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乙女は獅子に恋をする  作者: 龍田環
四英雄編
72/111

15. 奥方様(仮)と恋のジンクス

「あ、戻って来た!」


「しょーぶしょーぶ!」


「エーリヒさん、次は私もー、肩車してー」


「君で最後にしてくれるかな。そろそろ帰らなければいけないから」


 上着を脱いだアルノーとエーリヒが、訓練の時よりもぐったりした様子で子どもたちの相手をしていた。なかなか愉快なその光景にセラはユリシーズと顔を見合わせて笑いあった。そこにタタッと軽い音をさせて元気のいい黒髪の少年が走って来た。満面の笑みでユリシーズを見上げると大きな声で叫んだ。


「オレと勝負してよ、ユリシーズさま!」


「お、お前さっきのちびすけか。いいぞ」


「オレはテッドっていいます! 黒騎士になりたいんだ!」


「いい度胸だ。お前、黒騎士団が何て言われてるか知ってんのか?」


「知ってる! 死をも恐れぬ黒い騎士! 黒い翼でいくさばをかけるなんとかかんとか!」


 テッドの言葉に不敵な笑みを浮かべるとユリシーズは脱いだ上着をセラに渡し、背中側に仕込んでいた短剣を鞘ごと外して左手に持った。


「”獅子の如く”だ。俺に勝ったら入団を認めてやろう!」


 セラは年端もいかない少年が黒き有翼獅子の騎士団(グライフ・オルデン)の二つ名を声高に叫んだことが印象に残った。彼らが『死をも恐れぬ黒い騎士』と呼ばれていると知ったのはわりと最近の話だ。高い機動力を誇る騎兵が斬られても臆することなく次々向かってくる姿からつけられたそうだが、ユリシーズ達幹部は「悪役みたいだから、ちょっとイヤ……」と寂しそうな顔で言っていた。

 それはともかくとして戦闘意欲の異様な高さは、団長への絶対的忠誠と徹底的に鍛え上げた皆の実力の現れに違いない。西方大陸『敵に回したくない騎士団』殿堂入りも頷ける。


「頑張れテッド!」


「頑張れー!」


 テッドと呼ばれた少年は背中にくくっていた木剣を構えると、少し緊張した顔で対峙した。セラは預かった上着が信じられないぐらい重たくて、思わず柵に寄りかかる。その様子を見ていたアルノーが苦笑して教えてくれた。


「俺達の上着って防刃に鋼線が仕込んであるんだよ。セラちゃん風に言うと、お砂糖五袋分ぐらいあるかな」


「そんなに?!」


「身軽さが要求される遊撃隊と後方支援は普通の上着を着ていますよ」


「騎兵は普段からこっちだね。慣れちゃうとどうってことないけど」


 カンカン! と木剣が短剣に打ち込まれる音と「オラ、どうしたどうした!」と楽しそうに煽るユリシーズの声、子ども達の元気のいい歓声が孤児院の庭に響き渡る。テッドと呼ばれた少年が隙を見せたユリシーズに打ちかかっていく。精霊騎士団領にいた頃よく子ども達の訓練風景を見ていたが、このテッドという少年はそこそこ良いかもしれない。真っ直ぐに相手の手元を見て、ちゃんと体重を乗せて打ち込んでいる。


「あのちびっこ、基礎がまだ全然なっちゃいないけど。いい踏み込みしてる」


「……本人の希望通り、黒騎士になれるかも知れないな」


 アルノーとエーリヒが楽しそうに笑って、セラも一生懸命な騎士志望のちびっこの姿を見て笑顔が浮かんだ。


「夢が叶うといいね」


 セラ達がのほほんと話しているうちに、テッドはあえなく剣先を軽く弾かれて木剣を取り落して負けてしまった。元気よく「ありがとうございました!」とお辞儀をして、ユリシーズから木剣の扱い方の教えを受けている。キャアキャア喜ぶ子ども達に囲まれて、明るい笑顔を浮かべるユリシーズの姿を見ているとセラも嬉しくなった。領主や団長としての厳格で冷静沈着な姿も素敵だけど、セラは屈託なく笑う顔が大好きだ。

 話が付いたのか、子ども達が「またねーおくがたさまー!」とセラに向かって元気よく手を振っている。おねーちゃんからいきなり奥方様に昇格されていて思わず声をあげて笑った。大きく手を振り返して「またねー」と孤児院の子ども達に別れを告げて、セラ達は馬車の所に戻った。


