7. ギルドの長
昼食を終えてから、ついに念願のギルドへとやってきた。物語の中では裏通りや下町の柄のよろしくない所に構えているのが常だったが、西方大陸の裏ギルドはとてもそうは見えない、ごくごく普通の茶店だった。大通りから一つ入った裏通りにあって、入り口にはいい感じの観葉植物と季節の花が植えられている。あたりには馥郁としたお茶の香りが漂っていた。セラは知っている良い香りに笑みを浮かべて、隣を歩くユリシーズを見上げた。
「この香り、焙じたお茶ね?! もしかしてサディクさんが作ってるの?」
「そうだよ。この店からアキムがお取り寄せしてるんだ」
「おーおー、賑やかな娘さんが来たな」
陽気な声がして、店の中から人当たりの良さそうな男が現れた。灰褐色のすっきりと刈り上げた髪とくりっとした蜂蜜色の瞳をしていて、清潔な綿の丸首シャツと黒っぽい麻のズボンを身に着け、膝まである黒い腰巻式のエプロンをしていた。
「サディク、久しぶり!」
「ユリシーズ! 久しぶりだな、元気だったか?! お前の大活躍は聞いてたよ、よく頑張ったな」
がっちりと握手を交わして、サディクが満面の笑みでユリシーズの頭をクシャクシャに撫でた。年相応の笑顔を浮かべて可愛がられている様子にセラも皆も笑顔になった。
「サディクにそう言ってもらえるとすげー嬉しい。っていうかさ、セラが期待してるって言ったろ?! 何で出てきちゃったんだよ」
「だ、だってかわいい女の子の声がしたから、つい。そっちのぱっちりお目目の子がセラちゃんだな? いらっしゃーい」
「は、初めまして。セラです」
かるーい感じで手を振るサディクにぺこりとお辞儀をして、思っていたよりもすごく明るい人柄に驚きつつ笑顔を浮かべた。頭の中で勝手な印象を作り上げて、それがガラガラと音を立てて崩れていくのは決してサディクのせいではない。友達と毎日通う茶店のお兄さんのような雰囲気に違和感を感じているセラが悪いのだ。
「あーあ。引いてる」
リオンは目の前で「ナニカチガウ」と言わんばかりのセラの背中を見て残念な表情を浮かべ、エマは穏やかに微笑むアキムの側に寄ってヒソヒソと声を潜めた。
「アキムさん、この方も本当に『深淵の猟犬』だったんですか? どこからどうみても、陽気で人の良いお兄さんにしか見えませんけど」
「あれでも一応、里で五指に入る手練れでしたよ。一応」
「大事なことだから二回言ったのか? お前らにはシノニム茶を振舞ってやろうな」
「なんで?! 俺何も言ってないでしょ?! 虫が死ぬ茶なんか飲ますなよ!」
「虫が……」
思わず眉が寄った。虫が死んでしまうほど薬効成分が高いのか、それとも味覚がない虫ですら死滅する暴虐な味なのか。同じように微妙な表情を浮かべるユリシーズとアルノー、しっかりと手を握ってくれているエマと思わず顔を見合わせた。
「こんな往来で誤解を招くようなことを言うな。営業妨害で番所に突き出すぞ豆が。あのね、東方のとーっても苦い薬草茶ってだけで、別に虫が死ぬとかじゃないから。ささ、お嬢さん達はどーぞ中へ。今日は貸切にしちゃうからね」
セラとエマは手を繋いだまま、ユリシーズとアルノーはその後ろから続いて中へ入った。アキムは入り口にかかっていた札を「閉店」にひっくり返すと後に続く。
「わぁ、かわいい……!」
セラとアルノーは店に入ると同時に、同じことを口走った。丸テーブルと二客の椅子の一式が三つ、七人ほどが掛けられるカウンターが備え付けてあって、テーブル席には花の意匠の硝子の飾り皿に水が入っていて、そこに花が活けられている。優しい萌黄色の八重咲きの小花と野に咲く小さな白い小花、差し色にたくさんの細長い花弁を持つ濃い桃色の花がぷかぷか浮く様子が可愛らしい。テーブルクロスの角にはなぜか小さく動物の肉球が刺繍がされていた。ここが西方大陸でも随一のギルドとは誰も思わないに違いない。
「何か、前と内装変わった? ずいぶん女向けにしたんだな」
「一時期やたら女の客が増えてさ、殺風景だなんだって文句言われて変えたの。思いのほか気に入ってるんだこれが」
