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乙女は獅子に恋をする  作者: 龍田環
西方大陸編
40/111

15. 守護の契約

 セラは机に置きっぱなしの書類を持つと、ひっくり返っている椅子を起こしてアキムに肩を貸すユリシーズの通り道を作った。先ほど部屋を出たはずのアルノーが少し息を弾ませて戻ってきて、ぐったりと主君の肩に身を預けるアキムに驚いたように立ちすくんだ。


「ユーリ、リオンさんがトゥーリ達を迎えに行ってくるって飛び出してったよ。アキムさんを頼む、だって」


「だと思った。アルノー、手を貸してくれ」


「宿舎まで?」


「うん。行こう、セラ。すぐそこの建物が宿舎だから」


 セラはアルノーを通してから、さらに場所を開けた。ぐいぐいと椅子を押して、三人が通れる幅を作る。誰かが落とした文鎮を足でえいっと部屋の隅へと蹴り飛ばした。


「落し物がいっぱいよ。足元に気を付けて。アキム、大丈夫?」


「はい、何とか……。申し訳ありません、ユーリ様」


 領館の裏手から出ると、厩舎から馬を引いてくる騎士達や事務方が慌ただしく駆けていく姿が見えた。全員がユリシーズの命令を忠実に実行しようと動いている。セラは誰かに呼ばれた気がして、顔を上げた。青い空には何も見えない。どうして空を見上げたのか、セラにはよくわからなかった。


「どうした、セラ?」


「何かいるの?」


 ユリシーズとアルノーは足を止めて、セラが見上げている空を眺めた。アキムが目を瞑ったまま、耳を澄ませる。


「誰か、セラちゃんを呼んでませんか……」


「うん、私も呼ばれた気がしたの」


「聞こえる?」


「いや、なんにも」


 切れ上がり気味の瞳を鋭く眇めて周囲の様子を伺いながら、ユリシーズはアルノーに問うた。同じように耳を澄ませていたアルノーは小さく首を振る。少し離れた場所から聞こえてくる、領館にいた者達のざわめきしか聞こえない。二人に肩を借りたアキムが一瞬ふらついたのを見て、セラは慌てて歩き出した。


「ご、ごめんね、ぼんやりして。アキムを休ませなきゃね」


「北方大陸でなった『霊力切れ』ってやつか?」


「いえ……あの時とは、また違う感じです。身体の中で何かが渦巻くような……」


「だ、大丈夫なの? 具合おかしくなったら言ってよね」


 アルノーが心配そうな声をあげ、ユリシーズは黙り込んだ。セラは何も言わなくなってしまった横顔をじっと見た。何かを考え込んでいる様子で、声が掛けづらい。セラには何の力もないかも知れないが傍にいることはできる。一緒に戦いたいと伝えたことを忘れてしまったのだろうか。ともすれば重たくなってしまう足を叱咤して、セラは前へ前へと動かした。



 アキムの居室は領館のすぐそばにある、正騎士宿舎の一室だった。セラはアキムから借りた鍵を使って扉を開けると、先に入って扉を抑えアキムを抱えたユリシーズ達を通した。二人は部屋の奥にある寝室にアキムを運ぼうとしたが「そのソファで構いません」という呟きに応えて、渋い青のソファに横たわらせた。その怠そうな様子に三人は顔を見合わせて、ため息をつく。ユリシーズはセラが持っていた書類をするりと抜き取ると丸めて持った。


「それじゃ俺も巡回に出るよ。何かあったらレーレを飛ばして」


「わかった。気を付けて」


 アルノーが心配そうな顔をしたままバタバタと出て行ってしまうと、セラはチラリとユリシーズの様子を伺った。やはり心ここにあらず、という感じがする。ユリシーズはアキムの寝室から掛け布を持ってくると、寝ているアキムにばさりと掛けた。


「俺、領館に戻るよ。あとで誰か寄越すから寝ててくれ」


「……少し休めば良くなるから大丈夫、です」


「私、残ろうか?」


「とんでもない。ユーリ様と一緒にいてください。今の俺は使いものになりませんから……」


 セラがいるとかえって気を使ってしまうのかも知れない。こくりと頷いてから、掛け布を綺麗にかけ直して立ち上がった。くい、と手を引かれてアキムの居室から出ると、ユリシーズはそのまま『森の館』へと歩き出した。