「お帰り。何か、アルノーとエーリヒぐったりしてるけど。何かあったの?」


「留守番で正解だよ、マルセル。もうくったくた」


「知ってるかマルセル、肩車をし続けるとなぜか腰が痛くなる」


「はぁ?」


「それより調子はどうだ」


「問題ないよ。帰りも大丈夫」


「えっ、マルセル具合悪いの? 無理しないで誰かと代わってもらったほうがよくない?」


「いやいやいや、全然平気! 帰りも責任もって御者します」


 びしっと敬礼して答えるマルセルは確かに元気そうだ。ユリシーズに「ほらほら乗った乗った」と背を押されて、仕方なく乗り込んで奥に座った。今度は適切な距離でユリシーズが隣に座ったのを見て、拍子抜けというか何となく残念な気持ちになる。だからと言ってそれを伝えるのも悔しいので、セラの方から少しだけ手前に詰めた。


「もっと近くに来てほしいなら言えばいいのに」


「べ、別に? 奥に詰めすぎちゃっただけよ?」


「素直になれよ婚約者殿。じいちゃんのおつかいが終わったら貴金属商に寄って、もう今日は迎賓館に戻ろうな」


「貴金属のこと、いつ女王陛下にお尋ねしたの?」


「セラが着替えてる時に言伝でな」


「抜かりないわね……」


「当たり前だろ。俺はセラを喜ばせるために万全を期す」


 引き寄せられて、頭のてっぺんにキスをされて思わず黙り込んだ。何だか今日はやけに甘々だ。ユリシーズにはそういう気分の時がたまにあって、そのたびにときめき過ぎてセラは胸がきゅーっとなる。今は嬉し恥ずかし全開で「キャー!」と声を上げたい気持ちでいっぱいだった。




 今度は何にも乗り上げず貴族達の屋敷が並ぶ地区に到着した。来る途中に通った城下町は大変な賑わいで馬車が渋滞していたが、道も空いていて人もほどよく流れていて良い感じだ。馬車を止められる停留所には、貴族の出待ち中の御者や従者を見込んだ珈琲の屋台が何台も出ている。ぐったり疲れ切ったアルノーとエーリヒは口をそろえて「ここで待ってる」と言い放ち、よろよろと珈琲の屋台に歩いて行った。


「ユーリ、気を付けていけよ」


「おう。頼むな」


「了解。いいねーセラちゃん。かっこいい彼氏と逢引かー。ヒューヒュー」


「も、もう、冷やかさないでよ」


 マルセルにゆるく見送られて、セラはユリシーズとしっかり手を繋いで歩き出した。まずは頼まれていたお使いからだ。


「おじい様ご所望の秋の限定焼き菓子と一緒に、お花のお菓子も買おうよ。きっと喜んでくれると思うの」


「そうだな。それにしても恋の成就ねえ。もう成就してる場合はどうなんだろうなー」


「もっと仲良くなるとか?」


「ははっ!」


「私調べによると『ルリジューズ』には店舗限定の焼き菓子があるんだって」


「へー」


「形が崩れちゃうからお店でしか食べられないんだって。どんなだろうね」


「……それ、まだあると思う?」


「わかんない。気になるわよね」


「うん。食べられなかったらまた来よう」


「ねぇ、もしかして、今日ダメだったら調査の帰りに来ようとか思ってない? ズルい! 私はトラウゼンに帰らなきゃなのに!」


「ずるくねーよ。頑張った俺は寄り道しても許されるはずだ」


「あーあ。もう一日私だけここに残りたいなぁ。帰りに護衛してくれるのって誰? リオン? アキム?」


「アキムだよ。そのアキムが予定の融通を利かせてくれたら残れるかもな。ま、そんなことは太陽が西から昇るよりもあり得ないけど」


「……」


 爽やかな笑顔で言い放たれた言葉にセラはがっくりと肩を落とした。側役達の優先度は『ユリシーズ > 越えられない壁 > ほかのみんな』だから、たった今、セラはトラウゼン直帰が決定した。寄り道一切なし、行軍用街道をまーっすぐ進んでおよそ一日半で到着。あまりにも切ない旅の終わりになりそうだ。



 歩くこと数分。甘く香ばしい香りがする王室御用達の焼き菓子専門店『ルリジューズ』は、赤茶の煉瓦造りでこじんまりとした可愛らしい造りのお店だった。大きな硝子窓から見渡せる店の中は暖かみのある楓材のテーブルと椅子、淡いクリーム色の調度で統一されていてセラの”かわいい”の琴線をかき鳴らした。

 かろん、と軽やかなベルの音をさせて扉を開いて店内に入ると甘い香りでいっぱいだった。貴婦人からおかみさんまで、それぞれが手籠を持って自分で選んで取る形式が珍しい。もちろん売り子に選ぶのを頼んでもいいのだろうが、自分で好きなものを好きなだけ選べるのは絶対に楽しいはず。王室御用達なのに庶民的で、セラはとてもこのお店のことが気に入ってしまった。


