6. 『お茶を頼んだ女の子は半額の日』
評判通りの美味しい夕食を頂いてからセラは食後のお茶を楽しみ、ユリシーズは給仕に勧められた蒸留酒の古酒を軽く飲みながら明日のことを簡単に話し合った。
「それじゃ明日のお昼前ぐらいに皆とチェラータで合流して、そのまま鍛冶師の人に会うのね」
「うん。用がすんだらチェラータで一泊して、それから王都入りだな」
「フィア・シリスの迎賓館ってどんな感じなのかな。ユーリは行ったことあるんだよね」
「子どもの頃に何度かな。王立観劇場を建てた建築家が設計したとかで凝った造りだったよ」
「楽しみ。ユーリは本当に建築が好きなのね」
「フィア・シリス王国は古い国だから珍しい建築物がいっぱいあるんだ。滞在期間が三日もあるし、王都見物にも行こうな」
「うん! 北方大陸でも芸術の都の美しさは有名だったもん。お父さんが生まれ育った下町にも行きたいな」
「町外れの墓地にセラのお祖母さんのお墓があるんだよな。まず最初はお墓参りしてご挨拶、だな」
「そうね。お父さんが亡くなったことと私がお嫁にいくことをお伝えしなくちゃ。それにしても十九歳でお嫁に行くとは思わなかったなぁ。お母さん、びっくりするだろうな」
「俺、ジュスト様のお許しは貰ったけど、セラのお母さんに貰ってないんだよな……」
「それなんだけど。私ね、お母さんに出すお手紙持ってきたの。ギルドで出してもらおうと思って」
「何だよ、言ってくれれば良かったのに」
「今回はどうしても自分でお願いしたかったの。折角ギルドまで来たんだもの」
「そっか」
「先生も私も、こっちに来る前にもお手紙を何度も出したのよ? 南方大陸の郵便事情はよくわかってるけど、こんなにお返事がこないの初めてだし。もしかして、何かあったのかも……」
嫌な想像ばかりが浮かんできて、膝に置いた手をぎゅっと握りしめた。母はセラの出した手紙には必ず返事をくれた。もちろん母から手紙をくれることもあった。どんなに遅くても、二月もすれば返事が来ていたのに、こちらに来てもう四か月近く過ぎるのに届かない。何かあったとしか思えなかった。
「セラ……」
向かいに座っていたユリシースが立ち上がって、俯くセラの側に跪いた。そっと大きな手が握りしめたセラの手を包みこむ。その手のぬくもりが不安でいっぱいの心を包み込んでくれるようで、余計に泣きたくなった。
「いっそのこと、ギルド経由じゃなくてギルドに頼んで直接届けてもらおうか。そのほうが早そうだ。ぐずぐずしてると十二の月になっちゃうし」
「そんなことできるの?」
「できるさ。任せとけ」
「ありがと、ユーリ」
「俺の両親は亡くなってるから諦めもつく。だけどセラは違うだろ? 生きてるのに会いたくても会えないなんて辛いに決まってる。我慢しないで言えばいいんだ、お母さんと会いたいって」
「……ホントはね、ずっとずっと会いたかった。でもそんなこと言えなかったの。先生を困らせるだけだし、口にしたらもっと寂しくなっちゃうから」
「だよな。俺もそうだったから気持ちはわかるよ」
「私、お母さんに会いたい。ユーリが私の旦那様になることも、お父さんと会ったことも、自分の口から伝えたいよ」
「うん。俺もセラのお母さんに初めましてって直接会って言いたい。明日は手紙のことを真っ先に頼もうな」
立ち上がったユリシーズにふんわりと抱きしめられて、さっきまでの不安が少しずつ小さくなっていく。腕を回して抱き着くと笑う気配がして、暖かな手が小さな子どもをあやすように背中を撫でてくれた。
「ユーリってすごいね」
「ん?」
「ぎゅっとしてくれるだけで私を元気にしちゃうんだもん。おまけに今の自分が優先しなきゃいけないことまで譲って。手紙は後回しでいいよ?」
「何で。俺の中ではセラが最優先なんだよ。重たい愛でごめんな」
「重たいなんて一度も思ったことないよ? 私って愛されてるのね」
