20. 祈りと叫び
そして迎えた会合当日。セラは朝からソワソワしっぱなしだった。何度もバルコニーを出たり入ったりしてレーレが来るのを待ったが、小さな影はいつまでたっても現れない。時間になって仕方なくリオンとアキムに連れられて会合の議場へとやってきた。
離宮の中にある大広間には幾つかの円卓が設けられ、西方諸侯達がすでに着席していた。特に席順は決まっておらず、自然と強硬派と中立、新諸侯派に分かれているようだ。
セラは女王陛下に絶賛された真珠色のドレスを身に着け、髪はあえて下ろしてこめかみあたりから細く編み込み、後ろで結い上げた。冠がわりにさした簪には深い海のような蒼い貴石がはめ込まれている。愛する人の色をまとうのは、すでに心はその愛する人のものということ。セラなりの周りへのアピールだ。首元にはあえて父の形見の、細かい透かし彫りの金の首飾りをつけた。
噂のジュスト皇子の娘が姿を現したことに気付いた者達の視線を一斉に浴び、セラは脚が少し震えた。こんな注目を浴びるのは二度目だったが慣れそうにない。こっそりとレースの手袋越しに汗を握った。自分をここまで連れて来てくれた人達に情けない姿は晒せないと気合を入れなおして、毅然と顔を上げクレヴァとコンスタンス女王陛下がいる円卓へ静々と近づいていった。厳めしい顔をした諸侯達と目が合ったが、優雅に、穏やかに、を心掛けつつ微笑んだ。
「陛下、クレヴァ様。ご機嫌麗しゅう」
「おはようセラ。よく眠れたかしら?」
「上出来ですよ。ご覧なさい、強硬派が完全に毒気が抜けた顔をしていますよ」
どれどれと振り返ると、上座にいた五十代ぐらいの紳士と、彼に付き従う若い青年がこちらに歩み寄ってくる姿が見えた。居並ぶ騎士達が一斉に道を開け、略式の礼を取っている。明らかに重鎮とみえる人物だ。セラは手の中の扇をぎゅっと握りしめた。少し離れて警護していたリオンとアキムがさりげなく傍に立つ。
「クレヴァ殿。こちらのお嬢さんが例の?」
「グリマルディ侯爵……! わざわざ足を運ばれなくても伺いましたのに」
「いや。臣下として当然のことだ。お初に御目にかかります。私はブルクハルト・グリマルディ。ウィグリド帝国では第二宰相を務めました。ですが、今はしがない一領主。お見知りおき頂ければ幸いです」
「は、初めまして、グリマルディ侯爵様。私はセラフィナ・エイルと申します」
「噂はいろいろ聞き及んでおります。もうすでに心に決めた方がいるとか。その指輪を贈った贅沢者に一言お伝えしたいものですな。抜け駆けはなしですぞ、と。私の甥にも名乗りを上げる機会を頂きたかったものです。リュシアン」
「はい」
「これは甥のリュシアン。年は二十三になったところで、姫と年も合うから是非、婿の候補にと思っていたのですよ。いやはや出遅れたな」
「リュシアン・グリマルディと申します。今は伯父のもとで騎士として仕えております」
良く鍛えられた長身に、金茶の髪と緑がかった黒い瞳。穏やかな眼差しは誠実そうで親しみやすかった。じっとこちらを見据える瞳に見透かされそうな気がして、少しだけ恐れのようなものを感じた。スッとリオンが間に入ってくれたので、そっと息を吐いた。
「申し訳ない、リュシアン殿。主君より姫には身内以外を近づけるなとの厳命を受けております故、ご容赦頂きたく存じます」
リオンの低すぎない落ち着いた声音は、柔らかいが有無を言わせぬ響きを持っていた。セラ達のいる円卓から少し離れた壁際には黒騎士達がずらりと並び、油断なくこちらを見張っている。リュシアンはその様子に苦笑すると、セラから一歩離れた。
「これはこれは。まだ正式にお披露目したわけではありますまい。私以外の者達も姫の伴侶に名乗りを上げようと必死ですよ。皆、諦めてはいませんからね」
「まぁ、光栄なことですわ。だけど私はユリシーズ様のものなのです」
