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第7話 幼馴染の距離感は、たぶん校則で制限できない

 昼休みという時間は、教室がいちばん教室らしくなる時間だと思う。


 授業中は、教室は先生のものだ。黒板があって、教壇があって、教科書があって、前を向かなければならない理由がちゃんとある。そこでは生徒の私語も、机の配置も、空気の流れも、全部どこか“管理されている”。


 でも昼休みは違う。


 先生がいなくなった瞬間、教室は急に生徒のものになる。椅子を引く音、机を寄せる音、購買へ走るやつ、弁当箱の蓋を開けるやつ、スマホを取り出すやつ、なぜか昨日の続きみたいな顔で話し始めるやつ。たかが四十分か五十分の自由時間なのに、その短さをまるで一切気にしていない顔でみんな好き勝手に動き出す。


 つまり、昼休みは危険だ。


 何が危険って、人間関係の距離感がいちばん露骨に出る。


 誰が誰と食べるのか。

 誰が誰の席へ自然に行くのか。

 誰の机に人が集まるのか。

 誰が、誰の隣に座るのを当然だと思っているのか。


 そういうものが、一番分かりやすく可視化される。


 だから昼休みは危険だ。

 僕にとっては、特に。


 四時間目の終了を告げるチャイムが鳴った瞬間、教室の空気がぶわっと弾けた。さっきまで眠そうにしていたやつが急に元気になるし、先生の最後の一言を半分聞き流しながら弁当を出し始めるやつもいる。学生という生き物は、昼食に対してだけは妙に機動力が高い。


 そして僕は、その機動力の中心から一歩引いたところで、とりあえず机の中から弁当箱を取り出した。


 今日は自分で用意した。いや、正確に言うと、昨日の夜のうちに“普通の高校生の昼食らしさ”を真面目に考えた末の結果である。


 あまりにも豪華すぎるのはだめだ。

 かといって質素すぎても不自然だ。

 キャラ弁みたいに個性が強いのも違う。

 コンビニだけで済ませると“生活感”の方向で嘘っぽくなる気もする。

 結果、ほどよく家庭的で、ほどよく普通、ほどよく誰にも引かれないラインを目指した。


 我ながら、食事ひとつにかける思考コストではない。


「神代くん」


 木乃実が振り返った。


「うん?」

「今、“さあ昼だ”って顔じゃなくて、“問題一を解く前の受験生”みたいな顔してたけど」

「そんなに?」

「してた」

 佐伯も笑う。

「弁当出すだけで緊張する?」

「しないこともない」

「するんだ」

「するだろ、初めての教室昼休みだぞ」

「言ってることは分かるけど、そこまで真顔になるやつは珍しいかな……」


 木乃実が言い終えるか終えないかのうちに、教室の前方から黒崎がやけに大きい声で笑うのが聞こえた。取り巻きみたいな男子が何人か集まっている。まだ完全なグループというわけではないが、“自分の周りをそういう空気にしていくのがうまいやつ”というのは二週目くらいで分かるものだ。