蒼い瞳が楽しそうに細められて、大きな手がセラの頭を撫でた。その手が頬をするりと撫でて顎に添えられる。期待いっぱいの胸を抑えながらそっと瞳を閉じた。小鳥が啄むように何度も口づけられて、次第にそれが深くなっていく。まるで甘い甘い果実酒に酔ったように身体がふわふわする。背に添えてくれている手がなかったら浮いてしまいそうな気がした。
「……愛してるよ、セラ」
「私も。ユーリのことが誰よりも大好きよ」
照れた顔で笑って首っ玉に抱き着いた。しばらくそうしていると肩越しに時計が目に入って見て驚いた。すっかり話し込んでいて気づかなかったが半刻もしないうちに日付が変わる時間だ。ふっとため息をつくと「そろそろ寝よう。理性の限界を迎えそうだから」と笑う声が耳元をくすぐった。テーブルの上のグラスと茶器を備え付けの流しに持っていくと、燭台を手にしたユリシーズがセラの休む寝室の扉を開けて待ってくれていた。最後にもう一度だけ軽く口づけてから「おやすみ」を告げて扉を名残惜しげに閉じた。
翌朝。セラはびっくりするほど爽快に目が覚めた。ずっと心に引っ掛かっていたことが解決したおかげに違いない。冷たい水で顔を洗って身支度を早々に整え、まだ起きてこないユリシーズの様子を見ようと、もう一つの寝室の扉を軽くノックした。
「おはようユーリ。そろそろ起きる時間よ?」
返事がないのでそっと扉を開けると、窓の側にある寝台で掛け布に包まって眠る姿があった。掛け布から亜麻色の髪がはみ出している。少しずつそれが掛け布の中に潜っていくのを見て忍び笑いがもれた。普段はシャキッと起きるのに今日は寝起きが悪いらしい。
「起きないと掛け布はいじゃうわよ?」
「んー……」
えいっと掛け布を剥ぐと下穿き一枚で眠る姿が目に飛び込んできて、殿方の裸に未だ耐性が低いセラは「ひぇっ?!」と小さく叫んだ。鍛えぬかれた彫刻のような裸身が朝陽よりも眩しかった。
「やだぁ、何で裸なの?!」
「うるせぇ……」
「服、服着てよ! あ、し、しまった、ユーリのズボンは洗ってもらってたんだ」
「……マジでうるせぇ……」
むくりと起き上がったユリシーズは左手で顔を覆った。できればキスで起こしてほしかったなと思いつつ横を見ると、セラが真っ赤な顔で「その見事な腹筋をしまって!」と文句を垂れた。しまうも何も掛け布はセラがしっかり握ったままだ。引っ張って取り返すとしまえと言われた腹筋を覆った。
「ズボン取りに行ってくるから! せめてシャツは着て!」
一人で騒ぐだけ騒いで部屋から飛び出して行くセラを見送って、ユリシーズはひとりごちた。
「ズボンなら替えがあるっての……」
大あくびをして寝台から降りると、床に転がしてあった布鞄から黒橡色のズボンを取り出して身に着けた。椅子に引っ掛けておいた起毛布を持って備え付けの浴室へと足を向けた。いい加減自分の裸には見慣れてほしい、と思いながら。
ひと悶着あったものの、二人は軽く朝食を食べてから、のんびり古町を眺めつつ出発した。そして昼十一時の鐘が鳴る頃にフィア・シリス王国領に入った。街道の敷石の色が薄い灰色から煉瓦のような赤茶色と砂色のものに変わり、要所にフィア・シリス兵の歩哨が配置されている。コンスタンス陛下の「吹けば飛ぶような小さな国」というのは単なる謙遜だったのだな、と今更ながらにセラは思った。街道が美しく整備され、きちんと正規兵がいたる所に配置され、関所は滞ることなく手続きが進んでいる。ほんのわずかなことからでも、余裕とかなりの国力があるのだなとわかる。建国五百有余年は伊達じゃなかった。
「あ、看板。チェラータまであと五千ファル、だって」
「あいつらもう着いてるだろうな。今朝の鷹便だと明け方に出たっぽいし」
「みんな早起きね。私達の後に出たのに先に着いちゃうなんて、どうなってるの?」
「行軍用の街道を使ったんだよ。それに日程管理の鬼、アキム副師団長がいるからな。奴は少しのズレも許さない。まして俺を待たせるなんて言語道断です、なんてな」
「ふふっ、アキムにちょっと似てた。私達遅刻じゃないよね? 皆を待たせてたら悪いわ」
