5. 奥方様(仮)は迂闊
頬をそよそよと撫でていく秋風。背中の温もり。心地よい揺れに身を任せているとふぅっと気が遠くなる。可笑しそうに笑う声が耳元で響いて、セラはハッと現実に引き戻され肩越しに後ろを振り返った。
「寝てていいよ」
「お、起きてるよ?」
「嘘つけ。さっきから船を漕ぎまくってるくせに」
「ユーリの乗馬の腕が良すぎるから眠くなるの」
「光栄だね」
「ねぇねぇ、あれ何?」
セラの指さす先には旅人の安全を守る道行の「精霊」が祀られていた。ずんぐりとした夫婦の形はこの地方独特の土着信仰対象だ。西方大陸はこの数十年で母なる精霊を祀ることが減り、その代わりに古くから居る「精霊のようなモノ」を祀ることが増えているという。もちろん主流はすべての源たる母なる精霊だが、万物のなかに奉る存在を見出す人々もいるのだ。
「あれは旅人が進む道を守る神様。このへんにしかないやつだよ」
「不思議な形。初めて見た」
「母なる精霊よりも前からいるって言われてるけど、俺もよくは知らねーな」
「そうなんだ。南方大陸にも由来がわからない偶像がたくさんあるって聞いたことあるわ」
「へー。あそこって南方精霊騎士団直轄地なんだろ。都市部はそうでもないけど、遺跡群があるあたりは厳しく管理されてるって聞いたよ」
「南方遺跡のことね。精霊始まりの地だから選ばれた人しか入れないんだって。女神官長様も還俗したら絶対行くって言ってた」
「え、何で? 還俗したら王妃になるってガルデニア王から聞いたけど。遺跡研究者になるのか?」
「女神官長様は王妃なんて堅苦しい立場はお嫌なんですって。陛下が年下なのもちょっと、って」
「ひでー。年はどうにもなんねーだろ。ガルデニア王は本気で女神官長が好きなのに、そりゃねぇよ」
「そこは陛下に頑張っていただかなきゃ」
「俺はずいぶん楽したよな。セラの方から来てくれたし」
「あらら? どうしてそんなしょんぼりした声出してるの?」
「うーん」
「ユーリのことが好きになったから私は来たのよ?」
「……」
てっきり「照れるだろ」と笑う声がすると思ったのに後ろが静かになった。不思議に思って振り返ると耳まで真っ赤になったユリシーズがいて、ニヤーっと口元が緩む。からかううつもりなど毛頭なかったのに、こんな反応が返ってくるとは思わなかった。
「照れ屋さんですこと」
「直球過ぎなんだよ。セラのそういうところマジで適わねーな」
「私もホントは照れくさいよ。だけど伝えたい人にはちゃんと伝えないと後悔するから」
「……セラのお父さんのこと?」
「全然言い足りないのに、すぐいなくなっちゃったから。もっとたくさん大好きって伝えておけばよかったな」
「セラの気持ちは言葉にしなくてもお父さんにちゃんと伝わってるよ。最期、笑ってたろ」
「うん……」
「俺はずっと一緒にいるからな。心は永遠に君とともに、ってやつだ」
「ふふっ。ユーリも結構乙女よね。古典文学の素敵なせりふ、いっぱい知ってるし」
「乙女じゃねーよ。文学青年と言え」
「帰ったらさっきのせりふが出てくる本貸してよ。この間借りた本、もう少しで読み終わるから」
「いいよ。読むのはえーな。あ、そうだ、誕生日何が欲しいか決めた?」
「それ私に聞いちゃうの? ズルはだめよ」
「ズルっていうな。とりあえず来月の誕生日は期待しててくれ。皆で盛大に祝ってやるからな」
「嬉しい! 楽しみにしてるね」
「クレヴァ様もセラのために何か贈り物を、とか言ってたからな。それとなく欲しいモノを強請っとけよ。じゃないとクレヴァ様が編纂した超分厚い歴史書とかになるぞ」
「それは欲しいかも。高名な学者様が手ずから編纂した本をプレゼントだなんて感激だわ」
「ホントに本が好きなんだな。俺も本にしようか?」
「ユーリから初めてもらう誕生日プレゼント、後々まで思い出して浸れるようなものがいいなぁ。紅薔薇九十九本とか」
「別にいいけど。何で九十九本なんだ?」
「んふふふふ」
