26. 惜別のかたち
神官の「母なる精霊の導きとご加護があらんこと……」という静かな祈りの言葉が終わり、弔いの場にいた全員がゆっくりと顔を上げた。バハルト将軍は真っ赤な瞳で傍らに立つ泣きじゃくる奥方の肩を抱き、クレヴァはもう一度瞳を閉じて静かに友との別れを惜しんだ。
セラは握りしめていた手巾をゆっくり開いた。お気に入りのクリーム色のレースがくしゃくしゃだ。それで涙を拭いて背後に控えるユリシーズ達の元にゆっくりと足を踏み出した。
「ユーリ、皆も本当にありがとう。父は騎士じゃないのに、騎士として送ってくれて……」
「ジュスト様の魂は誰よりも崇高で、騎士の中の騎士だ」
セラの言葉にフッと笑顔を浮かべて、ユリシーズはこの場にいる人々へ聞かせるように通る声できっぱりと言い切った。
「我らのデイムのご父君、西方大陸の英雄のために捧げる剣です。何の不都合がありましょう」
「アルノーの言う通りですよ。彼らも本当の意味でようやく区切りがつけられたのでしょうね……」
クレヴァの言葉にセラとユリシーズは桃花の根元に眠る二人を振り返った。墓石を囲む町の人々は笑顔だったがどこか寂しそうだ。王太子様の演説に皆が心置きなく行けるようにセラ達は墓地を後にすることにして、バハルト将軍夫妻に別れを伝えた。
「もう行かれるのですか、姫様……」
「はい。次は母と一緒に来ます。母は一度も父の墓前に来たことがないので」
「そう、そうですね。ぜひおいでください……お待ちしております」
「お二人ともお元気で。寒くなりますから、どうかご自愛くださいませ」
「ええ……ええ」
セラは別れを惜しむバハルト将軍の奥方の手をしっかりと握り返し、バハルト将軍に深々とお辞儀をして別れを告げた。町の人達もこちらに気づいて深々と頭を下げる。セラはコルセの裾を摘まんで略式の礼で応えてからしっかり地面を踏んで歩き出した。少し進んだ所でふと足を止めたユリシーズが、なだらかな丘の向こうに声をかけた。
「お前らもちゃんと王太子様のお話を聞きに行けよ?」
ぴょこぴょこと小さな頭がいくつか顔を出し、黒髪の男の子が「な、なんでわかったんだ?!」と慌てている。聞き覚えのある声は孤児院のテッドという少年だ。その慌てようにひとしきり笑ってから、ユリシーズは涼やかな瞳に真剣な色をのせて子どもたちを見回した。
「本気で黒騎士になりたいなら、院長先生のお許しをもらってトラウゼンに来い。待っててやる」
「わっ、わかった!」
「わかりました、だ! じゃーな!」
ユリシーズが手を振るのを見た黒騎士達も口々に「頑張れよー」「楽しみにしてるからなー」と声をかけると子ども達は嬉しそうに「はい!」と大きな声で答えて、元気よく手を振って見送ってくれた。セラも「頑張ってねー!」と両手で大きく手を振る。
「黒騎士に憧れる子がずいぶん増えましたね」
穏やかな顔のクレヴァが丘の向こうを見て優しく細める。
「そうみたいですね。フィア・シリス王国の民がそっちを選ぶとは思ってもみませんでしたが」
「ユーリ様、満更でもない顔してるけど?」
「ホントだ。ニコニコしてる」
「う、うるさいぞ」
後ろを振り返りながら歩くリオンとアルノーにからかわれて、ユリシーズは「お前らは皆を連れて、さっきのところで待機してろ」と側役と側近達に命じた。二人はクレヴァに一礼して追い抜いていく。すぐ前を歩いていた黒騎士達はあっという間に花壇の向こうに姿を消した。
「ユリシーズ、あなたはこれから辺境に行くのでしょう? セラも一緒に連れて行くんですか?」
「いいえ。アキムの隊と帰らせます。クレヴァ様は所領に戻られるんですよね? トラウゼンまでセラと一緒に行ってくださいませんか」
「構いませんよ」
「ユ、ユーリ、私ちゃんと帰れるから。アキムも皆もいるし!」
「何言ってんだ。クレヴァ様の兵と一緒に帰ればより安心だろ。主に俺が」
「でも」
「いーから。養い親希望のクレヴァ様に素直に甘えておけ」
