閑話(3):妨害工作
少し、時間をさかのぼる。
「トゥト!」
『無事か、サリ。
ふむ……どうやら、罠を回避できたのは拙と貴殿のみのようだな』
すでに隠形を発動したトゥトの言葉に、サリは歯がみした。
(失敗した。単に転移させるだけなら、わたしの予知は発動しない……!)
相手の神秘的隠蔽は、このアジトでは発揮されないのだろう。いろいろなものが見える。
見えない方向もあるが、時間はあまりにも少ない。サリは一歩前に踏み出そうとして、
「!」
「はあっ!」
ばあんっ、と、サリがとっさに放った短刀のひとつが、大きな衝撃波を相殺して宙に舞った。
「――ミスフィト!」
「ああ。来たぞ、サリ」
ゆらり……と、獣人族特有の長い手を活かした構えを取りながら、ミスフィトは言った。
「依頼主から足止めを要求されていてな。悪いが付き合ってもらおう」
「できると思っているの? あなた一人で?」
「できるさ」
ミスフィトは笑った。
「できる。ここでなら。ここは無地の燎原。幻術使いの聖地だ。
ここでなら俺の体術と幻術は、相乗効果で圧倒的に強化されている。これならばたとえサリ・ペスティが相手とはいえ、最低でも時間くらいは稼げる――」
「そう。だとすると、情報主はシンではないのね」
「……なに?」
サリは淡々と、その事実を確認した。
「とすると、あの隊商主か。盲点だったわね。魔人たちの職業病として、相手も魔人か、あるいはなんらかの神秘だとわたしたちは思っていた。でも『見えざる神殿』の一部を抱き込んでいたならば、一般人の協力が得られるというわけね」
「おい、なにを言って――」
「トゥト、それの相手は任せた」
『承知』
「な、ぐっ!?」
突如として目の前をかすめたくないに、のけぞりながらミスフィトはうめいた。
「なんだ!? 貴様、幻術使い……いや、それも違う! これはなんだ!」
『愚か者め――! 透波を相手にまぼろしとは、笑わせる!』
「じゃ、わたしはこれで」
「ま、待て……うわっ!」
狼狽するミスフィトを尻目に、サリは駆け出した。
あっという間に相手が見えなくなる。
暗がりの中、サリは短剣を抜き放つ。その剣が放つ淡い光が、洞窟を照らして視界を提供する。
その視界の中を駆け抜けながら、サリは黙考した。
(ミスフィト、あなたは知らなかったみたいだけど。『忍び』を相手にあなた程度の幻術では、相手にならないよ)
サリの見立てでは、ミスフィトの方がトゥトよりも格上の魔人だが……相性が悪すぎる。
体術と幻術を組み合わせるというミスフィトの我流スタイルは変則的で対応しにくいものだが、幻術どころかあらゆる手立てを尽くして隠形とその看破というテーマを極めた『忍び』に対しては、なんのアドバンテージにもならない。
これほどの相性情報を相手に渡していなかった、という点で、シンは少なくとも前々からは裏切っていなかったのだろう。
と、そこで思考を打ち切って、サリは急停止した。
目の前に現れた青年。それは当然ながら、旧知の人物だった。
旧知であり、そしてこの燎原では最も油断のならない――最悪の相手。
「そう。たとえ前々から裏切ってはいなかったとしても、いまは違うというわけね。
シン・ツァイ。やはりわたしの前に現れるのはあなただったか」
「実は退いてくれることを願っているんだけどね、サリ」
「退いたところでなんになるの?」
「逆に聞こう。なにが見える?」
問われて、サリは少し困惑した。
相手の狙いがよくわからなかったからだ。とはいえ、素直に答える。
「ライが死ぬ。それだけは確実」
「そうなるか。なら、答えはひとつだ」
シンは言って……すっ、と、身を引いた。
「……? なんの真似?」
「いや、実のところ、僕には僕の思惑があるからね。
妖術師との契約は守る。それ以外は好きにやらせてもらうよ。ここで君とやり合って消耗する気はない」
「ずいぶんと物わかりがいいのね。なにが目的かは言えないと?」
「ああ。なんだかんだでここはグラーネルのアジトだ。どこに耳があるかも知れないし、知られたら悪用されるだろうからね」
「――……」
サリは、小さく息を吐いて、
「では、失礼」
「ああ、武運を祈るよ」
シンの言葉を、聞き終える前に。
サリは全力で、シンの横を駆け抜けた。
それを見送ったシンは、小さく苦笑した。
(さて。おそらくここまで、ある程度はセンエイの思惑通りなんだろうが……この後は、どうなるかな。
大丈夫なのかね、このままで。僕としては、サリの死体を持って帰るという最悪の展開だけは避けたいんだが……信用してよいんだろうね、『偽物』?)
考えて、それから首を振ってつぶやく。
「まあ、とはいえ、選択肢がある話でもないんだけどな。
いくら僕でも、真儀解放を封印されたこの状態でサリ・ペスティを相手にするのは、さすがに無理だからね――」




