16. 『夢で逢えたら』
侍女達とお買い物に付き合ってくれた皆への差し入れも買って、セラはかなりの上機嫌で『ルリジューズ』を後にした。
「荷物持ちに来たよ」
「わ!」
まったく気配を感じないところからリオンの声がして、セラはほんのちょっとだけ飛び上がった。
「遅かったなリオン」
「ひどい。後片付け頑張ってきたのに」
「悪かった」
ユリシーズが悪びれず笑って持っていた荷物をリオンに手渡すと、リオンはへらりと笑って「それじゃごゆっくり」と背を向ける。セラは慌てて「待って待って!」と呼び止めると持ったままだった小さな紙袋を手渡した。
「これ差し入れなの。もうちょっとかかるから皆でわけて」
「あいつらにそんなステキなものを。どうもありがとう!」
嬉しそうに歩いて行くリオンを見送って、二人はゆっくりと歩き出した。邸宅街は美しい並木道が続き、綺麗に色づいた樹々が美しい。少し歩いて広い通りに出ると、今度は立派な店構えばかりの城下外の一角にたどり着いた。高級そうな布問屋、衣裳を仕立てる職人の店、珍しい花々を売る問屋が連なっている。そのうちの一つ、濃紺の扉と王冠の徽章がついた建物のノッカーをユリシーズが叩くと、中から扉が開かれて三十代後半くらいの店主が姿を現した。
「お待ちしておりました、レーヴェ卿。どうぞお入りください」
店主の穏やかな笑顔で迎え入れられ、セラはユリシーズに続いて中へ入った。硝子張りの鍵付き棚が二つ、商談用の応接一式。お店の中はそれだけだった。艶々した革張りのソファを進められて、ユリシーズの隣にちょこんと腰かけた。
「女王陛下より用向きをお伺いしております。この度は私どもの店を選んで頂き誠にありがとうございます。腕と目に寄りをかけて最高の品々をご用意させて頂きました」
「急に来て悪かったな。礼を言う」
「勿体ないお言葉です。この度はご婚約おめでとうございます。お嬢様にはご参考までにいくつか指輪をご用意させて頂きました。結婚指輪の意匠に蔓薔薇とは、本当に素敵な感性をお持ちでいらっしゃる」
「ありがとうございます。蔓薔薇には大切な思い出があるので」
「さようでございましたか。蔓薔薇には”約束を守る”という花言葉がございますから、本当にぴったりだと私も思います。どうぞ御手に取ってご覧ください」
軽く扉が叩かれて店主の妻が香り高いお茶を供して、親しみ深い笑みを浮かべてお辞儀をして去っていく。所作が優雅で身分ある貴婦人のそれにしか見えなかった。西方大陸には身分ある貴婦人でも率先して働く人が多いのだなと嬉しくなる。夫婦二人で切り盛りしている様子も家庭的な感じがして少しずつ緊張が解けていった。
セラは勧められた小箱の中を覗き込んだ。暖かみのある金色の指輪、夜空の星のように輝く銀の指輪。桃色がかった可愛らしい金の指輪。古典的なもの、流行をおさえた今風のもの。用意された指輪はどれもこれも細かい装飾が施された一級品だとわかる。とてもじゃないがお値段の想像がつかない。こういう時は旦那様にすべてお任せするものだと義祖母やマリーから聞いていたので、小市民的発想で「これいくらですか?」とは口が裂けても言うまいと固く誓った。
「この桃色かかった金、初めて見ます。かわいい……」
「こちらは最近できた銅などを混ぜた素材です。お若い貴婦人からとても人気がございますね」
「……夫になる俺も同じ指輪をするんだが。桃色はちょっと勘弁願えないだろうか」
「そ、そうでした。私の好みだけ優先したらダメよね。ユーリのご両親はどんな色の指輪をしてたの? 私のお母さんはこういう感じの金色だったけど」
セラは金の指輪が入った小箱を持ち上げてユリシーズに見せた。ユリシーズは長い指で「俺の両親はこっち」と銀色の指輪を差した。
「青みがかった銀だった。母上の瞳の色に合わせたんだろう」
「オシャレねぇ。そういう選び方もあるのね」
「そうでございますね。肌や瞳に合わせて頂くとより一層お似合いになるかと思います。失礼ですが、お嬢様の手の平を拝見できますか?」
「はい、どうぞ」
セラは両方の手の平を店主に広げて見せた。これで何がわかるのか不思議だったが興味津々だ。
