41. 獅子面の男
「よし、こんなもんでいいだろ! あとは義勇軍に任せて俺達は援護に回るぞ!」
ユリシーズはグレイブ振り上げて戦列を離脱する指示を出した。戦列を下げながら辺りをぐるっと見回す。数名が傷を負っただけでほとんど損害なしだ。敵方の騎兵はヴィルーズ軍との連携で大方退けたから、あとは歩兵対歩兵の総力戦になる。亜生物は開戦と同時の一斉砲撃でほぼ全滅、死人兵も神官兵が行う特殊な攻撃で壊滅。兵数が多い方が圧倒的に有利だ。
「団長! あとは我々にお任せを!」
「わかった! 俺達も行こう。フレデリク、負傷者を救護所に。掃討戦の援護指揮、頼んだぞ」
「承知いたしました。お気をつけて」
ジェラルドが再び黒騎士達を率いて混戦状態の戦場に戻っていく。ユリシーズは持っていたグレイブをフレデリクに預けると、アルタイルの腹に拍車を当てて駆け出した。その後ろに側役とアルノー、フーゴが続く。エーリヒは負傷した右腕を抑えて悔しそうな顔で駆け抜けていく彼らを見送った。
「ほら、エーリヒ。君も早く救護所に行きなさい。掃討戦が終わったら私達も本拠地へ行くから。団長とデイムをお守りしなくてはね」
「はい」
フレデリクは元気のない大きな背中を押してやり「さあ、正念場だ! 完全勝利を我らがデイムに捧げよう!」と皆を鼓舞するように声を張り上げた。
セラはハンナの後ろに跨り、戦塵の上がる後方を眺めていた。そこにいくつかの馬影が見えて首から下げていた遠眼鏡を慌てて覗き込んだ。
「ユーリだわ! ヘクターさんも来た!」
大きく手を振って前方にも「攻撃役が追いついてきました!」と声を張り上げる。あっという間に追いついてきたユリシーズはジト目でハンナにしがみつくセラを睨んだ。
「こんにゃろー、大人しく帰るんじゃなかったのかよ!」
「ご、ごめん! これ終わったら絶対絶対帰るから。でもまだ卵見つかってないの!」
「まだ? もしかしてあそこにあるのか? さっきから竜が行ったり来たりしてる」
「どうなんだろう……。でもとりあえず、本拠地を落とせばはっきりするわ!」
やれやれと首を振るヘクターはすぐ前を駆けるユリシーズの背中に声をかけた。
「違いないな。ユリシーズ様、休みなしで大丈夫ですか?」
「大丈夫だ! 速攻で落としてセラを連れて帰る。これ以上危ないことさせたくない」
「ま、そうなりますわな……。おい姫様よ、こんなに婚約者を心配させて悪いと思わねえのか」
「うぐ……」
戦闘の最中だというのに余裕な人達に苦笑して、リオンは懐から三本の苦無を取り出して斜め前方に鋭く一閃する。どさっと木の上から臙脂色の影が落下して来た。
「お出迎えご苦労さんっと。フーゴ! マルセル!」
「はいな」
マルセルは弓銃と呼ばれる機械仕掛けの弓を取り出して矢を番えて連射した。同じように懐から苦無を取り出したフーゴも間髪入れずに木の陰から矢で狙っていた元帝国兵に向けて投げた。
「見えた!」
ユリシーズの声にセラははっと顔を上げた。蔦が幾重にも絡まり、城壁に真っ黒になった苔がへばりついた城が見えた。あちこちに白く霜がおりたようになっているのは、今朝がたモーネが氷の精霊魔術で凍らせた部分だ。
「味方の斥候は無事だね。良かった」
アルノーはホッと息を吐いた。既に交戦は終了したのか、マルセルと同じような外套を羽織った斥候部隊がこちらに手を振っている。砲兵部隊が馬車を止めて、セラ達も馬を御して停止した。
「中に十人くらい、それと気配の良く分からない者がいるね……」
「みたいですね。ここら一帯は小動物や……精霊もいないようです。ユーリ様、気をつけて。こういう時はやばいのがいますよ」