「彼のものとは、それはどういう……?」
「言葉通りの意味ですけれど。じきお披露目かと思うと、幸せすぎてわたくし怖くなってしまいます」
場の空気を無視したセラの能天気な発言に、諸侯達は一瞬だけ目を瞠る。面と向かって振られたリュシアンは苦笑して「私は諦めが悪いので、出直して参ります」と答え、伯父に目くばせをすると揃って暇乞いをして自席へ戻って行った。
「セラちゃん、今の発言、絶対みんな誤解したよ。ユーリ様が今この場にいたら、鼻血を垂らして怒るよ」
「……ま、まあ、強力な牽制をセラちゃん本人がしてくれたから、変な茶々はもう入らないんじゃありませんか」
「何で鼻血……? え、待って。私、誰が来ても私はユーリのもの、って意味で言ったんだけど。違う風に聞こえちゃった?」
「たぶんね。私の心は、って言えばよかったのに……」
「もう面倒くさいから、そういうことにしておきましょう。ご自分で言っていただけたほうが、私の手間が減りますし」
クレヴァは腕を組み、遠い目をしながらそんなことをのたまった。コンスタンスは面白い舞台を見たように、大喜びで小さく手を叩いて笑っている。
「そうですね。じゃ、セラちゃん。今後もそんな感じで、空気読まないでいってみよっか」
セラは自分で「すでに寝所を共にする関係です」と言ったも同然と知り、床を穿り回したい衝動にかられた。今すぐ埋まりたい。そしてそっとしておいて欲しい。後でユリシーズにどう申し開きをしたらいいのやら。セラが身もだえしているうちに、壇上に進行役のフィア・シリス王国宰相が登壇した。いよいよ会合の始まりだ。
ここ最近の遠征の結果や、各地方における戦果が発表され、各諸侯達の発言が続く。何事もなく会合は進行して、軍主であるクレヴァの来るべき最終決戦への口上が始まった。西方大陸にいる有力諸侯のほとんどが揃っている場に、ユリシーズがいない。それが不自然で落ち着かない。きっと新諸侯派の面々も同じことを思っているに違いなかった。
「西方諸侯連合は二十年以上もの間、ウィグリド帝国と戦い続けてきました。近年、失われた大陸からもたらされた錬金術で、得体の知れない亜生物に蹂躙されてきましたが、長きに渡る諸侯達の遠征で数が激減し、帝都への道が再び開かれました。今こそが勝機。全軍を上げて帝都ウィグリドへ攻めのぼるべきです。我々が生き残るための戦いを、終わらせる時が来たのです」
いつもは穏やかな声が、熱のこもった力強さをもっている。その言葉は胸に打ち込まれるようだった。本来であれば中央大貴族と呼ばれる有力貴族で、帝国軍正軍師を務めた人だ。弁が立ち、人々を引き込む情熱があるのも当たり前。セラは尊敬できる親しい師、もしくは優しい親戚のおじさんのように思って慕っていたが、実はとんでもない人だったのだと、改めて知った。
「亡き我が盟友、ジュスト殿の忘れ形見が今ここにいらっしゃいます。この戦いの見届け人として、一同志として。かの佳人の宣誓でこの場を締めさせていただきたく存じます」
いよいよ勝負の時が来た。壇上にいるクレヴァの目配せでセラは円卓を立ち、ゆっくりと壇上へと向かう。オルガが教えてくれた上がらないおまじない「座っているのはお芋、ニンジン」を心の中で繰り返した。何度も何度も練習してきた、諸侯達へ伝えたい言葉を一つ一つ思い出しながら壇上へ立った。すぐ隣にクレヴァがいてくれるのが心強い。
「初めまして、諸侯の方々。わたくしの名は、セラフィナ・エイル。これまで表舞台に出てこなかったことを訝しがる方もいらっしゃることと存じます。亡き父ジュスト・ウィグリドは、わたくしを身篭った母を落ち延びさせてくれましたので、遠く離れた北方大陸で生まれ育ちました。わたくしの生まれる前に父は命を落としたと母から聞き、父の顔も声も知らずにずっと寂しさを感じておりましたが、こちらにおられるクレヴァ様や、父を知る皆様からの伝い聞きでようやく人となりを知ることができました。ですが、この西方大陸にはわたくしと同じように親の顔を知らない子どもや、二度と会えなくなってしまった子どもが大勢いることでしょう。そして大切な人を失ってしまった人も、きっと数えきれないくらいに。わたくしは西方大陸の人々の嘆きや悲しみの連鎖が、一日も早く終わることを願ってやみません」