 僕がそちらへ一瞬だけ目を向けると、木乃実が小声で言った。


「見なくていいよ、あれ」

「何が?」

「黒崎くん」

「ああ」

「なんか、もうあのへん固まりつつあるよね」

「早いな」

「こういうのって、早い子は早いんだよ」

 木乃実が肩をすくめる。

「あと、自分から空気作るの得意な人いるし」

「得意って言い方するんだ」

「悪い意味だけじゃないよ?」

「でも、良い意味にも聞こえない」

「それはそう」


 その時だった。


「恒一くん、お昼、一緒に食べよ」


 声だけなら、春の日差しみたいに柔らかかった。


 だが問題は、声だけではない。声の主である朱音は、すでに僕の机の横へ来ていて、しかも片手には自分の弁当、もう片方の手には包みがひとつ増えていた。


 嫌な予感しかしない。


「……朱音」

「なに?」

「その、もうひとつ持ってるのは」

「あ、これ?」

 朱音は本当に何でもない顔で包みを持ち上げる。

「朝、恒一くんちょっと忙しそうだったから、多めに作ってきた」

「多めに?」

「うん。おかず」

「何で?」

「何でって、足りないかもしれないし」

「僕の弁当の中身を把握してないよね?」

「だいたいは」

「だいたいで多めに作ってくるの怖いな」

「怖くないよ、優しさだよ」

「優しさの方向が近いんだよ」


 木乃実が、ついに耐えきれなかったみたいに笑い出した。


「ちょ、待って。え、何それ」

「何って?」

 朱音がきょとんとする。

「普通におかず追加してる」

「だめ?」

「だめじゃないけど、幼馴染ってそこまでやるんだ……」

「やるよ?」

 朱音はあっさり言った。

「昔からだし」

「その“昔から”強いなあ」

 佐伯まで呟く。

「もう幼馴染っていうか半分お世話係じゃん」

「半分かな」

 木乃実が真顔で言う。

「九割くらいじゃない?」

「それは盛りすぎ」

 僕が言うと、朱音がすぐに返す。

「じゃあ八割」

「自分で下げるなよ」

「いやでも、残り二割はちゃんと幼馴染だし」

「分け方がよく分からない」

「分からない?」

「分からない」

「じゃあ説明しようか」

「しなくていい」

「なんで?」

「教室のど真ん中でされる説明じゃないから」


 朱音は少しだけ頬を膨らませる。あざとい。本人にその自覚がたぶんないのが、さらに厄介だ。


「恒一くん、ほんとすぐ人目気にするよね」

「気にするだろ」

「そこまで?」

「そこまで」

「昔はそんなにじゃなかったのに」

「昔は教室にクラスメイト全員いなかった」

「それはそう」

 朱音はそこで納得してしまった。

「じゃあ人目がなければいいんだ」

「どうしてそうなる」

「え、違うの?」

「違うよ」

「違うんだ」

「違う」

「ふうん」

 朱音は一拍置いてから、なぜか妙に柔らかい笑みを浮かべた。

「じゃあ、そのへんはまたあとで考えようね」

「何を」

「距離感?」

「今その話をやめたんだけど」

「やめたってことは、なくなったわけじゃないでしょ?」

「会話の理屈が強いんだよなあ」


 その一方で、エヴァはまだ席を立っていなかった。


 正確には、立ってはいる。立っているが、隣の机に手をついたまま、なぜかこちらを見ている。いや、こちらを見ているというか、“今起きている現象の意味を静かに計算している”みたいな顔をしていた。