目を閉じたトゥーリと、周囲の気配を探っていたアキムが馬を降りる。
「わかった。セラ、作戦は?」
馬を手近な木に繋いだユリシーズが真っ先にセラの元にやってきた。他の皆も指示を仰ぐために集まってくる。
「うん。まず砲兵で敵への牽制するから、その間に突入。特殊工兵が中で破壊工作をしている間は攻撃役が援護。マルセルには城外から援護してもらうね。マルセル、敵将の顔を知ってるのよね? 特徴は?」
「あ、うん……。ユーリ、冷静に聞いてくれよ。敵将は、獅子面だ」
「……本当か、それ」
「敵将は、全員で、討って。絶対にユーリ一人で突撃しないで。何のために皆で協力して戦うのかわからないでしょ?」
骨が白く浮くほど強く握りしめられた拳をセラは両手でそっと包み込んだ。ハッと顔を上げてこちらを見つめる蒼い瞳を真っ直ぐに見返す。北方大陸で一度だけ我を失った彼を見た。あんな昏く荒んだ目をさせたくない。皆がついているということを忘れてほしくなかった。
「セラ……」
「姫様の言う通りだ。ユリシーズ様、仇討ちしたい気持ちはよくわかるが自重してくれ」
「そうだね。ヘクターの言う通りだ。獅子面ってことは合成獣か。できれば死体を持ち帰りたい」
「げぇっ、キモチワルイ!」
「ちょ、リオンさん失礼すぎ。トゥーリ、それは精霊殿からの要請?」
アルノーの言葉にトゥーリはげんなりと言葉を吐いた。
「そうじゃなきゃ誰が汚物を持って帰りたいだなんていうんだ。中間管理職って辛いよね」
「話が隊長のせいで脱線しちゃったけど。それじゃまず俺とアキムさん、隊長の三人で行くね。小さめの爆弾とかもらえないかな。攪乱に使うから」
「レギーナ様、攻略用の爆薬をください」
「よくってよ。爆弾をこちらに」
嵩張る胸当てなどの装備を外してユリシーズとアキムは黒い長衣姿に、ヘクターも外套を外して小剣に持ち替えた。リオンとフーゴは丈の短い、収納が沢山ついた隠密専用の上着を身に着けているので、そこに火薬と爆弾をしまい込んだ。
「設置してもらった砲門で城門と城壁を壊すね。城郭にも砲撃するから、天井からの落石に気をつけて。皆が入ったのを確認したら一度引くわ。ユーリ『銘なし』を持って行った方がいいよ。もし正門から出られなかったら、それで壁を破壊して出て来れるし」
「わかった」
アルノーに預けていた黒剣を剣帯に着け直したのを確認して、セラは全員の顔を見回した。
「準備いい? それじゃ、始めるわよ」
セラはレギーナに「お願いします!」と声をかけた。サッと手を挙げた砲兵が少し離れた場所に設置した砲兵にも合図を送る。
「装填はじめ!」
「発射角、36度! 目標、城郭上部!」
「発射ー!」
レギーナの号令で移動式大砲が一斉に火を噴いた。
「何だ、あの城は……。ヒビひとつ入らんとは」
「レギーナ様、外壁への攻撃は中止しましょう。弾が無駄になるわ。あ、でも門と城郭はいけそう。あそこの凍った部分、温度差で砕けないかな?」
「やってみよう!」
「これからもう一度、城郭に向けて砲撃するわ。その隙に外壁を伝って窓から入って。ダメそうなら一旦退却して。正門を脱出口にするから」
「了解!」
全員が声を揃える。リオンは上着の頭巾を引き下ろすとアキムと目配せし合い同時に駆け出した。正面に設置した砲門が火を噴くのと同時にユリシーズ達が後に続く。
「レギーナ様、東側に砲撃を! 皆は西側の窓から入るみたい。登ったのを確認して砲撃中止!」
「わかった! 砲門を東に向けろ! 五号玉を使え!」
派手な音を立てて次々と城郭に砲弾が当たる。バラバラと石壁が落ちて煙が立ち込めるのが見えた。どうやら外壁にだけ錬金術を使って何かしてあるようだ。セラの護衛に残ったアルノーとエマ、ハンナが固唾を飲みこんで攻城戦を見つめている。
