日記と初雪
「メルシャさん、この飾りはこっちでいいですか?」
「えぇ、えぇ、結構です。ですが……奥様、ここまでお手伝いいただかなくても、いいのですよ? 飾り付けは私達にお任せいただき、お茶でもしながらゆっくりお過ごしいただければ……」
「そうですか? 私としては、準備も含めてホリデーだと思うのですけど……あ! ちょっと! 天辺のお星様は私が付けます! パメラさん、何を抜け駆けしているんですか!」
「まぁ! お星様飾り付けの権利は私が頂きます! ずっと狙っていたんですから、いくら奥様相手でも譲りませんわ」
「ゔ……お星様、私も付けたかったんだけど……」
「あ、でしたら奥様! その右手に、このジンジャーマンを掛けてくれませんこと?」
「は〜い、了解! ……ふふ。やっぱりツリーの飾り付けは楽しいですね」
いよいよやってくるホリデーシーズンに備え、ブライトフィート邸ではエントランスの大ツリーの飾り付けで盛り上がっていた。家主のラジルは数日前から冬眠……本人が以前にも言っていた「仮死状態」でひたすら静かな眠りに就いており、そんな彼を差し置いてはしゃぐのに申し訳ない気分になりながらも、それでもそこに遠慮をしていたら却って彼を悲しませそうな気がして、目の前でこれでもかと言わんばかりにキラキラと輝く光景に胸を躍らせる。
「さて。この様子をしっかり書いて……っと」
「奥様、それ……何ですの?」
「えぇ。ラジル様がお休みの間、日記を付けておこうと思って。……後で毎日どんな事があったか話してあげれば、きっと喜んでくれるのではないかと思って」
「な、なるほど! それは名案ですね!」
「でしょう?」
興味津々で自分の手元を見つめるメイド達にそんな事を請け負いながら、飾り付けの参加メンバーと様子を具に日記に書き留める。そんな日記程度では彼の憂いがなくなるとも思えないが、少しでも軽くなればいいなと考えながら、輝く思い出と一緒に日記を閉じる。
「あ……見てください! 雪ですよ、雪!」
「まぁ、本当。……今年もそんな季節になったのですね。早いわぁ……」
「これが今年の初雪になりそうですね。さて、皆さん! 飾り付けはこのくらいにして、各部屋の冬支度に取り掛かってください! 特に暖炉の薪の残量と、窓の閉め忘れは重点的にチェックするようにお願いしますよ」
「はい!」
「かしこまりました」
窓の外に広がる漆黒に、ヒラリヒラリと舞い踊り始めた初雪。この季節ならではの光景に一頻り騒いだ後、メルシャの号令でキビキビと持ち場に戻っていくメイド達。そんな彼女達の背中を見送りつつ……ガーネットはふと、とある事に気づく。冬というものを実質的には経験していない彼は……もしかしたら雪さえも知らないのではないか、と。
「……メルシャさん、少し聞いてもいいですか?」
「いかがしましたか、奥様」
「はい……。ラジル様は……冬を知らない彼は、雪を見た事がないのではないかと……きっとこんな風にツリーを見上げた事もなかったのではないかと……思いまして」
「そうですね。……ラジル様はこの時期は漏れなく、お休みの期間ですから。仕方ない事とは言え……とてもお寂しい事ですわね」
メルシャの寂しそうな答えを受け取って、彼の境遇にズキリと胸が痛む。
去年の今頃は家族と一緒に過ごして、こんな風にツリーの飾り付けをして、互いにプレゼントを交換して……当たり前のようにやってきていた冬を漠然と消費してきたが。その当たり前さえも、彼は代償として奪われているのだと思い至る。季節1つを差し出さなければならない事。それは……異形の姿と同様に、あまりに不条理な罰でしかなかった。
***
「お帰りなさいませ、父上。……それで、首尾はいかがでした?」
「ふむ。なかなかいい反応だった。彼らもその存在に疑問を抱いているようだったし……そろそろ頃合いだろう。ほら、特に……例の花嫁は、街でも随分と評判のいい娘だったようでな。……その辺りも煽れば、うまくいきそうだ」
「ふふ、それはそれは。さぞ、ご家族の恨みも深いでしょうね」
「だろうな。それに……国王陛下の承諾もいただいたし、何より契約の仕組みも調べがついたし……このまま事を運んでも問題ないだろう」
ゴーシェル領内産の葡萄酒を前祝いだとでもいうように、上機嫌にかつ豪快に飲み干す男爵親子。しかし……相変わらず美味でもない味わいに、互いに文句を言えないにしても、顔を顰めずにはいられない。
ゴーシェルの葡萄酒は酸っぱく香りにもトゲがあると、常々その評価は散々で、そのせいか……国王を始め、各地の貴族がこぞって求めるのは、香りもまろ味も安定したブライトフィートの葡萄酒だった。その状況はワイナリーとしては先駆けだったはずのゴーシェル家としては、屈辱以外のなにものでもなかったが。ブライトフィート産の葡萄酒の味わいにあれこれケチをつけては否定してみても、それすらも無様な遠吠えと流されてしまう事くらいは彼らとて、十分理解している。
そんな憎たらしいはずのブライトフィート邸で出された葡萄酒の円熟した味わいを恋しく思いつつも、目の前にある酸味をもう少しの辛抱と飲み干すのは、最早一種の意地だ。仄暗い蝋燭の灯火をゆらゆらと受けながら、怪しく輝くワイングラスに酔い回りだけは一端の葡萄酒を注いでは、ますます悦に入るベルメとディミトリ。しかし……彼らの赤面と興奮は決して、葡萄酒だけのせいではなかった。