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契約と終焉

 夜通し降り続いた雪が、景色という景色を真っ白に染め上げたある朝。いつものように朝のお茶をいただいていると、ラッセルが慌ただしくやってくる。息も絶え絶えに顔を真っ赤にしながら……着替えもまだのガーネットの部屋にノックもなしに入ってくるのだから、相当の緊急事態のようだ。


「メルシャ様、お、奥様……! た、大変です!」 

「どうしたのです、ラッセル。そんなに慌てて……」

「この屋敷に街の皆様がお越しになっていて、ゴーシェル男爵に屋敷を明け渡せと……詰めかけておりまして……!」 

「……ゴーシェルって、確か……」


 あぁ、あの嫌味な男爵親子か。……しかし、何がどうなって男爵親子にこの屋敷を……。


「って、えぇ⁉︎ 何で、そうなるのです⁉︎ だって、ここはブライトフィート家のお屋敷のはずじゃ……?」

「……ラッセル。すみませんが、他の者にも声をかけつつ移動の準備を。それで……パメラ、フィオレは急いで奥様の召替えをして差し上げてください。……彼らのお相手は私が致しますから、残りの者は手筈通りに事を進めて頂戴!」 

「しょ、承知いたしました!」 

「かしこまりました!」 


 しかし、明らかな緊急事態にも動じず、メルシャがいつも通りの様子で指示を出す。どこか置いてけぼりにされた気分になりつつ、何かを覚悟した様子のメルシャの態度に取り乱してはいけないと、ガーネットは粛々と着替えをするものの……この後、どうすれば良いのか分からない。


「あの……パメラさん、フィオレさん。……一体、何があったのでしょう?」

「大丈夫ですよ、奥様。私達がいる限り、ラジル様と奥様だけは守り抜いて見せます。奥様は何も心配する必要はありません」

「そ、そうなのでしょうか……」

「まぁ、確かに緊急事態であることは間違いありませんが、いずれこうなる事も分かっていた事なのです。……どんなものにも終焉は必ず、存在するものなのですよ」

「……」


 それ以上の質問は憚られるとばかりに、毅然とした2人の答えに押し黙るガーネット。いずれにしても……この屋敷を出ていかなければならない事だけは、確かなことのようだ。


***

「やはり出てきましたか、メルシャ様。……ふふ、どうです? これで私達の勝ちですよ?」

「えぇ、そのようですね。国王陛下の辞令に街の皆様の署名……それだけの手札があれば、ブライトフィートを乗っとるのも容易いというものでしょうね」

「さぁ、この委託状にサインを。当主のラジル・ブライトフィートが昏睡状態なのは知っています。ですから、この場合は家長代理でもある家令のあなたのサインがあれば結構。それと……契約の証もお寄越しください」

「……なるほど。随分とブライトフィートの内情を嗅ぎ回っていたようですね、ベルメ・ゴーシェル卿。ですが……貴方様程度にこの権威を使いこなせるとは、到底思えませんが」

「黙りなさい、使用人ごときが! ブライトフィートは代々、証さえあれば繁栄を継続できる事を知っていながら領民を騙し、善良な彼らから年貢と娘を取り上げてきた忌まわしい一族に他なりません! ラジルのあの姿は豊穣の代償などではなく……そうして民を騙してきた罰に対するものなのです! さぁ、この豊かな地を本来の持ち主……皆さんの手に取り戻そうではありませんか!」 


 どこまでも自分に酔っているらしいディミトリが高らかにそんな事を宣言すると……庭先の真新しい雪さえも無慈悲に踏み荒らして怒号を上げ始める領民達。

 ブライトフィート家は今も昔も、無理な年貢の取り立てをしてきた事は一切なかったはずだが。しかし、それでも彼らの根底には何かが燻っているのだろう。そうして民衆の感情の高まりの吹き溜まりに……確かに異形への畏怖を感じ取ると、メルシャは仕方ないとでもいうようにため息をつく。


「メルシャ様、準備が整いました。いつでもこの屋敷を捨てる事もできますが……いかがしますか?」

「えぇ、パメラ。ご苦労様でした。ところで……ラジル様は無事ですか?」

「もちろんです。全て手筈通りに完了しております。……奥様へのご説明以外は」

「そう。それで、奥様は……あぁ、パメラ。どうして奥様を連れてきてしまったのです?」

「申し訳ございません、メルシャ様。……奥様がどうしても状況を確認したいとおっしゃまして……」

「……すみません、メルシャさん。……どんな状態なのか、私も知っておいた方がいいと思いまして、パメラさんの反対を押し切って来てしまいました……。皆さんは何にそんなに怒っていらっしゃるのでしょうか?」

