18. 思い出の緋色
セラはエマとハンナを従えて、セブランのエスコートで女王の私室までやってきた。セブランが中からの応えを待つ間こっそり深呼吸する。女王陛下の「どうぞ」というにこやかな声を聞くや否や「おばあ様! お母様! セラを連れて来ました!」と元気よくセブランが告げ、セラに片目を瞑って「今晩は楽しみしているぞ!」と笑って去っていった。セラも入り口で深々と腰を折って挨拶をする。
「失礼いたします、女王陛下」
「いらっしゃい、セラ。待っていましたよ。さ、こちらへ!」
促されて中に入ると、何体ものトルソーが林のように並んでいた。私室はまるで仕立て屋の店内のように色とりどりの布、リボン。それに素晴らしい出来上がりのドレスが飾られている。セブランに面差しのよく似た女性がにこやかな笑みを浮かべ、腕に針山をつけ動き易そうなドレスを纏って立っていた。
「初めまして、セラフィナ様。私はセブランの母、ロミーナです。その節は本当にご迷惑をおかけいたしました」
「恐れ入ります、ロミーナ様。私もユリシーズ様もそのように思ったことなどございませんわ。本日はよろしくお願いいたします」
「ロミーナは服飾職人としても一流ですよ。私の一番弟子ですからね」
「まぁ、義母様ったら」
「ほほほ。今日のお召し物も素敵だこと。せっかく綺麗に着付けていらしたのにごめんなさいね。まず今晩の舞踏会で着るドレスから試着してくださる?」
部屋の中で控えていた濃紺のお仕着せ姿の女官達がさっとセラの所にやってきて、あれよあれよいう間にコルセット姿になってしまった。人に傅かれることにいまだに慣れていないのでひたすら恥ずかしい。
「さ、お付きの方はどうぞこちらへ」
「お気遣いありがとう存じます」
エマとハンナは深々と腰を折ってお辞儀をすると、部屋の端に設えた猫足の丸テーブルと素敵な椅子に勧められるまま掛けた。あそこで美味しいお茶を飲みながら、セラが着せ替え人形になっているのを見物するのだろう。ロミーナがいくつかのトルソーを動かして、セラの目の前に三体置いてくれた。明けの三日月のように柔らかな光沢をした銀色のドレス、セラの瞳の色をそのまま写し取ったような、翠玉のように艶やかな深い翡翠色のドレス。そして摘みたての薔薇の花びらのような、濃い緋赤のドレス。そのどれもが超一級の職人の手による素晴らしい出来栄えのものだった。
「蒼いドレスは伴侶のユリシーズ様が贈るものと決まっているし、白は婚礼で着られるでしょうから青と白は避けましたの」
「この真紅のドレス……」
「気づいたかしら? あの絵でジュディスが着たドレスは私が縫ったのよ。初めて舞台に立つ友を祝って、ね」
「ええっ、祖母が女王陛下とお友達だったのですか?」
「ほほほ。初めてできた本当の友達だったの。同じお教室で机を並べて学んだのですよ。こっそりお忍びで外町に出かけたり、夢を語り合ったり。素敵な恋に落ちたいわ、なんて娘らしいことを話したり。毎日が楽しかったわ。日に日に戦火が広がって不安定な情勢だったけれど、あの頃が一番キラキラしていたわねぇ」
「そうだったのですね……」
「私が十八になる年、当時王太子だった兄が戦死して……突然王位継承権が転がり込んできてね。相談しようと思っていた矢先にジュディはウィグリド帝国に楽団の一員として派遣されてしまって。今思えば宰相達が若く美しいジュディを見栄えのする代役として立てたのでしょう。本当なら私が”側室という名の人質”として赴くはずだったのですよ」
「祖母はきっと、大切なお友達のために行ったんだと思います。お友達が大切に思うこの国のために、自分にできることをしようと思って」
「そうね……。ジュディの孫娘の貴女が、大切な想い人のために自分にできることをしようと思って西方大陸に来たようにね」
「何だかしんみりしてしまいましたわね……。さ、セラフィナ様、まずはこの銀色のドレスから試着しましょうか!」
セラは寄ってたかって女官達にドレスを着つけられる。全員が熟練した腕の持ち主なのか、本来なら小一時間はかかるドレスの着付けがほんの数分で完了してしまった。