「その通りですよ、セラ。私に遠慮は不要です。シーグバーン殿に遅れは取りません」
「そんなぁ。クレヴァ様、先生と何を張り合っていらっしゃるんですか? 私にはどちらも大切な先生なのに」
「私はセラの父の友人。シーグバーン殿はセラの母の友人。立ち位置は違えどセラを我が子のように大切に思う気持ちは同じです。ただその気持ちだけは彼女には負けたくないのですよ」
至極真面目な顔でそんなことを言い放つ後見人にセラは困り果てた。花嫁衣裳の件から二人は何かというと張り合っている。身分は貴族、職業も軍師。お腹が黒い。策略家。色々なところが丸被りしているのに、そんなことまで被らなくても。セラとクレヴァのやり取りを黙って見ていたユリシーズが「セラ、頑張れ……」と呟いた。
「ところで話は変わりますが、辺境について少し気になることを聞きました。あの辺りはどうやら残党以外の者が潜んでいるようです。獣人らしき姿を見たと報告がありました」
「獣人って?! 子どもの? 白っぽい髪の女の子?」
「いいえ。黒い大きな狼が少年らしき人に変わったそうです。亜生物化したら二度と人には戻れないから、おそらく実験体の生き残りでしょう」
「狼……」
「ということは、あの砦から逃げられた子どもがいたんですね。完全に焼け落ちていたから、俺はてっきり全滅したものだと」
「そんな、お父さんが、利用できない様に手を打ったって言ってたのは、そういうこと?」
「それがジュストに出来る最善の方法だったのでしょう。帝国兵に襲われても強化された身体では死にきれない。再び研究施設に戻されて苦しみが続くよりは、と」
「それは……そうですけど……」
しょんぼり俯くセラの手を励ます様に繋いだ手がきゅっと握りしめられる。ユリシーズもリュシアンに一騎打ちを挑まれていたが、あれも同じことだ。悪戯に苦しみを長引かせることなく、彼を騎士として「人」として死なせてやるのが、あの時のユリシーズに出来る唯一のことだった。ひどくやるせない気持ちになって、地面を歩く自分の足を眺めながら歩いた。
「それはそうと元凶の行方、クレヴァ様は掴めましたか? うちの斥候部隊は潜伏先の辺りはつけたのですが今一歩踏み込めなくて」
「私も似たような状況ですよ。彼らの疑似精霊魔術に対抗するには我々は力不足ですからね。精霊騎士団もそのあたりの事情はよくお分かりのようで、私宛に派兵許可が来ましたよ」
「ということは。またトゥーリ達が来るのかな。あいつ全然連絡寄越さないけど何してんだ」
「オルガのお手紙に精霊殿がちょっとだけゴタゴタしてるって書いてあったから、忙しいんじゃないかな」
三人で広場の傍まで戻ってくると、見覚えのある人影がこちらに気が付いて手を振った。旅装姿のその人は手に白くて長い布包みを持っている。
「おや、あそこにいるのはサディクではありませんか」
「やっと来た。遅いよサディク」
「いやー悪い悪い! ちょっと野暮用が出来ちまってさ。はいこれ」
すっかり見違えるように新しくなった黒剣を受け取ると、ユリシーズは柄に手を掛け少しだけ抜いた。光を一切反射しない黒い刀身が現れると、セラの隣でクレヴァが「ほぅ……」と感嘆の声を漏らした。
「おんじは?」
「もう庵に帰ったよ。その剣、大事にしろってさ」
「直接礼を言いに行けずすまないと、俺が心から感謝していたと伝えておいて」
「了解。実は抜けるかなと試したんだが本当に抜けないんだよな、その剣。柄に変な文様があるけど、それで所持者の情報を読み取ってんのかな」
「へー。手の平からか。どういう仕組みなんだろうな」
「わからなくてもいいんじゃないか? 人の身に過ぎた力を求めすぎた連中と同じになるだろ」
懐っこい笑顔を消したサディクがじっとユリシーズの瞳を見据えた。人の身に過ぎた力はセラ自身にも僅かながら宿っている。配偶者の能力を倍化させた子を産みだすなんて、それは本当に『人』なのだろうか。父は身近な人を守るためにある力だと言っていた。そうであってほしいとセラは心の底から願った。