「指先のお色と頬のお色が薔薇色ですし、素晴らしい翡翠の瞳をされていらっしゃるので”白金”はいかがでしょう。レーヴェ卿の御髪や瞳の色とも相性がよろしいかと存じます。色味が金や銀よりも淡いのでお衣裳の印象を邪魔しません。それに大変丈夫な素材で変形や変色がほとんどございません。ただ……その分加工などに手間がかかるため流通しづらいものでして」
背後にある壁埋め込み式の頑丈そうな金庫から、赤ちゃんの握りこぶしほどの白い光沢を放つ金を取り出した。一緒に純度の高い金と銀が並んだが、白金は素人目から見ても「違う」とわかる。室内の明かりに優しく煌めく感じが気に入った。ユリシーズも手に取って何やら色々見分しながら、一つ二つ店主に質問しては頷く。どうやら彼の目利きにも適った様子だ。
「セラに似合うなら構わない。一生身に着けるものだから丈夫に越したことはないしな」
「私達二人に、でしょ? おすすめ頂いた白金でお願いします。こちらを指輪にするのにどのくらいかかるんでしょうか?」
「ひと月ほど。お式はいつのご予定でしょうか?」
「十二の月二十四日だ」
「畏まりました。私が鋳造から仕上げまで、すべて責任もって致しましょう。必ずやご満足のいく品をお届けいたします」
「だそうだ。よかったな」
「はい! あの、意匠のことなのですけれど。紙と書くものをお借りしてもよろしいですか?」
「こちらをお使いください」
「ありがとうございます。えっと、こんな感じで」
セラは店主から柔らかい黒炭の鉛筆を借りて、差し出してくれた分厚い帳面に蔓薔薇の意匠を描きだした。原案はもちろん「女官の徽章」だ。何度も何度も練りに練って考えたから、すっかり手と頭が図案を覚えている。
「けっこう上手いな」
「絵心がおありなのですね。とてもわかりやすいです。そうですね……縁はもう少し蔦の絡む様子にして……」
店主が少しだけ手直しをしてくれて、頭のなかで描いていた理想の『結婚指輪』が出来上がった。二つ並べると連なる一つの蔓薔薇になる工夫を凝らした、世界に一つだけの対の指輪だ。出来上がるのも楽しみだったが、何よりも本当に愛する人の妻になるのだという実感が湧いた。
「この帳面、借りるぞ」
ユリシーズはセラに見えない様に、先ほどの図案の下のところにサラサラと何かを書き付けた。店主が心得た顔でそれを受け取る。おそらく指輪の内側に彫り込む言葉なのだと思うが、いったい何と書いたのか気になって仕方なかった。
「なぁに?」
「出来上がるまでのお楽しみだ。野暮なことを聞くんじゃない」
「左様でございますね。花嫁様はお式で受け取る際に内側を見て、感激の涙にくれるのが世の習いでございます」
「な、なるほど」
慣れた様子で契約書にユリシーズが署名して、後で迎賓館までお代を受取にくることで商談がまとまった。店主夫婦に見送られて少し日が傾き始めた城下町を歩き出した。日が暮れると温暖なこの南部地帯も少し肌寒い。両腕でユリシーズの腕にきゅっと抱き着くと「仕方ないな」というように蒼い瞳が笑みの形になった。
「一個ずつ準備が終わると現実味が増すわね」
「だな。セラの花嫁衣裳って、いまどうなってるんだ?」
「先生とクレヴァ様が譲らなくって、まだ仮縫いも始まってないの。お二人とも私の親代わりを自負されてるでしょ……」
「なら生地をシーグバーン女史が用意して、仕立てをクレヴァ様がすれば? セラがこっちにいるんだしそのほうが理にかなってる」
「私もそう思って、先生には生地の用意をお願いしたの。クレヴァ様のことだから、もう仕立ての手配終わってるんだろうなぁ」
「だろうな……完全にセラをご自分の娘だと思い込んでるから」
「ユーリのお母様の花嫁衣装は一緒に埋葬されてしまったから、マリーさんのを意匠の参考に見せてもらったの。素敵だったな。ね、何で花嫁衣裳が白なのか知ってる?」
「魔除けだろ。黒は生と死両方の象徴だから慶弔どっちにも使うけど、白は穢れを払うってことで慶事だけに使うから」
「そうなんだ。北方大陸だと『二夫にまみえず』って意味もあるのよ。夫婦の始まりの時に白を着て、連れ合いが亡くなった時は飾りを全部外して着て。輪に戻る旅に出る時にも着るんだって」
「へぇ……」
「あなたの色に染めてほしい、夫以外の色には染まりませんって意思表示なの。昔の女性って素敵なこと考えるわよね」
