して、殺して、
殺して、殺して、殺して、
俺が求めるものは、その先にある。
殺して、やっと始まる。
早く殺さないと。
殺してーーやる
レイナは、殺さないとダメだ。
あの女も、男も、出会い方はどうあれ最終的には助けてくれた。
そして、目的は未だ不明のままだが、俺が死なないようにしてくれている。
ただ、邪魔者を排除しただけかもしれないが……それでも、俺を殺そうとはしてこなかった。
ーーなら、助けられてしまったのなら、やらねばならない。
彼らのため、そして俺のためにも。
目の前に見える上へと登れる坂は思いの外角度が付いていて、気を抜くと落ちてしまいそうだ。
少なくとも、地面の凹凸に足と手をうまく掛けないと登れない。
いつも、彼女へと繋がる道は険しい。
実力でも、離れている時の距離でも。
それでも、常に彼女は上へ居て、俺は下にいた。
ゴムのようなものでできた部分が解け、そして歪な形に固まった柄をしっかりと手の中に収め、その握られた手すらも支えにして上へ登っていく。
この坂は急だ。
遠くから見えた時は、大蛇の通り道として存在しているのかと思っていたが、これほどまでに急となると、ただ偶然できただけなのかもしれない。
それがわかることはもう無さそうだが、別に知らなくてもいい。
レイナへと繋がってくれているのであれば、何だっていい。
……こうやって、両手をついて急な上り坂を上るのは、公園にある遊具のようだ。
だが、もちろんそれとは比較できないほどに長く、高さもある。
少しでも足を滑らせたら、転がっていくどころか空中に投げ出されるかもしれない。
それでも、今はそんなことすらも頭にない。
下を見る余裕なんて無いまま上だけを見つめ、今度こそ相手を間違わないよう、視線を固定し続ける。
腕を頭上に伸ばし、手探りで手を引っ掛けられる場所を探す。
そして、見つけたらそこに力を加え、体を持ち上げる。
この作業の繰り返しだ。
もし、この坂の角度がさらに急だったら、このボルダリングもどきすらもできなかっただろう。
できれば緩やかな坂が良かったのだが、どうにか登れるだけ感謝だ。
少しずつ煮えたぎり、大きくなっている怒りの中で、そんなことを考える。
憎悪に、身を任せたい。
ただ感情的になって、彼女を殺したい。
殺すべきだから、殺したい。
だが、同時に知っている。
彼女はーーレイナは、何も考えずに勝てるような相手じゃない。
まだ残る理性が、そして経験が、ここで冷静さを落とすべきではないと言っている。
彼女の戦うところはそれなりに見てきた。
……確かに強い。
事実、あの2人とも遅れを取らず渡り合っていた。
だが、それだけじゃない。
彼女は、予想外のことを平気でやる。
信じていることを、平然と裏切る。
元の世界の常識とは似つかないこの世界でも、明らかに常識外れだ。
熱くなりすぎないよう、感情に身体が乗っ取られないよう、どうにか冷静さを保つ。
そして、次の段差に手をかけると、顔に砂が降り注いだ。
……上に行くにつれ、足場が脆くなっているのか?
あと僅かだってのにーー
たった今手をかけた出っ張りが石となって下へと転がっていく。
それでバランスを崩しそうになるも、左手に体重を乗せ、どうにか耐えた。
……本当に、移動ですら命懸けだ。
そこでふと、1つの記憶が蘇った。
思考の大部分を占める憎悪の中に、微かに光るものが脳裏に映し出された。
それは、あの2人に合う直前。
爆発が起こり、その後壁に刺さった槍の上で休憩してる場面だ。
……あの時は、まだ楽しかった。
冒険が、ここまで過酷なものだとは知らず、レイナの本性も知らず。
ただ、この先にある希望だけを見て、それが現実のものとなると信じていた。
こんなに辛いとーー
こんな形になるなんて、知らなければーー
そこで、思考を中断した。
たとえそれを知っていたとしても、きっと俺はこの道を選択していたーーそう思ったからだ。
現実は、そんなに甘くない。
元の世界に帰るためには、きっとこの道を通るしかない。
結果がどうであれ、こうするしかないのだ。
俺には、他の選択肢なんて無かった。
ーーそれ以外に、選択肢なんて無かった。
思考と重なったその言葉が、胸に刺さる。
彼女が言っていた。
まぎれもない、レイナ本人の口から出たものだ。
「死ね! 死ね! 死ねば、死ねばいいんだ……」
誰も聞いていない壁に向かって、悪態を晒す。
思うだけのことを吐き出し、急いで記憶に蓋をする。
思い出したくない。
速く忘れて、楽になりたい。
消さないと……
右手に握られた短剣を、怒りに任せて傾いた地面に刺すーーが、硬い衝撃の後、負けたのは短剣の刃の方だった。
地面に刺さることもなく、ただ無意味に刃が欠ける。