「じいちゃんの所に戻ってろ。俺はこれから領館につめなきゃいけないから」


「わかった……。ね、ユーリ。何か心配事? 大丈夫?」


「さっきの地震、ちょっと変だなって思ったから。あれだけ大きい縦揺れなら、次に来る横揺れも大きいはずなんだ。いつもの地震と違ってた」


「そうなんだ……」


「セラはアキムが守護精霊と契約した、って言ってたな。あの目の色のせいか?」


「そうよ。守護精霊が守護につくと瞳が紫色になるんだって。それを『守護の契約』っていうらしいの。精霊が気に入って勝手に守護しちゃうのに契約っていうのも変だけど」


「前にオルガが、アキムに術がかけられてるって言ってたよな。今まで守護精霊がすぐそばにいたのに、その『守護の契約』ってのができなかったのはそのせいか」


「たぶん。誰かが術でわざと守護できなくしたんだと思う。理由はわからないけど」


「地震のあと、アキムの目の色が変わった。ってことは、だ。トゥーリの言ってた閉じられた空間ってのが崩れて、精霊の干渉が術で抑えられなくなったのかもな。セラ達が来てくれてよかったよ。何も知らない俺達だけじゃ対処できなかった」


「そう言ってもらえると私達も嬉しい。オルガ達、早く帰ってこないかな……」


「だな。そういや精霊って、動物だったり人の姿だったりするよな。あれ、何で?」


「精霊が持っている霊力の差なんだって。力が強いほど大きくて強い動物になれるけど、人の形になれるのは守護精霊だけだって聞いたことがあるの。一度だけユーリも見たでしょ?」


「北方大陸で見た女か。すぐ消えちゃったけど」


「それとね、守護精霊は守護できるようになると喜んで姿を現すのよ。それなのに出てこないのが気になってるの」


「トゥーリ達が向かった西方大陸の精霊殿はここから約一日。うまくすればリオンが連れて戻ってくる。それまでは様子見だな……」


「そうね。私もエマ達と一緒に様子を」


「ダメだ。館から出るな。アキムのことなら俺が何とかするから、今はじいちゃんばあちゃんについててやって。ああ見えて心配性だから」


「わ、わかった……」


 有無を言わさない声音にセラは思わず頷いた。やっぱりさっきから様子が違う気がして足を止めた。何? と言わんばかりの表情でユリシーズも足を止める。大きな手をぎゅっと握って、凪いだ蒼い瞳を正面から真っ直ぐに見据えた。


「ユーリ、何か気になってることがあるんじゃないの? 私、何にもできないかもだけど、話したら少し楽になったりしない?」


「気持ちだけありがたくもらっとく。セラは自分のやるべきことをやれよ。会合までそんなに時間がないだろ」


「でも」


「……悪い。俺も頭の中の整理がついていないんだ。話せる時は話すよ。エマ! セラを頼む」


『森の館』から走ってくる黒髪の侍女の姿を見とめて、ユリシーズはそっとセラの手を離した。少し潤んだ翡翠の瞳としょんぼりと俯く様子に胸が痛んだが「自分のやるべきこと」のために目を瞑った。


「あとでアキムの様子を見てやってくれ」


「かしこまりました。さ、セラ様」


「……うん。それじゃ戻るね」


 セラの頭に大きな手を乗せて、まるで小さな子にするようにくしゃりと撫でると、そのまま踵を返して足早に領館へと戻っていく。真っ直ぐ伸びたユリシーズの背中を見送って、仕方なく館へと足を運んだ。『森の館』は数人の侍女たちが、倒れてしまった部屋飾りやずれた額を直したりと、せわしく動き回っている。


「セラ様? どうかなさいました? 元気がないようですけれど」


「何でもないわ。それより皆が無事でよかった。驚いたわよね、さっきの地震」


「はい。お館様も奥方様も、館の者も全員無事です。火を使っている時間じゃなくて本当によかったですわ」


「本当ね。火事になっちゃうもの」


「セラ、戻ったか」


「おじい様」


「すまんがエステルについてやってくれるか。わしはちょっと出てくる」


 薄手の上着を羽織り、手に長剣を携えた老武人が姿を現すとセラは目を丸くした。たった今、大きな地震があったばかりなのにどこへ行くのだろう。


「ど、どちらへ?」


「ん? ちょっとな。小一時間で戻る」


 飄々とした顔でそう言い置くと、テオドールは老人とは思えない身軽な足取りで出かけて行った。隣に立つエマもあっけにとられた顔で、閉じていく扉を見ている。セラはエマにニコッと笑いかけて、先に立って歩き出した。