以前来たことのあるユリシーズが物珍しそうに中を見回すと、可笑しそうに笑いながらサディクがカウンターの奥へと入って行った。女の客とはおそらく精霊騎士団第四師団の面々に違いない。ヘルッタ達がギルドを使って彼方此方で情報収集をしていたのだろう。お姉さま方があーだこーだと注文をつける姿が目に浮かんだ。
「夜はこのかわいくなった店におっさんどもが集うのか。深淵の底かここは」
「やめろリオン。想像してしまう」
合わせ板の小さな看板を持って戻ってきたリオンが店の中を見回してぽつりとつぶやくと、アキムが真顔で窘めた。
「夜は照明を落として花もクロスもしまっちゃうから、またガラッと雰囲気変わるぞ。ま、うちは夜が本番だから」
サディクはお盆に持ち手のない変わったカップを人数分もって奥から顔を出した。供される前から爽やかなすがすがしい香りが立ちのぼる。わざわざこの日のために取り寄せた東方の希少なお茶なんだ、と満面の笑みで勧められて、セラは「いただきます」と滑らかな青磁のカップを手に取って一口含んだ。澄んだ薄緑色のお茶は甘みと渋みが絶妙で、飲んだ後もふっと香りが抜けていく美味しいお茶だった。
「紅茶や香茶と全然違う……すごく美味しいです。東方ってたくさんお茶があるのね。ところで茶店兼酒場って、やっぱり情報収集をするのに最適だからですか?」
「そうだよ。趣味と実益を兼ねてだけど、やっぱり人が集まる所は情報もやってくる。昼は近所のおばちゃんとかじいさんばあさんが来たり、真っ当な冒険者が休憩がてら情報交換したりしてるよ。夜は色んな所からの厄介な頼まれごとを請け負ってるんで、一見さんお断りの紹介制」
「まだ昼だけど頼まれてくれる? 何度かセラのお母さんに手紙出してもらってるけど、ずっと返信がないんだ。人を雇って直接手紙を届けてもらえないかな」
「いいとも。南方に行く用事があるから俺が行ってくるよ」
「よかった。助かるよ」
「あの、サディクさん。よろしくお願いします。」
「任せてくれ。十二の月に結婚式なんだよな。手紙をフェリシア・エイルさんに届けて、十二の月になったらトラウゼンまでお連れする契約でいかがですか、お嬢さん?」
「ありがとう! 依頼料はおいくらですか?」
「頬にキスの一つでも」
セラの背後で椅子に足を組んで座っていたユリシーズが『銘なし』を手に取って笑った。目が笑っておらずサディクは残りの言葉を飲みこんで愛想笑いを浮かべた。レーヴェ家の男は嫉妬深いということを失念していた。
「と思ったけど、必要経費込みで金貨五枚」
「うそぉ! そんな安いわけないわ。南方大陸まで片道で金貨十枚は下らないって、私でも知ってるのに」
「いやいや。用事があるって言っただろ。ついでの片手間仕事みたいになるからまけとくよ」
「遠くに住んでいる大切な親を招くのに、それだと俺の気が済まないから正規料金を払わせてもらうよ。旅費のことはセラのお母さんのことだから遠慮しまくるだろうけど、船に乗せちゃえばこっちのもんだ。船も途中で泊まる宿も馬車も、ぜーんぶ一等級かそれ以上で頼むね」
「頑なに人様のお金で贅沢できないって拒否しそう……。私がお父さんから預かったお金だっていえば、とりあえず納得すると思うわ」
サディクに託した手紙には父のことを書いたから、何があろうとも必ず来てくれるはずだ。まさかギルドの長が直接渡しに行ってくれて、おまけに迎えまでつけてくれるとは思ってもみなかった。ユリシーズは全部自分が支払うつもりなのかもしれないが、セラも幾許か負担させてもらおうと強く心に決めた。離れて暮らす母のためにずっと何かしてあげたかったのに、なかなかその機会が巡ってこなかったから良い好機だ。
「お前らの主君って、がめついときと太っ腹なときの差が激しいな」
「本人の目の前で言うこと? 投擲の的にするぞこの野郎」
「お前を警戒して来てくれなかったらと思うと、そっちのほうが心配だ」
冷ややかな薄茶と橙の瞳に睨まれても、ギルドの長はニコニコ笑顔で「ひどいなぁ」とまったく堪えていない様子だ。三人とも旧知の仲ということもあって歯に衣着せぬ物言いの応酬が続く。ユリシーズは不毛な言い合いを始めた三人に呆れたような声を上げた。
