37. 残念聖女
「……女神官殿がおられるから明るいうちに着いた方がいいと思うんで早めに出るか。副軍師殿、出立は昼前だが、どうする?」
セラはジューリオに話を振られて、ちょっと考えてから答えた。
「それでは馬を少し休めてから参りましょう。一時間後はいかがですか?」
「わかった。俺達はいつでも出られるから声をかけてくれ」
「へぇ……。僕達もすぐにでも行けるよ。それじゃちょっと調整があるから僕らは外す。そこな女神官と一緒に待っていてもらえるかな?」
「副軍師? セラが? あなた軍師は無理って自分で言ってたのに。あ、こらトゥーリ! 離しなさい!」
「それじゃジューリオ、またあとで」
「お、おう」
ウルリーカの腕を引っ張ったままトゥーリはスタスタ部屋から出て行った。ジューリオもサイモンを伴って準備のために出て行く。部屋の外にいたヘクターがひょこっと顔を出して警護をこのまま続けると言い置いて静かに扉を閉めた。
もじもじしながら白いローブ姿の女神官長の顔を伺うと、絶世の美女はニンマリ笑みを浮かべ、白い繊手を伸ばしセラの両頬を包んだ。そしてぷにっと摘まむと「やだー」と笑った。
「ほっぺはちびっこの時と同じなのにすっかり綺麗になって。おねーさんは嬉しいわよ。ねねね、ところでセラの彼氏君はどこよ? 彼氏ができたら私が見定めてやるって言ったでしょ」
「そ、そんな昔のことよく覚えてる。いまは東の陣にいますってば」
「あらま残念。愚弟がお世話になってるし、大事な妹がお嫁に行くからご挨拶したかったんだけどな。ところで副軍師って何よ? 迷子になってばっかなのに大丈夫? 兵を妙な所に行かせたらやばいわよアンタ」
「ひ、ひどい。私は竜に頼まれものをしてて、本陣に行く理由が必要だったから副軍師ってことで来たんですぅ……」
「そうかいそうかい。ん、ちょっと待て、竜て。竜とどうやって話したの? 彼らは竜の言葉でしか話さないよ、声帯が人の声を出すようにできてないから」
「私のお父さんが身体を借りてた竜とのご縁を繋いで、術で声を届けてるって。シビル様、竜の卵を探せませんか? 古代の術法とかで探せない様にされてすごく困ってるの」
「失伝魔術か……。ちょっとその竜と話がしたい。呼べる?」
「うん。近くにいると思うよ」
「近くぅ?!」
話しながら出てくると扉の横にいたヘクターが驚いたように身じろぎした。
「中が静かだから寝てるのかと思ったぜ。何処行くんだ?」
「ちょっとそこまで」
「はい?」
「そこのお庭までよ。ヘクターさんも来る?」
「……一応ついてくよ」
三人で校庭までやってくるとセラは大きく息を吸って「モーネさまー!」と叫んだ。すぐに近くから「クォーン!」という高い雄叫びが聞こえ、舞い上がる大きな影が見えた。
『何用じゃ? む、そこな女子、普通の人ではないな……魂の色が違う』
「んふふふ、長年の研究成果を試す時が来たわね。セラ、私が話しかけるからモーネ様のお言葉を教えて」
シビルが聞いたことのない発音で突然話し始めて、セラは翡翠の瞳を零れんばかりに見開いてほっそりした後ろ姿を凝視した。
『お初にお目にかかります、尊きお方。私はシビル。人の精霊殿の司にございます』
「『驚いた、そなたは古き言葉がわかるのか?』」
『はい。近いうちに次の司にお役目を譲る時が参りますが、その前にこうして尊き方に見えて至極光栄にございます。ここにいる娘より、御子がかどわかされたと聞きました。まずはお姿を隠しているのが呪符か言霊か判定いたします。これよりいくつかの陣を描きますゆえ、似た模様をご覧になったことがあったか。お教えください』
「『わかった』だって」