「いいわね。セラ、どこかきつかったり着心地の良くない部分はあって?」
「いえ、裄も丈もぴったりです。ちょっと胸の辺りが開き過ぎではないかと……」
「そう? 今はこのぐらいが普通だと思うけれど。ひと昔前は半分以上胸が見えていましたのよ? 最近は古式の魅力が戻ってきて、慎ましやかな胸元になりつつあるわねぇ」
だいぶ口調の崩れて来たロミーナが笑いながら言うと、セラは思わず胸元を見た。はっきりとデコルテの開いた襟元は胸の上あたりまである。これがさらに深まるとなると迂闊に屈んだら服の中身が見えてしまう。
「これも十分開いてませんか? もっと詰まっててもいいかなと……」
「え、そう? ああ、ユリシーズ様のお好みがそうなのかしら。見かけ通りのストイックな若者なのね」
「たっ単純に私の好みです。動きやすいように胸元が開き過ぎない服が好きでっ」
「黒き有翼獅子の騎士団のデイムですものね。お仕事もされるのならそのほうがいいかも。義母様、これでいかがでしょう?」
「そうねぇ、ちょっと胸元を詰めましょうか。動くと少したわむのが気になるわ。これは美しくない!」
「はい」
上品な銀縁眼鏡をかけた女王陛下は完全に職人の目になっている。ロミーナも王太子の母というよりも、服飾の仕立て人にしか見えない。ドレスを着せたまま胸元を仮縫いで少し詰めるとぴったりデコルテに隙間なく添って、美しいラインが際立った。
「いいでしょう。次!」
セラは心の中で「ひょえー」と奇声を上げながら、また寄ってたかって女官達にドレスを脱がされた。脱いだドレスは再びトルソーに着せられて、腕に針山を付けた女官達が最後の仕上げにかかる。彼女達が猛烈な勢いで針を運ぶ姿を見ていると、母が楽しそうに針を運ぶ姿を思い出して口元が緩んだ。
「私達の作業、面白いですか? 興味津々ってお顔」
「はい。私はものが作り上げられていく過程を見るのが好きなのです。それに私の母も御針子でしたから」
「まぁ、そうだったの?! ジュスト様の奥様が御針子だったなんて親近感がわくわ。馴れ初めを聞いても?」
「勿論です。母が下宿していた宿屋兼食堂に父が食べに来るようになったのが知り合った切っ掛けだと聞いています。父のくどいくらいの推しに負けたと笑っていました」
「そう……。セラのお母様はとてもしなやかでお心の強い方なのね。真実すべてを心にしまってセラを女手一つで育てるのは、きっと生半なことではなかったでしょうに」
「はい。でも私も母も周りの方々に恵まれて本当に良くして頂きました。こちらでも色々な方々と誼を得て、心安く過ごしております」
「そう、それは何よりだわ。生まれ故郷はガルデニアでも西方大陸が心の故郷になってくれたら嬉しいわね」
「愛する人の傍がそれですわ、義母様。うーん、やっぱり私のイチオシは翡翠色のドレスかしら。義母様がセラフィナ様の翡翠の瞳を再現するために染色から立ち会ったのよ。この色はセラフィナ様のためだけに作られたの!」
「愛する人の色を纏うのもいいけれど、自分自身の持つ色を纏うのも素敵だと思わない? 来年は『自分の足で立つ』をテーマにした女性たちの服飾を進めていくつもりよ。セラのあの演説でひらめいたの!」
「光栄です、女王陛下」
背後でエマとハンナが感動した様にお互いの手を握り合ってうんうん何度も頷いている。
「ちなみに私はやはりこちらの緋色のドレスね。黒騎士の隣に立つのであれば配色からいえばこちらだし、貴女の見事な赤毛に映えると思うのよ。三着ともお誕生日の贈り物として差し上げるけれど、今晩はどれにしましょうか?!」
「うぅ……迷います……」
セラはその場にうずくまって頭を抱えたくなったが、辛うじて踏みとどまった。どちらも違った意匠で素敵だし、特に緋色のドレスは絵の中の祖母を思い出す。気持ち的には緋色に傾いているのだが、自分のためだけに染めから作られたという翡翠色も捨てがたい。非常に着てみたい。あまりのんびりもしていられないので、チラリと背後を見て助けを求めた。
