表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
乙女は獅子に恋をする  作者: 龍田環
四英雄編
97/111

40. 開戦

 セラはほとんど眠れなかった。侍女達は訓練を積んでいるようで寝起きをうまく切り替えて交替で仮眠を取っていたが、彼女達の密やかな話し声がするたびに浅い眠りの底から揺り起こされた。

 少しずつ明けていく空の色が深い闇色から薄く青づいていく。セラは懐中時計をぱちんとあけて時間を見る。丁度朝の四時だ。起き上がって身支度を整えることにした。すぐに行動できるように胸元だけ寛げた恰好だったから、襟のボタンを留めて髪を結い直すだけだ。


「おはよう、エマ、ハンナ」


「おはようございます。あまり眠れなかったみたいですけど、大丈夫ですか?」


「ありがとハンナ。大丈夫だよ。さ、朝ごはん食べに行こう。酒保のところで用意してくれてるんだっけ」


「少しお待ちくださいませ、ものすごく混むから私が頂いて来ます」


「いいよエマ、一緒に行こう。行って帰っての時間がもったいないわ」


「お取込み中のところちょっと失礼。セラ、良ければ私と朝食をいかが?」


 ぱさりと入り口が捲られて、軍服姿のレギーナが顔を出した。


「レギーナ様、おはようございます」


「おはよう。うちは急遽呼ばれたから勘定に入っていなくてね。自前で全部用意して来たから遠慮せずにどうぞ。侍女の二人もね」


「それじゃお言葉に甘えて。よかった、朝ごはんの後すぐ伺おうと思ってたんです」


「焦らずとも出撃は第二陣が出た後だよ。セラは馬に乗れる?」


「の、乗れるけど、駆けられない……」


「まあ元侍女殿だし当然か……。それなら」


「あの、レギーナ様、私がお乗せします」


 ハンナがはい、と手を挙げた。夢うつつにエマを護衛に専念させたいと言っていたのを聞いた。二人でそれぞれ役割分担することにしたのかも知れない。


「わかったわ。それでは私についてきて」


 天幕を出ると辺りは騒然としていた。かちゃかちゃと甲冑の金具のなる音。拍車の音を闊歩させて行き交う騎士達。馬の嘶き。生まれて初めての『戦場』の空気に胸がどきどきと音を立てた。舞踏会以上に自分には縁がないと思っていたことに関わっているのは、自らが望んだことだ。きちんと結果を出さなければ行かせてくれたクレヴァ、力を貸してくれる人達に申し訳が立たない。


「ひゃー、お、おいしそう……!」


 レギーナの天幕では、ほかほかと湯気を立てる美味しそうな玉蜀黍たっぷりのクリームスープ、バターをふんだんに使ったサクサク生地のパン、茹でた卵と白芋を酢と卵を泡立てて作られた濃厚なソースをたっぷり和えたサラダと、デザート代わりのベリーたっぷりの発酵乳。ちょっとした宿屋のような朝食が木箱の上で食べてもらえるのを待っていた。


「遠慮はいらないよ? 全部召し上がれ。うちは日帰り出陣だから糧食は持ってきていなくてね。私の婚約者の所領も近いし」


 あまり時間がないこともあり、セラはちょこんとレギーナの隣に座った。エマとハンナも下座に遠慮しながら座る。四人で簡単な祈りの言葉を口にして、さっそく手を付けた。


「このパンすごく美味しい……さっくさくで甘いぃ。あの、レギーナ様の婚約者様ってどんな方なんですか?」


「そういえば話していなかったかな? クルト・ルーデンドルフ。うちは夫婦揃って学者でね。私は物理、彼は軍事戦略専門」


「ルーデンドルフ将軍って歴史書に出てくる人ですね。そういえば有名な物理学者にフォーレンハイトって方がいたような」


「ああ、それはうちのひいおじい様だね。生きていらした時によく物理実験を見せてもらったっけ。面白いんだよ」


 有名人はいるところにはいるのだな、としみじみ思いながらセラは玉蜀黍のスープに手を付けた。粗ごしで粒が残っていて、玉蜀黍の甘味とミルクと生クリームのまろやかさがたまらない。このところ香辛料の効いた干し肉のお出汁ばかりだったからじんわり沁みる。卵のサラダを二つに割った二個目のパンに挟んでかぶりついた。