「大丈夫かな……」
「凄腕が揃ってるんだもん、大丈夫に決まってるわ。ところでアルノー、そのでっかいハルバードが敵を真っ二つにするアレなの?」
「そうだよ。これでざっくりいきます。さっきは味方が近くにいたから使えなかったけど。ここなら広いから」
「そ、そう……。それを使わずに済むことを祈りたいわね」
「うん。でも、さっきはどうなるかと思ったよ。目の前でお父さんを斬った仇がいると聞いて大人しくしている奴じゃないから……。セラちゃんがいてくれて、本当に良かった。」
「そんな、ユーリの目の前で……」
「しかも酷い亡くなり方をしたからね……。そのせいで一時期すごく不安定になって、戦うことでしか自分を保てない感じになってたけど。北方大陸から帰って来てからは昔みたいによく笑うようになったし、暗い顔もめったにしなくなった。全部セラちゃんのおかげだね。大切な最愛の人がいて、その人から真っ直ぐな愛情を受けることができて。すべてが良い方向に進んでる。赤ん坊の頃から一緒にいる親友として本当に嬉しいよ。何て感謝すればいいのかわからない」
「そんな……ものすごく照れちゃうんだけど。戦いの最中なんだから集中しましょ」
「そうだね。あ、痛い! 暴力反対」
エマはアルノーのわき腹を小突いて笑った。
「まったくアルノーは。気持ちはわかるけど。祝勝会の時にユーリ様のいる前で後半部分をもう一度お願いね」
「そうですよ、アルノーさん。皆がワーッとなってる時にやりましょう!」
木の上にいるマルセルから「ここから行け」という合図を受けて、リオンとアキムはそれぞれ鉤付きの縄を取り出すと手元でひゅんと回して城壁にかけた。突起がしっかりかかったのを確認してグッと引く。慣れた様子で縄を手繰り、壁に足をかけて登っていった。ちらっと顔をのぞかせたアキムが「登れ」と手信号で合図するのをみてユリシーズ達も急いで登る。
背後から風切音とともに矢がいくつも飛んで、バルコニー入り口に待ち伏せていた敵兵を正確に射抜いた。煙がおさまってきてから辺りの様子が見えてくる。瓦礫と化した城壁と、ひび割れて崩れた壁、それらが苔むしてあちこちに転がる廃墟そのものだ。
「……二階には誰もいないようです。一階に八人、あとやっぱりよくわからない気配が一つ」
しゃがみこんで手を石床に当てていたアキムが顔を上げた。元々隠密としても気配を読むことに長けていたが、精霊の力を借りることを覚えてますます磨きがかかっている。
「まずいな、逃げられる。セラ達の所に行かれても厄介だ。行こう!」
ユリシーズのひそめた声に全員が頷いてリオンとアキムが城内に侵入した。ユリシーズは腰から短剣を引き抜くと慎重に気配を絶ちながら階段を降りるトゥーリの後ろに続く。殿はヘクターだ。彼とは一度も組んだことはなかったが妙に安心できた。
「どわっ!」
「リオン!」
先に降りていたリオンが階段下に勢いよく吹き飛ばされて衝突した。トゥーリは片手で印を切りながら階段から飛び降りると廊下の奥目がけて圧縮した風の塊を放つ。ユリシーズはひっくり返ったままのリオンのところに駆け寄った。
「あいてて、くそ、頭うった……」
「無理に動くなって。フーゴはどっちいった?」
「先に、正門を確保しに行かせたよ。くそっあいつ……獅子面じゃなかった!」
アキムが「ここは任せました!」と言い置いてフーゴの元へ駆け出した。向かった先からは複数の足音が響き、激しい剣戟音が聞こえてくる。
「何言ってんだ?」
「あれ、獅子のお面だった。中身は別人、いや人?」