「二人にも聞くわね。せーので指をさして。せーの」
二人はそれぞれ違う色を指さした。エマは銀色、ハンナは緋色。女王陛下の御前ということも忘れて、今度こそセラは蹲った。
「ほほほ! お、面白い主従だこと! 息ぴったりね」
女王陛下はお腹を抱えんばかりに笑い転げ、ロミーナも女官達も楽しそうに笑っている。
「それではこちらの緋色にいたします、陛下。ロミーナ様、せっかく勧めてくださったのに申し訳ありません」
「いいのいいの、気にしないで。縫製は全部私が携わっているから、どれを選んでいただいても嬉しいわ。それじゃさっそく試着しましょう、翡翠色から!」
あくまでも自分の推しを先にするロミーナに、その場にいた全員が明るい笑い声を上げた。
ドレスの最終調整が終わる頃にはお茶の時間が迫っていた。お茶会が終わったらユリシーズに迎えに来てもらって一度迎賓館に戻る予定なのだが、それだと準備の時間に余裕が持たせられない。それを伝えるとロミーナが自信に満ちた笑顔を浮かべた。自身の侍女と女官にドレスを持たせるから助手として好きに使っていいという。ドレスの品評会の限られた時間で何着ものドレス着脱をする職人芸ともいうべき着付けの腕を持っているらしい。
「何とありがたいことでしょう。流行最先端はここフィア・シリスが基点ですから、しっかりお勉強させて頂きます。ハンナもしっかり覚えてね」
「はい!」
侍女魂に火が付いたのか、メラメラと闘志を浮かべた二人はがっちりと手を組んだ。どうしてこう、うちの侍女さん達は熱い闘魂を滾らせるんだろう、とセラはちょっとだけ遠い目になった。
「それでは陛下、御前失礼いたします。また後程お目にかかります」
「ええ。お茶会は先に始めてらしてね。レディの皆さんがびっくりする顔が見たいから、私が行くのは内緒にして頂戴。リベラートがうっかり口を滑らせたせいでセラにばれてしまったのは誤算だったわ」
「はい!」
悪戯っぽく微笑む女王陛下にセラも明るい笑顔を浮かべ、深々とお辞儀をして辞去を告げた。エマとハンナを連れて、詰所のある廊下を進む。
「はぁ、ちょっと緊張してしまいました。フィア・シリス王国の女王陛下がすごく気さくなお方で驚きました……」
「私もよ。ちょっとお茶目でとっても魅力的なお方ですわね。しかも御自らドレスを仕立てておられたのですね。セラ様ご存知でした?」
「ううん。ユーリからは服飾について造詣の深いお方だって聞いてた。私は祖母のご友人だったことが衝撃よ。知らなかった……」
だからあんなに良くしてくれたのか、とようやく合点がいった。女王陛下の口ぶりからすると贖罪のつもりだったのかもしれない。父も祖母も、もちろん「身代わり」だなんて思っていない。祖母なりに何とか力になりたくて自分から言い出したに違いない。あの夢で逢ったジュディスならきっとそうするはずだ。
詰所に着くと暇を持て余したアルノー達が待っていた。セラは皆と一緒にいたリベラートに「お茶会が終わったら、バハルト将軍にお会いしたいです」と言付け、四人の黒騎士達の前にトコトコ歩いていくと発破をかけた。ユリシーズがするように、手で「円になれ」と指示を出すと四人がのそのそとセラを中心にして円陣を組んだ。
「いいこと皆、素敵な黒騎士様ぶりを存分に発揮するのよ。私も皆のことを忠実な家臣でとっても素敵な黒騎士様だって売り込んでくるからね」
そうセラが皆の顔を一つずつ見ながら言うと、生真面目なエーリヒが真顔で「デイム、貴女に生涯の忠誠を捧げます」と呟き
マルセルが真剣な目をして「我々は貴女の犬です」と言い放ち
フーゴが「マルセルは犬として、俺達は人として忠誠を誓います」と重々しく告げて、ふと思いついたようにアルノーを見た。
「あ、アルノーは遠慮しろよな。お前好きな子いるだろ? 諜報員なめんなよ」
「う、うりゅさいっ」
「カミカミじゃない。かなり動揺してるわね……。エマ、ハンナ! 参りましょ!」
クスクス笑う二人を振り返って、セラは従者達を引き連れて意気揚々と正殿中庭へ向かった。




