第43話 ずれたのが偶然かどうかは、二回目から怪しい
偶然は、一回目ならまだ偶然でいられる。
二回目からは、少し怪しい。
三回目になると、もうだいぶ嫌だ。
四回目まで来ると、人はようやく「これ、偶然って言い続けていいのか?」と考え始める。
問題は、その“ようやく”にたどり着くまでのあいだ、誰か一人だけがずっと嫌な役を引かされていることだ。
最近の僕は、その“ようやく”より少しだけ先に立っている気がする。
班発表前日。
教室の空気は、朝から少し乾いていた。
いつもより笑い声が軽い。
でも、その軽さの裏に妙な緊張がある。
発表準備なんて大したことじゃない、と思っているやつほど、前日になると妙にそわそわするものだ。しかも僕たちの班は、ここしばらく“小さいずれ”に振り回されている。
だからこそ、今日は朝からみんな少しだけ慎重だった。
「神代くん」
木乃実が開口一番そう言った。
「何」
「今日、昨日より一段ちゃんとしてる」
「何だその評価」
「いや」
木乃実は笑う。
「最近ずっとちゃんとしてるんだけど、今日は“何か来ても順番見ます”って顔してる」
「……」
「図星」
「最近ほんとに人の顔ばっか見てるな」
「神代くんが分かりやすすぎるんだって」
「その言葉、もう聞き飽きた」
「でも当たってるでしょ?」
「まあ」
「ほら」
「そこで得意げになるなよ」
後ろから佐伯が椅子を少し鳴らした。
「今日、来るならたぶん班メモだな」
「おまえまで」
僕が振り返ると、佐伯は眠そうな顔のまま肩をすくめた。
「昨日の“勝手に増えた一文”で一回様子見しただろ」
「うん」
「で、今日は本番前日」
「うん」
「なら、もう少しだけ分かりづらい形で来る」
「嫌な読みだな」
「最近のクラス、そういう精度だけ上がってる」
「嬉しくないな」
少し離れた席から、エヴァの声が入る。
「分かりづらい形、というより、“勘違いで済ませやすい形”でしょうね」
「朝からやけに正確だな」
僕が言うと、エヴァは平然としていた。
「最近の黒崎蓮司はずっとそうですもの」
「うん」
「露骨にやるより、あとから“そんなつもりじゃない”で逃げられる形を好む」
「……」
「何ですの」
「いや」
僕は少し苦笑した。
「君のその整理、ほんと嫌なくらいきれいだなって」
「嫌なら聞かなければいいのでは?」
「それができないくらい当たってるから困る」
「なら結構です」
「そこ、珍しく肯定なんだ」
「あなたにしては珍しく素直なので」
朱音は今日は少し遅れてきたが、席へ着く前に僕の机の近くまで来て、小さく言った。
「今日、たぶん言葉じゃなくて“順番の食い違い”で来る」
「また紙か」
「紙か、口頭の伝達」
朱音は黒崎の方を見ずに言う。
「“誰がそう言ったことになってたか”がずれるやつ」
「……」
「何だよその顔」
「いや」
僕は素直に認める。
「だいぶ僕と近いこと考えてるなって」
「長いからね」
「またそれか」
「便利だよ?」
「その言葉の使い方、クラスで禁止したいな」
午前中は、表面上何も起きなかった。
黒崎は静かだった。
静かすぎるくらいだった。
先生の前ではもちろん感じがいいし、先生がいない時でも、今日は目立つ軽口が少ない。だから逆に分かる。あいつは今、何かを待っているか、あるいはもう置いたあとか、そのどちらかだ。
昼休み。
班発表の最終確認で、僕たちはまた後ろの棚の近くに集まっていた。
木乃実が進行メモ。
三田村が補足メモ。
小坂が資料本体。
僕が全体の順番。
もう最近は、この並びだけで少し緊張する。
「じゃあ、最後にもう一回だけ確認するね」
木乃実が言う。
