139. 仁淀ブルー
今日は十二月二十五日――、終業式を終えた体育館からは生徒がぞろぞろと出てくる。明日からは牧野が宣言した東京への遠征も控えており、その準備をする時間として今日の部活動は休みになった。
――あれからもう一年経つのか……。
柳町俊吾は事故に遭って、目が覚めると別人の肉体に入り込んでいた。目を覚まして最初に見たのは、病室の天井。体も別人で、誰かも分からない、見知らぬ土地で目が覚めた。
それは確かに衝撃的だったものの、不思議と恐怖はなかった。
ただ、これからどうすればいいのかと呆然としたものだった。事故に遭ってから自分の記憶と今の世界の違いに戸惑いながらも、段々と新たな生活にも慣れていた。
「やっぱりここにいた」
背後から女性の声がしたので振り返ると、そこには黒いロングコートを羽織った芽依が立っていた。
「じゃあ、行くか」
ゲーマーにとって『クリスマス』という日に意味はなく、部屋に籠ってゲーム三昧の一日を過ごす。そんな日々を以前は過ごしてきた。その今までの考え方を改める日が来ようとは思ってもみなかった。
校舎の裏にはテニスコートと体育館がある。そのさらに裏手には教員と関係者のみが立ち入れる喫煙場所がある。牧野は煙草の箱を胸ポケットにしまいながらこちらに歩いてくる。
「お、来たね……、お疲れさん」
「牧野さん、本当に良かったんですか?」
芽依が不安げにそう訊く。
「あぁ、別に予定もなかったからね。まあ、若い子を応援するのも悪くない。それに、今日はクリスマスだしね」
「ありがとうございます」
芽依が頭を下げたので、俺は「ありがとう」と軽く頭を下げた。牧野は笑いながら車に乗り込むと、俺たちに助手席に座るよう促してきた。
「じゃあ、行こうか」
「はい」
芽依が返事をすると、俺たちは牧野の車に乗り込んだ。すると、牧野は車のエンジンをかけて車を発進させる。
道中右手側の窓からは鏡川が見えて、水面が穏やかに流れている。今日はクリスマスということもあり、市内は車や人で溢れている。
牧野の車は市内の方向ではなく、事前に伝えておいた場所へと走っていく。
伊野駅を超えた先から左手に大きな川が見える。この川が「仁淀川」だ。仁淀川に沿って北へと車を走らせると、やがて山の中へと入っていく。
仁淀川は、四国の愛媛県と高知県を流れる一級河川で、透き通るような青い川の色から「奇跡の清流 仁淀川」と呼ばれている。
やがて、車は山道の中へと入り込み、道幅の狭い道を進んでいく。アップダウンの激しい山道で、牧野は右へ左へとハンドルを切っている。
「綺麗だね」
後部座席から芽依が身を乗り出すようにして窓の外を眺めている。やがて、牧野の車が山の細い道の駐車場で止まる。
「着いたぞ」
俺と芽依は車から降りると、冬の寒さに身が震えた。牧野もすぐに車の外に出ると、コートを羽織る。牧野は気を利かせてくれたのか「あとは若い二人で」と言って、駐車スペースに車を停めにいった。駐車場は車数十台くらいを駐車できるくらいの広さがあり、付近に民家はない。駐車場の奥の山道をずっと進んでいくと石の階段があって、俺たちはその階段を下っていく。
「結構、階段が急だな」
芽依は運動が苦手で体力もない。俺は階段を駆け下りると、芽依に手を差し伸べる。すると、芽依は俺の手をぎゅっと握り返してきた。そして、俺たちは手を繋いだまま石の階段を下っていく。
やがて、視界が明るくなると神秘的な青い滝壺が目の前に広がっていた。
「すごい……」
にこ淵は、清流・仁淀川が「仁淀ブルー」という言葉で広く知られるほど、澄んだ青色に輝く幻想的な滝壺だ。滝壺を取り囲むように岩々がそそり立ち、淵の水は青く澄んでおり、その透明度は今まで見てきたどの滝壺よりも高い。
「すごいな」
「本当に、綺麗……」
俺と芽依はしばらく見とれるように滝壺の壮大さに見惚れていた。芽依が俺の方を向いて微笑んだ。その笑顔にドキッとする。普段の表情よりも柔らかく可愛らしい笑顔で、俺の胸の鼓動が速くなる。
「どうしたの?」
「……いや、なんでもない」
俺は思わず視線を逸らした。すると、芽依は不思議そうに首を傾げる。
「変なの」
芽依は笑みを浮かべた。その笑顔に俺はまたドキッとした。そして、俺たちはしばらく滝壺を眺めていた。
「今日はありがとうね」
「……いや、別に大したことじゃないさ」
岩場に腰を下ろして、俺と芽依は滝壺を眺めていた。
「私ね……、この一年ですごく変わったと思う」
「あぁ」
それは俺も同じだ。この一年で、俺の生活は大きく変わった。そして、芽依もきっとそうだろう。
「きっと、これからも色々あると思うけど……。これからも、よろしくね」
「……あぁ。こちらこそよろしくな」
芽依は嬉しそうに微笑むと、胸の中に飛び込んでくる。俺はその体を優しく抱き留める。芽依の体は柔らかく、そして温かい。
芽依は俺の胸に顔を埋めて、嬉しそうに微笑んでいる。
「大丈夫か?」
「うん!」
芽依は満面の笑みで頷いた。その笑顔にまたドキッとしたが、俺は平静を装った。そして、俺たちはしばらくの間滝壺を眺め続けた。この一年で変わったこと、変わらなかったこと……。
色々なことが頭に浮かんだが、今はただ、こうして二人でいられる時間が幸せだった――。
『クリスマス』なんて俺には無関係のイベントだと思っていたのに……。まさか、こんな日が来るとは思わなかった。でも、悪くないな……。
そんなことを思いながら、俺は芽依の体を優しく抱きしめた。
【コラム】
一年ぶりの高知県に行ってきました。レンタカー借りていたので仁淀川のにこ淵の滝壺を見てきましたが非常に水が透き通っていて神秘的な場所でした。挿絵に使ってる写真は実際に撮ってきた写真になります。