「昼頃に着くって言ってあるから大丈夫。着く時間より早い分には文句は言わねーよ」
ユリシーズは馬の腹を軽く蹴って少しだけ足を速めた。街に近づくにつれ、広い街道には大きな荷馬車を率いた隊商や、騎乗して警備するフィア・シリス兵の姿が増えてきた。子どもの頃に来た時も遠征の途中で立ち寄った時も変わらず賑やかだったが、今は立太子式という目出度い式典間近ともあってかなりの賑わいだ。それらを避けながら待ち合わせ場所の関所の手前の広場までやってくると、濃紺の上着を来たひょろりと背の高い人影がこちらに気が付いて大きく手を振った。
「あれアルノーじゃない? もう変装解いちゃってる!」
「俺と合流するのに変装する必要、あると思うか?」
「つまんないよ。私二人が並んだの一回しか見てない」
「見世物じゃねーよ。ほら、手でも振ってやれ」
促されて前を見ると、側役の二人とエマの姿もあった。三日ぶりに会う皆はすこぶる元気そうだ。ユリシーズに降ろしてもらって皆のところに駆け寄ると、エマが「お疲れさまでした」と労ってくれた。
「お疲れさま、みんな!」
「お疲れ様! 二人とも、道中何もなかった?」
「おう。のんびり観光しながら来てやったぜ」
拳同士をごつんとぶつけ合ってユリシーズとアルノーは笑いあった。エマはセラのケープの襟を直しながら「どうでした? 恋人との初めての旅行は?」とニンマリ笑って尋ねた。
「うん、とっても楽しかったよ! 噂のお宿にも泊まれたし。あのねぇ、昨日食べたジビエがね」
身振り手振りで実に楽しそうにこの二日間のことを話すセラに、リオンもアルノーも「よかったねぇ」と微笑ましいものを見るようにその様子を見守った。ユリシーズはまわりをさっと見回すと、ルクバトを労っているアキムに尋ねた。
「他の連中はどうした? 先行させたのか?」
「はい。さすがに小隊を引き連れていると目立ちますので先に王都に向かわせました。手筈通りです」
「わかった。とりあえず飯にしようぜ。俺腹減った」
「朝あれだけ食べたのに、なんですぐお腹空いちゃうの?」
「消費熱量が違うんだよ。俺とセラの体重差を考えろ」
相変わらずやいのやいの言い合いながら仲良く馬屋へ歩いていくセラとユリシーズを見送って、側近達は顔を見合わせて笑った。
「あまーい雰囲気になってるかと思いきや」
「まったく変わらないですわね」
「お二人とも楽しそうで何よりです。この所ユーリ様は公務を優先されてましたからね」
「禁欲生活なんか絶対続かないからやめとけって俺は進言したんだけど。頑なだな……」
アルノーが「き……」と呟いて顔を赤らめる乙女な反応をして、エマはそれを見て腹を抱えて爆笑したいのをグッと堪えた。アキムが「お前ホント懲りないな」と言いながら、大きな手でリオンの顔面を鷲掴みにして悶絶させている。従者にも変化がないのだと誰も気づいていなかった。
セラとユリシーズは皆に連れられて下町のはずれにある食事処にやってきた。リオンが選んだ店の奥の個室は窓がなく、扉を閉めてしまうと外からの音がまったく聞こえなくなった。セラが不思議に思って尋ねると「ここ、そういうお店だから」というよくわからない答えが返ってきた。要するにギルド御用達の密談専用部屋らしい。
「元凶がいた?」
「うん。残党の中に元凶がいるってもっぱらの噂。クレヴァ様お抱えの隠密から聞いた話だから間違いないよ」
お茶を啜りながらアルノーが答えると、皆して「うーん」と唸った。セラが知っているのはトゥーリ達からの伝聞でしかないが、元凶の錬金術師が大がかりな術を仕掛けたせいで取り逃がしたと聞いている。対処しなければ解放軍諸共帝都が吹き飛んでいたのだから仕方ないことだ。逃がす前にかなりの深手を負わせたのに、行方が誰にもわかっていないのが気がかりだった。
「俺達が北方で見た時は冴えないおっさんだったけど、背の高い若い男の姿になってたらしいよ。よくわかんないけど他人の身体を盗めるみたいだね」
手馴れた仕草でお茶を注いでセラに手渡しながら、リオンが真面目な顔で付け足した。