そこまでを話し終えると、セラは大きく深呼吸しながら広間を見渡した。しんと静まり返っていて、針を落としたら音がしそうなほどだ。セルジュやジューリオといった、セラとあまり年の変わらない年若い諸侯達の視線が合った。彼らの顔は「頑張れ」と励ましてくれているように思えた。それに力を得て大きく息を吸い込んだ。
「ウィグリド帝国を倒すのは、これまで犠牲を払って戦い続けて来た、この場にいらっしゃる西方諸侯の方々です。ずっと頑張って来た解放軍の方々なのです。後世の世で語られるべき英雄は、戦ってきた皆様一人ひとりだと、わたくしは強く思います。それぞれが西方大陸解放に貢献してきた英雄で、家族や友人や、近しい誰かのための勇者なのです。亡き父の遺志を継ぎ、わたくしも解放軍の一人として何かお力添えができれば、と思います。勝利と平和を切に願います。皆様に、母なる精霊のご加護がありますように」
セラは議壇から下りると、ドレスの両端を持ち片足を斜め後ろの内側に引いて、もう片方の足の膝を軽く曲げ、背筋は伸ばしたまま深々とお辞儀をした。いつものドレスを持って膝を曲げる略式ではなく、宮廷で行う正式な型の『淑女の礼』だ。マダム・アドリーヌに合格点をもらうまで一生分はしたはずなので、完璧に決まったはず。敬意を体現することでセラの思いが伝わればいいと強く願った。
顔を上げて、隣にいるクレヴァを伺い見た。師は穏やかに微笑みながら小さく頷いて「よくできました」と小声で労ってくれた。目線で『前を』と言われて、改めて広間に顔を向けてセラは驚いた。全員が立ち上がり、右足を引き右手を体に添え、左手を横方向へ水平に差し出す正式礼を返してくれていた。伝わった嬉しさと感動、やり遂げたという思いがセラの涙腺を緩ませた。壇上から降りて円卓に戻る途中で拍手や温かな言葉をかけられる。強硬派の諸侯も拍手で迎えてくれた。若い諸侯達がセラを囲もうと円卓から離れたのを見て、リオンとアキムが慌てて駆け寄って来た。
「こら側役、邪魔するな」
「いーやするね! ユーリ様からアンタ達を近づけるなって言われてんの」
「教官、すっげぇ邪魔です。よし皆、リオン教官を取り押さえろ」
「セラフィナ姫、一人一人が英雄だって言葉、痺れました」
アキムのあきれ返った「本当に皆さんお変わりなく……」という失笑を聞きながら、セラはその広い背中に庇われながらフィア・シリス女王陛下のいる円卓へ戻ろうとした。
その時、離宮を爆音と振動が襲った。敵襲だった。
「きゃあ!」
揺れで足を取られて転びそうになったセラをアキムは素早く引き寄せると、パラパラと天井から降ってくる破片から守る様に脱いだ団服をセラに被せた。リオンは腰から抜き放ったククリを構えて周囲を素早く見回した。広間にいた諸侯達も冷静に部下達に命令を飛ばし、要人を広間から出すように素早く動き始めている。離れて控えていたエマとハンナも駆け寄って、セラを両側から挟むようにして支えた。
「離宮から出るよ。落ち合う場所は例のところで。アキム、セラちゃんを頼む。ドレスじゃ走れないから」
「了解。エマ、ハンナ、しっかりついてきてくださいね」
「はい!」
おなじみの獣の吠えるような声が聞こえ始め、きな臭い匂いが立ち込める。さっきの爆発で建物に火がついたのかもしれない。セラはアキムに抱えられたまま、恐ろしさに身がすくんだ。別の円卓にいたトゥーリとオルガも駆け寄って来た。二人とも顔色が悪くて、セラは嫌な予感に思わずアキムの騎士服の襟をぎゅっと握りしめた。