「うん」
「導入は私」
「うん」
「小坂さんが前半」
「うん」
「三田村くんが補足」
「うん」
「神代くんが締め」
「うん」
「で――」
そこで木乃実が止まった。
「あれ?」
「何」
僕が聞くと、木乃実は手元のメモと小坂の資料を見比べた。
「発表順、ここ違くない?」
「え?」
三田村が覗き込む。
「どこ」
「小坂さんの前に、神代くんの補足が入ってる」
「……」
僕はすぐに資料を見た。
違う。
昨日の最終確認では、小坂の説明のあとに三田村の補足、そのあとで僕の締めだった。
でも今の資料には、なぜか僕の補足説明が途中へ差し込まれている。
しかも、そのずれ方が嫌だった。
これだとまた、“神代が途中で口を出して全体を握っている”みたいに見えやすい。
「これ、昨日こうだった?」
僕は静かに聞く。
「違う」
小坂がすぐに答えた。
「昨日は私のあと、三田村くんだった」
「うん」
三田村も頷く。
「俺もそう覚えてる」
「私も」
木乃実が言う。
「これ、昨日の最後に神代くんが並び直してたやつでしょ」
「そう」
僕は頷いた。
「だから、昨日の時点ではこの順番じゃない」
「……」
そこで、ふと気づく。
進行メモじゃない。
今回は資料の本体側だ。
しかも資料の本体にその順番が反映されているということは、ただ一文が増えたとかじゃなく、誰かが“発表の認識”そのものを少しずらしたことになる。
それは前より一段進んだ嫌さだった。
「また?」
木乃実が低く言う。
「うん」
僕は短く答える。
「たぶんそう」
「……」
「誰が最後に触った?」
三田村が聞く。
その聞き方に、少しだけ変化を感じた。
前なら“どうしよう”の方が先に出ていた。
今は違う。
ちゃんと順番を追う方へ来ている。
「昨日の最後」
僕は資料を見たまま言う。
「小坂さんがまとめて」
「うん」
「僕が順番確認して」
「うん」
「三田村がファイルに戻した」
「うん」
「そのあと」
「……」
「黒崎くん、来てた」
木乃実が先に言った。
「やっぱり」
朱音が小さく言う。
「昨日も今日も、そこだけ近い」
「……」
「何だよその言い方」
僕が聞くと、朱音は肩をすくめた。
「だってそうでしょ」
「そうだけど」
「ならいいじゃん」
そのタイミングで、まるで話題に呼ばれたみたいに黒崎が来た。
「何してんの」
やっぱりな、と思う。
こういう時だけ本当にぴったり来る。
「資料確認」
僕が答えると、黒崎は机の上の紙を見る。
「へえ」
「……」
「また何かずれてんの?」
その“また”が、やけに耳についた。
「確認するけど」
僕はすぐに言った。
「昨日、この資料の順番、見てた?」
「は?」
「おまえ」
「何で俺」
「昨日の最後、このへんいたから」
「……」
「資料の本体、触った?」
「触ってねえよ」
「ほんとに?」
「……」
「今はそれでいい」
僕は紙を指で押さえる。
「ただ、この並びは昨日の最後とは違う」
「だから?」
「だから、誰が最後に触ったか見てる」
「神代さ」
黒崎が笑う。
「最近ほんと探偵ごっこ好きだな」
「ごっこじゃない」
「じゃあ何」
「勘違いで終わらせやすい形ほど、順番見ないとまずいだけ」
「……」
「今の、まさにそうだろ」
「何が」
「資料の順番がずれてる」
「うん」
「それを“あれ、神代またやった?”で済ませるのが一番楽」
「……」
「だから、その前に確認してる」
黒崎は少しだけ目を細めた。
笑っている。
でも、その笑い方が薄い。
「いや別に」
黒崎は肩をすくめる。
「俺、そんなこと言ってないけど」
「まだな」
僕は静かに返す。
