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乙女は獅子に恋をする  作者: 龍田環
西方大陸編
44/111

19. 姫君の戦い

 軽く上下に揺れて、馬車が走り出した。第一師団の警邏隊と遊撃隊の一部が随従してのおよそ三日の旅だ。一日ずつクレヴァが所有する別宅に宿泊しながら進む。

セラは窓ににじり寄って「警護中だから開けないように」と言われたにも関わらず、ちょっとだけ開けて見送ってくれている皆を振り返った。馬車のすぐ横にいたアキムと目が合い、彼が馬の足を緩めてくれたので後ろが見えた。側近達と一緒にずっと見送ってくれているユリシーズの姿を見ると、鼻の奥がツンとして涙が出そうになる。すぐに会えるとわかっていても、やっぱり寂しかった。西方大陸に来て一か月近くが過ぎて、一緒にいるのが当たり前だったから余計にそう思うのかもしれない。


「セラちゃん、閉めてもらってもいいですか? そろそろ森の中だから虫が入りますよ」


「えっ、し、閉めるね!」


 アキムに柔らかい口調で窘められて、セラは馬車の窓を閉めると腰を落ち着けた。セラが乗せられた黒き有翼獅子の騎士団(グライフ・オルデン)の当主専用公用車は抜群の乗り心地だ。調度類は目に優しい水色で、セラの座る場所のクッションだけなぜか薄桃色だった。


「ね、どうしてこのクッションだけ薄桃色なの?」


「セラ様専用ですよ。マリーさんが落ち着く香りのポプリを仕込んでくれたから、お昼寝の時はそれをお使いくださいね」


「マリー優しい。私が馬車でずっと座ってると腰が痛くなるって言ったからね。大事に使おうっと」


「どうせならユリシーズ様が使っているお昼寝用の枕にしたほうがよかったですか?」


「やめてよハンナ! そんな、ユーリの匂いがする枕が欲しいとか、私ちょっとヘンタイみたいじゃない」


「私、一言もそんなこと言ってないですよ、セラ様。願望がダダもれです」


「言えば喜んで貸してくださると思いますよ? 先ほども離れがたい顔をしてらしたし。それに、好きな人の枕が欲しいのはハンナもでしょう」


「え、ハンナもですって? 誰なの好きな人って。いい加減教えてよ」


「わ、私のことはいいじゃないですかっ」


「セラ様、こういう時はそれらしい候補を順繰りに上げていくんですよ。で、表情を良く見て。小鼻が膨らんだら当たりです」


「ハンナってわかりやすいのね」


「セ、セラ様ほどじゃないですよ!」


「なっ何よ、私そんな顔に出てないわよっ」


 主従関係も忘れて、セラとハンナは額を突き合わせてお互いをけん制しあった。その様子にエマもおかしそうに声を立てて笑う。

コンコンと馬車の窓が叩かれたので、セラがそちらを振り返ると「全部顔に出てるよ、お姫様」とニンマリ笑うリオンが顔を見せた。セラが何か言い返す前に素早く馬で先へと行ってしまい、セラは悔しそうに扇を握りしめた。


「何よ、あの小馬鹿にした顔は〜。ユーリがリオンのお尻を蹴飛ばしたくなる気持ち、ちょっとわかった」


「護衛としては一流ですけど、人としては残念ですー」


「知ってるー。ねぇねぇ、格闘術って、どんなこと教わってるの?」


「私は女なので、どうあっても男の腕力や筋力には勝てません。だから関節技を始めとした護身術を教えてもらっています。肘や膝、踵のように人体でも固い部分を使うと、的確な攻撃ができるんですよ!」


「興味深いわ。私は腕力もないし体力もないし、おまけに方向音痴だから」


「方向音痴は関係ないと思いますわ、セラ様」


「方向音痴はユリシーズ様にどうにかしてもらってください。『深淵の森』に行っても地図なしで戻ってこられるそうですよ」


「角虫捕りに命かけてるからでしょ。ゴキカブリそっくりって言ったら怒られたわ」


「確かに似てますよね。夜のお手洗いで遭遇して、とっさに履物でつぶしたら角虫のメスで、弟に泣かれたことがあります」


 したり顔で頷くハンナにセラも「よくあることよ」と真面目な顔で応じる。ハンナの横にいるエマはもう声も絶え絶えに笑い転げている。何かが笑いのツボにはまってしまったようだ。