「ふう、ごちそうさまでした。このさくさくのパンは大流行りするべきだと思う。ベリーとか苺のジャムとか、甘く煮た黒桜桃とカスタードのクリームとかのせて。ミルクをたっぷりいれた紅茶で食べたい!」


「魂の叫びだね……。そういうのはクラリッサに聞いてみたら? あの子、女性向けの情報発信がしたいって女性の風聞屋を大勢集めてるから詳しくてよ」


「風聞屋かあ……面白そう。ユーリも言ってた。これからは商いが主流になるから、情報収集は大事だって」


「気づいている人は先んじて動くのね。クルトもユリシーズ殿と今度酒を一献交わしたいと言っていたわ。よろしく伝えて」


「わかりました! さてと、一服したところでそろそろ準備にかかりましょうか」


「よくってよ」


 天幕の前で一旦レギーナと別れ、エマとハンナは馬を連れに行った。入れ違いにマルセルとトゥーリがやってきて軽く挨拶を交わした。


「おはよーございます、デイム。朝飯ちゃんと食いましたか?」


「おはよう! ばっちりよ」


「そう、それは何より。神官兵は昨夜のうちに配置についたよ。半分は第二陣の歩兵に混じって援護する」


「さすがウルリーカ様」


「僕は君のお供に専念しろと言われた。ヘクターは第二陣と入れ替わりで戻って来るってさ。久々に彼と組んで戦えるから僕も楽しみだ」


「余裕っすね」


「君もね、マルセル。まさか猟兵になってるとはね……」


「へへ、四年前から俺も色々頑張ってるんですよ」


「ユーリも心強いだろうね、君達のような友がいて」


「あいつが前に進める様に死んでもその背を守る。それが俺達四人の誓いです。あ、これ内緒にしといてくださいね」


「うん。ユーリの腕にある”後ろを振り向かず前を歩かず、隣にいる友を守る”っていう言葉もすごく素敵よね。ユーリはどうあっても皆の先頭に立たなければいけないけど『盾の仲間』とだけはそうでありたいって」


「え、見たの? どこで? 服脱がないと見れないとこに彫ってるのに」


「誤解を招く言い方はやめて。たまたま二の腕の紋章を見た時に教えてもらったの」


「あいつ暑がりだからすぐ脱ぐよね。さ、行こうか。采配振るう所からユーリの雄姿を見るんだろう?」


 可笑しそうに笑うトゥーリが先に立って歩き出すと、セラも慌てて後に続いた。十分ほど歩いた所までやってくると、フォーレンハイト軍の砲門を積んだ大型の馬車が数台止まっている拓けた場所に出た。すでに鳩羽色のコートを羽織ったルッツが遠眼鏡で戦場の様子を伺っている。戦場は敵本拠地の手前だ。遠くから不気味な咆哮が響く。さっと影が走って空を仰ぐとモーネが何かを察した様に旋回し始めた。


「おはようございます、正軍師殿」


「おはよう副軍師殿。見ますか? 思った通りこちらの動きを察してあちらも進軍を始めました。亜生物がおよそ三百。死人兵が五百。残りは元帝国兵と引き際を失った元強硬派のあまり頭の良くない兵が七百弱、といったところです。本拠地の残存兵力をすべて投入してきましたね。セラが竜のご婦人にお願いして、ちょっとお城を涼しくしてもらった甲斐がありましたよ」


