第64話 探ってくるやつは、自分も探られたくない
探ってくるやつは、だいたい自分も探られたくない。
当たり前と言えば当たり前だ。
人の顔色や手札を見たがるやつほど、自分の中身を先に見せるのは嫌がる。軽口の顔で近づいて、冗談みたいな口調で本気のことを聞くくせに、こっちが同じ角度で返した途端、急に“何言ってんの?”の顔をする。
黒崎蓮司は、たぶんその典型だった。
最近のあいつは、前より露骨にではなく、前より薄く探ってくる。
何か先生に話した?
最近誰と何話してる?
何か掴んだ?
そういう言葉を、冗談の皮をかぶせて投げてくる。
でも、皮が薄い。
だから中身が見える。
そして、そういうやつに対して一番効くのは、たぶん同じだけ曖昧な角度で返すことなのだろう。
朝の教室。
木乃実は、僕が席についた瞬間にもうこっちを見ていた。
「神代くん」
「何」
「今日、昨日の続き考えてる」
「最近ほんとそればっかりだな」
「だって分かるし」
木乃実は頬杖をつく。
「しかも今日は、“黒崎くんまた探ってくるかも”の顔」
「……」
「図星」
「そこまで読むのやめろ」
「無理」
「即答するな」
「便利だから」
「ほんとその言葉好きだな」
「だって便利だもん」
後ろから佐伯が入る。
「でも来るだろ」
「何が」
僕が聞くと、佐伯は眠そうな顔のまま肩をすくめた。
「黒崎の探り」
「……」
「昨日、“何か掴んだ?”まで言ってきたんだろ」
「うん」
「だったら次はもう少し具体的に来る」
「具体的?」
「先生に何話した、とか」
「……」
「誰と組んでる、とか」
木乃実が補足する。
「そこ、かなりありそう」
「嫌な予想だな」
「でも当たりそう」
「かなりな」
少し離れた席から、エヴァの声が届く。
「当然ですわね」
その一言が、やけにきっぱりしていた。
「何が当然なんだ」
僕が聞くと、エヴァは平然としている。
「向こうから見れば、最近の神代恒一は静かすぎる」
「うん」
「静かな人間は、何も考えていないか、かなり考えているかのどちらかです」
「……」
「黒崎蓮司が警戒するなら後者でしょう」
「……」
「つまり?」
「つまり」
エヴァは少しだけ目を細めた。
「探ってくるのは自然です」
「……」
「何ですの」
「いや」
僕は苦笑した。
「君、ほんとにそういうところだけ迷いないなって」
「迷う理由がありません」
「強いな」
「必要なので」
「便利な理屈だ」
「あなた方ほどではありません」
朱音は今日、朝からやや不機嫌だった。
「何だよ」
僕が聞くと、朱音は教室の前の方を見たまま言う。
「今朝も見てた」
「黒崎?」
「うん」
「何回?」
「二回」
「細かいな」
「そこ大事だから」
朱音は僕の方を見る。
「で、たぶん今日も来る」
「探り?」
「うん」
「しかも昨日よりもう少し具体的」
「……」
「何その顔」
「いや」
僕は息を吐いた。
「みんな同じ予測するなって」
「だって、最近の流れ見てればそうだし」
「それはそうだけど」
「だから」
朱音は言う。
「今日は、答えすぎないで」
「……」
「分かってる?」
「分かってる」
「うん」
「でも」
「でも?」
「向こうに聞き返すくらいはしたい」
「それはあり」
朱音はあっさり言った。
「むしろした方がいい」
「珍しく即答だな」
「だって」
朱音は小さく肩をすくめる。
「探ってくるやつって、自分が探られると嫌がるし」
「……」
「何だよ」
「いや」
僕は苦笑した。
「今日のタイトルみたいなこと言うなって」
「意味分かんない」
「たぶん褒めてる」
「じゃあいいや」
二時間目の終わり。
廊下へ出たタイミングで、その“来る”は本当に来た。
教室の前方、窓際。
黒崎が二人組の男子と話していたが、僕が通りかかると自然に一人抜けてこっちへ来る。
あまりに自然で、逆に分かりやすい。
「神代」
声は軽い。
「何」
僕が返すと、黒崎は少しだけ笑った。
「最近さ」
「うん」
「先生と何か話した?」
「……」
やっぱりそこか、と思う。
「何で」
僕は平坦に聞き返す。
「いや、何か」
黒崎は肩をすくめる。
「最近、遠山ちょっとおまえのこと見るし」
「先生、な」
「細か」
「で?」
「で、って」
黒崎は笑った。
「別に気になっただけ」
「そうか」
「うん」
「じゃあ僕も気になっていい?」
「は?」
「最近、おまえの方がこっち見てる理由」
「……」
「何だよそれ」
「そのままの意味」
僕は少しだけ首を傾ける。
「先生に何話した?って聞いてきた」
「うん」
「最近誰と話してるかも気にしてる」
「……」