「……幼馴染とは、そこまで自然に隣へ来るものですの?」


 ぽつり、とエヴァが言う。


 その声色は、表面上はいつも通りだった。刺々しさはある。冷たさもある。けれど、少しだけいつもより言葉が短い。そこが逆に引っかかった。


「来るよ?」

 朱音はにっこり笑う。

「だって、恒一くん放っておくとちゃんと食べない時あるし」

「そんなことはない」

「あるよ」

「ない」

「昨日の夜だって――」

「昨日の夜の話はしないで」

「あ、そこはだめなんだ」

「だめだよ」

「ふうん」


 朱音が、ちょっとだけ楽しそうに目を細める。


 それを見て、エヴァのまつ毛がわずかに揺れた。


「……ずいぶん、把握していらっしゃるんですのね」

「まあ、長いから」

「長いと何でも許される、というわけでもないと思いますけれど」

「許されるとかじゃなくて、もう習慣なんだよね」

 朱音はそう言って、僕の机の端へ自然に自分の弁当を置いた。

「はい、ここで食べよ」

「決定事項みたいに言うなよ」

「え、違うの?」

「いや、違うっていうか」

「違わないんでしょ?」

「……」

「ほら」

「そこ、無言を肯定扱いするのずるくない?」

「幼馴染だからね」

「便利だな、その言葉」


 木乃実が楽しそうに机を寄せてくる。


「ねえ、私ここいていい?」

「それを僕に聞く?」

「神代くんの机が中心っぽいし」

「中心にした覚えはない」

「でももう中心だよ」

 佐伯も椅子をずらしてきた。

「なんか今日の昼休み、ここ見てた方が面白そうだし」

「見世物か何か?」

「いや、友達の昼休み」

「まだ友達確定してたんだ」

「え、してなかった?」

 佐伯が少し笑う。

「俺はしてたけど」

「……」

「そこで黙るのずるいな」

「いや、ちょっと」

「照れた?」

 木乃実がすかさず食いつく。

「照れてない」

「今の間はちょっと怪しいよね」

「怪しくない」

「でもさ」

 木乃実が弁当箱の蓋を開けながら言う。

「神代くんって、距離の詰め方下手だけど、詰められるのはわりと受け入れるよね」

「え」

「いや、そんな気がして」

「どういう意味?」

「自分からぐいぐい行くタイプじゃないのに、人が来るとちゃんと相手するっていうか」

「受け身なんだな」

 佐伯が納得したように頷く。

「受け身って言われると、なんか格好がつかないな」

「でも間違ってはないよね?」

 木乃実が笑う。

「それは……」

 言い返そうとして、やめる。

「間違ってはない、かも」

「ほらね」

「自覚あるんだ」

「あるにはある」


 そんな会話をしているあいだに、朱音は本当に当然みたいな顔で僕の前に小さなおかず入れを置いた。


「これ、卵焼き」

「ありがとう」

「あと唐揚げ」

「多いな」

「多い方がいいかなって」

「どういう理屈」

「成長期だし」

「理屈としては間違ってないけど、供給量が幼馴染の域を超えつつある」

「え、どこが?」

「どこがって……」


 言葉に詰まる。


 どこが、と言われると難しい。難しいのだが、難しいからといって普通であることの証明にはならない。


 すると木乃実が、箸を持ったまま素直に言った。


「もう幼馴染っていうか、神代くん専属の生活サポート係みたい」

「そこまで?」

 朱音は本気で不思議そうだ。

「うん、そこまで」

「でも、別に特別なことしてないよ?」

「それがすごいんだって」

 木乃実が笑う。

「朱音さん、自分の距離感の近さに無自覚なんだもん」

「近いかなあ」

「近い」

 僕が即答した。

「だいぶ」

「えー」

「えー、じゃない」

「でも恒一くん、ちゃんと受け取るじゃん」

「それは」

「それは?」

「昔からそうだったし」

「ほら」

 朱音が得意そうにする。

「昔からなんだよ」

「今その“昔から”が一番だめなんだって」

「なんで?」

「重みが増すから」

「幼馴染って重いものじゃない?」

「その発想自体がちょっと危ないんだよな……」


 隣で、エヴァが弁当箱を開けた。


 静かだ。静かすぎる。


 普段の彼女なら、このへんで何かしら一言あるはずだった。朱音の距離感に刺すようなことを言うか、僕の困り方に呆れるか、その両方か。なのに今日は、思ったより口を挟まない。