「何だそれ。そいつの特徴は?」
「ズルズル長い黒髪。あと目の色が真紅。人じゃありえない色だよね。亜生物と同じ色だなんてさ」
ユリシーズは腕を組んで考え込んだ。他人の身体を盗めるのならどんどん見た目が変わるかもしれない。残党の中に潜んでいる間に見つけなければ、またセラが狙われることになる。こちらを見る不安そうな翡翠の瞳に少しだけ笑いかけると全員の顔を見渡した。
「……そのうち諸侯連合から正式に討伐要請が来るだろう。問題は、疑似的精霊魔術も錬金術も俺達に防ぐ手立てがないってことだ」
「うーん。困ったねぇ。俺達、人相手だったらそこそこ自信あるけど、亜生物以上の化け物が相手てのがな」
「リオンさんの速攻でも無理?」
アルノーの言葉にリオンは肩を竦めた。実際に対峙したアキムがリオンの目線に応える様に頷いて、静かな目で返答を待つユリシーズに答えた。
「隙を与えず一撃で倒さないと逃げられます。あの時だって精霊魔術に長けたトゥーリがいて、桁外れの力を持つ術者が二人もいたのに逃がしてしまったし。精霊殿と精霊騎士団の助力が必要です」
押し黙ってしまった皆を見回してセラはどうしたものかと途方に暮れた。ふと壁際に立て掛けられた布包みが目に入った。
「ねぇユーリ、一撃で倒さなきゃいけないんだったら『銘なし』は使えないの?」
「そっか。四英雄の遺した武器ならいけそうだね。大昔に悪い王様をあれで追い詰めたんだっけ」
アルノーが名案だと言わんばかりに頷くと、リオンもユリシーズの背後に立て掛けてある長剣に目をやった。目の前であの剣がいとも簡単に一抱えもある岩を切り裂き、主君が「スゲー」と若干引きながら手のひら大の正方形を山ほど作り上げたのを見た。
「確かにいけそうだね。ユーリ様の剣の腕と、岩をみじん切りにできる切れ味の『銘なし』があれば」
話がひと段落したところで「少しお待ちください」と言い置いてアキムが注文に立った。随分と手慣れた様子で、リオンもアキムもここに何度か来たことがあるようだ。
「ねぇねぇ、ギルドってここから近い?」
「ギルドはこの店の裏にあるよ。さっき通った角のところに看板出てたろ?」
「えー、全然気が付かなかった」
「私もですわ」
「わざと死角に置いてるからね。表向き昼は普通の茶店で夜は酒場を営んでて、おすすめがお茶の時は主がお店に出てますよって意味で、仕入れ中は不在、売り切れはお取込み中ね。仕事を頼みたい時は店番の子に『深煎りをください』って言うんだよ」
リオンがざっくりとギルドについて説明すると、セラとエマが拍子抜けした顔になった。おまけに「深煎りって言えばいいのね」とセラが真面目に呟いている。完全に仕事を頼む気でいるらしい。前もって行くことを伝えているので生憎店番の子はお休みだ。普通に店の主サディクが首を長くして待っている。
「ちなみに今日のおすすめは何だったの?」
「おすすめは東方のお茶。お茶を頼んだ女の子は半額の日だって。セラちゃんが来るからだろうけど、けち臭いよね。タダにすりゃいいのに」
「言っとくけど、本当に普通の兄ちゃんだからな。変に期待すんなよ」
普通の人だと言われても、西方大陸以外にあるギルドとも誼を結んでいるやり手のギルドの長はどう考えても普通ではない。時々ユリシーズ達の「普通」がどの程度普通なのか判断がつかないので「そうなんだ」と笑顔でやり過ごした。深く追求せずにおくのが淑女の嗜みというものだろう。
「ギルドでごはん食べてみたかった。いい話のタネになるのにー」
口を尖らせて脈絡のない文句を言うと、リオンが大げさにため息をついた。
「やめときな。サディクの作る飯はめっちゃ辛いの。カライっていうかツライ。あいつも南方系だから舌がバカになるほど香辛料を使うんだよねぇ」
「アキムの作る飯はめっちゃ美味いのにな」
「いいなぁ。おねだりしたら南方料理を作ってくれるかな」
「もちろんいいですよ?」