シビルは頷いて錫杖でがりがりと地面にいくつもの方陣を描き出した。様子を見守っていたヘクターが恐る恐ると言った様子で少し下がったセラのところにやってきた。
「おい、姫様よ。さっきから俺の知らない世界が展開されてるが、そこのおねーちゃんは何やってんだ?」
「私もよくわからないけど。ずっと古代語を研究してたから、古代語で話しかけてるんだと思う」
方陣を描き終わったシビルは一つずつ錫杖の先で指し示している。長くしなやかな首を横に振る様子はとても残念そうで、セラは竜のご婦人が気の毒で仕方なかった。
『では、こちらは?』
五つ目の方陣を示した時モーネがばさりと翼を打った。グゥゥ、とひどく剣呑なうなりを上げている。
「これか……」
「『似ている、確か縁が二重だった』だって」
「失伝魔術の一つだよ。こんなの知ってるのこの世に私だけだと思ってた。敵ながらあっぱれだわ。二重縁ってのは改変してるんだろうけど、呪符魔術なら分がある。ふん、この私をお舐めでないよ」
高笑いを上げながらざくざくと自分で描いた方陣を錫杖でほじくり返す様子に、セラの隣にいたヘクターが呆然と「な、なんなんだこの人……」と呟いた。
黙って立っていれば芍薬のように可憐で嫋やかな美女だが口を開くと色々ひどい。学者バカ、呪術オタク。暴虐の風。数ある綽名をまとめて実弟を始めとする側近達は「残念聖女」と陰口を叩いている始末だ。
セラは物心つくかつかないかの頃からずっと可愛がってもらっているから、ちょっと変わってるけど優しい姉のように慕っているし、精霊殿の司として人々から敬われているのは嘘ではない。
『セラ、ありがとう。そなたが精霊殿の司と誼があったおかげで、我が子の行方がわかりそうだ。本当にありがとう』
「よかった。不思議なご縁ですよね」
『ほんにのぅ……。二百余年生きたが、このようなことは初めてじゃ。流れというものがあるのだろうな』
「流れ……」
「時流の流れ、人の流れ。そして運命の流れ。色々あるけれど無意味なことは一つとしてないんだよ、セラ。私が呼ばれてここに来たのもそうだし。セラが北方大陸でユリシーズと出逢ったのも、西方大陸に帰って来たのも、竜の身体に入ったお父さんと再会したのも。すべてはあるべき流れへ戻る。母なる精霊の輪のようにすべての源は同じだから。女神官長からのありがたーいお言葉だからよく覚えておくのよ。そこのアンタもね」
「……はいはい。俺は運命なんて言葉は大嫌いだがな」
ヘクターの言葉をどこかで聞いた気がしたが、言い合いを始めたシビルとヘクターを止めるために慌てて割って入ったことで、すぐ忘れてしまった。
警備上一緒にしたほうがいいだろう、ということで話がまとまりセラはシビルと同じ馬車に乗ることになった。多分面倒な人のお守りをしてほしい、というトゥーリとウルリーカの思惑があってのことだろうが話したいことがたくさんあったので、むしろありがたかった。
「セラと同じ馬車なんて嬉しいわ。お菓子食べる? ジュースもあるよー」
「ありがとうございますシビル様。あの、聞きたいことがいっぱいあるんですけど」
「昔みたいにシビルおねえちゃんでいいのに。まあいいわ、さあ、お姉さんに聞きたいことはなぁに?」
「えと、ウィグリド帝国の始祖について、何か知りませんか? 配偶者の能力を強化させた子を生み出す、って聞いたことがあって。どうしてこんな力があるのかなって……」
「竜の血を飲んだ、と言われてるわね。伝承じゃ竜の血肉は猛毒で飲んだら身体の内側から解けて死ぬんだって。私の予想だけど偶然身体に適合して副産物、つまりおまけで魂の種を強化する力を得てしまったんじゃない? だけどもう失われていく血族だから、このままそってしておこうね?