 その代わり、箸の動きが少しだけ無駄なく速い。いや、速いというか、会話に入らない分だけ食べる方へ意識を向けている感じだ。


 僕は少しだけ気になった。


「……エヴァ」

「何ですの」

「今日、静かだね」

「あなたの基準でわたくしを測らないでくださいません?」

「そういう意味じゃなくて」

「ではどういう意味ですの」

「なんか、いつもより」

「いつもより?」

「口数少ない」

「そうでもありませんわ」

「いや、少ないだろ」

「気のせいでは?」

「気のせいかな」

「気のせいです」

「でも」

 僕は少しだけ首をひねる。

「君、さっきからあんまり会話に割って入ってこないし」

「……」

「何かあった?」

「ありません」

「ほんとに?」

「ほんとうに」


 言葉は平静だった。


 でも、その“ほんとうに”には微妙な余白があった。何もない人の“ほんとうに”ではなく、うまく説明しないまま済ませたい時の“ほんとうに”に近い。


 それが何なのか分からなくて、僕は少しだけ黙る。


 すると朱音が、いかにも軽い顔で割って入ってきた。


「もしかして、入りづらかった?」

「え?」

 エヴァがそちらを見る。

「だって、わたしが恒一くんのとこ来すぎてるかなって」

「別に、そんなことは」

「ない?」

「ありませんわ」

「そっか」

 朱音はにこっと笑う。

「ならよかった」

「……」

「でも、もしそうだったら言ってね?」

「言う必要はありません」

「遠慮しなくていいのに」

「遠慮ではありません」

「じゃあ何?」

「……」

 エヴァは一瞬だけ言葉を失って、それから少しだけ眉を寄せた。

「そういう言い方をされるのが、少し苦手なだけです」

「どういう?」

「自分が輪の外にいる前提で気を遣われるのは、あまり好きではありませんわ」

「……あ」

 朱音が、そこで少しだけ表情をやわらげた。

「それは、ごめん」

「謝る必要はありません」

「でも今のは、たぶんわたしが悪い」

「だから」

 エヴァは息を吐く。

「そういうふうに、すぐ真っ直ぐ返されると調子が狂うのです」

「それもごめん」

「それもいりません」

「難しいなあ」

「ええ。とても」


 その会話を聞いていて、僕は少しだけ拍子抜けした。


 もっと尖るかと思ったのだ。もっと露骨に棘が立つか、あるいは朱音が何事もなかったみたいに押し切るか。でも実際には、二人ともちゃんと引いて、ちゃんと相手の言葉を受け取った。