「仕方ないわ。アレに似てしまったのが運のつきね」


 セラは肩をすくめるとクッションに擦り寄った。ふかふかで動かすたびにセラの好きな桃花の香りがする。「お母さんね、桃花が一番好きなの」と笑う母のことを少しだけ思い出した。両親が初めて一緒に住んだ家のそばに野生の小さな桃花の木が立っていて、春になるたびに果実のように甘い香りのする薄紅色の桃花が咲いていたという。母の一番幸せな頃を聞くうちに、セラも一番好きな花になった。


 館のそばに何か植えてみるのもいいかもしれない。ユリシーズは木苺が好きだから、鑑賞もできる株を植えてみようか。春に白く可憐な花がついて、初夏に甘い赤い実をたくさんつける種類がいい。陽の光を鈍く弾く指輪を眺めながら、そんなことを思った。



 何事もなく一日目の宿泊地に到着した。クレヴァの所有する屋敷は西方大陸中にあるらしいが、ここは湖畔のそばにある夏用の別荘だった。セラは案内された客室でこわばった全身をほぐして一息ついていた。常時美しい立ち振る舞いをするためにもドレスは脱ぐな、とマダム・アドリーヌから厳命されている。肩がこるし着慣れないしで脱ぎたくて堪らなかったが、夕食までの我慢だ。クレヴァの教え子達が挨拶に来ていると聞き、呼びにやってきたエマと一緒に応接間へやって来た。引きあわせてくれるのなら、それはセラ達の陣営についている協力者で、ユリシーズの友人知人に違いない。粗相のないよう薄緑のドレスの裾を払って、簡単に身支度を整えて扉を軽くノックした。


「失礼いたします。セラフィナ様をお連れいたしました」


 エマの先導でセラが応接間に入ると、ユリシーズと同じか少し上ぐらいの青年が二人がさっと立ち上がった。どちらも貴族がよく着ている夏用の上着を羽織っているが、しっかりと鍛えた体格をしていて身のこなしにも隙がない。軽く右手を胸にあてた綺麗な騎士の礼を取ると、好奇心に満ちた瞳がチラチラとセラを見た。けして嫌なものではなく、むしろ「この子があいつの?!」と言わんばかりの楽しそうな顔をしていた。


「まったく。君達は相変わらず落ち着きがないですね。こちらの二人は西方諸侯です。ユリシーズの士官学校時代の先輩にあたります」


「私はヴィルーズ公セルジュと申します、姫。貴女のことはユリシーズからお手紙で知らされておりました。この度はご婚約おめでとうございます」


「俺はジューリオ・メイユです。他にも何人か会合で会うと思いますけど、クレヴァ様の教え子は全員が姫のお味方ですよ。もう連携済みですから、援護は俺達にお任せください」


「ありがとうございます。私はセラフィナ・エイルです。実は姫と呼ばれることに慣れていないのですけれど、よろしくお願いいたしますね」


 セラがはにかみつつ軽く膝を折ってお辞儀をすると、二人も軽く笑って礼を返してくれた。セルジュと名乗った青年は温和そうな人柄で、優しげに垂れた薄灰色の瞳をしていた。ジューリオは大柄で、つんつんと立てた濃い茶色の髪と黒い瞳が何となく北方大陸の森にいる黒熊を思わせる。クレヴァに促されて全員がソファに腰を落ち着けると、再び扉がノックされて、トゥーリの声がした。