「ルッツ殿は本当に素晴らしい度胸の持ち主だね。あの話を聞いてもまったく動じないし。気に入ったよ。良い友人になれそうだ」


トゥーリの素直な称賛にルッツもニコッと懐こい笑みを浮かべた。


「ありがとうございます。僕はただの知りたがりなんですよ。クラリィ曰く病的なまでのね。過ぎた幻想は毒です。人の身にはそれぞれ見合った力量というものがあります。それもわからない馬鹿者には似合いの末路ですよ。その愚かな思い上がりを完全に打ち砕いて差し上げます」


「……コワッ」


 すぐ真後ろにいたマルセルが小声で呟いている。どうして自分の見合った器で幸せになろうとしないのか、人の身に過ぎた力を求めてしまうのか。違う世界を夢見てしまうのか。大切な人と共にいられればそれでいい、と思うセラにはきっと一生かかっても理解できそうにない。憂鬱なため息をつきながらルッツに借りた遠眼鏡で東の陣を見た。漆黒の一団が旗を掲げている。


「あ、ユーリ達がいた!」


「ですね。まーたあんな軽装で……」


「見えるの?! マルセルの視力どうかしてるわ……。槍騎兵はちゃんと甲冑着てるのに、ユーリったら額当てと胸当てだけで大丈夫なのかしら。持ってる武器は何? 見たことない」


「あれはグレイブだよ。ユーリ愛用のファルシオンの刃を模して作った長物」


 マルセルが言うように、確かに刃先が愛用のファルシオンによく似た反り刃だ。ギラリと凶悪に光っている。


「あれもグレイブなの? 刃がすごく長いけど。反しもついてないよ?」


「遠心力を利用して薙ぎ倒すことに特化してるんじゃない? ラウニ団長が使う細身のものと違って幅があるし、重量もかなりありそうだ」


 マルセルはギョッとした顔でトゥーリを見た。


「何で見ただけでわかるんすか。確かにあれで敵陣に突っ込んでばったばった薙ぎ倒してます、はい」


「五時一分前になりました。セラ、三十秒前になったら読み上げをお願いします」


「は、はい!」


 いよいよだ。まるで教科書の何頁を読んでくださいというような感じで言われたが、開戦秒読みは戦場において重要な役割だ。


「レギーナ殿、装填準備願います」


「承知した。総員、点火よろし!」


「各指揮官に伝達、砲撃と共に進撃開始」


 ルッツのそばにいた兵が旗信号で西側に指示を出す。そちらを見ると砂埃が立っていて、少しずつ馬影が見え始めた。ヴィルーズ軍もすぐそこまで来ている。セラは懐中時計の針が三十秒を差したのを見て、お腹にしっかり力を入れて読み上げを始めた。ぎゅうっと遠眼鏡を握りしめると汗で滑った。


「三十、二十九、二十八、二十七、二十六、二十五、二十四、二十三、二十二、二十一」


 二十を数えたあたりでレギーナが勇ましい声で砲兵に指示を出した。


「目標、北敵陣中央、角度六十度! 西南の風、風力およそ四! 点火! 景気よくいくぞ!」


 十五を数えて手旗信号が「進軍用意」と振られる。あれが振り下ろされた時、騎兵達が出撃する。


「十、九、八、七、六、五、四、三、二、一!」


「砲撃開始!」


 ズガン! と何度も耳を劈く大きな音が響き、ひゅうひゅうと嫌な音を立てて敵陣目がけて黒い弾が八個飛んでいく。亜生物の群れの中に着弾して爆発音とともに吹き飛ぶ姿が見えた。

 どぉっという地響きと共にヴィルーズ軍が一気になだれ込んできた。東西で挟み撃ちされた騎兵の団体が真っ直ぐこちらに向けて動き出した。させまいとばかりに東側から漆黒の一団が猛然と回り込む。


「ユーリ!」


「切込みはうちの十八番だから任せてくださいって!」


 マルセルはそういうけれど、心配で仕方なかった。みるみるうちに近づいてくる黒き有翼獅子の騎士団(グライフ・オルデン)。重装備の槍騎兵達の甲冑が昇り始めた朝の光を鈍く弾く。その後ろにグレイブを携えたユリシーズ、その両側には団旗を掲げた騎手、さらに後ろには師団長直参の百人隊がそれぞれ続く。


