30. 見習い軍師の初陣
馬車に乗り込むとすぐにエーラース軍の騎士達が馬を引いてやってきて、御者席にもエーラース軍の騎士が着いた。セラが御者席の所にある小窓を開けて「よろしくお願いします」と声をかけると、若い騎士は一瞬驚いた顔をして「お任せください」と一礼した。彼も初めて戦地に向かうようでセラ同様緊張しているらしい。
しばらく待っていると傭兵団の姿も揃い、逗留した館から旅支度を整えたクレヴァが側近達を引き連れて来るのが見えた。セラは窓を開けて、こちらにやってくる師を待った。
「セラ、くれぐれも気を付けて。私の教え子達は勝ちが見えてくると勇み足になるから、あなたが抑えに回ってください。もう誰も犠牲にしたくないから、私と精霊騎士団のどちらかが到着するまで自重させて欲しいのです。だから”兵を必ず生還させる戦略を立てる軍師”としてあなたを派遣します。ま、演習だと思って気楽にやりなさい」
「あの、本当に、私に務まるでしょうか?」
正軍師、ヴィルーズ公爵とメイユ公への書状を預かり、手元をじっと見ながらぽつんとセラは呟いた。竜のご婦人のために一肌脱ごうと思い立ったことが何やら大ごとになってきて、セラはだんだん不安になってきた。
「言ったでしょう、私はセラの軍師としての才を買っていると。幼い頃からシーグバーン殿に戦略の基礎を教わって、軍師過程で一年間学んでいたのだから、自信を持って。自分の智略が現場でも通用するということを自分で自分に証明なさい」
「はい、クレヴァ様」
「何かあれば周りが必ず助けますから、己と仲間を信じなさい。頼みましたよ、皆さん!」
クレヴァが厳しい表情で家臣団を睥睨すると「応!」と傭兵団が声を上げ、騎士達が揃って礼をとる。別れもそこそこに馬車が走り出し、セラは窓から顔を出して「行ってまいります!」と元気よく別れを告げた。それにクレヴァが穏やかに笑んで頷き、同じように慌ただしく馬車に乗り込んで出立していった。
「セラ様は女官になるための試験を受けていたんですよね……? 軍師になるお勉強も必要なのですか?」
エマが「あれ?」という表情を浮かべて、セラの方を伺い見る。ハンナも興味津々といった顔だ。
「ううん。私が希望していた王立図書館って軍関係の資料もあるから、基礎知識が必要になるかなと思って軍師過程の科目も選択してたの。習ったことでユーリの力になれたらいいなって思ってたけど、こういう形でその機会が来るとは思わなかった」
「そうだったんですか。ユーリ様が聞いたら感動して泣いてしまいますわね」
「セラ様すごい。ちっちゃい時から軍師のお勉強してたんですね」
「うーん、特にそう意識したことはなかったよ。陣地とり遊びの遊戯板が先生考案の軍用模擬版だったりとかはしたけど。私がずっとお世話になってた先生は軍師だから、おうちにある本もそういう関係の本ばっかりで、学ぶための環境は整っていたかもね」
確かに今思えば軍師になるための環境は整っていた。もちろん軍師になりたいといえばきっと先生は喜んで力を貸してくれただろうが、セラの自主性を伸ばす様に「ちゃんとやりたいことを決めなさい」と色々なことを教えてくれた。遠く離れた西方大陸に来て懐かしく思い出すのは、楽しかったことばかりだ。先生の教えてくれたことを一つ一つ思い出しながら、両手をギュッと握りしめた。
「ユーリ様、やばいよ。砦のまわりが囲まれてる」
「マジか」
リオンの報告を受けて、ユリシーズはもやで煙る森を望遠鏡で探った。時々夜行動物のようにちかちか赤く光る眼が見える。昨夜よりも数が増えて見た感じでは二、三十といったところ。深夜の遠吠えと唸り声から察するに狼型だろう。進路を妨害し続けたから「獲物」として追跡されていたのは知っていた。亜生物の群れの大部分をこちらに有利な地形に誘導したので友軍が連携を取って挟撃してくれるはずだが、この団体はまったく動こうとしない。最悪の場合、半壊した砦に籠ったまま少ない手勢と乏しい装備で迎え撃つ必要があった。
「地図貸してくれ」
アルノーから受け取った地図を見てユリシーズは現在地から一番近い友軍拠点の距離を目算した。半日ぐらいで行けそうだが、それは何もなければの話。囲みを突破するには余りにも兵力が不足していた。