「クレヴァ殿、失礼するよ」


「あー! あんたは、あの時の!」


「おいジューリオ、指をさすな。失礼だろう」


「この人無茶苦茶強いんだ。ユリシーズを見たことない技でブッ飛ばして一撃で倒したんだぞ!」


「ああ……確か、ユーリと同じ隊にいた人だね。あれは精霊魔術だよ。改めて名乗らせてもらおうかな。僕は精霊騎士団のトゥーリ。よろしく」


「あの時は世話になった。最初は帝国軍の諜報員かと思ったけどな」


 トゥーリとジューリオ、セルジュががっちり握手を交わす。クレヴァの隣にちょこんと座ったセラは、斜向かいに腰かけたトゥーリに興味津々の顔で尋ねた。


「トゥーリ様が傭兵だったときの話? 一緒にお仕事したことがあるって言ってたけど」


「うん。団長に呼び戻されるまであちこちフラフラしてたからね。彼らの任務に何度かご一緒したんだよ」


「精霊騎士団を率いた遠征軍として来てくれたんですね。心強い助っ人が来てくれて本当に嬉しく思います」


「今度こそ絶対勝てるな。フェアバンクス公爵の軍に加わった精霊騎士が、一昨日あっさり亜生物の群れを撃退したって聞いたぞ」


「僕達が『壁』を壊したから精霊魔術が使えるようになったんだよ。そのうち西方大陸の人達も精霊の存在を感じられるようになるんじゃないかな」


「……帝国側が次の手を打ってくるのは確実です。確かに精霊騎士団の助力は大きいものですが、あまり彼らに頼り切るのはよくありません」


「確かにそうですね。今度の会合でユリシーズと顔を合わせるのを楽しみにしていたのですが、なぜグリマルディ侯爵は解放軍の主力を率いる有力諸侯のほとんどを外したのでしょうか。私は伏兵対策かと思っていたのですが」


「伏兵対策もあるでしょうが、ユリシーズに居てもらっては困るのでしょう。私に内々でセラ様と会わせて欲しい、と申し出があったのですよ。強硬派陣営に取り込みたい意図をひしひしと感じますね」


「俺達もそれとなく探りをいれてはいますが、諜報が手練れと見えて尻尾を見せません。今回の会合で外れたのはユリシーズを除けば強硬派ばかりですが、あちらも内側に潜む敵を洗い出したいのでは」


「それもあるでしょうね。解放戦争終結後を考えれば、内側から瓦解させる危険因子をいつまでも抱えていたくないでしょう。それに、彼の言う”最後の皇女を解放軍の象徴にすえて人心を得る”という試みは、私も有効だと思います。セラも父上の遺志を継いで、解放戦争にお力添え頂けるとのこと。私達は全力でお守りして、そのお志を貫けるよう助力しましょう」


「はい」


「勿論です。あの生意気な後輩が頭を下げて俺達を頼ってくれたことだし」


「あ、あの! ユリシーズは士官学校時代、どんな子だったんですか?」


「そうですね。一見すると人を寄せ付けない感じですが気さくだし、一度心を許せば懐の深い男で頼れる奴ですよ。ただ、敬語でもどこか偉そうで、全然先輩を敬った感じはしませんでしたね。入学当初から実力は指折りで一目置かれていましたから、良い意味で敵が多かったかと」


「一時期荒れたこともあったけど、もともと明るい奴だから友達は多いし、先輩や教官達からもかわいがられていましたよ」


「後輩のユリシーズに試験の山かけもしてもらって助かったでしょう。論旨の展開の仕方でどの教え子の回答なのか、私にはわかるんですよ」


「う、そ、それは」


「ふふっ、可愛がられていたのは確かみたいですね」


 セラは第三者から見たユリシーズの話を聞けて嬉しかった。あの本の書き込み具合を見ればどれだけ努力したのかわかる。きっとそんなところが認められ、こうして皆に好かれているのだ。ジューリオの「一時期荒れていた」というのが気になったが、今この場で他者に聞いていい話ではない気がしたので、素知らぬ顔で通した。


「さ、そろそろ行こうジューリオ。私達は先に行って姫の進む道の露払いだ」


「おう。それでは姫、クレヴァ様、俺達はこれで失礼します。道中お気をつけて!」


「ありがとうございます、セルジュ殿、ジューリオ殿。お二人もお気をつけて」


 立ち上がって略式の淑女の礼で二人を見送った。彼らはセラの姿に一瞬目を瞠ると、踵をきちんと合わせ右手を胸に置く正式な礼を返した。慌ただしくやってきて、忙しなく去っていく彼らに何のもてなしもしていないことに気づいたが、急いでいる彼らを引き留めるわけにもいかない。手持無沙汰に扉を眺めるセラに、クレヴァが苦笑して立ち上がった。