元々西方大陸には身体能力が異様に高い人が生まれやすい。だからセラは自分がおかしいのかもとか普通じゃないのかもって思い詰めなくてもいいんだよ。それ言っちゃうとあたしら姉弟なんか完全に人外だからね」
「はい……」
「いいこと、今回起こった西方解放戦争の原因はセラのお父さんや伯父さんのせいじゃない。ずーっと気に病んでたんでしょ、自分の親族が西方大陸を混乱させたんだって。それは違うと、この私が、女神官長様が断言してあげる。どれもこれも錬金術師が、悪い王様の子孫がやったことだから。ウィグリド帝国の皇帝一族の特性を悪用しようとしたんだよ。今回私達が来たのはその確実な証拠を押さえるためだからね。不安だったのに、ずーっと一人で頑張ってたんだね。偉かったね、セラ」
シビルの心からの温かい言葉に、セラはぽろりと涙をこぼした。誰もが錬金術に魅入られてしまった皇帝が悪かったのだと言う。だけどその皇帝と同じ血を引いている自分は、本当にユリシーズのそばにいてもいいのだろうか。ふさわしいのだろうか。そう迷う気持ちがどこかにあったから暖かいものが溢れて止まらなかった。
「西方大陸が狙われたのにも理由があってね。私達が住むこの世界はいうなれば精霊の霊力で作られた大きなシャボン玉に入っているパイのようなものなの。だけどパイの端っこは別の世界とつながっていて。どうしても別の世界に行きたい悪い奴が、長い長い時間をかけて壊そうとしているの。西方大陸はずっと昔から戦乱の時代が続いていたから、精霊の加護が薄くなってシャボン玉にひびが入ってしまったのね」
「……四つの大陸それぞれにパイの端っこがあるんですか?」
「賢いね。そうよ。北方大陸の『果てない壁』と南方大陸の『砂上の回廊』は、年中暴風吹きすさぶ高い山脈にあったり、流砂の奥にあったりして危険な上に、精霊殿が精霊騎士団を守りに置いて強固な結界を敷いているから簡単に破れない。東方大陸の『大瀑布』も同じね。複雑な海流で人はまず近づけないし巫女王が竜の力を借りて守っているから」
「どうして西方大陸には守る人がいないんですか?」
「いたわよ。『熾の民』って言われてる火の精霊を祀る戦闘集団が、北にある『大深淵』を守っていた。だけど五十年近く前にいきなり消えちゃったんだって。同じように大地の精霊を祀る巫覡の一族だった『砂の民』も三十年くらい前に突然消えたから襲われてしまったのかもね。アキムだっけ? 彼なんか長の血族で魔剣士の直系の末裔でしょ。よく無事だったねー」
「えっ!」
「あらま、知らなかったの? 彼の安全のためにも精霊騎士団に来てもらいたかったんだけど、もう諦めたわ。こっち来る前に南方の大神官が頼むから説得してって手紙を寄越したから”絶対無理だから諦めろ”って返事しといた。元深淵の猟犬に腕ずくで言うこと聞かすとか無理だし。本人が主に生涯仕えたいって言うんだから仕方あるまい!」
「……ありがとう、シビル様」
がははと豪快に笑うシビルにつられて、セラも咲きかけの向日葵が開くような笑顔を浮かべた。
「そうそう、セラは笑顔が一番かわいい。いつでもそうやって笑ってて。結婚式には生憎出られないけど、トゥーリに山ほど贈り物もたせるから楽しみにしてて。セラもユリシーズも、人一倍辛い目にあってきたんだから、誰よりも幸せになるのよ」
「はい。贈り物、楽しみです」
シビルは麗しい紅の唇を大きな笑みの形にすると、セラの背中をばしっと叩いて「任せといて」と笑った。儚げ美女なのにやることなすこと豪快で、あけっぴろげな所は「シビルおねえちゃん」のままだ。遠く離れても、身分の壁があっても、変わらず気にかけてくれていた優しさが嬉しかった。