「迎えに行くのはうちからも人を出す。フレデリクとジェラルドは面識があるようなこと言ってたし、二人のうちどっちかが行けば大丈夫だろ」
「帰りは先生が手配すると思うわ。一度南方大陸に行きたいっておっしゃってたから、母を送るついでに行ってくださるかも」
「それじゃ、帰りは応相談ってことで。暇を持て余してぶらついてた鍛冶師が来たところで本題に入るか」
にこやかなサディクの背後から、スッと現れた姿を見てリオンとアキムが息をのむ気配がした。
「おんじ!」
「生きてたのか!」
「ずいぶんじゃのー。お前らの噂は聞いとる。出世したもんだのぅ」
「工房があの有様だったしさ。万が一無事に生き延びてて市井に紛れてるんならそっとしとこうと思ってたから、探してみて俺もびっくりした」
「カッカッカ! 庵に坊がひょっこりやって来たから驚いたぞ。よぅ儂の居所がわかったのぅ。で、そっちの金髪の小童が当代の黒獅子公か?」
「俺がユリシーズ・レーヴェです。あなたがあの『鍛冶師トール』だったなんて思ってもみなかった」
「おんじと呼べ。それは帝国に追われてあの里に逃げこんだ時に捨てた名じゃよ。今頃その名で探されるとは皮肉なものよ。どれ、見せてみろ」
「はい」
ユリシーズは布包みから『銘なし』を取り出すと、鎖を外しておんじに手渡した。
「鞘の留め具がしっかり嵌らなくて、壊れてるみたいなんだ」
「ん? これは元からこういう造りなんじゃよ。おぬしは『居合』という剣技を知っておるか?」
「聞いたことは。東方に伝わってる剣術だろ?」
「左様。この黒剣は初代剣聖のために打たれたもの。あらゆる剣術に精通した使い手のために余計なものを一切削ぎ、只管切ることに特化した片刃の剣じゃ。おいリオン、お前なら構えがわかるじゃろ」
「はいはい。ここでやるの? いくら俺が抜いても切れないっつったって、これ鉄の棒には変わんないから危ないよ」
「それじゃ裏庭に行くかの」
全員で連れ立って店の裏手に回る。裏庭と言っても昼の日差しがほどよく当たる西向きの庭で、小さな畑と鍛錬用と思しき立てた丸太、アキムの背丈くらいある垣根が設えてあった。周りに遮蔽物のないところで立ち止まり、リオンは落ちていた薪の切れ端を拾うとアキムに向かって「構えたら投げて」と放った。
「居合ができるなら教えてくれてもよかったのに」
「できるっていうか真似事だよ? 実戦じゃ使いづらいし、ユーリ様の得物は両刃の長剣でしょうに」
ユリシーズが文句を言うとリオンは困ったように笑った。そして皆から離れた場所に立つと『銘なし』を鞘に納めたまま腰だめに構える。目で合図をするとアキムが無造作に薪を放り投げ、黒い剣を一気に抜き放った。カン! と乾いた音がして、薪が粉々に砕け散った。
「み、見えなかった。今何がどうなったの?!」
「留め具がバカになってるんじゃなくて、鞘走りしやすいように緩くなってんのか」
「ホッホ! 良い目だ」
「俺もやってみたい」
期待に満ちた顔で『銘なし』をリオンから返してもらうと、ユリシーズは皆から剣の間合い以上の距離を取った。アルノーが壁際におかれていた薪を手に取り、先ほどのリオンと同じように構えたユリシーズに向かって無造作に放り投げる。ヒュッと風切音がして、こつんと軽いものが地面に当たる音が二つ。
「もっと見えなかった……。ユーリって本当に物凄い腕前ね……」
セラは呆然と呟いて地面に落ちた薪に目をやった。真っ二つに切り分けられ地面に転がっているそれは、木とは思えないほど滑らかな切り口を見せている。
「ユーリ様、どこまで腕をあげられるんでしょうね……。剣の速さ、私にはわかりませんでした」
エマも悔しそうに呟く。ユリシーズはパチンと鍔なりの音をさせて剣を納めると皆のところまで戻ってきた。
「でもやっぱりちょっと緩すぎるよ。手に持って振るだけで抜けそうになるんだ」
