第54話 相談には、付き添う人間がいた方が強い
相談というのは、一人で行くと少し弱い。
いや、内容が弱くなるわけじゃない。
困っていることそのものが小さくなるわけでも、言っていることの正しさが減るわけでもない。
ただ、一人で話した瞬間に、それは急に“その人がそう感じている話”へ見えやすくなる。
気にしすぎかもしれない。
考えすぎかもしれない。
その人の受け取り方の問題かもしれない。
そういう逃げ道が、話の周りにたくさん生まれる。
でも、同じ場面を見ていた人間がもう一人いるだけで、少し変わる。
さらにもう一人いれば、だいぶ違う。
それはたぶん、証拠というほど強くない。
けれど、“ただの印象”よりはずっと崩れにくい。
最近の僕は、ようやくそこまで考えるようになっていた。
朝の教室。
いつも通りのようで、最近はもう“いつも通り”という言葉の中にいろんな含みがある。
木乃実は朝から元気だが、その元気の底で周囲をよく見ている。
佐伯は眠そうなくせに変なところだけ察しがいい。
三田村は前よりずっと顔を上げるようになったが、それでもまだ何か起きると自分を先に疑う癖が少し残っている。
そして僕は、朝からその三人のうち二人へ話しかけるタイミングを探していた。
「神代くん」
木乃実が先に僕を呼んだ。
「何」
「今日、朝から“決めた”顔してる」
「最近ほんとに人の顔ばっか見てるな」
「神代くんが分かりやすすぎるの」
木乃実は頬杖をつく。
「しかも今日は、“考えてる”じゃなくて“決めた”」
「……」
「図星」
「ほんとに逃げ道ないな」
「で、何決めたの?」
「……」
「言えない系?」
「いや」
僕は少しだけ息を吐いた。
「むしろ言うために考えてた」
「何を」
「先生に」
「……」
「うわ」
木乃実が小さく言う。
「とうとうそこまで行くんだ」
「行く、っていうか」
「うん」
「ちゃんと一回、話した方がいい気がしてる」
「……」
「前も少し話したけど」
「うん」
「今度はもう少し形にして」
「……」
「なるほど」
木乃実はすぐに理解した顔をした。
「で、それ私も関係ある話?」
「かなり」
「うわ、即答」
「最近の資料の順番とか、補足メモとか」
「うん」
「木乃実、ほとんど見てるだろ」
「見てるね」
「だから」
僕は少しだけ言葉を選んだ。
「一緒に来てほしい」
「……」
木乃実は、その瞬間だけ珍しく黙った。
驚いた、というより。
ちょっとだけ真面目に受け取った顔だ。
「いいよ」
返事は早かった。
「早いな」
「そりゃ行くでしょ」
「そんなに迷わない?」
「迷うけど」
木乃実は肩をすくめる。
「でも、今のって神代くん一人の“気になる”にしちゃだめなやつだと思うし」
「……」
「それに」
「それに?」
「私も普通に嫌だった」
「……」
「資料の順番とか、“神代くんが細かいせいで止まってる”みたいな流れとか」
「うん」
「そういうの、見てたし」
「……」
「だから、行く」
「……」
「何」
「いや」
僕は少しだけ苦笑した。
「助かる」
「でしょ?」
「そこ自分で言うんだ」
「言うよ」
「強いな」
その少しあと、今度は三田村へ話しかけた。
話しかけた、というより。
向こうもたぶん何かあると察していたのかもしれない。僕が声をかけるより少し早く、三田村の方がこちらを見た。
「神代くん」
「うん」
「何かある?」
「ある」
僕は正直に言った。
「ちょっと、いいか」
「うん」
僕たちは教室の後ろの棚の近くへ移動した。
木乃実も自然に来る。
「えっと」
三田村が少しだけ緊張した顔で言う。
「何の話?」
「先生のこと」
「……」
「遠山先生?」
「うん」
「……」
三田村はそこで、もう半分くらい察した顔になった。
「話すの?」
「話したい」
僕は言った。
「ちゃんと一回」
「……」
「黒崎くんのこと?」
「最初から名前を主語にはしない」
「……」
「でも」
「でも?」
「教室の中で起きてたこと」
「うん」
「資料やメモのずれ」
「うん」
「誰かが悪い方へ流れやすかったこと」
「……」
「そこは、ちゃんと伝えたい」
「……」
「それで」
僕は三田村を見る。
「一緒に来てほしい」
「……」
三田村は、木乃実より長く黙った。
無理もないと思う。
僕と木乃実は、どちらかといえばまだ“言う側”だ。
でも三田村は、実際に流れの中で下に置かれやすかった側でもある。
