第40話 親の話を匂わせるやつは、だいたい一回は勝っている
親の話を出すやつには、だいたい二種類いる。
ただの自慢として出すやつと、切り札として知っているやつだ。
前者は分かりやすい。
聞いてもいないのに父親の会社がどうとか、母親がどこそこに顔が利くとか、そういうのを勝手に喋る。鬱陶しいが、まだ単純だ。むしろ単純な分だけ扱いやすい。
問題は後者の方だ。
普段はそこまで前面に出さない。
でも必要な時だけ、匂わせる。
しかも“自慢してます”ではなく、“別に普通だけど?”の顔で出してくる。
そういうやつは、たぶん一回か二回、その力で嫌な思いをしないで済んだ経験がある。
そして黒崎蓮司は、おそらくそっち側だ。
そう思うようになってから、僕の中であいつの輪郭は少しずつ変わってきていた。
ただ感じの悪い同級生。
それだけなら、まだ教室の中の話で済む。
でも最近は、その“感じの悪さ”の裏に、別の種類の余裕が見える。
先生に対する余裕。
学校に対する余裕。
そして、“うちの親”という言葉を雑に出せる余裕。
そこが、嫌だった。
昼休み。
購買で買ったパンを片手に、木乃実がまた僕の席へやってきた。
「神代くん」
「何」
「今日、また黒崎くんのこと考えてる」
「おまえ最近、それしか言わないな」
「だって分かるもん」
木乃実は悪びれない。
「しかも今日は、昨日よりもう一段深い」
「深いって何だよ」
「“黒崎くん本人”じゃなくて、“黒崎くんの後ろにいる何か”考えてる顔」
「……」
「図星」
「ほんとに顔の読み取り精度上がりすぎだろ」
「神代くんが分かりやすすぎるの」
「最近のクラス、そればっかりだな」
「便利だからね」
「その言葉ほんと流行ってるな」
佐伯も後ろから椅子を少し寄せてくる。
「昨日の“うちの親、そういうのうるさいから”だろ」
「……」
「やっぱ聞いてたか」
「聞こえる位置だったし」
佐伯は肩をすくめた。
「で、あれさ」
「うん」
「ただの“うち厳しいんだよね”じゃなかったよな」
「……」
「何か、“学校も分かってる”側の言い方だった」
「それ」
木乃実がすぐに言う。
「私も思った」
「だよね」
「うん。“うちの親うるさいから先生も大変なんだよね”みたいな」
「……」
「嫌なニュアンスだな」
僕が言うと、
「かなり」
木乃実が本気で頷いた。
そこへ、少し離れた席からエヴァの声が入る。
「ようやく背景が見え始めましたわね」
その言い方が、あまりにも平然としていた。
「何が、ようやくなんだよ」
僕が聞くと、エヴァはいつもの顔で答える。
「黒崎蓮司の余裕の出どころです」
「……」
「家庭、でしょうね」
「断定するな」
「断定していません」
エヴァは即座に言い直す。
「ただ、かなりそれに近い」
「……」
「何ですの」
「いや」
僕は少しだけ苦笑する。
「そこ、ほんときれいに切るなって」
「切らないと見えませんもの」
「便利な言い方だ」
「あなた方ほどではありません」
朱音はその会話を聞きながら、少しだけ黙っていた。
黙っている時のこの人は、だいたい考えている。
しかも、その考え方がエヴァとはまた違う方向へ鋭い。
「朱音」
「何?」
「珍しく静かだな」
「考えてた」
「何を」
「黒崎くんの家」
「……」
「やっぱりそこか」
「うん」
朱音は小さく頷いた。
「たぶん、ただの“ちょっと金持ち”とかじゃない」
「……」
「もっと、“学校が少し気を遣う理由がある家”」
「そこまで?」
「うん」
「何でそう思う」
「だって」
朱音は黒崎の方をちらっと見た。
「先生に対して遠慮がないのに、先生の向こう側には妙に確信があるもん」
「……」
「それ、普通じゃないよ」
「……」
「嫌な意味で、だいぶ」
「嫌な意味で、だな」
その時、教室の前の方で黒崎の笑い声がした。
取り巻きっぽい男子二人と話している。
声はそこまで大きくない。けれど、何を言っているかが聞こえないほどでもない。絶妙にそういう距離だ。
「いや、別にさ」
黒崎が笑う。
「うち、そういうの気にしないから」
「何が?」
男子の一人が聞く。
「成績とか、先生にちょっと何言われるとか」
黒崎は肩をすくめる。
「親父なんか、“学校の都合もあるだろ”で終わるし」
「へえ」
「つよ」
「いや別に」
黒崎はそこで少しだけ笑みを深くする。
「親父、地元の人間と顔広いからさ」
「……」
「そういうの、めんどくさくなんないんだよ」
その言い方が、本当に自然だった。
自慢ではない。
見せびらかしでもない。
でも、“それを知ってる”人間の口ぶりだ。
「うわ」
木乃実が小さく言った。
「今の、だいぶ嫌」
「かなりな」
佐伯が低く返す。
「地元の人間と顔広い、って」
「何かもう、その時点で学校と近そうだよね」
「近そうだな」
僕が言うと、木乃実がこっちを見た。
「神代くん、今すごい納得した顔してる」
「してた?」
「してる」