「わ、すごい……!」


 槍騎兵が敵の騎兵の列を派手に突き崩し、すぐに離脱して馬を返して戻っていく。戦列を完全に崩したところにユリシーズ達軽騎兵が突撃してきた。その様にひやりと胸が冷えたが、足だけで馬を御しながらグレイブを振り回し文字通り敵を薙ぎ倒していく姿は圧巻だった。何か叫んで片手で指示をだしながら馬を返して離脱していく。

 前衛が体勢を整える間、弓兵達が大量の矢を打ちかける。次々倒れていく敵兵の姿が恐ろしくて震えたが、槍騎兵が隊列を完全に整えて再び向かってくるのが見えて遠眼鏡を持つ手に力が籠った。再度、槍騎兵達がすごい勢いで突撃、さらに軽騎兵達が突撃、矢で牽制している間に体勢を整えてまた戻って来る。一糸乱れぬその姿に感動すら覚えた。


「これが黒き有翼獅子の騎士団(グライフ・オルデン)の戦い方……あんなに早く戻って来るのね」


「そうですよ。言ったでしょ、セラ様。統率された騎兵は脅威だって」


 ハンナがえっへん、と胸を張る。エマは苦笑しながら彼女のささやかな胸をぽんと叩いた。


「仲間が倒れても構わずそのまま特攻してくるので”死をも恐れぬ黒い騎士”って言われるんですよ」


「そうそう。団長のそばではためく団旗を見て観念するわけっすよ。”黒い翼で戦場を駆ける獅子の如く”戦う彼らに狙われた、もうおしまいだーって」


「自分の目で見て、改めて黒き有翼獅子の騎士団(グライフ・オルデン)がすごいってよくわかった。こんな戦い方する騎士団、見たことないわ……。あ、誰か倒れた! ユーリが何か言ってる」


「下がれ、いま何人だ、だって。ちゃーんと損害状況を確認しながら戦ってるよ。副軍師殿の指示が生きてる」


 目を凝らしたマルセルが落ち着いた声で教えてくれた。セラは遠眼鏡がないとさっぱりだが、弓兵のマルセルは恐ろしく目が良いらしい。


「手信号で怪我人に撤退指示出してるね」


 同じように目を凝らしていたトゥーリも腕を組んだまま答えた。彼のすぐ隣にいたハンナは懸命に目を凝らしたが、何やら黒い一団が団子状態で戦っているようにしか見えなかった。


「何でわかるんですか……トゥーリ様もすごい視力ですね」


「それほどでも。ハンナ、そろそろ馬を引いておいで。第二陣が動き始めた」


「はい!」


 高台で双眼鏡を使って戦況を見ていたルッツが、手旗信号に「了解」と応えて降りてきた。


「セラ、第三陣を出した後は掃討戦に入ります。斥候の報告では大将を残して本拠地を捨てたようです」


「やはりな。姉さん達が既に『大深淵』に先回りしてるはずだ。そっちは安心していい。錬金術師の捕縛は僕らに任せてくれ」


「わかりました。帝国内乱の黒幕を討つときがきましたね……。セラ、行ってください。貴女ほど結末を見届けるに相応しい人はいない。どうかお願いします」


「……わかりました。では参りましょう!」


 まだ戦場からは喚声や剣戟の音が続いていて後ろ髪がひかれたが、騎乗してやって来たハンナの後ろに跨った。レギーナの指示で砲門を積んだ馬車が重々しい音を立てて動き出す。ここから本拠地までは一時間もかからない距離にある。本当は怖くて足がすくむけれど、皆がついている。すぐにユリシーズも来てくれる。

 胸元の小さな透かし彫りのネックレスに手を当てて「お父さん力を貸して」と祈った。どうか結末を一緒に見届けて、と。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