「そうですね。四大陸それぞれに伝わる伝承や知識が違うのも、過去の誰かがそれを恐れて意図的に変えたのでしょう。それが元に戻る時、また一波乱あるのではと。そう思うのは私が年を取ったせいでしょうかね」
「俺もそう思いますよ。こんな仕事をしていると余計に。だけどクレヴァ様の仰り様は予感ではなく、近い将来起こることへの懸念のような気がしますよ」
「そうかもしれませんね」
セラは苦笑するクレヴァとサディクのやり取りをじっと聞きながら、四つの大陸に伝わる知識が微妙に違うということ、それが何者かによって作為的に行われたという着眼点にたどり着いたクレヴァの洞察力に舌を巻いた。セラはユリシーズに指摘されるまで大陸ごとに学ぶことが少しずつ違うのは単に文化や習慣の違いだと思っていたが、他にも色々巧妙に何かが仕掛けられている気がしてならなかった。
「そうだとしても、俺は俺のできることをするだけだ。折角だからこいつを持って行くか」
「絶対そうして。その剣があったらユーリは絶対誰にも負けないわ」
「セラにそう言われたら頑張らないとな」
久々に見る不敵な笑みに、セラは満面の笑みを浮かべて頷いた。その様子をニコニコ笑顔で見守っていたサディクが「おにいさんがセラちゃんのお母さんに必ずお手紙渡してくるからね!」と自信満々の声で言い放って、南方大陸に旅立っていった。
広場に戻ると黒き有翼獅子の騎士団が自分の馬の轡を取って待機している姿が見えた。こうして見てみると黒一色の人馬はやはり迫力がある。
「団長、出立の準備は完了しております」
アルノーとアキムが駆け寄ってくると、ユリシーズは表情を少し和らげて頷いた。
「わかった。アキム、セラを頼んだ。城外で待機中のクレヴァ様の兵団と合流して帰還しろ」
「かしこまりました」
セラは戻っていく側近達の背中を眺めながら、ユリシーズの服の袖を引いた。
「城外までは一緒?」
「うん。ほら、セラも馬車に乗れよ。クレヴァ様の馬車についていくから」
「わかった……」
促されて停められていた馬車に乗り込むと、居心地良さそうに整えられた車内には誰も居なかった。
「えー、私一人?」
「帰りは我慢しろ。エマ達は貴重品管理があるから一緒には乗れないの」
「わ、わかった……」
しょぼんと俯いてふかふかの座席に座ると、仕方なさそうなため息を一つついてユリシーズが身を屈めた。
「!」
鼻腔を薄荷のように爽やかな香りがくすぐり、しっかりと抱きしめられている安堵感のおかげで落ち込みそうだった気持ちが上向きになる。セラも腕を伸ばしてユリシーズの首に回して「離れたくない」という気持ちが伝わる様に身体を摺り寄せた。そんなセラの気持ちに気づいたのか、耳元で微かに笑う気配がして背中に回されていた腕が外れて頬に手が掛かった。瞳を閉じて大人しく口づけを受ける。
「いい子で待ってろよ。十日ぐらいで帰るから」
「うん。ユーリの執務室、こっそりお片付けしておくね」
「ははっ! 頼んだ」
心底楽しそうに声を立てて笑うユリシーズから頬に軽くキスされて、セラははにかみながら出かける彼にいつも言う言葉を伝えた。きっとこの先何度も何度も言う言葉なのに、言えば必ず帰ってくるおまじないみたいな気がする。
「いってらっしゃい、ユーリ。気を付けてね」
「おう。いってくる」
ユリシーズが笑って馬車の扉が閉めた。セラが何とも言えない気持ちで閉じた扉を見ていると、すぐにユリシーズの良く通る「出立!」という声が聞こえてきた。同時に馬車が軽く揺れて動き出す。
セラは一路トラウゼンへ。ユリシーズは西方地帯北部方面『辺境』と言われる場所へ。馬車は城外の町並みを抜け、この国に来た時と同じように大きな街道がいくつもある分岐へと差し掛かった。ユリシーズの率いる一団は馬を止めずにそのまま北部への進路をとる。気を利かせてくれたクレヴァが馬車を止め、セラは砂埃を上げながら北上していく大切な人と仲間達の後ろ姿を見送った。