「急にこちらに寄りたい、というから驚きましたよ。おおかた、他の諸侯達からユリシーズの婚約者を見て来いと言われて来たんでしょうね。まったく仕方ない弟子達です」


「お手紙をもらったって言ってましたね。ユーリ、忙しいのにそんなことまで……」


「信頼できる仲間に予め知らせを出して、セラを守ってもらえるように手を回したのでしょう。グリマルディ侯爵の意図は大体読めていますからご安心を」


「はい。私もしっかり自分の役目を考えて動きます」


「結構。それではお部屋で夕食まで寛いでいてください。朝からずっと馬車で疲れたでしょう」


「はい、クレヴァ様。お心遣いありがとうございます。では失礼いたしますね」



 その夜。夕食を終え、軽く湯あみをしてからセラは寝台に腰かけてユリシーズへの手紙を書いていた。といっても、一文便箋をさらに半分にした一言便箋に「無事到着。明日はリノートです」と、ちまちました字で書きつけた。明日の朝、出発前にレーレを呼んで託すことにして、小さく折りたたむと傍机に置いた。遠征地はトラウゼンの領地の端。複数の諸侯領にまたがる領境だ。薬指の指輪に軽く口づけて、彼の無事を祈りながら瞳を閉じた。




「おはようございます、皆さん。今日も一日、大いに頑張りましょう」


「おはようございます、セラちゃん。レーレがお手紙を持って来てくれましたよ」


 準備を整えたセラが外へ出ると、ちょうど黒き有翼獅子の騎士団(グライフ・オルデン)の全員が揃ったところだった。アキムの肩に止まっていたレーレが、ぴょんぴょんと器用に腕を伝って移動する。その様子に笑いながらセラはレーレからユリシーズの手紙を受け取った。広げると「これから俺も出発する。気を付けて行け」と、ごくごく短い言葉が綴られていた。


「ユーリらしいわ。私も似たようなことを書いたけど」


 ドレスの隠しに入れておいた小さな手紙を取り出すと、そっと口づけてから金属の筒にしまった。くるんとした金色の瞳をじっと見て「頼むわね、レーレ」と声をかける。アキムが吹き鳴らした鋭い指笛にはっとしたような顔つきになり、翼を広げて急上昇していった。その様子に満足そうに頷いて、セラは周りにいる黒騎士達を見回した。


「レーレも出発したことだし、私達も参りましょ!」


 セラの明るい声に全員が声を揃えて応え、一斉に騎乗する。規律正しく足並みのそろうこの感じは悪くないなと思いながら、セラも車中の人となった。そうして何事もなく馬車の旅が二日過ぎ、ようやくリンディアに到着した。

 馬車の窓からこっそり外を見ると、色々な旗を掲げた騎士団の姿が見えた。『竪琴を持つ乙女』の旗も見える。今度の会合の中心になるのはフィア・シリス王国だ。優しい女王陛下に再会できることが、この会合での唯一の楽しみだった。


「すごい人ね。会合には三十人の諸侯が集まるって聞いたけど。それぞれが騎士団や兵団を率いているからかしら」


「三分の一がグリマルディ侯爵の率いる強硬派で、あとが中立と新諸侯派だそうです。アキムさんからそう聞きました」


 ハンナが珍しく真面目に答えた。セラも頷いて頭の中の勢力図を引っ張り出す。強硬派は元皇太子派だった有力貴族達。今の帝国をとにかく倒したい、そして自分達が西方大陸統治の中心になりたいと考えている一派だ。


「確かクレヴァ様と女王陛下は中立なのよね。軍主だからどちらにもつけないってクレヴァ様が言ってた。新諸侯派はユーリ達、若い諸侯なんでしょ?」


「はい。クレヴァ様の教え子と、そのお考えに共感した若い諸侯だから、きっとセラ様の味方になってくれると思いますよ」


「だといいんだけど。今日から頑張らなくっちゃね」


 エマの励ましにぐっと拳を握りしめると、セラは気合十分の顔で侍女達を見た。彼女達も気合の入った顔で「はい!」と頷く。これからが正念場だ。皆にセラの考えを伝えて、理解してもらわなければならない。会合が始まるまで、セラにはやるべき課題がまだたくさん残っていた。


 セラが割り当てられた寝所は華麗な離宮から少し離れた瀟洒な建物だった。珪藻の白壁と森に溶け込むような緑色の屋根、さらさらと音を立てる噴水が美しい。黒き有翼獅子の騎士団(グライフ・オルデン)も警護のために同じ建物に詰めてくれるので心強かった。アキムの率いる警邏隊がいつもそばにいてくれたが、リオンの率いる遊撃隊は周辺の偵察に出ているとかで姿が見えない、それが少し気がかりだった。


