38. 王手(チェックメイト)
セラは本陣のほぼ中央にある天幕にやってきた。
「クレヴァ様が使う予定の天幕を使ってくれってさ。超偉い人の天幕にはそうそう入れないからね! 用もないのに来ると」
「来ると?」
「精神攻撃で生命値がごっそり減る。ユーリですら瀕死になるよ」
「せいしんこうげき……」
「マルセル、馬鹿なこと言ってないで。早くセラ様に現状の報告を」
「うん、私もそれが知りたいな。ごめんね忙しい時に。状況はどんな感じなの?」
「ここから約九千ファル(九キロ)の所に敵陣。大昔の城を占拠している模様。三日前に五百くらいの死人兵と交戦してから膠着状態、って感じかな」
「結構近いのね。ヴィルーズ軍はどのあたりに展開しているのかな。あ、地図がある。ちょっと拝借」
セラは地図入れから一枚抜き取ると机に広げた。
「ここがそのお城かしら。北部地帯ってすごい広い森があるのね。ここが『大深淵』かな」
「へぇ、本当はそんな名前なの? 惑いの森ってみんな呼んでるよ。深淵の森もすごく迷いやすくて遭難する時もあるけど、こっちの惑いの森はガチンコでヤバイ。磁場が狂ってて方位磁石が使えないんだ。迷ったら一巻の終わりだってんで誰も入らないよ。さすがのリオンさんもここは避けるって言ってたな。調査に行った同じ里の人が何人か帰ってこなかったらしい」
「そう……」
シビルの言った通りやはり元凶は「パイの端」を破ろうとしているのだ。いまだに追従する人がいるのは別の世界を楽園のような場所だと言って餌にしているのでは。他者を踏みつけにして行く世界に何があると言うのだろう。セラの家族を、ユリシーズの家族を、彼の仲間や友人を、西方大陸の人々を何人も奪っていった者達を絶対に許さない。許せない。
「セラちゃん……? 大丈夫?」
「セラ様……」
「あ、ごめんね。ちょっと考え事してた」
力いっぱい握りしめていた拳を緩めると、心配そうに見つめる三人に笑いかけた。ぱさっと入り口が捲られてルッツが顔を出した。
「セラ、精霊騎士団の師団長と守護騎士を交えて軍議を行います。いけますか?」
「はい!」
「俺が団長の代わりに一緒に行くよ。二人はどうする?」
「う、行きたいけど。軍議じゃ大勢で行っても邪魔になりますよね、エマさん……」
「そうね。私達はここに残ります。セラ様、いってらっしゃいませ」
「うん。ごめんね」
マルセルを従えて天幕を出ると、ルッツが「こちらです」と少し離れた大型天幕へ誘った。すでにジューリオとサイモン、ヘクターが揃っている。幾人か顔見知りの諸侯もいた。西方諸侯側は全部で七名、精霊騎士団からは頭巾を降ろしたままのシビル、ウルリーカとトゥーリ、驚いたことに神官兵長が一緒だった。精霊殿で行われる新年行事ぐらいでしか見たことのない方だが、人格者で武人としても清廉潔白として知られる。がっしりした体躯と神官兵らしく短く刈り込んだ金髪、薄い色の瞳の偉丈夫だ。女神官長が一緒だから同行するのは納得だ。
「ようやく軍の顔が勢ぞろいしましたね。西のセルジュ、東の義勇軍の皆さんには敵陣監視をお願いしているのであいにくと不在ですがね。では軍議を始めます」
ルッツが地図を机にバサッと広げた。セラがさっき眺めた地図の拡大版だ。細かく升目が切ってあって、右隅に方位が記されてある。あちこちに日付の書き込みがあって、交戦したと思われる×印が至る所に記してある。大きなコンパスでルッツが本陣の真上にある『大深淵』手前の敵本拠地を中心に丸印を描いた。
「これぐらいに包囲を狭めます。先日の攻勢で半分以上ぐらい殺げましたよね? 残り五千、一気にいきましょう。東に行ってくれたユリシーズと西にいるセルジュでまず敵本拠地から残存兵力をすべて誘い出してもらいます。同時に本拠地を竜のブレスでいぶしてもらいましょうかね」
ルッツは地図の上にあったチェスの城の白い駒を自陣に、黒を敵陣に置いた。それから騎士の駒を手に取ると、西に白い駒を東に黒い駒を置いて『大深淵』の前までスッと動かした。
「俺達も本陣側から動くのか?」
「いえ、ジューリオは第二陣でお願いします。君の所は装甲騎兵が主体だから真打ですよ」
「第二陣は歩兵中心の我々重装歩兵と装甲騎兵で一気に叩くのか。ユリシーズが黒き有翼獅子の騎士団お得意の一撃離脱転回で援護してくれるんだろ?」
会合の時に見かけた青年騎士と、先日のフィア・シリス王国の立太子式で顔を合わせた騎士が兵士の駒をそれぞれ二個手に取って動かした。ジューリオを僧正の駒に見立てて、セラは兵士の駒の後ろに置いた。