「さ、おばあ様のご機嫌伺いに参りましょ! 気がまぎれるように、秋の感謝祭でつける飾り帯の刺繍の柄でも考える?」


「いいですね!」


 義理の祖父がどこに出かけたのか気にはなったが、ひとまず地震で不安がっているであろう義理の祖母を慰めるため、セラはエマと一緒に一階奥の居間に行くことにした。


「おばあ様」


「セラ、大丈夫? 怪我はない?」


「はい。どこも何ともありません」


 セラは床に屈むと、皺の浮いた繊細そうな手を優しく摩った。先々代デイムだけあって、落ち着き払っている。エステルは優しい笑みを浮かべて自分の横をポンと叩いた。


「よかった。さ、そんなところに座らずに、ここにおいでなさいな」


「はい」


「お茶をお持ちいたしますね」


「お願いね」


 どっしりと構えた姿は見る者達を落ち着かせる。いつかセラもこの老婦人のようになりたいと思った。夫を信じて何も言わずに見送る強さが欲しかった。手渡されたお茶のカップをのぞき込むと、不安そうな顔の女の子がじっと見上げている。ふわりと甘い香りがして、セラの好きな干し果物入りの焼き菓子が丸卓の上に置かれた。顔を上げるとティアナが優しく微笑んで佇んでいた。


「さ、お召し上がりになってくださいませ、セラ様。夫がユーリ様の婚約者へこちらをどうぞ、と。足止め中で来られないので今朝届きましたの。南方で仕入れた珍しいお菓子ですのよ?」


「南方の?」


「ええ。干したナツメを飴とからめて中に詰めた焼き菓子ですわ。お口に合えばいいのですけれど」


 ティアナのさりげない気遣いに、セラは「ありがとう、ティアナ」と礼を言ってから早速手をつけた。横にいるエステルもニコニコとそれを見守っている。本当にこの屋敷の人達は暖かくて優しい。セラを案じてくれる気持ちが伝わってきて、知らず入っていた肩の力が抜けていった。



 その夜。セラは与えられた自室から見える領館を眺めていた。あの後、エステルはマリーとティアナ以外の使用人をすべて帰して、領内の安全確認が終わるまで自宅待機を命じた。城下町に住む彼らは渋りながら戻っていったが、元騎士だった料理長と、エマとハンナは本人達の強い希望で残ってくれている。

 そして、二人とも本当に戦う侍女さんだった。エマは剣士なので細身の長剣と盾代わりの片刃の短刀を、ハンナは体術使いで拳を保護する手甲を手元に置いたまま、セラの部屋で先ほどまで警護に当たってくれていた。夜も更け、彼女たちにも休息が必要だからと無理を言って向かいにある客用の寝室へ押し込めた。


 窓から見える領館の二階。ユリシーズの執務室はまだ明かりがついたままだ。日付が変わってだいぶ経つのに消える気配はない。セラが夜着に着替えて寝る準備を整えても、まだあそこで自分の務めをはたしているのかと思うと、とても眠る気分にはなれなかった。


「ユーリ……」


「何だ?」


「ユーリ?!」


 ここにはいないはずの人の声が響いて、セラは驚いてバルコニーから下をのぞき込んだ。そこには脱いだ上着を肩にかけたユリシーズの姿があった。


「まだ寝てなかったのかよ。良い子は寝る時間だろ」


「お仕事、終わったの?」


「いや。気分転換中」


「もう。そこは私に会いに来たって言わなくっちゃ。乙女心のわからない人ね」


「うるせ。俺だけ仕事抜けて、恋人に会いに行くってのも奴らに悪いだろ」


「そういうもの? 男心って難しいわ。状況、ちょっとわかった?」


「とりあえず領内に大きな被害はなかったよ。いくつかの街道が土砂崩れで通れなくなってるけど。それと、リオンがトゥーリ達と合流できたって連絡が来た。明日の昼前にはこっちに着くってさ」


「よかった! よかったね、ユーリ」


 セラの部屋から漏れる明かりに照らされる顔は昼間と違って柔らかい。バルコニーから身を乗り出して、もっとその顔を見ようとしたのに、月が雲の中に隠れてしまったせいで影になってしまった。こちらへと枝を伸ばす木が、ふと目に入った。