「気持ち悪い笑い方すんなよ。本数に意味があるな。言え。言わないとこうだ」
「ひゃはは! くすぐったい!」
「暴れんな、落ちる」
「く、くすぐるのが悪いんでしょ。私、恋人からお花を貰うのが夢だったの」
「セラの夢って細々とたくさんあるな。俺はセラのお願いならとりあえず聞くけど」
「断る時もあるくせに……」
「何だと」
「だって。ユーリのお母様の故郷に私も行きたいって言ったら却下だ! って」
「何べんも言わせんな。危ないからだーめ」
「私も四英雄・剣聖の故郷が見てみたいのに。ユーリが本当に四英雄の末裔なのか確かめるのって、一人じゃなきゃダメなの? 私もアルノー達もお手伝いしたいのに」
「その話を皆にしたら立場を考えろって怒られたから、廃村実態調査ついでに行くことにしたんだ。大体あそこは観光地じゃねぇんだ。埋めきれない白骨死体がゴロゴロあるんだぞ? お化けが出るぞ〜」
「お化けが怖いのはユーリもじゃない。夜中のご不浄に一人でいけなかったくせに」
「子どもの頃の話だっつの」
「それじゃ寝物語に怖い話をしてあげるね」
「却下。今日は続き部屋か一人部屋を二つ取る」
「一緒じゃないの?」
「俺も一緒がいいけど計画が狂う」
「話が見えないんだけど」
「このまま一緒に寝てたら結婚式を挙げる前にセラがご懐妊してしまう。最低一年は二人でいたい俺の計画が狂う」
「……」
一緒に寝てたらご懐妊。心身ともに健康で愛し合う男女二人がいたせばそうなる。自然の摂理だ。思い出すとキャーと叫びながら辺りを走り回りたくなるからあまり考えないようにしていたというのに、ご当人から話を振られて固まった。
「……何か言ってくれ」
「とりあえずお部屋、別々ね」
「お願いします」
妙にハキハキした返事に思わずふき出した。肩越しに振り返るとニッと不敵に笑う顔があって、セラも笑顔になる。代々続く大豪族で、当代領主ともなれば後継ぎをもうけるのは義務だ。後継者がユリシーズしかいない今のレーヴェ家を知る人達からしてみれば、何を馬鹿なことをと言われるのに「一年は二人でいたい」と思ってくれていた。セラが「恋人同士のように」あれこれしたいと思っているのを知っているから「俺の計画」なんて言い方をして。
「ユーリの計画に付き合うから、私の夢にも協力してね?」
「いっそのこと全部紙に書いて持って来てくれよ。できそうな夢から順番に叶えていくから」
「イヤよ、そんなの。夢もへったくれもあったもんじゃないわ。ただのお願いじゃない!」
「その方が無駄がないだろ」
「そこで合理性を発揮しないで。乙女の夢をいったい何だと思ってるの」
「ははっ! おい自称乙女、そろそろ飛ばすぞ。次の街で観光するんだろ」
「はーい」
セラは笑いながらユリシーズの腰に腕を回してしっかりと掴まった。今日は合流地点の一つ手前の古い宿場町に泊まる予定になっている。三百年前の建造物がそのまま残っていて、当時の暮らしそのままを再現した博物館もある観光名所で、図書室にあった『西方大陸名勝百景』で見てから一度行ってみたいと思っていたのだ。フィア・シリス王国に続く街道はいくつもあるのに、あえてここを選んでくれた心遣いが嬉しかった。
昼三時をすぎる頃に目的地に到着した。本の写実絵で見たとおりの町並みが広がっていた。西方大陸は色々な技術が発達していて、特に建築技術にそれが顕著だった。崩れやすい総煉瓦造りの建物はすっかり数を減らし、頑丈でどっしりした建物が主流だというのに、この辺りは比較的大嵐も水害も少ないおかげで当時の建物がそのまま残り、人々がそこで暮らしているという。
「素敵……! 綺麗な煉瓦造りの建物がいっぱい」
「お気に召して何よりだ。とりあえず観光は宿を探してからだな」
「意外とすいてるね」
「ここちょっと地味だからな。明日行くチェラータの街のほうがでかいし華やかだから、大体みんなそっちに流れてく」
「落ち着いてて良いところなのに。あ、街の地図があるよ」