「第三陣は義勇軍がでます。遊撃を傭兵団にお願いします。完全に敵勢力をここでつぶしますよ」
「第一陣の攻勢時の損害はいかほどでしょうか。第一陣は離脱後にそのまま第二陣の援護にまわるのですよね? 損害割合を計算して回せる兵力を出しましょう。クレヴァ様はもうこれ以上、誰も死なせたくないと仰っていました。敵兵力と比べると私達はかなり優位です。ですから、絶対に無理な進軍をしないことを徹底し、自軍損害状況を常時把握してください」
セラは黒と白の騎士の駒を兵士の駒の真横に動かした。この簡単に動かせる駒は兵達の命。この騎士の駒はユリシーズ達だ。そう思うと絶対に損害は出したくない。失策で人命が失われるようなことはあってはならない。正直言って怖くて堪らないが、もてる力すべてで彼らを守ろうと固く誓った。
「……そうですね。誰一人欠けることなく、この戦いを完全勝利で終わらせましょう。第一陣の損害については、騎兵は一撃離脱で攪乱主体だから三割以内でおさまれば御の字、といったところでしょうか」
「三割、ですか……。兵力が二百五十弱と少ない黒騎士側はかなり厳しい状況になります。せめて一割八分になるよう調整が必要かと思われます。この戦力配置図を見た限りですが、クレヴァ様の率いて来られる援軍は本陣と敵陣を包囲するためのものでしょう? 彼らに後方からの援護を頼めませんか?」
「……ばれましたか。そうです。あと残るはここ、惑いの森周辺のみ。西方大陸の他地域はすべて我が軍が掌握していますから、ここが最後の決戦地と言ってもいいでしょう。援護についてはクレヴァ様の方で即時ご判断いただけると思います」
円の外側に王の駒をルッツが置いた。
「わかりました。というか、もう動かれていますね、きっと」
精霊騎士団が先に着くのを見越して、彼らと深い誼のあるセラを副軍師として送り込んだのかもしれない。軍師二人は師の思惑を感じて互いに小さく笑みあった。
「ふふ、そうですね。第三陣まで出た後は掃討戦になります。僕は副軍師には別動隊を率いてもらって、敵本拠地を落としてもらおうと考えています。攻撃役と狙撃手と特殊工兵、それと砲兵が必要ですね。強力な砲兵部隊を率いているフォーレンハイト軍が今日の夜に到着します。後でレギーナ殿と僕とで配置について打ち合わせましょうね」
「はい、わかりました」
セラは平静を装って答えたが「レギーナ様が軍人?!」と内心驚きでいっぱいだ。最後にルッツは女王の駒を動かして敵陣の城の駒の前に置いて、集まった面々の顔を見回してニコッと笑った。
「はい、王手です。これまでの戦いを思えば楽勝ですよ、皆さん」
「違いないな! 正軍師殿、大体の流れはわかった。いつ作戦決行だ?」
「明日早朝五時。こちらの動きを掴まれないうちにいきましょう。兵の配置は手筈通りに」
「わかった。斥候に伝える。頑張れよ、副軍師殿!」
ジューリオが二カッと笑いながらセラの肩をポンと叩いて天幕を出て行った。西方諸侯達も「セラフィナ様、後は任せましたよ」「副軍師殿の初陣を完全勝利で飾りましょう!」と気合十分といった顔で後に続いた。残ったのは静観していた精霊騎士団の面子とルッツ、マルセルだけになった。
「ちょっとセラ! アンタちゃんとできてるじゃん!」
「そこの女神官、黙って」
「いやホント感動しちゃったわぁ。帰ったらウィスタリアに教えてあげよう」
「親ばかもいい加減にしてくれないかな。正軍師殿の目が点になっているだろ」
「お二人とも、お静かにお頼み申す。これより我らの目的と役目をお話いたします故」
重低音の神官兵長の声が場を鎮める。セラは真っ赤な顔で俯いたまま小さな小さな声で「恥ずかしい……」と呟いた。マルセルは俯いて肩を震わせて、しきりに咳ばらいをしていた。
「精霊騎士団の目的なら伺っています。敵本拠地を調査されるのですよね? 安全のため完全制圧してからをお勧めしますが」
「いや、もちろん僕らも手伝うよ、そのために来たんだし。本拠地制圧に攻撃役がいるんだろう? よければ僕が行くよ。この子とは気心も知れてるしね」
セラの隣に立ったトゥーリが手を挙げた。この子、というところで空色の瞳が緩く弧を描く。兄貴分は何の気負いもなく笑っていて、少し肩の力が抜けた。
「そうですね。それではお願いしましょうか」
「いいんですか?」
セラはぱちくり瞬きしてルッツを見た。
「もちろんですよ。中がどうなっているのか掴み切れていないから、念のためヘクターにもお願いしましょう。彼は殴り込みが得意ですから。掃討戦の流れ次第ではユリシーズも攻撃役に加わる、とか言い出しそうだけど……」