そういう人間に、“一緒に来てほしい”は重い。
「……俺でいいのかな」
やがて三田村が言った。
「いい」
僕はすぐ答えた。
「むしろ三田村がいた方がいい」
「……」
「何で」
「実際に、あの流れを一番受けてたのが三田村だから」
「……」
「それに」
木乃実が横から言う。
「三田村くん、見てたことちゃんと言えるようになってきてるし」
「……」
「最近の“俺もそれ見た”ってやつ、かなり大きいと思う」
「……」
三田村は少しだけ目を伏せて、それから小さく言った。
「……緊張する」
「するよな」
僕は頷く。
「かなり」
「……」
「でも」
「でも?」
「一人で行くより、たぶん崩れにくい」
「……」
「僕がそう感じたこと、じゃなくて」
「うん」
「実際に複数人が見たこと、になるから」
「……」
「だから」
僕は静かに続けた。
「一緒に来てほしい」
「……」
三田村はもう一度黙って、それからようやく頷いた。
「……うん」
「いいのか」
「いい」
彼は少しだけぎこちなく笑った。
「たぶん、今はその方がいい」
「……」
「何」
「いや」
僕は少しだけ肩の力が抜けた。
「助かる」
「神代くん、それ今日二回目」
「そうだな」
「かなり珍しい」
木乃実が笑う。
「今日ちょっと素直だね」
「最近ずっと嫌な方向に鍛えられてるからかもな」
「それ、嬉しくない成長」
「かなりな」
少し離れた席から、エヴァがこちらを見ていた。
いつものように、必要なことはだいたい察している顔だ。
昼休みにその話をすると、案の定、彼女はほとんど間を置かずに言った。
「それで正解ですわ」
「早いな」
僕が言うと、エヴァは平然としている。
「むしろ遅いくらいです」
「そこまで言うか」
「言います」
彼女は淡々と続ける。
「今の段階で大事なのは、“神代恒一が気にしている”ではなく」
「うん」
「複数人が、同じようなずれや流れを見ていること」
「うん」
「木乃実さんは、一般的なクラスメイトの立場で言える」
「……」
「三田村くんは、実際にその流れの中へ置かれやすかった側として言える」
「……」
「そしてあなたは、順番を整理して話せる」
「……」
「その三人なら、少なくとも前回よりずっと強い」
「……」
「何ですの」
「いや」
僕は少しだけ苦笑した。
「最近の君、そういう時ほんと迷わないなって」
「迷う理由がありません」
「そこまで言い切るの強いな」
「当然でしょう」
「便利な理屈だ」
「あなた方ほどではありません」
朱音は、その話を聞くと少しだけ不満そうな顔をした。
「わたしは?」
「何が」
「一緒に行くの」
「……」
僕は少し迷ってから言った。
「正直、来てほしい気持ちはある」
「うん」
「でも」
「でも?」
「今回は、見た場面をそのまま話せる人の方が強い」
「……」
「朱音は?」
木乃実が横から言う。
「たぶん、察しすぎる側」
「ひどくない?」
朱音がすぐに言い返す。
「でもちょっと分かる」
僕が言うと、朱音は頬をふくらませた。
「恒一くんまで」
「いや」
僕は苦笑する。
「おまえの勘はかなり助かってる」
「うん」
「でも今必要なのは、“見たことをそのまま言える人”」
「……」
「だから、今回は」
「……待つ」
朱音は自分で言って、少しだけ目を細めた。
「それ、わりと難しいんだけど」
「知ってる」
「でも」
「でも?」
「分かった」
朱音は小さく息を吐く。
「その方が届くなら、待つ」
「……」
「何」
「いや」
僕は正直に言った。
「ありがたいなって」
「そういうの、最近ちょっとずるい」
「何が」
「素直なやつ」
「そっちか」
「そっちだよ」
放課後。
僕は遠山先生へ、短く声をかけた。
「先生」
「ん?」
「少しだけ、お時間もらえますか」
「今?」
「放課後で大丈夫です」
「……」
先生は一瞬だけ僕を見て、それから頷いた。
「分かった」
「ありがとうございます」
「一人?」
「……」
そこで、僕は一拍だけ置いた。
「できれば」
「うん」
「木乃実と三田村も一緒に」
「……」
「そっか」
遠山先生は少しだけ真面目な顔になった。
「じゃあ放課後、少し残って」
その返事を聞いた瞬間、胸の奥で何かが少しだけ固まる。
たぶんここから、本当に“教室の外へ届かせる”段階へ入るのだろう。
相談には、付き添う人間がいた方が強い。
そのことを、今日はたぶん僕自身がいちばん強く分かっていた。