「やっぱりおいでなすったか……。それにしても何だ、この感じ。すごく不快だ。頭の中を鑢で擦られているみたいで」
「私は耳鳴りがひどいです。何なんでしょうこれ……。セラ大丈夫?」
「私は平気。二人ともどうしたの? 具合悪い? 顔が真っ青よ」
「さっきの爆発音を聞いてから、ちょっとね。この襲撃、何か変だ。敵が突入してくるわけでもないし」
「場がおかしいから精霊の声が聞き取れない……。とにかく離宮から出ましょう」
全員で表に繋がる裏階段へ向かう。先頭にいたリオンが扉を開けると、山羊に似た奇妙な生き物がそこにうずくまっていた。間髪入れずに扉を閉めることができたが、ドンドンと扉を叩くような音がし始めた。ねじくれたヤギの身体に幾つも生える角のようなもの。それが当たっているのだ。
「全然気配がしなかったぞ! 皆、そこの部屋へ! バルコニーから出よう」
「アキムさん、俺達別の部屋から先に下へ!」
「頼んだ!」
アキムの部下達が身を翻して別の部屋へ駆け込んでいったが、すぐにその部屋からも彼らの驚く声と剣戟の音が聞こえてくる。伏兵がいたようだ。離宮中の部屋にすでに潜んでいるのかもしれない。
「まずい。僕達にも気配が読めないってことは、待ち伏せにあうぞ」
「私達が前に。リオンさんは後ろを。お二人はアキムさんとセラ様をお願いします」
エマの落ち着いた声音に、全員が頷く。ハンナが扉に手をかけ、黒騎士の一人が抜刀したまま部屋に飛び込んだ。続けて入ったハンナ達数名がバルコニーに駆け寄って行き、セラを抱きかかえたアキム達も素早く中に入った。セラを降ろしたアキムとトゥーリが部屋の調度を扉の前に動かして、簡易な阻塞で少しでも敵の侵入を防ぐ。バルコニーにいたはずのハンナが悲鳴を上げながら室内へ毬のように投げこまれた。強く床に叩きつけられて崩れ落ちる。音もなく背の高い影が侵入してきて、倒れ込んだハンナののど元に剣を突きつけた。
「セラフィナをこちらに渡せ。そうすれば命だけは助けてやろう」
トゥーリの周りに風が渦巻く。守護精霊を使役する、印も『力ある言葉』も必要としない高等精霊魔術だ。それを認めた頭巾を目深に被った侵入者は、獅子のような雄叫びを上げた。思わずセラは耳をふさぐ。トゥーリとオルガがいきなり昏倒して、アキムががくりと膝をついた。この場に立っているのはセラとリオンだけになってしまった。三人の様子から考えるに、先ほどの雄叫びは精霊使いだけを動けなくする作用があるのかも知れない。だが、わかったところで後の祭りだった。
「妙な真似はするな。この女の首と胴体が離れたところが見たいのか。もう一度言う。セラフィナ姫を渡せ」
「うあぁ!」
侵入者は脅しの言葉を吐きながら、ハンナの足首をつかんであらぬ方へ曲げた。、固いものがひしゃげるような鈍い音がセラの耳に届いた。
「ハンナ!」
「誰がはいそーですか、って渡すかよ。その子から離れろ。あんたこそ命が惜しかったら、とっとと消えな。警告はしたぞ」
「それもそうだな」
リオンが「ぐっ」と呻いて、横腹を抑えながらセラから距離を取る。さっきまでリオンが立っていた場所に血がいくつも散っていた。セラがぎょっとしてリオンを見ると、わき腹に短刀が深々と突き刺さっていた。間髪入れずに斬りかかっていく黒騎士二人が一瞬で斬り伏せられる。斬られた二人は乱暴に蹴飛ばされて部屋の反対側へ転がっていった。その隙をついて、リオンは近くに転がっていた花瓶を思い切り窓に投げつけた。そして立ち上がれないハンナの襟首をつかむと割れた窓から外へ放り投げた。ククリを逆手に持ち替えて獅子の瞳の男を見据える。とっさに身体を捻って急所を躱したが、わき腹に刺さった短刀から伝う血は止まる様子はなく、熱く重たい痛みを与え続けた。
「くそ……」