困ったように眉を寄せるルッツにマルセルは「あり得るわーそれ」と頷いた。
「狙撃手は予定通り俺が行きます。特殊工兵ならうちにも凄腕が三人いるけど、どうする副軍師殿」
「え、誰? フーゴの部隊?」
「フーゴの師匠を忘れてない? リオンさんとアキムさんだよ。うちの工兵は二人が育てたようなもんだから」
「あの人達、何でもありなんだね……」
「ホントだよね。黒騎士団はこれでも人材が色々揃ってるんだよ。そういう風にユーリが立て直したんだ。俺達もすんごく頑張ったし」
「ユーリも皆も、本当にすごいよ……」
そういえば騎兵が中心だというのに、師団ごとにそれぞれ役割が振ってあるし、細かく兵種も分かれている。ユリシーズは四年前の壊滅状態を二度と繰り返さないために、戦略的にかなり高度な編成を組んでいるのだろう。常々すごい人だと思っていたが、その手腕と采配に改めて尊敬の念を抱いた。
「それでもってデイムは軍師だし。あららら、うちってば最強の布陣じゃない?」
マルセルのお道化た声にウルリーカは声を立てて笑った。
「本当だね。うちのかわいい娘をどうかよろしく。正軍師殿、黒騎士マルセル」
「もちろんです、ウルリーカ殿」
「お任せください!」
ハキハキ答えるルッツとマルセルに、ウルリーカは満足げに微笑んでセラに片目を瞑って見せた。神官兵長も厳めしい顔を少しだけ崩してから正軍師に一礼して言葉を継いだ。
「では我々の動きを改めてご説明しましょう。まずは戦闘支援。これは敵方の疑似精霊魔術を無効化する方陣を神官兵が各所に描き、こちら側の兵に精霊魔術が当たらない様に随時援護を行う。簡単に言うと発動した疑似精霊魔術を打ち消すわけです。神官兵は体術主体で戦うので、できれば歩兵部隊に編成していただきたい」
神官兵長の言葉を引き取ってウルリーカがちらりとフードを被ったままの女神官長を見た。
「あらかた戦闘が終了したら我らは戦列より離脱します。そのまま拠点攻略の援護を行い、敵本拠地を調査した後そのまま北上します。惑いの森にこちらの女神官が結界を張り、亜生物がこちら側に現れない様にします。元々森の中に人が立ち入らぬ様、触れを出していると聞きました。これは今後も続けて頂けるのでしょうか。精霊殿よりその件についての正式な依頼書を託されていますので、諸侯連合代表にお渡ししたいのですが」
「現在の代表はエーラース卿です。次点は僕になりますが、よろしければお預かりしましょうか?」
「ふふ、そのまま貴方が引き継がれるのでしょう? ではこちらを。できれば主だった西方諸侯が集まっている時に公表して欲しいと、女神官長ならびに長老より伝言がございます」
ウルリーカは封蝋付きの黒紫色の筒をルッツに手渡した。
「かしこまりました。この戦役が終わり次第、緊急の会合を開こうと思っていますのでその時に」
「お願いします」
ウルリーカに一礼したルッツが突然マルセルに話を振った。
「ところでマルセル、君、口は堅いよね」
「話すなと言われたら死んでも話さないけど」
さすがユリシーズの腹心、とニコッと笑ってからスッと表情を消してウルリーカの背後に視線を流した。
「女神官長様、調査内容をお聞きしても? どうやら惑いの森は僕達が思う以上に秘密が多いみたいですね?」
「あらま、ばれてたの」
「こちらの神官兵長殿とトゥーリ殿を見ていればね。確かトゥーリ殿は当代女神官長の実弟でしょう? 雰囲気が身内のそれでしたから」
「そうよ。この生意気なのは私の弟。兵長、だから言ったじゃない、もっと高圧的にしてろって」
「申し訳ございません。私には無理ですシビル様」
「誤魔化さずに教えてくださいね。調査内容は何ですか?」
「うーん。この子只者じゃないね。ちょっとトゥーリ、後は頼んだ。私らは方陣をどこに敷くか協議するから」
「わかったよ、姉さん」
「えっと、それじゃ私とマルセルはヘクターさんに明日の攻城戦のことを伝えてくる。行きましょ、マルセル」
「あれが女神官長……想像と違う……」
ややこしいことになりそうな雰囲気を察知したセラは、何やらぶつぶつ呟いているマルセルの背中を押して天幕を後にした。こんなに早く決戦になるとは思ってもみなかったが、クレヴァからの「兵を必ず生還させる戦略を立てる軍師」としてできることをやるだけだ。もうすぐ陽が暮れる。何だか胸がざわざわしていつまでたっても落ち着かない気分だった。