記憶の中で、壁に刺さっていた彼女の槍とはまるで違う。
何もかもが俺とは異なり、それがまた感情を揺さぶり、憎悪を深くしていく。
……どうせ、彼女から学べることなんて何もない。
今、それがわかった。
彼女の行動なんて、もう俺には関係ないんだ。
殺して、忘れよう。
全て、無かったことにしてーー
それで、全部終わりだ。
空いた腕を頭上まで運び、力を加えても崩れないことを確認しながら這い上がっていく。
その調子で、足を上げようとした時ーー空気の振動が振動した。
特に音もなく、揺れもないのに、風が通るような感覚が会った。
その直後、背後から岩を砕くような音が聞こえた。
今のこの坂を四つん這いで上っている状況では、背後を振り返ることはできない。
だが、何が起こっているのかはある程度予想が付いた。
あの大蛇が、暴れ出したんだろう。
アレも、相当諦めが悪い。
何度追い詰めても、どれだけの血を流させても、まだ止まることを知らない。
女の方も、怪我を負った男の方も、まだ戦っているのだ。
そして、きっと確実に追い詰め、とどめを刺してくれる。
あの2人なら。
だから俺も、役割を果たさなくてはーー
今まで、壁の凹凸を掴んでいた左手が、ようやく地面の平らな場所に置かれた。
それを期に、右手に握られた短剣ごとそこに手を置き、体を支える。
そして、同時に足も、傾いた場所から安定した地面に置かれた。
辿り着いた……。
僅かな達成感とともに、安堵の息が漏れた。
だが、そうしているのも束の間、落とした視線を正面へと向ける。
勘違いするな。
俺はただ敵のいる目的地にやってきただけだ。
桃太郎で言うところの、鬼ヶ島にやってきただけだ。
気を抜くには早すぎる。
なにせ、敵はあのレイナなのだ。
いつ、どんな攻撃を仕掛けてくるか……
正面には、相変わらず遠くに岩肌が並ぶだけで、それらしき姿はない。
なので、慎重に周囲を見渡していく。
壁の方から、視界の開けた方へ視線をずらしていきーー
あ、
いた。
いた……けど、
何だ?
…………まさか、まだ気づいてないのか?
ここから少し先、この高台のような場所と元いた低い地面。
底の境となる崖の、すれすれのところに彼女はいた。
片膝を地面につけて、慎重に下の光景ーー彼らが戦っている景色を眺めている。
だが、それでも、俺に気づかないなんてーー
罠か?
何か、また企んでいるのか?
彼女はすぐそこにいる。
だが、距離はもうわずかしかないのに、彼女はこちらを向くこともなく、ずっと下の景色だけを見ている。
まるで、何かを探しているように。
そんな、彼女にあるまじき姿を見て、勘繰ってしまう。
やはり罠なのか?
だとしたら、俺はそんな簡単なヤツに思われているのか?
だが、彼女がここまで油断しているとは考えにくい。
予想外な彼女に、頭が困惑する。
今まで頭で思い描いた彼女の行動の、どれにも当てはまらない。
だが、それでもーー
彼女が安全の所から、彼らの死闘を高見の見物をしていることが許せなかった。
レイナがーーお前がこうしたっていうのに……!
怒りが全身に力を入れ、短剣を握る手にも、自然に力が入った。
それが、さらに憎悪というドロッとした油に燃え盛る炎をつけていく。
彼女は俺たちを殺そうとしたーー理由はそれだけで十分だ。
感情的に、だがどこか冷静さを保ったままに、気づいた時には動き出していた。
少しずつ彼女との距離が短くなっていき、そして最後には走って、その距離を埋める。
その瞬間、ようやくレイナが俺に気づき、目が合った。
その顔には、恐怖いうよりも驚きが宿り、今までに見たことのない表情だった。
いつも冷淡な彼女には似合わない、彼女にしては珍しい、人間らしい表情だった。
しかし、それが急に美しく歪む。
音もなく、表面の僅かな抵抗の後、やわらかいものに沈んでいく。
そんな感覚が、手に残った。
脳の処理が追いつかず、一度手を止め、しかしそれがいけないことを思い出し、すぐに引き抜く。
柔らかい感触が少しの摩擦を生むが、引き抜かれた後は軽くなった。
……引き抜く?
その思い浮かべた言葉と、手に感じた感触に疑問を覚え、手に握られているものへと目を向ける。
濡れていた。
地面と平行に握られた短剣が、握っている手ごと赤に染まっていた。
その尖った刃先からは、赤い水滴が落ちている。
その目が痛くなるほど鮮やかな赤色は、今まで抱え込んだ憎悪の色にしては鮮やか過ぎた。
そこで、ようやく彼女へと視線を戻す。
しかし、すでにさっきまでの鮮やかな表情は失われていた。
その代わり、腹部から流れる鮮やかな赤い液体が体を染め上げ、より美しく彩っている。
そして、俺に向けられたその顔には、憎悪が宿っていた。