馬を降りて並んで歩いていたセラは、観光案内所がある小屋の前で立ち止まった。ここが現在地で、と指さして博物館への行き方を確認していると横にいたユリシーズがわざとらしく驚いた。
「えっ、読めるのか?」
「失礼ね! 読めるわよ。時々間違えちゃうだけ」
「ダメだろ間違えちゃ。よく今まで無事……でもなかったか。お前いままでお使いの時どうしてたんだよ」
「ちゃんと地図を見たよ? 先生から渡された地図の通りに行けばいいだけだったし。あ、でも最後のお使いはもらってなかったかも」
「そうだろうな。手違いでセラをお使いに出したらしいから」
「そうだったの!?」
「そうだったの。シーグバーン女史が書いた地図なら間違いなく目的地に着くだろうな。なんせ情報部の長だし」
「何の疑問もなく、子どもの頃と同じような感覚でいたわ……。ちょっと表通りのチーズ屋さんに行って来て、みたいに言うもんだから」
「疑問を持てよ、頼むから。俺達の子どもをお使いに出すときは側役に言っておいてくれ。尾行してもらわないと心配だ」
「そこまでする?! まだ産まれてもいない子どもの心配する?!」
「半分は俺の血が入ってるから、そう簡単に迷子にならないと思うけど」
「あ、聞いたことある。ユーリが地図なしで深淵の森から戻ってくるって」
「何度も虫捕りに行ってたら道を覚えちゃってさ。規則性があるんだあそこ」
「すごいね。迷子にならない能力かぁ」
「空間把握に長けてると言え。迷子にならない能力って何なんだよ。お、今日はこの宿にしようぜ」
「名所案内に載ってた老舗も老舗のお宿! まってまってまって、このお宿、お値段が全然かわいくなかったわ」
「普通だろ」
一番安い一人部屋が朝夕つきで銀貨三枚だというのに、それのどこが普通なのかユリシーズの胸倉をつかんで締め上げたい気持ちでいっぱいになった。生まれてこのかた小市民として暮らして来たのだ。母からも質素倹約を叩きこまれ、働かざる者食うべからずを貫き通してきたセラにとってはものすごく居たたまれない。
「わ、割り勘」
「するか。早く来いよ。博物館が閉まっちゃうぞ」
入り口の側にいた店番の少年に駄賃を渡して馬を預けると、ユリシーズは笑いながら宿の中に入っていく。セラもその背中を追いかけて慌てて宿の中に入った。
「わぁ……!」
中に入ると古典様式の広いエントランスとステンドグラスの高い天井、重厚な樫の調度類が目に飛び込んできた。セラがお気に入りの小説に出てくる大昔のお屋敷の入り口そのままだ。受付にいた糊のきいた白いシャツにベスト姿の青年がにこやかに「いらっしゃいませ」と出迎えてくれた。
「続き部屋か一人部屋を隣同士で頼みたいんだけど、空きはあるかな?」
「ございますよ。二名様でいらっしゃいますので続き部屋をご用意させていただきます。何かご用命はございますか?」
「先に荷物だけ頼むよ」
「畏まりました。ご夕食はいかがいたしますか? 食堂は夜五時から七時までとなっておりますが、お部屋にお持ちすることもできます」
ユリシーズが目顔で「どうする?」と聞いてきたので、セラはちらりと柱時計を見て、今から町中を散策して、博物館に行ってかかる時間をざっくり思い浮かべた。どう考えても宿に戻ってくるのは五時を過ぎる。そうなると慌ただしい夕食になってしまう。夕食の時必ず葡萄酒を楽しむユリシーズがゆっくり飲めなくてかわいそうだし、セラとしても『特産の季節ジビエで当時の料理を再現』という美味しいと評判の食事が落ち着いて味わえないのは非常に遺憾だ。
「帰りが五時を過ぎてしまうかもしれないから、お部屋でいただいてもいいですか? とても美味しいお食事だって聞いたからゆっくりいただきたいし」
「ありがとうございます。それでは戻られたらこちらにお寄りくださいませ。お食事のご案内と、鍵をお渡しいたしますので」
「わかりました! さ、参りましょユーリ」