「セラもそうしてくれるの?」
「どうしてその質問をするのか理解に苦しむわ。するに決まってるでしょ!」
セラが鼻息も荒くそう言い放つと、本当に嬉しそうな顔で笑ってぎゅうぎゅう抱きしめられた。道行く人の生暖かい視線が、ちょっとだけ恥ずかしかった。
その夜。
セラは不思議な夢を見た。
迎賓館の中、だろうか。どこもかしこも真新しく綺麗で、少しずつどこかが違うけれどよく似ている。足の裏に当たるのがふかふかの毛足の絨毯でくすぐったいな、と思う。どこからか女の子の楽しそうに歌う声がして、その声に導かれるように階段を登る。両開きのホールの扉。磨きたての真鍮製の取っ手を両手でそっと押し開けると扉が勝手に開いていく。窓際にある大きな鍵盤楽器を弾きながら歌っていた人影が顔を上げ、こちらを見た。
「……!」
ジュディスさん、と声に出したつもりなのにセラの声は出なかった。穏やかに笑う少女は紛れもなく、絵の中にいた「若い歌姫」の姿。ジュディス・ファレルその人だ。
「ふふ、こっちこっち!」
赤い薔薇のようなドレスの裾をひらひらさせて楽しそうに笑う彼女に手を引かれて、また迎賓館のどこかを歩く。もう一階分階段を上がって、屋根裏部屋のようなところに来た。ジュディスが内緒よ、と人差し指を立てて中に入っていく。奥にいた赤毛の少年の姿を見てセラは驚いた。
「よぅ! 元気そうで何より!」
人懐っこい笑みを浮かべてセラの頭をくしゃくしゃ撫でまわす感じに覚えがあって、ひく、と喉が鳴った。「おとうさん……!」と叫んだはずなのに声は出なかった。それでも少年の姿の『ジュスト』は頷いて笑ってくれた。
「どこにしまったんだったかなぁ。えーっと」
ドレスの裾をがばっとまくり上げて積まれた箱の上によじ登り、片っ端から箱を開けては「これじゃない」とブツブツ言っている。ジュストが「本当にそこにあんのぉ?」と笑って「もっと右、そこそこ! 光ってる!」と指示する。華奢な腕が全然違う箱をドコドコ叩きながら「これ!?」と叫んでいる。何だか聞いていた人柄と違う。
「降りて来いよ、もう俺が探す! 長居できないって言ったろ」
「わかってるってば」
ようやく光っていた箱を探し当てると、ジュディスが何かを片手に積みあがった箱の上からまるで妖精のようにふわっと舞い降りて来た。
「中身はあなたにあげる。これを使うといいわ」
「こいつの中身は必要なければ捨てていいからな」
夢、だからだろうか。弔いはこれを使って欲しいという、二人の気持ちが流れ込んできた。だけどジュディスから手渡された物が「何か」わからない。手の平には滑らかな感触だけが伝わってくる。
「ねぇ『夢で逢えたら』って歌知ってる? とっても素敵な歌なのよ。恋歌でね」
「もう黙ったら? 世間一般に知られてるあんたの性格が嘘っぱちだったってバレるだろ、何匹猫被ってたんだよ」
「口の減らない子ね! 嫌な所がアンタの父親に似てるって言わせたい?!」
「もう言ってるっての。俺にもセラにも口の悪さが遺伝しなくて良かったよホント」
スーッと周りの景色が薄くなっていく。二人の笑う顔も少しずつ薄くなっていく。セラは必死で「待って!」と叫んだつもりだったのに、声も出ないし身体も動かない。ふわりと甘い薔薇の香りがして、頬に柔らかくて暖かいものが触れた。間近にあった優しい飴色の瞳が楽しそうに弧を描いて離れていく。
「幸せになってね」
「お前なら大丈夫だよ。頼むな!」
二人の姿が光り輝く霧のようなものに包まれて、どんどん薄くなっていく。消えてしまう前のほんの一瞬、最期に会った父の笑う姿が見えて辺りが真っ白になった。眩しいのに目が焼け付くこともない、不思議な光にセラも包まれていく。
「……っ!」
セラは唐突に夢の世界から放り出されたように目が覚めた。チチチ、と鳥の鳴く声が聞こえる。カーテンの隙間からは明け始めた朝の光が細く入ってきていた。
「今の夢だけど、夢じゃない……。オルガの言ってた精霊の託宣みたい。意味がある夢……」
ゆっくり起き上がると、枕元の小机に置いた父の形見を手に取った。いつも身に着けている透かし彫りのネックレスをそっと握りしめる。ひんやりとしたその感触が現実を教えてくれた。