「それって、何で?」
「何でって」
黒崎の笑い方が、ほんの少しだけ薄くなる。
「別に気になっただけだけど」
「便利な言い方だな」
「おまえ最近それ好きだな」
「おまえも“考えすぎ”好きだろ」
「……」
「で?」
僕は続ける。
「何を気にしてる」
「……何も」
「そうか」
「そうだよ」
「じゃあ」
僕は平坦に言う。
「先生に何話したって聞く必要ないだろ」
「……」
その一拍の沈黙で分かる。
やっぱり向こうは、そこを気にしている。
「神代」
黒崎が言う。
「おまえ最近、ほんと面倒」
「知ってる」
「自覚あるんだ」
「かなり」
「……」
そこで終わるかと思ったが、黒崎はもう一歩だけ踏み込んだ。
「木乃実たちとも、いろいろ話してんだろ」
「……」
「それも気になる?」
僕が聞くと、黒崎は肩をすくめる。
「別に」
「便利な言い方だな」
「おまえ本当にそれ好きだな」
「最近のおまえにちょうどいいから」
「……」
「何だよ」
「いや」
僕は少しだけ笑った。
「おまえ、探る時だけ雑になるなって」
「は?」
「先生に何話した」
「……」
「誰と話してる」
「……」
「そこまで聞くの、わりと必死だろ」
「考えすぎ」
「そうかも」
僕は頷いた。
「でも、その“考えすぎ”で逃がしたいことがあるようには見える」
「……」
「何その顔」
「いや」
僕は平坦に返す。
「思ったより分かりやすいなって」
黒崎はそこで笑った。
笑ったが、目の温度は低い。
「好きに思っとけよ」
「そうする」
「ほんと最近うざいな」
「知ってる」
「……」
そこでチャイムが鳴って、黒崎はそのまま教室へ戻っていった。
やり取りとしては短い。
でも、十分だった。
先生に何話した。
木乃実たちと何を話している。
そこを聞いてくるということは、やっぱり向こうも自分の見え方の変化を気にしている。
そして、探ってくる側は、自分が探られると急に薄くなる。
昼休み。
僕がその話をすると、木乃実が真っ先に言った。
「うわ」
「何」
「やっぱり、かなり探ってる」
「そう思う?」
「思うよ」
木乃実は腕を組む。
「だって、“先生と何話した?”って」
「うん」
「普通に気になってるじゃん」
「うん」
「しかも、神代くんが聞き返したら急に“別に”になる」
「……」
「それ、だいぶ分かりやすい」
「かなりな」
僕が答えると、佐伯も頷いた。
「向こう、たぶん今一番嫌なのそこなんだろ」
「どこ」
「自分が何を警戒してるか見られること」
「……」
「探りって、相手の手札見たい時にやるやつだし」
「うん」
「でも逆に、“何でそんなに気にしてんの?”って返されるのは嫌」
「……」
「それ」
三田村が小さく言った。
「ちょっと分かる」
「何が」
「黒崎くん、最近神代くんのこと前より見てる」
「……」
「前は“神代、面倒”って感じだったけど」
「うん」
「今は“神代、何持ってる?”みたいな」
「……」
「何だよ」
「いや」
僕は少しだけ息を吐いた。
「やっぱり、周りから見てもそう見えるんだなって」
「うん」
「かなり」
少し離れたところで、エヴァが静かに言った。
「ようやく、向こうも余裕だけでは押せなくなってきましたわね」
「何だよその言い方」
僕が聞くと、エヴァは平然としている。
「そのままの意味です」
「余裕だけでは押せない?」
「ええ」
エヴァは頷く。
「今までの黒崎蓮司は、“神代恒一はその場で止めるだけ”だと思っていた」
「うん」
「だから軽く流せた」
「うん」
「でも今は違う」
「……」
「静かに見ている」
「うん」
「記録しているかもしれない」
「うん」
「先生にも一度話が行っている」
「……」
「そこまで揃うと、向こうも探る」
「……」
「そして」
「……」
「探る側は、自分が探られると弱い」
「……」
「何ですの」
「いや」
僕は少しだけ苦笑した。
「今日の君、かなり楽しそうに分析するなって」
「気のせいです」
「いや」
「気のせいです」
「押し切るなあ」
「必要なので」
朱音は、その会話のあとで小さく言った。
「だから言ったじゃん」
「何を」
「聞き返した方がいいって」
「……」
「今の、かなり効いたでしょ」
「効いたかもな」
「うん」
「何だよ」
「いや」
朱音は少しだけやわらかく笑った。
「恒一くん、前より“自分の質問”を使うの上手くなったなって」
「それ褒めてる?」
「かなり」
「また割合なしだな」
「今日は本気」
探ってくるやつは、自分も探られたくない。
今の黒崎の薄い笑い方を見ていると、その当たり前が少しだけよく分かる。