「ねぇ、そこの木からこっちに来れないの?」


「あのな……俺に木を登れってのか」


「もちろん。恋物語にね、こうして人目を忍んで恋人に会いにくる場面があるの。素敵でしょ」


「セラは本の読みすぎだ」


 ユリシーズはバルコニーの近くに立っていた木の枝に軽く跳躍して掴むと、懸垂の要領で身体を持ち上げた。すらりとした長身があっという間に木の上に現れて、セラは面喰いつつも憎まれ口をきいた。


「来るの早すぎよ! 言ってほしいセリフがあったのに。そこは察してくれなきゃ」


「俺、セラのおふざけに付き合ってる暇ないんだけど」


 手で下がれ、と合図されて慌てて場所をあけた。とん、と軽い音を立てて着地すると、ユリシーズは一瞬だけ目を瞠ってセラから目をそらした。


「肩丸出しじゃねーか。何か羽織れよ」


「え、だって寒くないし」


 セラは袖のない夜着の肩を摩ったが、別段冷えた感じはしない。夏とはいえ、西方大陸はからりとしていて肌がべたつくこともない。冷涼で高原にいるような夏の北方大陸と違って過ごしやすかった。セラの仕草に自分の意図が伝わっていないと感じたユリシーズはため息をついた。


「年頃なんだから、もっと慎みをもて」


「嫁入り前の娘にお父さんが言う言葉みたいよ」


「良識ある婚約者からの申し出だよ。目の毒なんだよ、その格好。用があるなら早く言ってくれ」


「ごめん、用はないの」


「……」


 ピクリと形のいい眉が顰められて、セラは慌てて弁解した。目の前に立つ恋人はこう見えて結構繊細で、とりわけセラの言うことに対して喜怒哀楽がダダ漏れだ。今は怒と哀の間くらいだろうか。


「あ、ウソウソ。おやすみのキスをしてほしいな、なんて」


「ん」


 おいで、と広げられた腕に、セラは人懐こい小猫のように擦り寄った。日向くささと一緒に清涼感のある香りが鼻を掠めて、先日のことが思い出される。顔が真っ赤に染まっていくのが自分でもわかって、顔が見えないようにぎゅうっとしがみついた。


「昼間ごめんな。アキムがまた倒れて、俺も動転してた。明日になればトゥーリが戻るし、もう平気だ」


「いいの。私にできることがあるなら何でも言ってね」


「……傍にいてくれるだけでいいのに。もう遅いから早く寝ろよ?」


 頬に、額に、優しく唇が触れていく。涙が出そうになる愛しさで胸がきゅっと音を立てた。温もりが離れていく気配にセラはぱちりと瞳をあけて、間近にある蒼い瞳を真っ直ぐ見つめた。


「こ、これだけ?」


「おやすみのキスは頬と額だろうが」


「そうだけど、そうなんだけど」


「何? 俺は察しが悪いらしいから言ってくれないと」


「さっきのこと根に持ってるわね。いつもみたいに、そのぅ」


「いつも? いつもって何だよ」


「く、唇にはしてくれないの」


 思い切ってそう言うと蒼い瞳が艶っぽく笑った。頬に手がかかり、秀麗な顔が近づく。瞳を伏せてふわりと落ちてくる口づけを受けた。そっと触れたシャツ越しの胸は、悔しいぐらいに落ち着いた音が響いている。セラは自分だけがドキドキしている気がして不公平だと思った。


「ユーリ、あんまりドキドキしないのね……」


「セラはこうやって抱きしめると、いつもドキドキしてる」


「す、好きな人にぎゅってされて、ときめかない女の子はいないわよ」


「俺は好きな子を抱きしめると落ち着く。そろそろ部屋に入れよ。俺も戻らなきゃ」


「うん。おやすみ、ユーリ。ちゃんと寝なきゃだめよ?」


「わかってる。もう少ししたら休むよ。おやすみ、セラ」


 セラのお姉さんぶった言い方に苦笑してから、バルコニーの手すりに手をかけると、ユリシーズの姿が夜の闇へと消えた。セラが下をのぞき込むと、何事もなかったかのように領館の方へ歩いていく後ろ姿が見えた。

セラがお気に入りの恋物語に出てくる『敵方の姫と恋に落ち、人目を忍んで会いにきた若き王子』は浪漫的で名場面だというのに、現実でやってみると『渋る恋人を木に登らせて、自宅バルコニーから飛び降りてもらう』という何とも笑える場面に早変わりだ。昼間の堂々とした姿からは想像もできない滑稽さに、セラは「ぶふっ」とふきだして、一人で肩を震わせていた。


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