「一番近いのはメイユか……。ジューリオの軍は出払ってるだろうから救援は頼めないな」
「レーレを呼ぼう。そのへんにいればいいけど」
リオンがさっと立ち上がって砦の出口に行ってしまうと、残された面子は押し黙った。
「マルセルとフーゴ、どうしてるかな」
アルノーが小さな声で呟くとエーリヒが静かな声で答えた。途中で別れてから丸一日が過ぎる。マルセルが無事にヴィルーズ軍が展開している駐留地に着いていれば、明後日には援軍を寄越してくれるはずだ。
「マルセルの馬術の腕はユーリの次だ。もう着いてるだろう。フーゴから伝言を聞いて、クレヴァ様もデイムも、きっと心配しているだろうな……」
「だよね。俺達の頭数考えたら、どう考えても一番危ないの俺達だし」
「……クレヴァ様は火槍の騎兵を率いてる。フーゴと一緒に戻してくれるだろう。それまでもたせないとな」
アルノーとエーリヒが口を閉じると、ユリシーズは静かな声で答えた。セラの泣きそうな顔がちらついて仕方ない。援軍は必ず来る。それまであと二日分の食料と水を配分するかが問題だ。糧食は仕方ないにしても、水はどう考えても大の男の一日分としては少ない。馬の分も考えると頭痛がしてきた。途中の町で補給するつもりだったから最低限の用意しかしてこなかった迂闊さを呪った。
「やっぱあの枯れ井戸どうにかすっか。掘ったら出ないかな?」
ユリシーズが腕を組んで呟くと、エーリヒが遠い目でひとつため息をついた。
「リオンさんに頼んで、お猿のように木を伝って少し離れた所の川まで行ってもらおう」
エーリヒの提案にアルノーがハハッと乾いた笑い声を上げた。
「いいねそれ。一日三十往復くらいやってもらおう。余裕だろ」
「なんでそんな苦行を俺だけ強いられてんの。だいたい途中であの狼モドキに襲われるわい」
少し疲れた柔らかい声がして三人はそちらを見てから、さりげなく視線を逸らす。いつになく目が据わっていて『深淵の猟犬』としてのかつての姿を垣間見た気がした。
「レーレ、来そうか?」
「たぶんね。ユーリ様屋上にいなよ。ご主人サマの姿を見たら狼にビビってても降りてくるでしょ」
「えー、寒いよ。風びゅーびゅーだし」
「こんなとこに皆を誘導した責任を取りなさい。水汲みに関しては検討しとく。本当にやばくなったら行くしかないし」
「はいはいっと。屋上にいるから何かあったら呼んで。俺も呼ぶから」
「了解。それじゃ俺達は井戸を見てくるね。ちょっと掘ってみる」
三人を見送ってリオンは窓の外に目をやった。チラチラと小さい影が動いているのが見える。さっき跳ね橋を完全に上げてきたから余程気合の入った亜生物じゃないと砦には入ってこれないだろう。そのかわり自分達も出られない。情報も入ってこないから、友軍の動きや援軍がどこまで来ているのかもわからない。ないない尽くしだが、ユリシーズは普段通りを貫いている。それが一番心強かった。
クレヴァと別れた後。丸一日馬車に揺られて、夜遅くに到着したのはメイユ領内の小さな町だった。町の手前で竜のご婦人は「近くにおるゆえ、また明日会おう」と別行動をとり、セラは宿に着くと皆に気を遣わせぬ様、早々に部屋へと引き上げた。
「ふぅ。明日には前線に着くね」
「お疲れですね……。今日はもう休まれます?」
「うん。ハンナも早めに休んでね。あとは自分でできるから」
「わかりました。隣の部屋にいますから、いつでもお声をかけてくださいね」
セラは一人になってから鞄を開けて、レッスン用の帳面に今日のことを書き綴った。貴重な体験をさせてもらっているのだから、行軍日誌のようなものをつけて後でクレヴァに提出しよう。機会があれば先生にも読んで欲しい。そんなことを思いながら鉛筆を走らせる。下弦の月はだいぶ膨らんでいて、ランプの灯りが必要ないくらいに部屋を明るく月の光が照らしていた。黄みがかった柔らかな光は亜麻色の髪を思わせる。
「ユーリ、大丈夫かな……。怪我とかしてないかな。そうだ、明日になったら鷹笛吹いてみよう」
第三師団を援軍に寄越す様に言ったということは、そのまま残党討伐の本陣に加わるのだろう。竜の出現で思っても見ない方向に事が進んだが、残党をすべて一掃して無事に竜の卵を取り戻すことが出来たらセラの役目は終わりだ。すべて片付いたらユリシーズに勝手なことをしてごめんなさいと謝って、真っ直ぐトラウゼンに帰ろう。そう決めて、帳面をパタンと閉じてランプを消した。