「……」
「図星」
「いや」
僕は少しだけ息を吐いた。
「やっぱり、って思っただけ」
「何が」
「だからあんなに余裕なんだなって」
「……」
「先生に対しても」
「うん」
「学校に対しても」
「うん」
「“このくらいなら大丈夫”を知ってる感じ」
「……」
「それ、かなり嫌」
木乃実が言う。
「でもたぶん合ってそう」
「うん」
午後の授業が始まってからも、その会話は頭に残っていた。
黒崎は普通にノートを取り、普通に返事をし、普通に笑っている。
でも、その普通さが前よりずっと作られたものに見える。
作られている、というより。
計算している、の方が近いかもしれない。
どこまでなら通るか。
先生がどこで止めるか。
その先で家へ話が行っても、どの程度なら困らないか。
そこまで知っている顔をしている。
そこが、ただの同級生の嫌なやつより、よほど面倒だった。
休み時間、三田村が珍しく自分から話しかけてきた。
「神代くん」
「うん?」
「さっきの」
「うん」
「黒崎くんの“親父、地元で顔広い”ってやつ」
「聞いてた?」
「聞こえた」
三田村は少しだけ言いづらそうにする。
「やっぱり、そういうのってあるのかな」
「そういうの?」
「その」
三田村は声を落とした。
「先生が、ちょっと強く言いづらいとか」
「……」
「俺、前はそこまで考えてなかったけど」
「うん」
「最近ちょっと、そうじゃないと説明つかない感じある」
「……」
「……そうだな」
僕は小さく頷いた。
「僕も、今はそう思ってる」
「……」
「何」
「神代くんがそう言うと」
三田村は少しだけ苦笑した。
「やっぱり、って感じする」
「嫌な安心だな」
「うん」
「でも分かる」
「……」
「ただ」
僕は先に言った。
「まだそれだけで“だから全部そうだ”にはしない」
「うん」
「そこは今、かなり大事」
「……うん」
「分かる?」
「分かる」
三田村はちゃんと頷いた。
「そこ、最近の神代くんっぽい」
「それ、最近よく言われるな」
「だって変わったし」
「そうか?」
「うん」
「……」
「何」
「嬉しいかどうか分からない変化だなって」
「でも、前よりちゃんと怖いもの見えてる感じはする」
「それ、褒めてる?」
「半分くらいは」
「またその割合か」
「便利だから」
「ほんとに流行ってるな」
放課後、エヴァと短く話す時間があった。
窓際の席の近く。
人はまだ何人か残っているが、会話は小さくて済むくらいには静かだ。
「どう思いますの」
エヴァが先に聞いた。
「何を」
「今日の黒崎蓮司です」
「……」
「かなり分かりやすかったでしょう」
「うん」
僕は素直に答えた。
「たぶん、父親か家のことを“使える情報”として持ってる」
「ええ」
エヴァは頷く。
「しかも、誇示するためではなく」
「うん」
「余裕の根拠として」
「……」
「何ですの」
「いや」
僕は少しだけ苦笑した。
「最近、君と話すと半分くらい答え合わせしてる感じだなって」
「不本意ですわね」
「何で」
「わたくしは最初からそのくらいは見えていましたもの」
「そこ、毎回ちょっとだけ悔しくなるな」
「遅い方が悪いのです」
「はっきり言うな」
「必要なので」
「……でも」
「でも?」
「今日のは、正直ありがたかった」
「……」
「何だよ」
「そうやって、たまに真っ直ぐ言うのやめてくださいません?」
「また困るのか」
「かなり」
「最近そこ認めるな」
「認めないと面倒だからです」
「また人のせいにした」
「事実です」
朱音は少し遅れてその会話へ合流した。
「恒一くん」
「何」
「今日のやつ」
「うん」
「もう“ただの嫌な同級生”じゃないね」
「……」
「そこ、同じこと考えてた」
「だよね」
朱音は僕の顔を見る。
「最近の恒一くん、そこが一番重そう」
「重いよ」
「うん」
「教室の中だけなら、まだ何とかなる気がしてた」
「うん」
「でも、家とか親とか大人の顔色まで絡むと」
「うん」
「一気に面倒になる」
「……」
「だよね」
「かなりな」
僕が言うと、朱音は小さく笑った。
「でも」
「でも?」
「だからって、たぶん恒一くんは引かない」
「……」
「何」
「そこまで読む?」
「読むよ」
「何で」
「長いから」
「またそれか」
「便利だからね」
「便利すぎるんだよ、その言葉」
夕方の教室。
黒崎はもういない。
なのに、あいつの残した言葉だけが少し空気に残っている。
地元の人間と顔が広い。
学校も大変だ。
めんどくさくならない。
そういう言葉を、あいつは平気で使う。
たぶん、それで一回は勝っている。
いや、一回ではないのかもしれない。
少なくとも、“その言い方で通った経験”があるやつの口ぶりだった。
そう思った時点で、次の見方も少し変わる。
問題はもう、教室の空気だけじゃない。
その空気の背後で、何が支えになっているかまで見ないといけない。