「マジかよ……」
かつん、かつんと長靴の音が響く。人影の背はトゥーリと変わらない。体格もアルノーのように細身。それなのに息が苦しくなるほどの威圧感が近づいてくる。
「そこの男は四年前に見た顔だな。父親の後を追いに来たのか?」
「!」
かつり、と靴音が止まる。ひび割れた天井から照らされる顔は半分が白い肌をしていた。薄暗い所でも鮮やかに光る翡翠色と、鱗に覆われた真紅の瞳がじっとこちらを見据えていた。
「愚かな皇帝が二代続き、長く軍事大国として栄えたウィグリド帝国は、解放軍の正義の鉄槌で滅んだ。それで終われば苦労はなかったものを」
「お前が獅子面の男か……」
「ああ、これか? 素体の顔が色々厄介だったから被っていただけだ。だが、お前の父親は俺が誰かわかったようだな」
手に持っていた獅子の顔を放り投げる。ユリシーズは震える手で短剣を力いっぱい握りしめた。リオンを引き起こして壁際に寄りかからせると、油断なく異形の男を睨み付けた。
「……素体って何だよ。その身体はあんたのものじゃないのか」
「俺は竜の獣人と呼ばれる化け物と合成された、元第五皇子だ。一度死んだから自我が元の皇子のままかもわからん。見た目こそ二十の若者だが、実年齢は五十をとうに超えているはずだ」
「精霊殿側が調べた所では、当時の皇帝一族は皇帝を除き、全員が実験台にされたらしいな。表向き病死と公布しておきながら、その特殊な血筋を利用していたんだろう」
トゥーリの厳しい視線をものともせず、男はおかしくて堪らないというように体を揺らした。
「くく……帝国領のそばに、異様に強い、大型の亜生物がいたのは気づいていたか? お前達の総大将は教えてくれなかったのか?」
「ち、やめろ」
ヘクターが舌打ちして太ももに巻いていたホルダーから短剣を抜き放ち素早く投げた。あっさりと抜き身の長剣で短剣を払うと、異形の皇子は哄笑しながらじゃり、と石を踏みしめて歩き始めた。
「あれは実験台にされた皇子達の成れの果てだ。特殊な血族であっても適合しなければ自我が破壊され醜悪な化け物に成り下がる。皇女達は合成獣受胎に耐え切れず妊娠中に腹が爆ぜて死んだが、始祖の因子と同位体を持つ数人の女が獣人を産み落とした。皇太子がその一人だ。リュシアンといったか」
「え……」
「お前の父が俺を斬れなかったのは、亜生物を率いる異形の化け物が死んだはずの皇子だと気づいたからだ。亜生物がいないはずの西方大陸に現れたあれは、お前達がこれまで手にかけていたのは、同じ大陸に生きる罪なき者達だ。薄々気づいていながら剣を向けたのだろう?」
ユリシーズの間合いに入るか入らないかの距離で彼は足を止めた。ひどく悲しそうな翡翠の目と一瞬だけ目があったが、すぐに異質な殺気を放つ目に戻った。
「父の仇を俺はこの四年間、ずっと探していた。獅子面の男を探してもいねーわけだ……」
「来るがいい。皇太子を討った、その『銘なし』でな」
「!」
「ユーリ、僕が援護する。北方で一度交戦したけど、奴は精霊魔術を使うよ。疑似じゃなくて本物」
「この期に及んで一騎打ちとか綺麗なことぬかすなよ。こっちは俺に任せておけ!」
ヘクターが振り向きざまに背後から来た敵に斬りかかる。鈍い音と甲高い剣戟の音。戦いが始まってしまった。ユリシーズは『銘なし』の柄に手をかけて抜いた。不思議と手に馴染む感じがする。光を一切跳ね返さない闇のような刀身は何度見ても異質だ。
正気を失っていく真紅と翡翠を見据えたまま正眼に構える。脳裏に獅子面の男に父が斬られて、父の首が胴体から離れて落ちる様が映る。ぶるりと頭を一度振ってから、柄を持つ両手に力を籠めた。