「でも言いやすい形だろ、これ」
「考えすぎ」
「そうやってまた言う」
「だってそうじゃん」
黒崎が笑う。
「最近のおまえ、何でも意味ありげに拾いすぎ」
「拾わないで済んでたら、ここまでなってない」
「……」
「今のもそうだ」
僕は資料を見る。
「黒崎がやったって言ってるわけじゃない」
「じゃあ何」
「でも、こういう“誰がずらしたか分かりにくい形”って、最近の流れの中だとかなり都合いい」
「……」
「それを確認してるだけ」
「……」
そこへ、三田村が小さく口を開いた。
「俺も」
「……」
「今のは、神代くんの方が普通だと思う」
「……」
「だってまた“勘違いだったんじゃない?”で流したら」
三田村は少しだけ息を吸って続ける。
「最近のやつ、全部そうなる」
その一言は、だいぶ大きかった。
教室の空気の中で、“最近のやつ、全部そうなる”を三田村が口にする。
それはもう、ただ押される側だった頃の三田村ではない。
「うん」
木乃実もすぐ言った。
「今のはちゃんと確認した方がいい」
「小坂さんも?」
僕が聞くと、小坂は少し緊張しながらも頷いた。
「私も、昨日の順番と違うのはたしか」
「……」
「だから」
小坂は小さく言う。
「神代くんが、今その確認してるのは変じゃない」
黒崎は、一瞬だけ黙った。
そこでチャイムが鳴った。
次の授業の始まりを告げる音。
嫌なくらいちょうどいいタイミングだ。
「はいはい」
黒崎が肩をすくめる。
「じゃあ勝手に確認してろよ」
「するよ」
僕は答えた。
「最近、それ必要だから」
「……ほんと面倒くせえな」
「知ってる」
黒崎はそのまま自分の席へ戻っていった。
僕は資料をファイルへ戻しながら、ひとつだけ強く思う。
これ、決定打ではない。
でも、かなり嫌な流れだ。
しかも黒崎は、そのずれを知っていたようなタイミングで来た。
直接の証拠にはならない。
けれど、“知っていたとしか思えない一言”というのは、こういう時に地味に効く。
授業のあと、エヴァが小さく言った。
「今のは、前よりずっと良かったですわ」
「何が」
僕が聞くと、エヴァは平然としている。
「食いつき方です」
「……」
「前なら、“それ違うだろ”で止めていた」
「うん」
「今は、“昨日の最後からどこで変わったか”を先に見た」
「……」
「しかも、誰かが悪いと断定しないまま」
「……」
「そこまでできれば、冗談では逃げにくい」
「……」
「何ですの」
「今の、かなり褒めてるだろ」
「違います」
「早い」
「違います」
「二回言った」
「必要だったのです」
「便利だな」
「あなた方ほどではありません」
朱音は、その会話を聞きながら少し笑った。
「うん」
「何」
僕が聞くと、
「今日の恒一くん、かなり準備してたなって」
「……」
「何か起きてもすぐ“誰だ”じゃなくて、“いつからずれたか”に行った」
「うん」
「それ、前よりかなり強い」
「そうか」
「うん」
「でも」
「でも?」
「まだ証拠じゃない」
「分かってる」
僕は頷いた。
「でも」
「でも?」
「“知ってたとしか思えない一言”は、覚えておく価値ある」
「……」
「うん」
朱音は真顔で頷いた。
「そこ、今日いちばん大事かも」
放課後、教室の空気はまた少しずつ薄くなっていく。
本番前日だからか、みんなの帰り支度も早い。
その中で、僕は資料のずれた順番を頭の中でもう一度並べ直していた。
昨日の最後。
今日の昼。
誰がいて、誰がいなくて、誰が来て、何を言ったか。
ずれたのが偶然かどうかは、二回目から怪しい。
そして今日は、その“怪しい”がかなりはっきりしていた。