扉の開く気配と同時に答える声がして、振り返ると片手で器用に盆を二つ持ち汗の浮いたお茶入りデカンタを二つ持ったアキムがいた。エマが給仕を手伝い始めたのを見て、セラは「手伝いますが?!」という顔をして二人を見たが目線で「座っててくださいね?」と言われた気がして、大人しく座りなおした。
「二人とも俺が小さい頃はわりとワガママ聞いてくれたよな」
「心外ですね。今もわりとワガママを聞いているでしょう」
「ホントだよ。ユーリ様が六歳の頃から一生懸命お仕えしてるのに。北方大陸だって連れてってあげたでしょーが」
「ふふっ。三人とも仲良しさんよね。二人は『深淵の猟犬』を辞めて、ユーリのために仕官してくれたんでしょ?」
「すごい美談みたいだけど、俺のためというよりも父上に心酔したリオンがタダで雇ってほしいって言いだしたのが切っ掛けらしいぞ。で、無茶ばかりするリオンを心配してアキムも来てくれた、と」
「そうかもしれませんが、俺達が喜んで主従の誓いを結んだのはユーリ様とですよ? 最初のご命令、覚えていないんですか」
「聞きたい。アキム、最初の命令って?」
セラが「ハイハイ」と手を挙げながら尋ねると、アキムが穏やかに微笑みながら答えた。
「……どこにもいかないで、と。手術が終わって目を覚まされてから、すぐそばにいたリオンの袖を掴んで大泣きして開口一番に仰ったので。俺達は必死で宥めましたよ。たった今、主従の誓いを結んだからどこにもいきませんよって」
「そうそう。ちっちゃい手で『いかないで〜』って泣いて縋られて俺が泣きそうだったよ。セドリック様に居場所をもらって、ユーリ様が俺達を必要だって言ってくれて嬉しかったなぁ」
「その話はやめろ。何か恥ずかしい」
「どうして? とっても素敵な話じゃないの。私じーんとしちゃった」
「行き過ぎた主従愛の原点だね」
したり顔で頷くアルノーにエマがクスクスと笑い、セラもつられて笑顔になった。ユリシーズが命を助けてもらったという話を聞いてから、彼と側役の間には主従を越えた絆があるのだと密かに感動していたセラにとって、今聞いたことはどんな素晴らしい物語よりも素敵な話だった。主従話の王道そのものだ。
「その割には、俺の扱い結構雑だよな。短剣一本持たせて幼い主君を深淵の森に置き去りとか正気を疑うぜ」
「俺は少し離れた木の陰から見てましたよ?」
「俺も木の上から見守ってたけど? っていうか、そもそもユーリ様と四バカ達の悪戯がすぎるせいでしょうが」
こっそりエマに「どういうこと?」と囁くと、美しいはしばみ色の瞳が呆れた色を浮かべて「お仕置きですわ」と一言だけ答えた。そういえば最終的に『深淵の森』に放り込まれたことがあると言っていた。あれは通過儀礼とか格好いいものではなく、単なるお仕置きだったのか。そう思うとセラも残念な気持ちになってきた。
「やっぱりそうだったんだ。フーゴが誰かずっとついてきてるとか怖いこと言うから、俺もマルセルもちびりそうだったよ。エーリヒなんか涙目で一言もしゃべんなくなっちゃうし。ユーリは俺達にここで待ってろって言ったまま、どっかいっちゃうしさ」
「ユーリ様は希少種の角虫に夢中でしたね……。あんないい笑顔であの森を徘徊する子どもはユーリ様だけです」
「仕方ないだろ、図鑑に載ってない珍しい角虫がそこらじゅうにいたんだから。光るヤモリもいたんだぞ?!」
いい笑顔で言い放つユリシーズの姿にセラはふきだすのを必死で堪えた。角虫小僧はお仕置き中ということも忘れて深い森にいる珍しい生き物に夢中だったらしい。友達は『深淵の森』が怖くて足が竦むほどなのに、一人だけ満面の笑みで「とったー!」と、服にまたひとつ新種の角虫をくっつけて。業を煮やしたリオンが木の上から飛び降りてきて、ちっちゃいユリシーズの首根っこを掴んで引き返す様子まで浮かんだ。
「わ、笑ってもいい? 私さっきからお腹がぷるぷるするんだけど」
「私も腹筋が攣りそうですわ。美談から一気に笑い話になってますし」
アルノーがぽそっと「笑えばいいと思うよ」と呟くと、とうとう娘たちは声を立てて笑い出した。




