閑話(3):闇の底から
その空洞は、集落の深部に、ぽっかりと穴を空けていた。
「この集落の成立は、お察しの通り百五十年ほど前なのですが」
ジロロはその穴を見つめながら、言った。
「この空洞自体は、集落も含めて、原型は神話時代からあったそうです。ケセイの岩棚自体が、神と大巨人の戦争において作られた巨大な城塞のようなものらしいので。ですから、ここから別の居住可能地域へも行けますし、そのような地域には我々の仲間もそれなりにいるのですよ」
「岩巨人だけが知る、秘密の地下大空洞ですか」
「ええ。人の手で整備されていない暗闇ですから、魔物も多いですが。岩巨人ならば、この地下道を伝って他の土地へと行ける。そして逆に……」
「岩巨人か、あるいは岩巨人の支援を受けた『何者か』ならば、通ってこの地を襲撃することもできる。あなたの言いたいことは、そういうことですか?」
彼女の言葉に、ジロロは硬い表情でうなずいた。
「当代の『生贄』であるア・キスイは、あの神の剣の強大な力に目を奪われて見落としているようですが……先代である私は、力こそ彼女には及びませんが、その使用法には熟達しています。神の力のきらめきに紛れてこの集落を襲う一群がいることは、すでに予知済みです」
「では、それを見越してあなたは、我々をこの集落に誘い込んだのですか。我々を巻き込むために」
彼女……ハルカという名の魔女の、若干とげのあるその口調に、ジロロは苦笑した。
「そんな怖い顔をしないでくださいよ。あなたたちをもてなすと決定したのは『生贄』の判断。私はそれを見て、止めなかっただけです」
「同じことだと思いますがね。『生贄』にあなたの懸念は、伝えていないのでしょう?
まあ、もはや過ぎたことですが。我々を戦力として利用する以上、後で料金はきっちりといただきますよ」
「そこは信義にもとることはしませんよ。『生贄』の名に賭けて」
「結構」
ハルカはそう言って、そして何事かの呪文をつぶやいた。
「いまのは?」
「占術の一種です。本来は落ち着いた箇所で、道具を用いて行うべきものですが……時間がないのでしょう? ですから、ここで始めます」
「占術、ですか」
ジロロは若干、顔をしかめる。
それに対して、ハルカはほう、と少し感心したような顔つきになった。
「どうやら、あなたは多少、こちらの術法に心得があるようですね」
「もちろんです。でなければ『生贄』を守護する者としての務めを果たせません」
「なるほど。敵を知らねば対策もできない、ということですか」
「はい」
ジロロはうなずいた。
「神話の力を味方につけ、運命律を操作し、不都合な現実を遠ざける――神や大巨人の絶大な力、と言えば聞こえはいいのですが、実のところこの力は魔術に効果がない。通常の矢と異なり、魔術で作られた風の矢はいとも簡単にイェルムンガルド外殻を引き裂き、神格を傷つけます。
それが『魔術』なるもの、そして『魔人』と呼ばれるあなたたち魔術使いが世界から嫌われる理由ですが……実のところ、岩巨人の祭祀たちは、伝統的に魔術を二つに分類しているのです。片方は習得を許可されたもの、もう片方は習得を許可されない外法と」
「私とセンエイを外法師と呼んだのは、それを察知したからですか」
「ええ、そうです。精霊と契約して力を使役する術法、幻惑を用いて実体をだます技、そして武器に魔力を這わせる技術――これらはいずれも、魔術としては『枠に収まったもの』。世界を害する存在ではないし、神や大巨人にとっても、コツさえつかめば対策が打てます。
しかし外法はそうではない。世界の『枠』自体を壊すあなたたちの技は、真に脅威たり得る。それが我々の認識です」
「その認識は正しいでしょう。
しかし……では、なぜ私に声をかけたのです? たとえばコゴネルであれば、あなたから見て理想的な協力者たり得たでしょう。彼は絶対に精霊しか使わないように自分を律している。そして、若いながらも、魔人たちを統率する人望があります」
「ですがそのコゴネル氏には、占術は使えなかったでしょう?」
ジロロは言って、苦笑いした。
「……情けないながら、それが実情ですよ。結局我々も、外法を頼りにしなければならないときがある、ということです。
占術というのはつまり『神話の力によらず、神話の流れを観る』技能のこと。人の身で神の領分に分け入る外法です。しかし恥ずかしながら、我々の未来視では見えないものが、あなた方には見えるのですよ」
「そうですね。我々は視点を最適化する。通常では決して見えないものを『観る』ために、我々の卜占術は特化しています。そして、それは強大な神や大巨人が直接見るよりも、時に多くの情報をもたらしてくれる」
ハルカはそう言って、そしてうなずいた。
「得心しました。シンを最初から度外視していたのは、そういった理由でしたか」
「シン、とは?」
「我々の中にいたでしょう。あなた方の分類だと『外法師』と呼ばれる、もう一人の男性が」
「ああ……いえ、あれはそれ以前に、我々の認識だと外法師ではありません。彼、神でしょう?」
「それはある意味では正しい認識ですが……よろしいのですか? それこそ、我々に寄せた観点になるかと」
「仕方がありませんよ。『生贄』経験者である私が認識できる世界は、自然とそういった視点になってしまいます。
彼は外法師ではなく、『秘剣』の二つ名を持つ魔術神カイ・ホルサ――それも、我々やあの少年とは違って『神そのもの』です。依頼はおろか、いたずらに触れることすら禁忌に近い。まあ……」
ジロロは、さっきから苦笑いばかりしているなと思いつつ、また苦笑した。
「あなたの言うとおり。『未来を見る』能力に関して彼は信用おけない、というのもありますが。あの力は、あらゆる意味でイレギュラーです」
「それが正解でしょうね。
さて、だいたい占術の結果も出てきました。予想通り、敵はいくつかの数人からなる別動戦力を除けば、おそらく統率された一集団が中核にいます」
「具体的な数は?」
「およそ二千人。軍団と呼んでよいかと」
言葉に、ジロロは唇を噛んだ。
予想はできていたことだった。そもそもこの集落自体、その日に備えてこの百五十年間、ずっと整備してきたものなのだ。しかし……
「間違いありません。北の帝国が、我々に気づいたのでしょう」
「準備は?」
「すでにある程度は、狩り役へと通達してあります。しかし……人数の差が大きすぎる」
言って、ジロロはハルカの目を正面から見据えて、問うた。
「改めて、依頼を。我々の集落を守るため、お力を貸してください。ハルカ殿」
「承りましょう」
ハルカはうなずいた。