ユリシーズの手を取ると先に立って歩き出した。笑いながら手を引かれるユリシーズに「道、わかるのか?」と尋ねられて、エントランスから出た瞬間足が止まった。そろーっと右に進む道を指さした。
「えと、こっちだったと思うんだけど」
「広場をぐるっと回るから遠回りになるよ。何か前も同じようなことを言った気がする」
「あははは」
「まぁいっか。ゆっくり行こう。町並も見たいんだろ?」
「うん!」
自然と指同士を絡めるつなぎ方になって、二人はゆっくり歩き出した。時々立ち止まっては建築様式についてユリシーズに教わりながら、古き良き町並みを楽しむ。同じように観光中の旅人も感心した様子で横で聞き入っていた。若いのに大したもんだと、杖をついた住人らしき通りすがりのおじいさんにまで褒められて、セラは自分のことのように嬉しくなった。
「ユーリってすごいね。建築にも詳しいんだ」
「まーな。将来は騎士になるって決めてたけど、子どもの頃は建築家になりたいって思ってた。内緒だぞ」
「ふふっ。内緒ね。でも領主のお仕事してたら建築もできるよ」
「ホント前向きだよな。でもさ、こうやって目に見える形で自分の仕事が残るのって憧れるよ。壁に嵌ったプレートに自分の名前と築年数が刻まれて、何百年もあとの人達からすげぇって言われるのってどんな感じなんだろう」
「ユーリだって絶対名前が残るよ? 今までもこれからも大活躍するんだから。ちっちゃいプレートなんかじゃなくて、王立図書館にある分厚い歴史書に載っちゃうわよ」
「ははは!」
「大陸歴一〇五八年西方大陸平定、で始まる頁に名前が載るのよ? 考えるだけで胸が熱くなるわ。形には残らないかも知れないけど、ユーリ達が頑張ってきたことはずっとずっと先まで語られるのよ。私はそっちのほうがとっても素敵だと思う」
「悪くないな」
「でしょ?」
顔を見合わせて笑いあって、また同じ歩調で歩き出した。のんびり散策しながら辿り着いた博物館は閉館まであと一時間とあって、あまり人影はなかった。入り口にいた係員に料金を支払い、三階から順番に見て回ることにした。
「四英雄がこの町に来てたのね。剣聖が使っていた髪飾りと同じ形です、だって」
「へー。当時の女性の流行りものだったみたいだな」
「私も欲しいー」
「作ってやろうか? 似た感じのならできると思うけど」
「作る? 注文するの?」
「俺が作るの。言ったろ、手先は器用だって。これも自分で作ったやつだし」
そう言いながらよく身に着けている革紐と小さな銀の板でできたブレスレットを見せてくれた。ユリシーズの雰囲気に良く似合っているなと思っていたが、まさか自作のアクセサリーだったとは思わなかった。
「私の誕生日プレゼント、髪飾りは? 見るたび使うたびに私のために作ってくれたのねって浸れるわ」
「そんなのでいいのか?」
「ユーリが作ってくれる、ってことに意味があるの。次は二階ね」
一つに結った髪を揺らしながら階段を降りて行く。二階は道具類の展示だ。展示室に入ってすぐの場所に大きな硝子の箱に入った巨大な剣が飾ってあった。ユリシーズの背丈よりも高い。
「わ、びっくりした。でーっかい大剣」
「斬馬刀だよ。大昔はあちこちで騎馬民族同士の戦いがあったからな。これを地面スレスレに構えて駆けて来た馬の足を折って、落ちてきた騎手をグサリ」
「ひぇ〜」
「だだっ広い草原あってこその戦い方だな。山が多い北方大陸はまた違うんだろうけど」
「人対人、というより人対亜生物って感じだったみたいよ。こっちの武器は何に使うの?」
硝子の箱の中には謎の毛織物が納められていた。紐状の片方に輪がついていて、真ん中あたりが少し幅広になっている。使い道がまったくわからなかった。
「石弓だな。真ん中で二つ折りにして一端の輪っかを手首に通すだろ。手に巻き付けて反対側の端と一緒に握って、広い部分に石をくるんで頭上で振り回して投げる」
「振り回してる時に自分に当たったりしないの?」