「そうか、それは難儀じゃの。鐺が酷使されて少々劣化しているのが原因か……。鞘の表革もボロボロに劣化しておるから直してやろう。王都にはいつまでおるのだ?」
「三日ほど」
「ふむ。何とかなるじゃろ。ものがものだ、仕上がったらサディクに持たせる」
「おんじ、どうもありがとう」
「ホッホ! 礼には及ばんよ。死ぬ前に名剣を鍛えてみたいと思っておったところだ。この剣は見た感じ、金剛石と黒鋼の合金じゃな」
「四英雄の『銘なし』は刃こぼれたり錆びたりしないって伝承にありましたけど、本当に砥がなくてもいいんですか?」
「嬢ちゃんはよぅ知っとるなぁ。左様、砥がずとも切れ味抜群じゃ。どういう原理か知らぬが持ち手を選び、四英雄『剣聖』の末裔にしか扱うことができん。四英雄戦争の後、西方大陸は血で血を洗う大乱戦の時代となったが、大きな歴史の変わり目にも「持ち手」が現れ戦局を変えたと師匠から聞いたことがある。まさに今のことじゃな」
「また伝承が違うのね。『剣聖』は『銘なし』ともども行方知れずだって記録にあるのに」
「わざと歴史変えて記す、ってのはよくあるよ。何かから隠したかったんだろ」
「ユリシーズ様は賢いのぅ。実はな儂の師匠は『銘なし』を打った鍛冶師の末裔だったんじゃよ。それでちょっとした裏話を知っておるだけ。当時は錬金術最盛期でな。この合金もその時に錬成されたものだと聞いておる。柄や鐺は鉄鉱で一番硬度がある黒鋼で代用できるが刀身は無理じゃ。くれぐれも無茶な使い方はするなよ。ま、めったに折れることはないと思うがのぅ」
「肝に命じておくよ。手入れは普通の剣と同じでいいのかな?」
「同じでいいがなるべく油は控えめにな。鞘走りさせる時にすっぽ抜けるかもしれん。鞘の内貼りも刀身と同じ素材じゃから手入れも刀身と同じでええ。表革が痛んだら鞘師に貼り直しを頼め」
「わかった。大事にする」
「そうしてやっとくれ。剣は主の想いに答えてくれる不思議な道具じゃからの。おいサディク、茶と菓子を頼む。歩き回って喉が渇いたわい」
「はい、ただいま。皆も中に戻っておやつにしよう」
「はーい」
簡単に自己紹介してからお茶会が始まった。今度はセラが好きな柑橘の香りが付いた紅茶と、ほろほろ口の中でほどける不思議な食感のクッキーがテーブルに並んだ。初めて食べる食感が珍しくて、セラは一つ、二つと無言で味わった。
「おいセラ、何真面目な顔で食べてんだ。成分分析中か?」
「レシピ書いてあげようか? 簡単だよ。小麦粉じゃなくて木の実の粉で作るんだ」
「そっかぁ木の実の粉だったのね。この食感どうなってるのかなって思ったの。レシピ欲しいです! ありがたくいただきます」
「へー。これ小麦粉じゃないのか」
「やーだー! どうして私のお皿から取るの?!」
「食ったらなくなった」
「ユーリのバカぁ! 自分の分食べたらおしまいでしょ」
「俺のシノニム茶ならいくらでもどうぞ」
「苦っ。匂いも苦いからこっち向けないで」
セラはそっと差し出された真っ黒いお茶をリオンのほうにずずい、と押し返した。
「ホッホ! 嬢ちゃんの声はおばあさんによぅ似とる。わしゃ嬢ちゃんのおばあさんの歌が好きだったよ。めったに舞台に立たん幻の歌姫だったがのぅ」
「祖母が楽師だったと聞きました。ぶ、舞台に立つ人だったんですね」
「うむ。デビューしてすぐ帝国から姿を消し、故郷で儚くなったと聞いてひどく残念な気持ちになったのを覚えておるよ」
祖母は父を身ごもり、故郷に戻ってたった一人で産み育てた。立てないほど打ちのめされてもめげない前向きさは三代揃ってのことかも知れない。胸のうちがほんわり暖まるような不思議な気持ちがした。
「……少しでも似ているところがあって嬉しいです。幻の歌姫に、私もお会いしてみたかったな」
「おんじは一体いくつなんですか。帝国を追われたのって、俺の祖父が仕官する前のことですよね? だとすると五十年近く前だけど」
ユリシーズに年を聞かれ、おんじは髭をなでながら首をひねった。
「今年で……はぁて、いくつじゃったかのぅ」
「俺達が里にいた頃、すでに七十を超えてましたよね」
「ってことは、少なくとも八十五以上?! み、見えない!」