翌朝、セラは厚手の濃紺のコルセを身に着け、フード付きの黒いケープを纏った。髪は後ろ頭で一つに結い根元に髪を一束分巻きピンで留めた地味目なものだ。物見遊山ではなくクレヴァの名代として、しかも副軍師の役目をおって行くのだからお洒落や可愛さは必要ない。
軽く朝食を取り、今日の行軍予定をクレヴァの側近のサイモンという渋い騎士と傭兵団の長ヘクターと打ち合わせた。といっても軍師見習い以下のセラは二人のお話を静かに聞いているだけだ。
「っつーか、本当に姫様は途中で休憩しなくっていいの? もし何かあったら俺達がユリシーズ様にバッサリいかれちまうんだけど……」
「もう、ヘクターさん、姫はやめてくださいってば」
「セラフィナ様、我らが急いでも戦況はそう変わりません。どうか御身を優先してください」
「でも……」
「クレヴァ様も言ってたでしょ、精霊騎士団か援軍が着くまで動くなって。ユリシーズ様だって黒き有翼獅子の騎士団の第三師団と合流したら、そのあと指示あるまで待機だぜ?」
「ユリシーズ様を心配されるお気持ちは我らにもわかりますが、どうかここは我らに従って頂けませんか」
経験豊富な先人達から畳みかけるように言われて「わかりました」と頷くしかなかった。途中の町で一泊してからメイユ公の居城へ赴き、そこから前線へ移動することになり、セラは再び馬車に乗り込んだ。
砦に籠城して二日目の朝が来た。相変わらず周辺の森からは複数の気配がする。いい加減喉の渇きを覚えてユリシーズは上空を仰ぎ見た。からりと晴れた秋空には雨雲の気配はなく、鳥の影もない。昨日は丸一日櫓にいたがレーレはやってこず、今日はユリシーズがリオンの鷹笛を借りて吹いてみた。波長はセラにあげた金色の鷹笛の方が強いから、もしも近くにセラがいてレーレを呼んだらそっちに行ってしまうだろう。あれだけしつこく言い聞かせて、本人も納得して帰路についたからその線はないのだが。石の階段を踏む固い靴音がして振り返ると、アルノーが泥を頬に着けたまま満面の笑みで上がってくるところだった。
「井戸から泥水が出たよ」
「でかした。ろ過できたか?」
「一応出来たから馬にあげたよ。昨日から全然飲ませてなかったし」
「上出来。リオン、そろそろ覚悟はいいか?」
「いいわけないでしょ。見た感じ、川まで木を伝っていくの無理だよ。途中で木がないところが」
アルノーと一緒に櫓に上がって来たリオンが眼下の森をうんざりした顔で眺める。確かに指さす方向には木がなかった。地面に降りたら森で待ち伏せている狼型の餌食だ。
「そこは足がちぎれるまでかっ飛ばして川まで走れよ」
「鬼か」
「真面目な話、俺達あと一日分しか水と食料がないよ。どうする?」
「俺達がここに隠れてるのは敵さんにもばれてるんだし、そろそろ狼煙でも上げようか。この状況でフーゴが戻ってきたらまずいよ」
リオンは進言しながら足元の石を拾い上げると、思い切り振りかぶって跳ね橋のあたりをうろつく狼型に投げつけた。横っ腹に命中した狼の亜生物はギャインと悲鳴を上げて森へ逃げ帰っていく。その様子を見ながらユリシーズは眦を厳しくして二人を見た。
「だな。援軍を迂闊に近寄らせるな。せっかく囮になったのに、それじゃ意味がないからな」
準備に取り掛かる二人を見送って、ユリシーズは再び周囲を見回した。丘を囲む様に森が広がり、その向こうは何もない平原。そして細い川。この砦はおそらくかつて国境だった川を見張るためのもので、敵を迎え撃つためのものではない。追われていたとはいえ、そんな場所を選んでしまった自分に腹が立つ。だが失態のおかげで元凶一派の目論見は崩せた。亜生物の群れが警戒を掻い潜って南下していたことを鑑みるに、敵側も元解放軍側を挟撃するつもりだったに違いない。できるだけ早くここを脱出し第三師団を率いて本隊に合流し、彼らの援護に回るだけだ。さっさと残党討伐を終わらせて、サクッと西部地帯にある母の故郷アートレース地方を探索して、セラの待つトラウゼンに帰る。それだけが今のユリシーズの望みだった。