「……そうですね。この機会ですから……奥様にも、そして皆様にも少し昔話をしてもいいかもしれませんね。と……その前に。ベルメ・ゴーシェル様。まずはサッサと委任と契約の譲渡を済ませてしまいましょう。……それさえ済めば、この領土も邸宅も……そして伯爵の地位も貴方達のものですよ」

「流石、熟練の家令は話も早くて大変結構。では……こちらに……」


 いよいよ醜悪な笑顔を見せるベルメの表情にさえも動じず、厳粛に手続きを済ませるメルシャ。その上で……エプロンのポケットから豪奢な細工が施された小箱を取り出すと、先ほどまでサインを綴っていた書状の上に差し出した。その存在感に居てもたっても居られないと、小箱の中を慌てて確認するベルメ。そうして彼が恭しく摘み上げたのは……一つの小さな、どこまでも深い青の宝石だった。


「おぉ……これが……」

「えぇ、雨の鱗です。さて……それをお渡ししたところで、肝心の契約の中身を触り程度にお話ししておきましょうか。確かにブライトフィートは契約によって、豊穣と安寧を余す事なく享受してきたのは事実です。しかし……その契約の発端は強欲でもなく、傲慢でもなく……ただ、旱魃に喘ぐこの地の民を救いたいという純粋な願いでした。ゴーシェル様相手では、発端は些末な事と受け流されてしまいそうですが……何れにしても、その願いを聞き届けた神の使いは初代に彼の人の姿と自分の蛇の姿とを交換する事で能力を引き継ぐ事を提案し、そうして神の力を引き継いだ初代はその身をこの地に捧げ、ブライトフィートを豊かな地へと蘇らせたのです。……その鱗は初代が残した、地上へかの神通力を送るための受信機のようなもの。それがあれば、契約の()()()()は可能でしょう……さ、参りますよ、奥様、パメラ。……これ以上の長居は無用でしょうから」

「あぁ、お待ちを。ガーネット様にはここに残っていただきます」

「……何か私にご用でしょうか、ディミトリ様」


 潮時とばかりに撤収し始めるメルシャ達について行こうとしたガーネットの背に、ディミトリの声が掛かる。その妙に気取った声に若干の不機嫌を乗せながら、振り向くガーネット。しかし……そうして振り向いた彼女の前には、ゴーシェル親子だけではなく、彼女の最愛の家族でもある両親が不安そうな表情で立っていた。


「父様、母様! ちょ、ちょっと! どうしてこんな所にいるの⁉︎」 

「……こちらのベルメ様に協力すれば、お前が帰ってくると言われて……」

「今のお話ですと、契約の条件をこれ以上守らなくてもいいのでしょ? でしたら、戻ってきなさいよ。何もこの先も醜い伯爵様と一緒にいる必要もないじゃない」

「そうそう。ガーネットはこれ以上、化け物の相手はしなくていいんだよ。さ、私達の元に帰っておいで」


 どうやらその口調から彼らもまた、ゴーシェル親子に言いくるめられてこの一団に加わっているようだった。しかし、今まではそんな風に一方的に誰かを悪く言うことなどなかった両親の言葉に、酷く不愉快な言葉が混ざっているのを確かに聞き取って……罵倒さえも簡単に言えるようになってしまった彼らの変化に、寂しさと怒りを覚える。


「……それはできないわ」

「どうして?」

「ごめんなさい。私ね、ずっとラジル様の側にいるって約束したの。だから、私は彼と一緒に行きます。父様、母様……さようなら。少なくとも……私を初めて綺麗だと言ってくれた人を化け物呼ばわりするような人達と、これから先も暮らしていく事はできないと思うの。……大体、何よ。みんなで寄ってたかって、化け物、化け物って! 見た目だけで何もかも判断して、勝手なことばっかり言って! 今まで彼がどんな思いをして、みんなのために耐えてきたと思っているの⁉︎ もう、いい加減にしてあげて。私……そんな風に簡単に誰かを傷つけられる人は嫌い。みんな……みんな、みんな、みんな……大っ嫌いッ‼︎」


 何かの糸が切れたように、もやもやした気分を全て吐き出しながら絶叫すると同時に、涙が溢れて止まらない。

 あぁ。こんなにも大勢の前で、そんな事を言ってしまった。その状況にどこか頭の中がひりつくような感覚の横で、確かに感じる後悔と……それを上回る、開放感。もう何がなんでも逃げる事も、放り出す事もしない。そんな風に涙をこぼし続けるガーネットに言葉をかけるでもなく、慰めるように背中を摩っては移動を促すメルシャ。

 その手に導かれて、ガーネットはとうとう……たった3ヶ月だけの我が家を後にした。

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