小さな旅人
【小さな旅人たち】
その夜東京駅の煉瓦造りの駅舎は霧がかかり、中からこぼれる明かりや駅舎に当たる車のライトがぼんやりと不思議な雰囲気を作っていた。
拓郎は兄一郎と共に親戚の叔母に連れられて東京駅にやってきた。今夜23時発の夜行列車に乗って福岡にある孤児施設に行くためである。叔母は小人切符を二枚一郎に手渡しながら言った。
「一郎、15番ホームよ。大丈夫ね。博多駅到着は明日のお昼だからね。
拓、あんたは一郎の言うことちゃんと聞くのよ!あんたは物忘れが激しいんだからリュックを忘れちゃあ駄目よ!」
「…」
「拓郎!わかったの!?」
「うん…」
「いつもそうなんだから!わかったんだったら一回で返事しなさい!まったく誰に似たんだか。
あんた達の帰ってくる場所はもうここには無いんだからね!」
拓郎と一郎の父親は、拓郎がまだ小さかった頃に亡くなっていた。そして母親も半年前に病気で他界し、二人は母親の姉である叔母の家に預けられたのであった。
拓郎はこの叔母が好きではなかった。叔母はいつも怒ってばかりである。拓郎には分かっていた。叔母の家は叔母夫婦に子どもが三人いた。結局二人は厄介者だったのだ。だからこの半年間肩身が狭かった。
夜行列車の発車時刻まであと15分。叔母を残して拓郎と一郎は改札機を抜け、飲み会帰りの酔った通勤客でごった返す構内をリュックサックを背負って進んでいった。
その間二人は一度も叔母を振り返らなかった。ただ15番ホームを目指して真っ直ぐ前しか見ていない。特に拓郎は振り返りたくなかった。ずんずん前に進み一郎が手を握ってないと拓郎は糸の切れた凧みたいに何処かに飛んで行ってしまいそうだった。
「拓!拓!急ぐなよ!」
15番ホームに上がる階段まで来て一郎は初めて改札機の方に振り返った。しかしそこには叔母の姿は既に無かった。確かに嫌いな叔母ではあったが唯一顔見知りの身内である。一郎は清々した気持ちと同時に不安な気持ちに襲われた。
僕たち、これからどうなってしまうんだろう…
それは拓郎にとっても同じである。拓郎は人前で話すのが大の苦手であった。唯一拓郎が心を開く相手は兄の一郎だけでいつも一郎の後ろに隠れるようにしていた。こんな性格でこれからやっていけるのだろうか…。一郎はそんな拓郎を心配していた。
二人はプラットホームへの階段を上がって行った。階段の途中まで来ると電車のモーター音が聞こえ、拓郎はモーター音に引き寄せられるように一郎の手を振り切って階段を駆け上がり15番ホームに出た。
そこにはブルーのボディをした夜行列車が霧に浮かんで停車していた。車体は想像していたよりも大きく、さしずめ鉄の塊といった感がある。
モーター音が発車まで間もないことを知らせていた。
「これがブルートレインかぁ!」
拓郎は一番手前にある乗車口に向かって一気に駆け出した。
「拓!違うよ!そこじゃない。」
しかし拓郎の勢いは止まらず乗車口に乗っかって得意気に一郎を見た。
だが一郎は電車に書かれた車両番号を確認していた。そして拓郎に手招きし寝台車両に向かって歩き出した。拓郎は乗車口から降りてキョロキョロしながら一郎の後をついてゆく。
途中で拓郎はあることに気がついた。このプラットホームは他のプラットホームと違い、人が少なく広く感じた。今日のような平日の晩は夜行列車には通勤客は勿論、旅行者の利用も殆んどいない。その事がかえってこの夜行列車に不思議な特別感を与えているようだった。
「ここだ!拓。」
一郎は切符を確認して乗車口に入っていき拓郎も後に続いた。
車内通路はとても暖かく身体中の強ばりが一気に緩んでいく。通路は車両窓側にあり反対側に二段ベッドがところ狭しと並んでいた。
一郎は切符と番号をしきりに見ながらブツブツと何か呟いている。よく聞いてみると『10番、10番…』と言っている。
一郎は自分たちのベッド番号を呟きながら探していたのである。
「あった。ここだ。」