途中で休憩を取りながら、予定通り日暮れ前にフィア・シリス王国の北にある前線へ到着した。近づいてくる本陣はかなり大規模な駐留地で、たくさんの大型天幕が張られ大勢の兵達の姿があった。すれ違う歩哨や騎士達が驚いたように「クレヴァ様の馬車だ」と嬉しそうに声を上げているのが聞こえる。それに「クレヴァ様じゃなくてすみません」と心の中で謝りながら、セラは馬車の扉が開くのを待った。
「お疲れさまです、セラ様」
「その声はルッツ様? 何度も言う様で心苦しいですけど、様はいらないですよ」
「ふふ、鳥が今朝がた着いて、皆で楽しみに待っていました。ようこそ前線へ、副軍師殿。皆、私の副官が着きましたよ!」
にこやかに笑うルッツの手を借りて馬車から降りると「セラフィナ様?!」と周りからどよめきが起こった。
「僕は自分の副官をもつのは初めてなんですよ。嬉しいな」
「みんなついてけないからじゃないすか。お疲れさまです、デイム!」
動き易そうな黒の上着とズボンに長靴、緑と黒、茶色が細かく迷彩模様になっている外套姿のマルセルが変わった形の弓を肩にかけてやってきた。怪我もなく元気そうだ。
「マルセル! ホントにこっちにいたのね!」
「どもども」
「会えてよかったわ。ユーリから伝言預かってるの。はい」
「おお、すみません。デイムを伝令に使うなんて贅沢だ……おお! ッシャア!」
拳を高々と上げて喜ぶマルセルの姿にセラも嬉しくなった。ユリシーズは人心を掴むのが上手だ。
「よかったね」
「ありがたき幸せ」
ユリシーズからの伝言を大げさに掲げながら跪くマルセルに、セラと侍女達は朗らかな笑い声を上げた。
「そんなにやる気が出るなら、賞金をかけようか? 首領に一撃で当てたら金貨五十枚あげるよ」
ルッツの言葉に立ち上がったマルセルはよろりとふらついた。
「ごじゅ。ボンボンは金銭感覚が狂ってるな……毎日算盤弾いてるユーリを見習ってほしいもんだ」
「おや、いらないの?」
「いります」
「そうそう、セラは実技演習を受けていないんでしょう? 今回の実戦参加を演習として履修した科目と合わせれば軍師の資格が取れるんですよ。知っていましたか?」
「いいえ……。資格は取ろうと思っていなかったし」
「それはもったいない。クレヴァ様もせっかく学んだのに形が残らないのは惜しいとおっしゃってたから、今回のことを思いつかれたんでしょうね。見極め役の教官は僕ですけど、こう見えて教鞭も取っているので安心してくださいね」
「あ、ありがとうございます……?」
「ルッツ、それなら俺をデイムにつけてもらえないかな? どうせ混戦になったらそっちの指示にかかりきりだろ? 敵将なら顔を覚えたし、副軍師から都度指示を貰って狙撃していくよ」
「ふむ……。それもいい案ですね。セラは見た感じ拠点攻略向きのようだし……」
「マルセル、ルッツ様動かなくなっちゃったけど」
「ほっといて平気だよ。終わったら再起動するから。とりあえずお疲れでしょうからご休憩をどうぞ」
今度はマルセルの先導で移動する。あちこちから「よろしくお願いします、セラフィナ様!」「副軍師殿お疲れさまです」と声がかかる。ルッツのおかげですんなり受け入れて貰えてセラはホッと息を吐いた。ひとまず第一関門通過。本番はこれからだ。少しずつ暮れていく橙色に染まった空を見上げ気合を入れ直した。
ちょっと色々補足説明の回でした。