「ぶはっ! い、いたんだろうな、どんくさい奴が。利点より欠点が多いってんで今は誰も使ってないよ」
一人でツボに入って笑いが止まらないユリシーズの手を引いて、セラは一階まで降りてきた。一階は当時の人々が来ていた衣裳が展示されていた。
「あ、このドレス。セラが着てたのと似てないか?」
「古式の意匠なの。そっかぁ、三百年も前の型だったんだ。今でも普通に使えるってことは完成された形なのね」
「男の服ってそんなに変わんないな。げっ、何だこのぴったぴたのズボンは!」
「当時の官吏が着ていた宮廷服だって。これ来て出仕するの、ちょっと辛いね」
「服の丈がやばいな。前が隠れないぞこれ……」
「動きやすさはダントツだと思うけど」
「そうでもねーぞ。上着の裾を引っ張りながら歩くから逆に動きづらいだろ」
「変! そっちのが変! 堂々と歩けばいいじゃない」
「できるか! 俺がこの服着てたら絶対そうするね!」
「いやだぁ、そんなこと想像したくない」
「ほら見ろ」
声を潜めながら言い合いをしていると、ホールにあった大きな柱時計が五回の鐘を鳴らした。鍵束を持った係員が階段を上がっていくのが見えた。閉館時間が来たので見回りに行くのだろう。セラはユリシーズに手を引かれて博物館を出た。すっかり陽が沈み、ほんのりと街灯がともっている。
「日が暮れるのが早くなったね」
「だな。あー腹減った」
「忘れてた。宿に着いたらズボンを脱いで」
「……その誘い方はどうかと思う」
「ち、ちが、ちがう! そのタレつきズボンを洗ってもらうの!」
「わかってるよ。明日までに乾く?」
「火熨しがあるから乾くわよ。戻ってきたズボン、その手に持ってる棒にひっかけてお部屋に干しておけば湿気も抜けて完璧」
セラがユリシーズが右手に持ったままの『銘なし』を見てそういうと、呆れたようなため息をつかれた。
「棒って言ったな今。しかも伝説の武器を物干しざおにしろと。男前にもほどがあるぞ」
大きな手がセラのすんなりした手を包み、そっと指が絡んだ。口ではあれこれ言うけれど繋ぐ手の優しさはいつも変わらない。傍らを見上げると柔らかく細められた蒼い瞳がセラを見ていて、たまらなく幸せな気持ちになった。
宿に戻って部屋に案内されてから、ユリシーズは食事が来る前に一風呂浴びると言って浴室へ入って行った。続き部屋は居間と寝室が二つ、簡易な給湯と浴室がついていて快適に過ごせるようになっている。セラは洗濯物を預かってもらおうと浴室の扉をノックした。
「ユーリ、入ってもいい? ズボンを預かりたいんだけど」
「おー」
「うひゃあああ!」
「な、何だよ」
「ハダカなのになんで入れたのよー」
「うるさいぞ。腰に巻いてるだろうが」
「ふむむっ」
口をふさがれて浴室から引っ張り出されると、セラは目で「手を放して」と訴えたがユリシーズの蒼い瞳はじっとセラを見据えたままだった。
「何で入ってくるかな……。俺のことそんな安全だと思ってる?」
壁にとんと背中が当たった。何と答えたらいいのか、この状態で何が正解なのかまったくわからないので首を傾げた。ユリシーズの手が顎にかかり、唇が重なった。徐々に深くなっていくそれに酔ったように、セラは身体の力が抜けていく。
「んっ」
息もつかせぬ勢いで何度も口づけられ、陶酔感でぼんやりとしながら開いた視界から囲うようにしていた腕が消えた。ぎゅうっとセラの身体を抱きすくめると、名残惜しげに唇が離れていった。
「油断大敵、ってな。俺の理性は結構脆いんだから気を付けろよ」
ニッと不敵に笑う顔はいつも通りで、セラはよろけてその場にへなりと座り込んだ。上機嫌で自分の部屋に入っていく気配がして、扉がパタンとしまった。入浴中に何も考えず入って行った自分が悪いのか。突然あんな質問をしてくるユリシーズが悪いのか。セラが「この旅行中、全然キスしてくれないな」と思っていたのを見透かされたのかもしれない。迂闊な自分のせいとはいえ、それが何となく悔しかった。