「これから女王陛下にご挨拶して、そのあとはユーリと仲がいい西方諸侯達と顔合わせ。午後はマダム・アドリーヌとお作法のおさらいね」


「お召替えをして、御髪も整えましょう。女王陛下の前にしおしおになったセラ様を出すわけにいきません。ハンナ、ドレスの用意をお願い」


「はい! エマさん!」


 小一時間後。セラは丁寧に梳られた髪を耳の横から後ろへ緩く結い上げ、鎖骨が綺麗に見える広めの胸元と、華奢な手首が美しく見える七分袖。緻密に編み込まれたレースを使ったドレスは、セラの瑞々しい美しさを引き立てていた。


「マダム・アドリーヌの審美眼ってすごいのね。私がお姫様みたい」


「いえ、お姫様ですよ、セラ様」


「たまにセラ様ってずれたこと言いますよね」


「いいから、ハンナ。私達も行くわよ」


 エマはお仕着せの裾をまくりあげると、すらりと引き締まった太ももに細い剣帯を巻き始めた。離宮の中で侍女が帯剣するわけにいかないので細い短剣を仕込むのだろう。セラは思わず声を上げた。


「エマ、しまってしまって! その見事な太ももは見せびらかしていいものではないわ。女の私でもどきっとしちゃう」


「セラ様……」


「セラ様って、ちょっとずれてるとか言われませんか」



 セラはエマとハンナを従え、離宮の中をできるだけお淑やかに進んだ。しゃんと背中を伸ばし、扇を両手で持って優雅に歩く様はちゃんとお姫様に見えているだろうか。そんな心配を顔に出さないように真っ直ぐ前を見て歩く。


「緊張するわ。さっきからすれ違う諸侯っぽい人と目が合うんだけど」


「私達の後ろにアキムさん達が控えていますから、何も心配はいりませんよ」


「あ、それで。皆どうして道を開けてくれるんだろうって思ってた」


「西方最強は伊達じゃないんですよ、セラ様。一糸乱れぬ統率された騎兵隊って本当に脅威なんですから」


 満面の笑みを浮かべるハンナにセラもつられて笑顔になった。


「ユーリのすごさを本人が知らないところで知るなんて……後でいっぱい”すごい! 素敵!”って伝えなくっちゃ」


 両開きの扉に到着すると、濃紺の軍服を纏ったフィア・シリスの騎士がにこやかに会釈をしてセラの来訪を告げた。


「陛下、セラフィナ様がお越しになりました」


「お通しして」


 穏やかな声の応えがあって、セラは開かれた扉の前で優雅に腰を折ってお辞儀をした。


「お久しゅうございます、女王陛下」


「まああ、本当に御久し振りですね、セラフィナ様。お元気そうでよかったわ! さ、どうぞ中へ。今お茶を用意しましょうね」


「ありがとうございます」


「素敵なドレスをお召になっているわね。本当にもう、何てかわいらしいのでしょう! お人形さんのようだわ。ユリシーズはお元気? 彼の就任式の時に、今のセラフィナ様が横にいたらそれはそれは絵になったでしょうに。残念だわ」


「陛下、どうぞセラとお呼びくださいませ。呼ばれ慣れていないから、誰のことかと思ってしまいます」


「ほほほ、謙虚だこと。今回の会合の趣旨をお茶を飲みながらお話ししましょう。次の戦いで長きに渡った解放戦争を終わらせるために諸侯達に蜂起を促します」


「その演説の場で、私も一人の同志として、共に戦うとお伝えするつもりです。象徴にはなれないけれど、ずっと西方大陸解放のために戦ってきた英雄達に敬意を表しますと」


「素晴らしいわ。私もクレヴァも、あなたをこの戦いの象徴にしたくありません。もちろんユリシーズもね。あの子が一番心配していたことは、あなたがこの戦いに巻き込まれることでしたから」


「ユリシーズは、戦いが終わったあとのことも考えていました。西方平定に貢献した姫君を、どこの諸侯も欲しがるって」


「本当に……聡すぎるのも考えものね。あなたの伴侶は若き黒獅子公のみだと、私が認めましょう。こんなおばあちゃんでも、西方ではそれなりに発言力があるのですよ。小国とはいえフィア・シリス王国はゆうに五百年は続く歴史ある国ですからね」