アルノーの驚いた声に、セラもユリシーズも向かいに座るおんじを見た。長年の鍛冶仕事で腰は曲がり、動くたびに「えっこらしょ」としわがれた声を上げるがお年の割にすこぶる元気そうだ。
「おんじは今まで何してたの? 俺達あの襲撃で死んじゃったんだと思ってたよ」
「んん? 西方の辺境に構えた庵で晴耕雨読の生活をしながら包丁を研いでおったよ。中々に楽しい日々じゃ」
「無茶苦茶よく切れそうですね。良ければ母に一本打ってもらえませんか?」
「ええぞ。トラウゼンで一番良い酒で手をうとうかの」
アルノーがのほほんと頼んだことにあっさりうなずくおんじに、頼んだアルノーの方が驚いた。どんなに金を積んでも気が乗らなければ仕事をしない、頑固な職人気質の鍛冶師だと聞いていたので、いい意味で。
「ユーリ、今年の蒸留酒ってどこの蔵の出来がよさそう?!」
「北の蔵じゃねーの。年初め冷え込んだろ」
「アルノーばっかりズルい。俺のククリも研いでよ。年々切れ味が落ちてて困ってんの」
「お前の使い方が荒いからじゃろ! 商売道具は大事にしろといつも言っておろうが。あれはわしが考案した合金でめったに摩耗せん材質で」
おんじはリオンを諭し始めた。摩耗しない材質なのに摩耗するのは想定外のものと戦い続けた結果のような気がしたが、当のリオンが心底嬉しそうな顔で「はい」と頷きながら説教をされているので、誰も口を挟まなかった。
「あんな嬉しそうな顔で説教される奴を見るのは初めてだな……。ユリシーズ達は今日の宿はもう手配してるのか?」
「まだだよ」
「リオンさんがサディクさんに任せるって、さっき言ってたけど」
「あんにゃろ……。ま、言われなくても取るけどさ。表通りに白亜のでっかい館があったろ。俺の名前で最上階の二部屋を押える。そこ使ってくれ」
「ええっ」
「? みんなどうしたの?」
セラはユリシーズの上着の袖をつんつん引きながら、アルノーとエマの驚いた顔を交互に見上げた。確かにここに来る途中、美しい白い壁とこげ茶色の素敵な館を見かけた。あれがその宿なのだろうか。
「チェラータで一番いい宿の部屋を取ってくれるって」
ユリシーズは紅茶のカップを手にしながらフッと笑って「それも最上階」と付け足した。こちらは驚くこともなくさらりとしたものだ。
「ありがとうサディクさん」
「礼なんていいって。明日は王都入りすんだろ? ちゃんとした宿から出発しないと格好つかないしな」
「まぁ。それなら馬車を宿の側までつけなくては」
エマの呟きに頷いてアキムが席をたつ。
「それなら俺が行って来ましょう。ついでに先行させた黒騎士達の様子を見て来ます」
「チェラータまで迎えに来させなくていい。駐屯地前の街道で待機させろ」
「了解しました」
「なんじゃアキム、もう行くんか?」
「はい。また会いに来ますよ」
「見てやるからお前も鉈をおいてけ。暗器使いのお前には日常品のほうがいいかと思ったが。なんじゃこれは! 何をした! う、薄ぅなっとるぞ刃が……」
「えぇっと……色々。たまに砥ぎました」
「砥いじゃったの? っていうかよく砥げたね?!」
リオンは信じられない、という顔でアキムとおんじの手にある鉈を見てため息をついた。遺作だからと大事に使っていた姿をつぶさに見ていただけにさもありなんだ。ユリシーズも側役二人を交互に見てから、はぁ、と大きくため息をついた。
「お前らの武器、受けたほうの刃が欠けるのに。どうやったんだよ……」
「えっと、鉱石ってそもそも土の仲間だから、アキムの守護精霊が手助けしてくれたんじゃないかしら」
「さすがセラちゃん。鋭いね」
「セラ様は理学にも通じていらっしゃるんですね」
セラと温厚な側近達は、鉈を手にわなわなするおんじを気遣いつつ場をなんとか繋ぎ、ユリシーズはわれ関せずで「のど渇いた」と自分でお茶をおかわりして、リオンとアキムは揃って膝を詰めておんじに「クソガキめらが!」と叱られる。何とも混沌とした場にサディクの半笑いの呟きが落ちた。
「俺の店って、ほんと千客万来だねぇー」