 ――いや、ちゃんとしているからこそ怖いのかもしれないけれど。


「ねえ」

 木乃実が小声で言う。

「今の、何かちょっと大人の会話っぽくなかった?」

「高校一年の昼休みで“大人の会話”ってどうなんだ」

 僕が返すと、

「神代くんの周り、たまにそうなるじゃん」

 木乃実は真顔だった。

「ふつう、もっと雑に“別にー”とかで流すところを、ちゃんと一回受け止めるっていうか」

「雑に流していいなら、その方が楽なんだけど」

「でも神代くん、それ無理そう」

「無理かも」

「でしょ?」


 そこへ、教室の前の方から黒崎がこっちへ歩いてきた。


 別に珍しいことじゃない。教室の中なのだから、前から後ろへ歩くくらい誰でもする。するのだが、なぜか彼は歩きながらわざわざ僕たちの机のあたりで足を止めた。


「へえ」

 黒崎が軽く笑う。

「神代って、昼すげえ賑やかだな」

「……まあ」

 僕が曖昧に返すと、黒崎は僕の弁当と朱音の追加おかずを見た。

「いいねえ。世話焼いてもらえて」

「別に、そんなんじゃ」

「そんなんじゃなくて何?」

 黒崎は笑っている。

「いや、羨ましいって。俺も誰か作ってくんねえかなって思っただけ」


 言葉だけなら軽い。軽いのだが、視線が少しだけ嫌だ。からかい半分、値踏み半分、みたいな目だ。


 僕が答えるより先に、朱音がにっこり笑った。


「黒崎くんも、仲のいい幼馴染作ればいいんじゃないかな」

「はは、今から?」

「だめ?」

「いや、だめじゃないけどさ」

 黒崎は朱音を見て、それから僕へ視線を戻した。

「神代、案外うらやましいポジションにいるな」

「そうかな」

「そうだろ。隣はあれだけ美人だし、こっちはこっちで世話焼きだし」

「……」

 僕が返答を選んでいる間に、朱音の笑顔が一ミリも崩れないまま固定される。


 怖い。


 本人はたぶん普通に笑っているつもりなのだろう。けれど、付き合いの長い僕には分かる。あれは“今、相手を危険度判定しています”の顔だ。


「黒崎くん」

 朱音は柔らかく言った。

「そのへん、軽く言わない方がいいと思うな」

「え?」

「恒一くん、そういう言われ方あんまり好きじゃないから」

「……そうなの?」

 黒崎が、今度は僕を見る。

「いや、まあ」

「だよね」

 朱音は僕の返事を待たずに頷いた。

「だから、そのへんでやめといてくれると助かるかな」

「……」

 黒崎は一瞬だけ黙って、肩をすくめた。

「悪かったよ。そんなつもりじゃなかったし」

「うん、ならいいよ」


 笑顔のまま。


 完璧に笑顔のまま。


 なのに、黒崎はそれ以上一歩も踏み込まなかった。軽く手を振るみたいにして、そのまま離れていく。


 木乃実が小声で言う。


「今の、ちょっとすごくなかった?」

「何が?」

 朱音が振り向く。

「え、いや、すごい普通に返してたけど」

「普通だったよ?」

「普通の顔で、普通じゃない圧があった気がする」

「そんなのあった?」

「神代くん」

 木乃実が僕を見る。

「今の、あったよね?」

「……少しだけ」

「ほら!」

「えー」

 朱音は不満そうにする。

「なんで恒一くんまでそっち側なの」

「いや、そっち側っていうか」

「わたし、ほんとに普通に言っただけだよ?」

「それはそうなんだけど」

「けど?」

「笑顔の圧が少し」

「圧なんてないよ」

「いや、ある」

 僕ははっきり言った。

「たまにある」

「たまにかあ……」

 朱音は少し考えた。

「じゃあ、たまにしかないならセーフ?」

「どういう基準」

「ダメ?」

「ダメ寄りだと思う」

「そっか」


 しょんぼりした顔をするのが、またずるい。


 そのやり取りのあいだ、エヴァはほとんど何も言わなかった。


 ただ、黒崎が離れたあとで一度だけ、朱音を見た。何かを測るみたいな、あるいは“なるほど、そういうタイプですのね”と理解を更新するみたいな視線だった。


 それから僕の方へ視線を移し、小さく言う。


「あなた」

「何」

「普段から、こういう感じなんですの?」

「どういう感じ」

「守られているようで、放っておかれていない感じです」

「日本語がちょっと面白いな」

「質問に答えてください」

「……まあ」

 僕は少し考えた。

「昔から、こういうところはある」

「こういうところ、で済ませるんだ」

「済ませたい」

「済ませたいだけでしょう」

「その通りです」


 エヴァはそれ以上は追及しなかった。


 ただ、そのあと弁当を食べるペースが少し戻った。さっきまでより、ほんの少しだけ会話に入る余地ができたように見えて、僕はなぜか少し安心する。


 昼休みの残り時間は、そこから少し穏やかだった。


 木乃実が購買のパンの当たり外れについて熱弁し、佐伯が部活見学はどこへ行くか迷っている話をして、朱音がそれに「じゃあわたしも見に行こうかな」と自然に混ざり、エヴァが「あなたは何を基準に学校生活を組み立てているんですの」と静かに刺す。


 その全部が騒がしくて、近くて、面倒で、でも変に心地いい。


 チャイムが鳴る少し前、僕は空になりかけた弁当箱を閉じながら、朱音に小さく言った。


「ありがとう」

「ん?」

「おかず」

「ああ」

 朱音は、すぐに笑った。

「いいよ、そのくらい」

「助かったのは本当」

「うん」

「でも」

 僕は少しだけ言いづらかったが、ちゃんと続ける。

「少しだけ、普通の幼馴染っぽくしてくれると助かる」

「……普通の幼馴染?」

「その、こう」

「こう?」

「人前で、もう少しだけ距離がある感じというか」

「今でもあるけど」

「あるかな」

「あるよ」

「いや、あれで?」

「うん」


 朱音は少しだけ黙った。


 怒るかと思った。あるいは、ふざけて流すかと思った。けれど彼女は本当に一度だけ考えるみたいに目を伏せて、それからふっと笑った。


「じゃあ、恒一くんが普通の幼馴染を教えて?」

「え」

「わたし、ずっとこの距離だからさ」

 朱音は困らせるつもりがあるのかないのか分からない顔で言う。

「何が普通で、何が近すぎるのか、正直よく分かんない」

「それは……」

「ね、教えて」

「……」


 答えられなかった。


 だって本当に分からないからだ。


 朱音は昔からいた。

 近くにいて当たり前で、何かあれば先に気づいて、面倒でも助かって、時々すごく困るのに、いなくなる想像ができない。


 それを“普通の幼馴染”という言葉で切り分けろと言われても、僕にはその物差しがない。


「ほら」

 朱音は小さく笑った。

「答えられないでしょ?」

「……ずるいな」

「ずるい?」

「その聞き方」

「でも本当だよ」

「本当なのがいちばん困る」


 チャイムが鳴る。


 昼休みが終わる音だ。


 みんなが席へ戻り始める中、僕は何とも言えない気持ちで前を向いた。助かる。けれど、逃げた気もする。


 そして、逃げたことはたぶん隣の席にもしっかり見られていた。


 エヴァが教科書を机に出しながら、ほんの少しだけ複雑そうな顔をしていたからだ。


 それは怒っている顔ではない。呆れているとも違う。もっと曖昧で、もっと説明しづらい表情だった。


 僕がそれを不思議に思うより先に、次の授業の先生が入ってくる。


 昼休みは終わる。


 でもたぶん、さっきの会話は終わっていない。


 そういう予感だけが、妙に静かに机の上へ残っていた。

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