「急所を狙ったつもりだったんだが、よく避けたな。さすが『深淵の猟犬』といったところか」
「動いちゃダメ! 血が、血がすごい出てるから、動かないでリオン!」
「いーから! 君を連れてかれたら、俺の生きてる意味がなくなるんだよ。エマ、セラちゃん連れてそこの窓から飛び降りろ。下に植込みがあるから」
「そうはいかない」
「キャア!」
一瞬で間合いを詰めて来た侵入者の当身を思い切りくらって、エマは物も言わずに壁に叩きつけられて動かなくなった。動きが目で追えなくて、セラには何が起きているのかまったくわからなかった。リオンも動きについていくのがやっとのようで、とんでもない早さで斬りかかってくる侵入者の長剣を、わき腹を抑えながら何とか捌いていた。アキムは何度も頭を振って意識をはっきりさせようとしているが、足に力が入らないようだ。ここにユリシーズがいてくれたら。セラは涙を必死でこらえながら、ぎゅうっと左手を握り込んだ。
「あなたがついてくると言うのなら、彼らの命までは取らない。このまま退こう」
リオンのわき腹に刺さる短剣に蹴りを食らわせ、足払いをかけて床に転ばすと侵入者はリオンの首筋に剣をつきつけた。首の皮が切れて鮮血が剣を染めていく。その様子を見てセラは震えが止まらなくなった。セラが拒否したらリオンは確実に殺される。そんなことになったらユリシーズがどんなに悲しむか。アキムは懐から暗器を取り出して侵入者に投げつけたが、あっさり受け止められて逆に投げ返された。くぐもった声に思わずそちらを振り向くと、アキムの胸あたりに深々と鍔のない短刀が突き刺さっていた。顔に赤い飛沫を散らしたアキムの苦悶の表情。こめかみから血を流してぐったりと動かないエマ。床に倒れて動かない、血まみれの黒騎士達。セラは恐怖に震える脚を叱咤して、金色の瞳をキッと見据えはっきりと言い切った。
「い、行きます……。だから、だから皆を殺さないで……お願い……」
「よせ! 行くんじゃない……!」
「ユーリ様のことを、考えてください、セラちゃん……!」
「結構。猟犬達よ。一つだけ約束しよう。セラフィナの身の安全は保障する」
「誰が、信じるか……! クソ、離せ!!」
襟首を掴まれて、リオンはバルコニーから地上へと投げ飛ばされた。セラの視界から、駒落としのように小柄な黒い騎士服姿が消えていく。窓の下に植込みがある、と言っていたが、バルコニーの下はどうなのだろう。もともと飛び降りる予定だったのだから、きっと落ちても大丈夫なはず。でも首からもわき腹からも大量に出血していた。命だけは助かる様に祈るしかなかった。
「一緒に行くっていったじゃない! もうやめて! ひどいことしないで!」
「暴れるな。手荒なことはしたくない」
「うっ!」
首に当てられた手刀の一撃で、セラはあっけなく意識を手放した。吐き気をもよおす金臭い匂い、建物が焼け落ちる音。皆の苦悶の声。それらが一瞬で断ち切られる。自分の判断は間違っていたのだろうか? とぷん、と真っ暗な泥の中に落ちていく中で、それだけを思った。
「約束だから、とどめは刺さん。狂犬と違って急所を避けきれなかったようだな」
「……」
「お前の主に伝えろ。取り返しに来たければ来るがいい。父親の後を追わせてやろう」
「貴様が……!」
剣の鞘で側頭部を打たれて、アキムは気を失った。侵入者は腕の付け根当たりに深々と刺さった短刀を抜くと、アキムの服を裂いて止血帯を作ってきつく締めあげた。さっと室内を見回し、手当てが要りそうな者がいないかを確かめる。斬り伏せた二人の黒騎士。壁に叩きつけられて動けない侍女。『叫び』で昏倒した精霊騎士達。それなりに痛めつけたが、このまま放置しても死にはしないはずだ。独断専行で仲間を招集して襲撃したから、早く撤退しなければならない。再び『撤退』の叫びをあげると、セラを横抱きに抱えなおした。まるで、大切な宝物を抱くように。




