閑話(1):外道どもの蠢動
「ふむ……イレギュラーじゃの」
老人は水晶玉を前にそう言って、くちびるをとがらせた。
「スペアプランを使わねばならん。幸先悪いのう。やれやれ、準備作業が追加だわい」
「それはいいのだが、プランが根本からこけたりはしないだろうな? いまさらそれでは困るぞ」
「ひょひょ。心配症じゃのう」
「心配のひとつもしたくなる。これだけの対価を支払ったのだからな」
そう言って甲冑姿の男が差し出した手には、丸い形の物体が乗っている。
生首、であった。
「注文通り。幸せの絶頂にある若い娘の首と所望されたから、結婚式を襲って手に入れてきたが……いかに境界線の付近とはいえここは慣習上、人間領だ。我らの活動と発覚すれば、大事になるぞ」
「その懸念も、儂との共闘が成功すれば消し飛ぶ。最初からそのつもりで乗ったのじゃろう、おぬしは?」
「それはそうだが、その『成功すれば』というのが曖昧では困るのだ。いまさらできませんでした、では済まんぞ、妖術師」
「ひょっひょっひょ。心配には及ばんよ」
大事そうに首を受け取りながら、妖術師と呼ばれた老人は笑った。
「実を言えば、相手には間諜を仕掛けておる。さらに、旧知が一人おってな。やり方次第でいかようにも寝返らせられる」
「用意のいいことだ」
「でなくばこのような企て、起こすことはできんよ。これは、世界を敵に回す行為なのじゃからな」
「ふん……」
甲冑男は鼻で笑って、
「ならばせいぜい早く済ますことだ。我が軍の力、いつまでも貴様が好きにできると思うなよ」
と言って、その場から背を向けて去って行った。
「ひょひょ。ずいぶんといきりおる、若造が……」
老人はつぶやいて、それからぎろりと目を向けた。
「で、まだなにか御用かのう、お嬢ちゃんや?」
「お嬢ちゃんはやめてくれ。さすがにそんな年齢は過ぎた」
言ったのは、先ほどの甲冑男と似たような戦装束に身を固めた女である。
女、と言っても、人間の男の平均を上回る体躯の上に、兜までかぶっている。そこから覗く顔だけを見れば美形と言えるが、中性的で美男とも美女とも取れる。声を聞かずに性別を簡単に判断できる相手ではない、はずなのだが。
しかし老人はいとも簡単に見抜いていた。そして、猫なで声で続ける。
「個人的な頼み事かね? それともなにか思うところでもあると? どちらでもええぞい。話に乗ろう」
「ああ。まあ、そうだな。実を言うと少し迷っていたのだが、それを聞いて考えが固まった」
「なんじゃね?」
「その首、どうせいらないんだろう? くれ」
言われて、老人はきっきっきと笑い、
「なぜいらないと思う? 儂は呪術のために必要と言ったはずじゃがな」
老人の言葉に、女は憮然と返した。
「人間の娘一人程度の呪詛がいまさら必要な御身ではあるまい。どうせ、そうさな、我が上司の小心者っぷりに目をつけ、引き返せないように罪を犯させたな?」
「……なかなか面白い見解じゃのう」
老人の笑みが、一段階深く変化した。
女はそれを見ても一向にひるまず、言葉を重ねる。
「そしてたぶんそれだけではない。襲わせた村の位置がやや不自然だ。察するに――」
「察するに、なんじゃ?」
「……いや。憶測を重ねるのは悪い癖だ。いまのは撤回する」
「ふむ。まあ惜しいところをついてたとは思うがのう」
老人は他人事のように言って、それから女にぽい、と生首を放り投げた。
女は無造作にそれを受け取り、去って行こうとする。
「しかし儂の方が聞きたいのう。そんな生首ひとつ、どうするつもりじゃ?」
言葉に、女は肩をすくめ、言った。
「別に。捨てられる程度なら、供養してやろうと思っただけだ」
その言葉とともに女はいなくなり、その場は老人ただ一人が残った。
「……ひょひょ、ひょひょひょ!」
笑い声がこだまする。
「供養、供養と来たか! この聖典世界、なんの意味もない行為だというのに供養!
面白い、面白いぞあの娘! なんという美徳と正義と良識に満ちた心か! こうも忙しい時でなければ、その魂を砕いて慰み者にしてやるところぞ!」
笑い声がけたたましく響き、そして不意に静寂が訪れた。
「……下らん。良識など、そんなものにこだわっておるから世界は……」
静かに、憎悪をたぎらせた声で老人はつぶやき、そして宙空をにらみ据えた。
「神剣によるインスタントな解法は、いったんは頓挫したが――」
つぶやく。
「単に魔王を呼ぼうというのなら失敗だが、あり合わせの魔王ならすでに現存する。なあに、いくらでもやりようはあるわい」
ぎらぎらした目で虚空をにらみつけて、老人は続けた。
それは、彼なりの宣戦布告。
世界に向けての憎悪の詰まった、戦いの幕開けを知らせる合図であった。