「檸檬に林檎に胡麻に、こっちは椎の実だって。た、食べたい……」


「どうせなら全種類買っていこうぜ」


「棚買いね。今日だけはユーリに賛成」


 セラは嬉々として上段から下段までの焼き菓子を全種類を手籠に入れていく。どっしり重くなった手籠をさり気なくユリシーズが持ってくれて、セラはきょろきょろ店内を見回した。別の棚の前では、セラと同世代ぐらいの青年やお年頃と思しき娘さん達が真剣な顔で可愛らしい花の形のお菓子を選んでいる。どうやら八種類のお花があって、それぞれ味が違うらしい。どれが義祖父母の思い出の味かわからなかったので、とりあえずこちらも全種類を手籠に入れた。

 娘さん達はチラチラとセラの背後を見ては何やら楽しそうに内緒話をしている。立派な騎士様が菓子満載の手籠を持っている様は笑いを誘うのだろうか。それとも素敵な騎士様のことを噂しているのだろうか。当の本人は硝子のケースの一点をじっと見ていて、まるで意に介していないようだ。


「おい、セラ。あったぞ限定のアレが。一個しかないけど」


「えっ本当? せっかくだからちょっとお茶していきましょ。あの、こちらのお菓子を頂きたいのですが!」


「はい、かしこまりました。お飲み物をお付けしますがお茶と珈琲どちらになさいますか?」


「お茶にします。別のお菓子と飲み物も頼めますか?」


「勿論でございます。こちらの中からお好きなものをどうぞ」


「ユーリ、何がいい?」


「……木の実入りなら何でもいい」


「このアーモンドのタルトと珈琲で! あと、こちらのお菓子もお会計一緒で。長い距離を運ぶので割れない様にお願いします」


 テキパキと注文を伝えて手籠を渡すと、売り子は心得たとばかりに笑って店の中の好きな席に座って待つよう勧めてくれた。セラはユリシーズを伴ってお店の奥の席を選んだ。ここなら風聞屋の目にも触れないし、逢引中の他の皆様に紛れ込める。セラとしても「普通の恋人同士」が味わえて一石二鳥だ。


「実に手馴れてやがるな……」


「城下町で皆とこうやってよくお茶してたの。フォークでお互いの隙を狙ってね、一口争奪戦したりとか」


「目に浮かぶよ、キャーキャーやってんのが。ここではやめてくれな、さすがに目立つから」


「しないわよ。ユーリが私を出し抜いて寄り道するつもりなら容赦はしないけど」


「食い物の恨みは恐ろしいって言うしな……。わかったよ、寄り道はしないと誓おう」


 ユリシーズの真面目くさった言葉に声を立てて笑った。他愛のないことを話して待つこと数分。ほんのり甘い香りを漂わせる初めて見る形のお菓子が運ばれて来た。手の平くらいのココット皿から思いっきり身を乗り出した、不思議な焼き菓子だ。給仕の娘は「スフレ、でございます。すぐしぼむので、真ん中に穴を開けてこちらのソースを入れてお召し上がりください」と言い置いて下がっていった。


「しぼむって? あ、ホント。だんだん嵩が減ってく」


「急げ」


 ユリシーズは笑いながら珈琲を口にしながら、セラがあわあわする様を眺めている。言われた通りに膨らんだスフレの真ん中にスプーンで穴を開けて、添えられていた生クリームと木苺のソースを入れる。軽くかき混ぜて一口分掬うと、セラは「はい」とユリシーズに差し出した。


「な、何だよ」


「いいから早く。しぼんじゃうでしょ」


「ん」


 ぱく、と食いつくとユリシーズは無言になってしまった。熱かったかな? と少し心配になったが、そうこうしているうちにもスフレがしぼんでいく。セラも一口分を掬って口に運んだ。優しい卵の甘い味と濃厚なバニラの風味、採れたて木苺の甘酸っぱさが口いっぱいに広がって、きめ細かくて暖かなふわふわの生地がまるで淡雪のようにしゅわっと消えていく。


「すっごくおいしい……」


「これ食うためだけに、ここ来るのありだな……」


「ユーリ、もう一口いかが?」


「いいよ。セラが全部食べな」


「ん!」


 セラは満面の笑みを浮かべて頷いた。初めて食べるとっても美味しいお菓子で気分は上々。おつかいも済ませたし、あとは自分達のためのお買い物を済ませたら王都でのご用はおしまい。ちょっと寂しいけれど、きっとまたユリシーズがここに連れてきてくれる。そう思えばお楽しみが少し先になっただけの話だ。二人は周りが「あれもしかして……」「意外と若い……」等々噂しているのも知らずに、美味しいお茶を楽しんだ。



 後々「スフレを分け合って食べると仲が深まる」という新たなジンクスが生まれたのだが、それは少し先のお話。

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