一郎はベッドとベッドの隙間に入っていき荷物を片側の2段ベッドの下段に置いた。
「このベッド?」
「いや、この上と下だよ。拓は上と下どっちがいい?」
「兄ちゃんと一緒がいい。」
「駄目だよ。このベット狭いもの。」
「う〜ん、じゃあ上。」
「分かった。じゃあ、僕は下だ。」
「うん。」
拓郎は靴を脱いで梯子を登り上段ベッドに上がった。
「痛いっ!」
ドンという鈍い音と共に拓郎の声を聞いて一郎が下から見上げると拓郎が手で頭を抱えていた。天井に頭をぶつけたのだ。一郎はその様子を見ながらクスっと微笑んだ。
「拓、リュックサックから歯ブラシと手拭いを出しな。」
いつもならとっくに寝ている時間である。二人はいつものようにまずトイレで用を済ませ、トイレ前に設置された洗面台のガラスに向かった。拓郎が歯ブラシの先を一郎の前に差し出すと一郎は歯磨き粉をブラシに載せてゆく。二人は無言で歯を磨いた。そしてベッドに戻ると寝間着に着替えた。
「さぁ、寝るよ。」
「うん。」
拓郎は梯子を登り歯ブラシをリュックにしまうとベットに横たわった。
横たわった拓郎の目の前は天井である。拓郎は興奮していた。ここには気を使う叔母さんもいないし、寝台列車の旅なんて初めてなのである。とても眠れそうになかった。
その時、皮のスーツケースを抱えた黒いマントの男が通路に現れ、まだカーテンを開けていた一郎に話し掛けてきた。
「おやっ、小さな旅人だね。何処まで行くのかい?
」
「博多までです。」
「ほぉ博多かぁ、遠いぞ。二人きりで行くのかな?」
「はい、母が死んだので僕たち柳川園という施設に行くんです。」
「へぇ、そうかい…。君たちは関門海峡という海の川の下に掘った長いトンネルの中をいくんだな。」
「海の下を潜るんですか?」
「そうだ。」
「どんな感じなんですか?」
「私も潜ったことはないが、聞いたところではトンネルはこの世とあの世の境界線のようらしい。大抵の人はトンネルに入っても戻って来られるが、時々トンネルから出てこられなくなってしまう人もいるらしい…」
「戻って来られない人はどうなるんですか?」
「列車から消える…」
マントの男は笑いながら別の車両へと消えて行った。一郎には冗談だと判ったが、拓郎は上段のベッドでシーツに包まって聞いていたが恐ろしくなってきた。
男が去った後も気になってまたまた寝つくことができない。
「ねぇ…」
「ん?」
「眠れない…さっきの話し本当かな?」
「あれは、あの人のイタズラだよ。」
「でも目が覚めちゃった。」
「あぁ、でも寝なくちゃ。」」
「でも、眠れない。」
「もう遅いし早く寝ないと明日朝起きられないよ。」
「ううん、トイレに行きたい…。」
「さっき行ったじゃないか。」
「でも行きたい…。」
「じゃあ行っておいで。」
「1人で…?」
「さっき行ったじゃないか。大丈夫だよ。」
拓郎も間違えるわけはないと思っている。それより先ほどの男の話、あの世を通る列車が怖かったのである。一郎の眠たそうな欠伸の声が聞こえてきた。
「分かった…」
そう言うと拓郎は梯子を降りた。
「じゃあ…、ベッドの番号は10番だからな…」
一郎はもう瞼を閉じていた。
その時プラットホームでは発車ベルが鳴り響き、発車を知らせる車内アナウンスが流れてきた。拓郎にとって発車ベルも車内アナウンスも不安な旅の合図に変わっていた。
「…気をつけて…」
「うん…」
電車の大きな揺れが1つあった後、景色がゆっくり動き出した。
一郎は再び大きなあくびを1つして寝返りを打った。既に拓郎の姿は無かった。
再び瞼が重たくなり意識がゆっくりと遠退いていく中で一郎は向かいの空きベッドに一匹の猫がいることに気がついた。
「猫だ…いつ乗ってきたんだろう…迷子だろうか…」
猫は前足を舐めながら身繕いをしていた。一郎が手を伸ばすと猫が顔を上げ一郎を見て、「ニャア」と一声鳴いた。
すると一郎の意識は遠退いていった。