「陛下……ありがとうございます。とても嬉しいです。お話は変わりますが、セブラン様は無事にお戻りにならたでしょうか?」


「再会が嬉しくて忘れていたわ! あなたにもユリシーズにも迷惑をかけたわね。よほど嬉しかったのか、あなた達に良くしてもらったとずっと言っていましたよ。本当にありがとう」


「いえ、私は大したことは……」


「……先日ね、あの子が王太子に内定されたの。つまり父親である私の息子を廃嫡して、次の王になるということね。まだ七歳なのにそんな重荷を背負わされては、それは逃げたくもなるわ。音楽が好きな優しい子だから」


「たった二日しかご一緒しませんでしたけれど、本当に優しいお方なのだなと思いました。人見知りをする子に優しくお声をかけてくださって、楽しい音楽や歌をいくつも披露してくださって。セブラン様はきっと素晴らしい王様になられると、私は思います!」


「……ありがとう、セラ。是非一度、ユリシーズと一緒に我が国にいらっしゃいな。あなたのお父様の生まれ故郷でもあるのですから。セブランも大歓迎すると言っていましたよ」


「はい、ぜひ!」


 優しい老婦人の笑顔に、セラも久しぶりに心からの笑みを浮かべた。



 翌日。セラは朝からダンスのレッスンで扱かれていた。会合が終わった後の晩餐会に備えて、だ。マダム・アドリーヌは大変厳しい教師で、ちょっとでもステップを間違えると最初からだった。騎士服のみの軽装になったアキムを相手に、休みを取りながらかれこれ三時間は踊り続けている。


「セラちゃん、最初は右、を意識しすぎです。出だしは音楽で覚えたほうが早いですよ。もうこれ言うの六回目ぐらいですけど」


「正確には八回よ。アキムみたいに音で身体が動けば苦労しないのに……」


「回数をこなすごとに良くなっていますよ。俺の足を踏まなくなってきたし」


「踏まれる前に全部避けてるじゃない」


「身体が勝手に動くんです」


 ようやく間違わずにステップを踏めるようになったセラを眺めながら、マダム・アドリーヌは腕を組んだ姿勢であらさがしを続けていた。そばに控えるエマとハンナはのんびりおしゃべりをしながら、主君と側役の練習風景を眺めていた。均整のとれた長身と役者が涙目になりそうな異国情緒あふれる美丈夫ぶり。この一週間で磨かれたセラもけして負けてはいない。笑うと大輪の日輪花のようだし、身のこなしも優雅で嫋やかな感じが庇護欲を掻きたてる。


「それにしても素敵ですよね……異国風の騎士と姫君って感じが」


 ハンナは絵物語のような光景にほう、とため息をついた。エマも然りと頷く。


「そうね。でもやっぱりセラ様の隣はユーリ様じゃないと。アキムさんはアキムさんで素敵だけど」


「そうだよねー。やっぱりセラちゃんとユーリ様、二人そろってなんぼだよねー」


 二人の後ろからゆるい声がして、肩越しに振り返ると開け放った扉からリオンがひょっこり姿を現わした。


「あ、リオンさん! 昨日からずっといなかったけど、何処行ってたんですか? セラ様も気にされていたんですよ」


「もちろんお仕事しによ、ハンナちゃん。俺は場内警備担当としてだね。会場中を見て回っていたのだよ」


 ちょうど曲が終わった頃。パンパンと手が打ち鳴らされて、蓄音器がマダム・アドリーヌの手によって止められた。


「午前中はこのぐらいにしておきましょうか。午後はクレヴァ様の講義があるものね」


「ありがとうございました、先生。アキムもありがとう。忙しいのにごめんね」


「いいえ。お気になさらず」


「少し早いけど昼食にしましょうか。テーブルマナーを間違えたら、そこで食事終了ですからね」


「イヤ! そんなのイヤよ。ごはんはちゃんと食べさせて、マダム・アドリーヌ。お願いだから」


 そんな感じで、朝から晩まで扱かれっぱなしだった。会合早く始まらないかな、などとセラは心の中で心底思った。この無限レッスン地獄から解放されるのはそれしかない。従者達に囲まれながら、フォークとナイフの使い方を今一度頭のなかでおさらいする。普段意識せずに使っているクセがあるのか「ハイ間違えた! お食事終了!」と、ここ一週間で二回ほど昼食を取り上げられた。終了と言ったら本当に食事がそこで強制終了されるので油断できない。マダム・アドリーヌとの授業はある意味セラの戦いだった。

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